2021年12月16日、あっかい電車をのりついでふるいから金山までいって、ほっから地下鉄で移動。名古屋市内の東別院や橘町大木戸、樽屋町大木戸っていう名所旧跡をまわってきた。東別院は美人女僧のかたの法話にききほれて、橘町大木戸と樽屋町大木戸の2か所は、名古屋城下のみなみのいりぐちとにしのいりぐちをたしかめてきた。
◇ ◇
ふるいから金山まで
ふるい9時55分のしんあんじょういきふつうにのる。電車は、鉄仮面のあっかい電車。
みなみあんじょうで吉良吉田いき急行のあっかい電車といきちがい。
10時2分、しんあんじょうは2番のりばにとうちゃく。
こせんきょうをのぼりおりして、4番のりばに移動。さいしょにきたのは一宮いき急行のぎんいろ電車。いや、この時間帯、まんだ一宮いき急行があるだ。けど、まえがみえんぎんいろ電車じゃいやで、みおくり。
つぎにきた、しんあんじょう10時12分の岐阜いき特急にのる。電車はパノラマスーパーで、先頭は展望車じゃないけどしっかりまえがみえる。
しんあんじょうをでるとこで、豊橋いき快速特急のパノラマスーパーとすれちがい。
牛田てまえで豊橋いき急行のあっかい電車とすれちがい。
知立てまえ、三河線ごえのとこで、みぎにあたらしい高架構造物。2023年度の高架開業をきたいしとった知立のえきだけど、さいきんになって延期が発表になった。ざんねんなことだ。
知立に停車。
きっついみぎ曲線で一ツ木(ひとつぎ)を通過。
東岡崎いきふつうのあっかい電車とすれちがい。
豊明(とよあけ)を通過したとこで、豊橋いき特急のパノラマスーパーとすれちがい。
前后(ぜんご)を通過するとこで、国府(こう)いき急行のあっかい電車とすれちがい。ひるまの時間帯にはない種別いきさきだ。
ひだり曲線で中京競馬場前を通過。
有松(ありまつ)を通過するとこで、東岡崎いきふつうのあっかい電車とすれちがい。
鳴海(なるみ)を通過。おとついとびこみ自殺があった鳴海だ。ここで犬山いきふつうのぎんいろ電車をおいこし。
きっついひだり曲線で本星崎(もとほしざき)を通過。のりばにひとがいっぱいおる。
桜をすぎてひだり曲線をいくとこで、豊橋いき快速特急のこおろぎ特急とすれちがい。
堀田(ほりた)で一宮いき急行のぎんいろ電車をおいこし。しんあんじょうでみおくった、あのぎんいろ電車だ。
神宮前に停車。運転士さんが交代。おまけに教導者のひとものってきて、まえがみにくくなる。
10時33分、金山にとうちゃく。のってきた電車をみおくり。
地下鉄移動と名所旧跡めぐり
名鉄から地下鉄にのりかえ。
金山10時44分の名城線みぎまわりにのる。
10時46分、のることひとえきで東別院にとうちゃく。
かいさつをでるとこに、「東別院4番でぐち」の案内。駅名にもなっとるとおり、ここで地下鉄をおりて東別院のおてらにいくひとがおおいだ。4番でぐちは、かいだんのとなりにエスカレーターもついとるのにびっくり。えきがけっこうふかい位置にあるだ。
地上にでたまんまえにドデスカのメ~テレ。いや、こんなにでっかいビルだったのか。
メ~テレのにし、東別院は東門からはいる。説明がきをよんでみる。
「1945年3月の名古屋くうしゅうでほかの伽藍がやけおちたなかで、この東門だけがのこった。様式は高麗門で2016年7月15日、復元工事が完了。高麗門とは、左右の支柱にまたいできりつまやねがのっとるほか、左右それぞれの支柱とうしろのひかえばしらにまたいできりつまやねがのっとるかたちの門である」とのこと。
なるほど、門をくぐって左右をみあげるときりつまやねがある。正面のきりつまやねとあわせてコの字がたになっとる。
いや、ほれにしてもアメリカ軍のくうしゅうはゆるせんな。軍事攻撃の範囲をこえた、非戦闘員や民間施設、文化施設をも対象にした無差別爆撃っていうほかない。
東門からおくに本堂。おおきさに圧倒される。
いったん境内のみなみにでて、仏壇仏具展示場たてもんをみる。ふつうのいりもややねのうえに、ちいさく天主閣みたいな一層がのっとるのがおもしろい。
南門のとこに東本願寺の説明がき。「織田信長のちち信秀の居城古渡城(ふるわたりじょう)のあとちに、1690年にひらかれたもんだ」とのこと。
さて、本堂におまいり。ところで、本堂のなかからたえなるこえがきこえてくる。おそるおそるとをあけてみると、女僧のかたが法話をやっとるさいちゅう。ほのたくみなはなしぶりに感心。ほの美貌にびっくり。はなしの内容は、あぶのはなしや無明(むみょう)のはなし。さわりだけきくつもりが、ついにさいごまできく。女僧のかたのなまえは、犬飼祐三子さん。
本堂からでて、境内西南すみに古渡城あとのいしぶみ。説明がきをよんでみる。「1542年ごろ、今川にそなえて築城。1548年、千種区の末盛城にうつって廃城になった」とのこと。たった6年のしろだったか。
東別院の境内からにしにでて、崇覚寺(そうがくじ)。いや、ひがしの山門からまっすぐおくににしの山門があるのがおもしろい。本堂はこのかんにある参道のみぎがわ。
崇覚寺をにしにぬけて、美濃路にでる。美濃路をかねる本町どおりだ。
でたとこからちょこっとみなみにいって、橘町大木戸(たちばなちょうおおきど)をかくにん。まえに美濃路名古屋宿をあるいたときに、名古屋城下のみなみのいりぐちとしてこの大木戸があったことをしっただけど、むかしの大木戸のはしらをまねて1対設置したっていう街路灯はみつけんままにいっちゃって、こんかいほれをかくにんしたってしだいだ。
橘町大木戸から美濃路をきたにあるいて、ひだりに妙善寺。あ、この山門、さっきの東別院の東門とおんなじ高麗門じゃんか。左右の支柱からおくにもきりつまやねがのっとる。いや、さっきまなんだ知識がさっそくいかされたってかんじで、うれしい。
また美濃路をきたにあるいて、大須商店街、大須観音をにしにぬけて、地下鉄鶴舞線大須観音のえきにとうちゃく。のりばにおりたとこで、上小田井(かみおたい)いきふつうにのりそびれ。電車は名古屋市交通局のあおいろ電車だっただけど、みえとる電車がでてっちゃうってのはむなしいもんだ。
さて、つぎの電車、大須観音13時ちょうどの上小田井いきふつうにのる。電車は、こんども名古屋市交通局のあおいろ電車。はんたい電車は、名鉄のあっかい電車。地下鉄鶴舞線と名鉄豊田線、犬山線は相互のりいれしとるだ。
無用な英語の案内放送をききながら伏見、丸の内って停車。
13時6分、浅間町(せんげんちょう)にとうちゃく。
4番でぐちから地上にでるだけど、ここにもかいだんのとなりにエスカレーター。
地上にでたとこは名古屋高速のしたで、名古屋高速ぞいにちょこっときたにあるいて、東西にはしる美濃路にでる。
美濃路をひがしにはいって、名古屋江川郵便局となりにみつけたそば料理正盛(せいせい)ってみせにはいって、ひるごはん。たのんだのは、ぶたばらあぶりやきどんぶりとそばこもりのセット。ごちそうさまでした。
正盛から、こんどは美濃路をにしにあるいて、樽屋町大木戸あとにとうちゃく。ここも、まえに美濃路名古屋宿をあるいたときにみつけれんかったとこだけど、名古屋城下のにしのいりぐちとしてここに大木戸があった。
説明がきをよんでみる。
- 樽屋町の大木戸あと
じょうかまちには、治安のためつじごとに木戸がもうけられとった。なかでも重要な街道には「大木戸」をもうけ、夜間は閉鎖し、城下防御のわくわりをもたせとった。
名古屋城下には3か所の大木戸があった。みなみぐちは東海道から美濃路をとおり、城下へのいりぐち、橘町(中区)。ひがしぐちは飯田街道のいりぐち、赤塚(東区)。にしぐちはここ美濃路樽屋町と押切村(おしきりむら)のさかい(西区)にもうけられとった。
大木戸は城下とそととの境界で、番小屋が布設されとった。旅行者の送迎もこの大木戸までであったという。
1872年、3か所の大木戸はすべてとりのぞかれた。
美濃路まちづくり推進協議会
樽屋町と押切村のさかいってかいてあるけど、城下のがわが樽屋町で城外のがわが押切村になるのかな。
まあひとつ「めでみる美濃路」って説明がきがあって、よんでみる。
- 美濃路でつながる西区「めでみる美濃路」
名古屋城下には3か所の大木戸があり、ほのうち2か所は美濃路にあった。ひとつは本町どおり橘町、ひとつはこのあたり、押切町と樽屋町のあいだにあった。大木戸は周辺にてらまちが配され城下防御や治安のやくわりをになに、夜間はしめられた。
樽屋町大木戸からみなみにのびる新道ぞいにはむっつのてらがあり、小規模ながらてらまちが形成されとった。ほのようすは、尾張名所図会にもえがかれとる。
こっからみなみにのびる新道ぞいにおてらがむっつあるだ。
美濃路もこっからにしは城外。
美濃路からはなれて、新道かっておもえるみちをみなみにあるく。銭湯をやっとったにちがいないっていう木造の2階だてたてもんを発見。銭湯だけあって、1階はたちが1階半ぐらいのたかさがあって、おくにえんとつがみえる。また、おてらもふたつ発見。
浅間町のえきにもどって、14時24分の豊田市いきふつうにのる。地下鉄鶴舞線から名鉄豊田線にのりいれていくやつで、こんどは名鉄のあっかい電車。
14時32分、上前津(かみまえづ)にとうちゃく。
連絡通路をとおって名城線のりばに移動。上前津14時36分の名古屋港いきふつうにのる。
14時40分、金山にとうちゃく。
かいさつをでて地上にあがって、ロッテリアでいっぷく。
かえり
名鉄のかいさつをはいって、かえりの電車。金山15時37分の豊橋いき特急にのる。電車はこおろぎ特急で、座席は特別車2号車3A。ひだりまどがわはしらまえ。ロッテリアでメネットできとったつもりができとらんくて、特別車料金を車内精算。
15時58分、しんあんじょうは5番のりばにとうちゃく。
こせんきょうをのぼりおりして、2番のりばに移動。しんあんじょう16時7分の西尾いきふつうにのる。電車は、鉄仮面重連のあっかい電車。
16時15分、ふるいにとうちゃく。きょうのたびをおえる。
(さんこう)
- 乗車記録 - 2021年12月16日、もくようび、平日
- ふるいから金山まで
- 地下鉄移動
- かえり
- ふるいから金山まで
- うわーっ!|iwase.akihiko|インスタグラム|2021年12月16日
- うわーっ! 東別院、でかーっ!
はじめて地下鉄を東別院のえきでおりて、はじめて東別院のてらにおまいりしてきた。ところで、本堂のなかからたえなるこえが。。。おそるおそるとをあけてみると、女僧のかたが法話をやっとるさいちゅう。ほのたくみなはなしぶりとほの美貌にひきこまれて、ついにさいごまできいてきた。
#東別院 #犬飼祐三子
- うわーっ! 東別院、でかーっ!
- きょうのパノラマスーパー - 2021年12月16日 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2021/12/16
- きょうは…|iwase.akihiko|インスタグラム|2021年12月16日
- きょうは、美濃路のそばやさんでひるごはん♪
名古屋江川郵便局となりにみつけた正盛(せいせい)ってみせで、ぶたばらあぶりやきどんぶりとそば♪ ごちそうさまでした♪
- きょうは、美濃路のそばやさんでひるごはん♪
- 特急電車にはねられ男性死亡 - 名鉄鳴海駅:中日新聞|2021年12月14日22時32分
- 橘町大木戸あと - おぼえがき(ゆめてつどう)|2021/11/01
- 美濃路名古屋宿をあるく - 2021年10月21日 - あきひこゆめてつどう|2021/11/06
- 美濃佐商店のわきに「橘町大木戸あと」の説明がき。大木戸(おおきど)ってのは主要な街道のいりぐちにあったもんで、夜間閉鎖して城下防衛のやくわりをはたしとったっていう。橘町大木戸は名古屋城下にみっつあった大木戸のうちのひとつで、ほかは下街道(したかいどう)の赤塚大木戸と、ここにおなじく美濃路の樽屋町大木戸。橘町大木戸がみなみのいりぐちで、赤塚大木戸がひがしのいりぐち、樽屋町大木戸がにしのいりぐちってわけだ。ほいで、橘町のなまえができて2014年で350年になったのを記念して、むかしの大木戸のはしらをまねた街路灯を1対設置したっていう。
- 直進して、左右は住宅街。美濃路案内地図にはこのへんにあるっていう、名古屋城下のにしのいりぐち、樽屋町大木戸あとはみあたらん。
- ラジオ放送「東本願寺の時間」|しんらん交流館HP浄土真宗ドットインフォ|2015年9月27日まで
犬飼祐三子(愛知県正林寺)第六回縁をいただく
- 現代は関係性が希薄になっていると言われます。私が幼い頃は、感覚的にご近所がもう少し近かったように思えるのです。外に出ると、台所仕事の包丁の音や話し声などが道まで聞こえてきて、何となくほっとしたものです。でも、残念ながら今は家の建て替えが進み、道を歩いていてもそのような音が聞こえることはなくなりました。
- その流れは当然のように個人のプライバシーを尊重する風潮を加速し、自分だけの生活を守ることが何よりも大切なこととなって、日本の本来もっていた性質を根元から崩しているように感じます。家族でも「個」、個人の個です、それが当たり前になってきています。
- 随分前にお聞きした話ですが、あるご家族が小さな長屋住まいの時はとても仲が良かったそうです。けれども家を建てられた途端、自室で過ごすようになり、皆で話をしなくなったと寂しそうに仰っておられました。
- 私達はより便利により快適にと生活を向上させているつもりでいますが、便利さ快適さを目指したことで、人と人との関係を希薄にしているのではないでしょうか。そしてそのことにさえ気付いていないのです。それは必ず「良い方に向かっているはず」という自信が根底にあるのでしょう。誰もが進化することはよいことで、その状態でとどまることや戻ることをよしとしないのです。
- そのことは孤独をより深めていくのですが、やはり「孤独は寂しい」と人とのつながりを求める。できるだけ自分の都合に合う楽な「お友達」がネットの中や携帯の中の関係なのかもしれません。そのことが、表面しか見えない人や表面上の付き合いしかできない人が多くなっている要因なのではないでしょうか。
- でも人は、もっと深い縁を本当はいただいて生きているものなのではないかと私は思うのです。
- 私がこの世に「いのち」を受けることができたという事実は、様々な縁が原因となっているからです。第一回でお話しさせていただいたように、祖母はとても辛く悲しい思いをしましたが、その祖父と結婚したことで父が誕生し私が今ここにいるのです。どこかでひとつ縁が違っていたなら、私がここにいることはありません。そんな縁が無数に、そして複雑に交差し今があるのです。そしてそのいただいた縁を私が今、生きさせてもらっているのです。
- 私自身この縁という言葉を使うのは自分にとって都合がよい時で、良い縁は縁として受け入れるというのが当然でも、悪い縁は縁とは認めない、という身勝手さがあります。けれども私が人と出遇う中で、たくさんの人生の大先輩や友人がそれぞれの悲しみ、苦しみ、迷いの人生を生きてくださっていることを知り、どんな縁でも大切な縁であったことを気付かせていただくことができたのです。そのことはそれぞれの方が私に先立ち悲しみ、苦しみ、迷いを縁として教えを聞いてくださっていたからなのです。
- そういった方々と出遇うことを通して出遇わせていただくのです。それは誰もが精神的大地を持っていて、私の苦悩が私だけのものではなかったということを改めて教えていただく大切な場でした。私がそれまで大切だと思っていたのは、自我を中心とした思いで、そのことが破られていったのです。
- 真宗の教えは私達に仏教の永い歴史を伝えてくださっています。親鸞聖人ご自身が縁によって教えに出遇われその教えを生涯大切に聞き続けてくださったこと、人間の本質と向き合いながら教えを聞き「南無阿弥陀仏」とお念仏申されながら人生を終えていかれたことが縁となり、私に教えを聞けとうながし続けてくださっていることを感じます。
- 六回にわたり大切なお時間をご一緒させていただきました。ありがとうございました。
- 最后に私の作った詩を朗読して終わらせていただきます。
- 「縁」
- かなしみをなかったことにしないで
悩み苦しんだことを
すべて消してしまおうと思わないで
それはあなたの一部で
それはあなたのすべて - 一瞬一瞬が今のあなたをつくり
あなたの生きる大地となっている - 善いことばかりがすべてじゃない
勿論悪いことがすべてでもない
何もかもがひとつになって
今の私をそしてあなたをつくっている
そして私とあなたが出遇う - この先も時の流れとともに
新しい私が
新しいあなたが
生まれつづける
こわがらないで
ちゃんと私を照らす光があるから
少しずつ少しずつ
迷いながらでいいから
私をそしてあなたを
私の過去をあなたの過去を
受けとめて - それはきっと
あなたの生きる力になる
- かなしみをなかったことにしないで
- 「縁」
- ラジオ放送「東本願寺の時間」|しんらん交流館HP浄土真宗ドットインフォ|2015年9月27日まで
犬飼祐三子(愛知県正林寺)第四回報恩講
- 名古屋空襲展 - ピースあいち - あきひこのいいたいほうだい|2015/03/28
- この時期、名古屋は1945年3月12日と19日の二度にわたり、夜間、2,000メートル前后の低高度から、市街地への焼夷弾(しょういだん)爆撃をうけました。