明治用水頭首工の模型

あんじょうし歴史博物館に明治用水頭首工の模型が展示してある。いまが3代めの頭首工になるだけど、これは2代めのもんだ。

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明治用水頭首工模型(1909年ごろのようす)

2022.2.16 (14) 1909年ごろの明治用水頭首工模型 980-1150

ふなとおし、堰堤(えんてい)、導水堤(どうすいてい)、矢作川、管理事務所、水神(すいじん)をまつったほこら

2022.2.16 (15) 1909年ごろの明治用水頭首工模型 2000-1320

水源構造図

2022.2.16 (16) 水源構造図 1150-1250

明治用水は、西加茂郡今村にもうけられた取水口からひいておりました。

用水開設当時は、矢作川をせきとめる技術がなく、樋門(ひもん/みずのとりいれぐち)から上流にむかって、かわのなかにながさ1,647メートルの導水堤をきずき、かわのみずをとりこみました。

みずがおおくつかわれるようになって、1901年にかわを横断する堰堤をきずきました。ほのあとも、修理、改築がおこなわれ1909年にようやく完成しました。

頭首工模型

2022.2.16 (17) 頭首工模型 1440-1190

この模型は、1909年のようすを再現したものです。かわをせきとめる横断堰堤、閘門(ふねのとおりみち)、導水堤、樋門などからなっております。

これらは、人造石(コンクリートの前身)工法でつくられた、当時としてはすすんだ築造物でした。

■平常時(用水へみずを供給するばあい)
とびらはしまって(たっとって)みずがせきとめられ、用水へながれる。第1樋門のとびらはあいとって、用水にみずがながれる。
■増水時
とびらがたおれて、みずは下流へながされる。第1樋門のとびらはしまって、用水へみずがながれんようになる。
■閘門でのふねのとおしかた(下流から上流にいくばあい)
下流からふねがはいってくると門がしまります。
パイプのくちをふさいどるふたをあけて水位をあげます。
上流がわと水位がいっしょになると、とびらがひらいてふねがでれます。

〔2022年2月16日訪問〕


(さんこう)

  • 矢作川の明治用水ふなとおし - あきひこゆめてつどう|2021/10/01
    • 2021年9月はつか、矢作川明治用水ふなとおしをみてきた。さきだつ2021年9月ついたち、明治用水葭池樋門(よしいけひもん)のことをききに水のかんきょう学習館をおとずれたときに、「じつは矢作川明治用水堰堤(えんてい)のわきにふなとおしがあって、船頭さんらのための旅館もあった」ってことを館員の織田さんからきいて、いってきたもんだ。
    • 陸上交通が発達するまで、わが西三河地域では矢作川が物資輸送の大動脈だって、数十隻(すうじゅっせき)のかわぶねがいきかっとった。ところが明治用水ができたことで、取水のための堰堤がかわぶねののぼりくだりのじゃまになるようになった。ほいで、堰堤のわきにふなとおしの閘門(こうもん)をつくったってわけだ。閘門の水位を上下させることで、かわぶねののぼりくだりができるってしかけだ。パナマ運河をおもいうかべると、わかりやすい。
      2021.9.20 (14) 矢作川東岸 - 明治用水ふなとおし 1980-1470
  • 明治用水旧頭首工 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2021/09/25
    • 2021年9月ついたち、葭池樋門(よしいけひもん)にかんする資料をちょうだいしに、水のかんきょう学習館を訪問。もとめた資料のほか、館員の織田さんのおすすめで、明治用水旧頭首工にかんする資料をちょうだいした。資料は、先代、先々代の明治用水頭首工にかんするもんで、明治用水土地改良区OBの田中さんから先代頭首工についての説明もいただいた。
      2021.9.1 明治用水資料 (6-1-1) 水源平面図 860-2170