あんじょうし歴史博物館に明治用水頭首工の模型が展示してある。いまが3代めの頭首工になるだけど、これは2代めのもんだ。
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明治用水頭首工模型(1909年ごろのようす)
ふなとおし、堰堤(えんてい)、導水堤(どうすいてい)、矢作川、管理事務所、水神(すいじん)をまつったほこら
水源構造図
明治用水は、西加茂郡今村にもうけられた取水口からひいておりました。
用水開設当時は、矢作川をせきとめる技術がなく、樋門(ひもん/みずのとりいれぐち)から上流にむかって、かわのなかにながさ1,647メートルの導水堤をきずき、かわのみずをとりこみました。
みずがおおくつかわれるようになって、1901年にかわを横断する堰堤をきずきました。ほのあとも、修理、改築がおこなわれ1909年にようやく完成しました。
頭首工模型
この模型は、1909年のようすを再現したものです。かわをせきとめる横断堰堤、閘門(ふねのとおりみち)、導水堤、樋門などからなっております。
これらは、人造石(コンクリートの前身)工法でつくられた、当時としてはすすんだ築造物でした。
- ■平常時(用水へみずを供給するばあい)
- とびらはしまって(たっとって)みずがせきとめられ、用水へながれる。第1樋門のとびらはあいとって、用水にみずがながれる。
- ■増水時
- とびらがたおれて、みずは下流へながされる。第1樋門のとびらはしまって、用水へみずがながれんようになる。
〔2022年2月16日訪問〕
(さんこう)
- 矢作川の明治用水ふなとおし - あきひこゆめてつどう|2021/10/01
- 2021年9月はつか、矢作川の明治用水ふなとおしをみてきた。さきだつ2021年9月ついたち、明治用水葭池樋門(よしいけひもん)のことをききに水のかんきょう学習館をおとずれたときに、「じつは矢作川の明治用水堰堤(えんてい)のわきにふなとおしがあって、船頭さんらのための旅館もあった」ってことを館員の織田さんからきいて、いってきたもんだ。
- 陸上交通が発達するまで、わが西三河地域では矢作川が物資輸送の大動脈だって、数十隻(すうじゅっせき)のかわぶねがいきかっとった。ところが明治用水ができたことで、取水のための堰堤がかわぶねののぼりくだりのじゃまになるようになった。ほいで、堰堤のわきにふなとおしの閘門(こうもん)をつくったってわけだ。閘門の水位を上下させることで、かわぶねののぼりくだりができるってしかけだ。パナマ運河をおもいうかべると、わかりやすい。
- 明治用水旧頭首工 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2021/09/25