2022年8月にじゅうよっか、京阪電車にのって、大津のまちをあるいた。京阪石山から石山寺まで、つぎは京阪石山から浜大津まで、っていうふうに京阪電車に乗車。とちゅう、石山寺のてらを観光したり、京阪石山のえきまえのにぎわいを見物したりして、さいご、浜大津からあるいて大津市の中心を発見。大津が東海道のしゅくばまちだったことも、あらためてしることになった。大津市内へは東海道線でではいり。
〔東海道線で京都から石山まで〕 〔京阪電車で京阪石山から石山寺まで〕 〔石山寺のてらを観光〕 〔バスでもどって京阪石山のえきまえのにぎわいを見物〕 〔京阪電車で京阪石山から浜大津まで〕 〔浜大津から大津のまちをあるく〕 |
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東海道線で京都から石山まで
名鉄と新幹線で京都にとうちゃく。いったん中央かいさつからそとにでて、いっぷく。
中央かいさつをはいりなおして、2番のりばにはいってきた、京都8時45分の近江塩津いきふつうにのりこむ。電車は12両編成で、先頭クモハ223-3029は223系ステンレス電車。車掌さんは、おんなの車掌さん。
ひがしにむかってしゅっぱつ。新幹線でにしにとおりこしてきた大津に、在来線でひがしにもどるかたちだ。
すぐに223系ステンレス電車とすれちがって、賀茂川をわたる。
東山トンネルにはいる。
でぐち。
山科盆地(やましなぼんち)にはいって、みどりいろ電車とすれちがい。
山科(やましな)に停車。のりばにひとがいっぱい。みぎしたに京阪京津線(けいしんせん)。東海道線におなじく大津につながる鉄道だ。
大坂いきサンダーバードとすれちがい。
ひだりにゆみなりながら、高架になったそとがわ線にはさまれてうちがわ線をいく。
新逢坂山(しんおうさかやま)トンネルにはいる。
でぐちにつづいて、京阪京津線(けいしんせん)をくぐる。わがのる東海道線電車は逢坂山をトンネルでぬけてきたけど、京阪京津線はやまごえをしてやってきた。
すぐに大津(おおつ)に停車。あんまりのりばにまっとるひとがおらん。滋賀県の県都、大津市の代表駅であるはずなのにこんなことか。ひだりがえきまえになるだけど、ビルがみえるばっかりでえきまえのにぎわいもなさそうだ。
みぎにゆみなりながら4線区間をいく。京都からずーっとつづいてきとる4線区間だ。
みぎにゆみなりながら、加古川いきふつうの221系ステンレス電車とすれちがい。
ひきつづきみぎにゆみなっていくとちゅう、膳所(ぜぜ)に停車。大津よりもずーっとようけひとがまっとる。ひだりに京阪石山坂本線(いしやまさかもとせん)。ひだりうしろに浜大津にいく線だ。東海道線は開業当初、膳所でひだりに反転分岐して浜大津にいっとった。浜大津が大津だっただ。いまの東海道線大津や膳所のえきができるのはあとのこと。ひょっとしたら、廃止になった膳所浜大津間の東海道線がいまの京阪石山坂本線になっとるのか。
さらに4線区間をいく。
おおきくひだりにゆみなって、姫路いき新快速の223系ステンレス電車とすれちがいながら、石山は3番のりばにとうちゃく。9時ちょうど。みぎに京阪石山坂本線。
のってきた電車をみおくり。
京阪電車で京阪石山から石山寺まで
京阪電車にのりかえ。京津線として浜大津まで、さらに石山坂本線としてつづいてきた京阪電車に、ここでのりかえる。こんかいのたびのひとつの目的が、大津市内の京阪電車のうちまんだのっとらんかった区間の乗車だ。ぜんかいのひえいざんごえのたびで、京津線全区間と、石山坂本線のうちのさかもとひえいざんぐちから浜大津までの区間をのっとって、のこるは石山坂本線のうちの浜大津から石山寺までの区間。ほいで、まずはのこりの区間のうち、石山からみなみに石山寺までの区間にのるだ。
東海道線石山のえきの橋上かいさつをでたとこで、すぐデッキのみぎに京阪石山のえきの橋上かいさつ。いや、なんちゅうべんりなのりかえだ。
のりばにおりて、京阪石山9時10分の石山寺いきふつうがはいってくる。編成両数は2両で、先頭車両番号は708。うえがふかみどりいろ、こしからしたがはいいろ、さかいめにわかくさいろのほっそいおびがはいった、きれいな電車だ。のりばにとまった電車から、どどーって乗客がおりてくる。みんな、これよりさきにはいかんみたいだ。のりばにまっとるひとたちも、この電車にはせをむけて浜大津方面にいくはんたい電車をまっとる。
のりこんで、ひがしむきにしゅっぱつ。ひだりにバスロータリーをはさんで東海道線石山のえきををみて、ふみきりをとおりながらみぎに直角にゆみなっていく。
こんどはひだりに直角にゆみなっていく。
さらに、また、みぎに直角にゆみなってみなみにいく。かくかく直角にゆみなっていくのは、ごばんのめにととのった街区をななめにたちきらんようにするためのはいりょか。
さかもとひえいざんぐちいきふつうとすれちがい。先頭車両番号は611で、さくらのがらのヘッドマークに「石坂青春号2012」の文字。石坂は石山坂本線の略か。
ふみきりのむこう、唐橋前(からはしまえ)に停車。唐橋前の唐橋は、瀬田の唐橋の唐橋だ。
たすきがけ分岐でみぎに転線して、終点、石山寺(いしやまでら)は2番のりばにとうちゃく。9時14分。
のってきた電車がおりかえしさかもとひえいざんぐちいきふつうにかわるのをたしかめて、かいさつをでる。
石山寺のてらを観光
石山寺のてらをめざして、石山寺のえきから瀬田川ぞいをみなみにあるく。ひだりにかわ、みぎはすぐやまって地形で、電車もてらまではいけんかっただ。
大津放水路にかかる月見橋をわたる。
かわもをいくボート。きもちよさそう。
しばらくいって、石山寺のてらにとうちゃく。バスガイドさんらが説明がきをみてべんきょうちゅう。しっかり観光地だ。
ひがしむきに、年季のはいった風格のある山門をくぐって、ほのままゆるいのぼりざかの参道をいく。
おんまかきゃらやそわか。みぎ、大黒天におまいり。ふりがなつきのサンスクリットってはじめてみただけど、現代ヒンディー語の知識でよみかたが理解できるもんだ。
拝観料をはらっておくにすすんで、正面、きりにけぶるいわばのうえに多宝塔。
ひだり本堂にあがっていったとこで、なかにだれかおるっておもったら紫式部。あの紫式部がここ石山寺で源氏物語をかいただげな。ほー。
本堂の正面にまわっていって、ぴっかぴかのご本尊におまいり。
多宝塔のうしろまであるいていって、月見亭のうらから瀬田川をみはらす。やまぜんたいがてらになっとるだ。
バスでもどって京阪石山のえきまえのにぎわいを見物
石山寺観光をおえて、つぎは京阪電車。また、石山寺のえきまであるいてのってもよかっただけど、山門ちかくにバス停があってほっからバスにのることにする。ちょこっとまってやってきた、石山寺山門前バス停10時18分の石山駅いきバスにのる。3分おくれの運行。
瀬田川ぞいにきたにすすんで、京阪石山寺バス停。いきにあるいたのはバス停ひとくかんだった。ここで電車にのりかえるてもあるだけど、京阪石山のえきまえをみてみたいこともあって、バスの終点までのりとおすことにする。
左折して唐橋前のえきのきたのふみきりをにしにわたる。どこがバス停だかわからんかったけど、このあたりに唐橋前バス停。ところで、すぐうしろをおいかけてくるバスがあるのにびっくり。
またすぐに右折して、栄町バス停。左右はにぎやかなまちだ。
松原バス停。みぎに京都信用金庫石山支店。
平和堂石山ふみきりをきたにわたる。
交差点を左折。
みぎにバスロータリーにはいって、終点、石山駅にとうちゃく。10時27分の定刻どおり。3分のおくれはとりもどした。
さて、京阪電車にのるだけど、ほのまえにえきまえ見物。バスロータリーのきたに東海道線。みなみに京阪石山坂本線とほのふみきり。えきのかいさつは東海道線のえき、京阪電車のえきとも、にしにペデストリアンデッキにあがっていったとこにある。東海道線をせにベンチが直列になんぼんかおいてあって、バスまちのひとがなんにんかすわっとる。エスカレーターでペデストリアンデッキからおりてくるひと、バスロータリーからあがっていくひと。京阪電車がいきかうたびにかんかんなるふみきり。ふみきりをわたってみなみにまちにむかうひと、きたにバスロータリーやえきにいくひと。きめられたばしょでわたらにゃいかんだけど、ほんなことはおかまいなしだ。ふみきりわきのたばこやでたばこをふかすひとたち。いかにもえきまえな、このざわざわしたかんじがおれはだいすきだ。
京阪電車で京阪石山から浜大津まで
さて、京阪電車。ペデストリアンデッキのかいさつからのりばにおりて、京阪石山10時42分の近江神宮前いきふつうにのる。終点のさかもとひえいざんぐちまでいかん、近江神宮前どまりの電車もあるだ。編成両数は2両で、先頭車両番号は707。さっき石山寺までのったのとおんなじ電車だ。
東海道線と平行に、にしむきにしゅっぱつ。
みぎした、東海道線をいくみどりいろ電車。
みぎに直角にゆみなったあと、東海道線ごえ。
粟津(あわづ)に停車。
ひだりに直角にゆみなって、瓦ケ浜(かわらがはま)に停車。
みぎにゆみなっていく。
石山寺いきふつうとすれちがい。
また、みぎにゆみなっていく。
中ノ庄(なかのしょう)に停車。
膳所本町(ぜぜほんまち)に停車。本町っていうぐらいだで、ここがもともとの膳所のまちか。
錦(にしき)に停車。なまえとうらはらにわびしいとこだ。いや、ほれにしても京阪電車のえきかんのみじかいこと。
みぎにゆみなりはじめるとこで、京阪膳所(けいはんぜぜ)に停車。ひだりに東海道線膳所のえき。
京阪膳所から、開業当初の東海道線の経路をなぞっていく。まったく一致する経路かどうかはしらん。
きんぴか電車とすれちがい。先頭車両番号620の石山寺いきふつうだけど、これまでみてきたふかみどりいろの電車とはちがう、濃紺の車体にきんいろのふちどりがしてある電車だ。車両前面に「ひえいざん・びわこ|やまとみずとひかりの回廊」ってかいてある。
くだりざかをいく。
ゆるーくひだりにゆみなっていくとちゅう、石場(いしば)に停車。
石場をでたとこから、みぎに道路が平行してくる。
島ノ関(しまのせき)に停車。
浜大津(はまおおつ)のえきがちかづいてくる。
えきのてまえになか線。浜大津で京津線がひだりに分岐するだけど、ほの京津線電車がこのなか線でしゅっぱつまちするとこだ。
浜大津(はまおおつ)は、しましきのりばひだりがわの1番のりばにとうちゃく。むこうから、路面電車状態で交差点をよこぎってはいってくる石山寺いきふつうをみながら1番のりばにとうちゃく。10時55分。
のってきた電車がでていくのをみおくり。車両番号が707-708だったことをかくにん。
石山寺いきふつうが、むかいの2番のりばにはいってくるのをみとどけ。車両番号が616-615だったことをかくにんして、橋上かいさつをでる。
浜大津から大津のまちをあるく
ぼーっ! 浜大津の橋上かいさつをでたとこで、汽笛がきこえる。ミシガンだ! 橋上かいさつからきたにつづくペデストリアンデッキのさきっぽまではしっていって、大津港からミシガンがでていくのをみおくり。出港ふうけいって、なんかうれしい。
さらに大津港旅客ターミナルまでおりていって、併設のバードカフェでひとやすみ。ついでにうちへのみやげにはしりいもちと滋賀ぽてっち茶塩をかう。わっかいおんなの店員さんが、わたしもはしりいもち、すきです~♪っていってくれる。大津の名産はしりいもちは、じもとのひとにも人気がたかいだ。928円になります~♪ってきいて、しはらい。いや、このすきです~♪なります~♪っていういいかた、さいごの「す~」にもアクセントがあって、いかにも関西のことばらしくていい。ぜんかいのひえいざんごえのたびでも、ここでひとやすみして、おんなじもんをみやげにかった。
さて、大津港からみなみにあるく。浜大津の交差点をすぎてさかみちをあがりかけたとこで、みちのまんなかを路面電車がいく。京阪京津線から地下鉄東西線にのりいれて、京都は太秦天神川(うずまさてんじんがわ)までいく京阪電車だ。このさき、逢坂山をこえていく。
みちのひだりがわ、麺せい(めんせい)にとうちゃく。ぶっかけ定食を注文。ごちそうさまでした。ぜんかいのひえいざんごえのたびのときも、ここでひるめしをくった。
京阪電車ののこり区間ものって、あとはかえるだけになっただけど、なんかものたりん。京阪石山のえきまえのざわざわしたかんじもよかっただけど、滋賀県庁や大津市役所からおおきくはなれたあっこが大津市の中心ってわけもない。
京阪京津線のにしがわにはいっていってみる。左折してきたむきののぼりざかになったとこで、むこうのほうにアーケードのやねがみえる。アーケードのやねが東西にのびとる。あれだ。あれにちがいない。あっこが大津市の中心にちがいない。
アーケード商店街にとうちゃく。まちがいない。天井のたかい、みちはばのひろい、東西にながーくつづくこのアーケード商店街こそが大津市の中心だ。いったんにしのはしまでいって、ほっからひがしにすすんでいくことにする。アーケード商店街のなまえは長等商店街(ながらしょうてんがい)。湖西線が山科から長等山トンネルをとおって大津にでてくるだけど、ほの長等だ。
ひとびとがいきかう。
すすんで、アーケード商店街のなまえが菱屋町商店街(ひしやちょうしょうてんがい)にかわる。
中央1丁目交差点で電車どおりをひがしにわたる。まんだアーケード商店街はつづくだ。いりぐちに「〇や」の文字。
わたりおえてふりかえると、また太秦天神川いきふつうがさかをのぼっていく。商店街とふかみどりいろの京阪電車、いい光景だ。
電車どおりをよこぎってから、また、アーケード商店街のなまえが丸屋町商店街(まるやちょうしょうてんがい)にかわる。「〇や」は丸屋のことだった。
丸屋町商店街をちょこっとひがしにすすんで、みぎ、光風堂ってわがしやさんにはいって、みせのおくさんからだいふくもちをみっつかう。ついでにはなしをきくと、ここが大津市の中心でまちがいないけど、むかしにくらべてずいぶんさびしくなったとのこと。ところで、かんじょうをすませたとこで、みせさきにたっとるいしぶみにきづく。「寺田屋お登勢実家升屋あと」ってかいてある。寺田屋ってのは坂本竜馬が暗殺されたことでしられる京都伏見の旅館なだけど、ほこのおかみ、お登勢の実家がここ大津のこのみせなだ。ほー。紫式部も源氏物語を石山寺でかいたっていうし、京都と大津ってつながりがふかいだ。
またひがしにすすんで、みぎに大津祭曳山展示館(おおつまつりひきやまてんじかん)。いやー、大津にだしがあるってしらんかったわ。
なかにはいって、展示品の大津城なわばり図をみて、びっくり。しろの範囲はずいぶんひろくて、きたは浜大津(はまおおつ)のえきのへんから、みなみはこのアーケード商店街までの範囲をすっぽりつつみこんどる。大津にしろがあることは、ぜんかいのひえいざんごえのたびのときにしっただけど、説明がきに「大津港付近を中心にきずかれたみずじろ」ってかいてあっただけで、ごく小規模なしろがあったとしかおもわんかった。ほれが、まさかこんなおおきなしろだったとは。
なわばり図のしたに説明がき。しろがあったのは、1586年ごろから1601年までのおよそ15年間。1601年に徳川家康が膳所城(ぜぜじょう)をつくって、大津城は廃城になっとるだ。いや、でも、この大津城の範囲がいまも大津市の中心になっとる。ふつう、しろが廃止になるといっしょにじょうかまちもなくなっちゃうもんだけど。このおれの疑問に、館員のおねえさんがこたえてくれた。しゅくばまちとしてさかえとっただよって。東海道53次の53番めのしゅくばまちが大津だっただ。いや、大津がしゅくばまちだったって、まったくあたまんなかからぬけとった。ほいで、さらにこのアーケード街のやまがわを東海道がとおっとるだよっておしえてくれる。ほういうことだったのか。すべてが理解できた。また、電車どおりとまじわるとこがふだのつじだって、東海道はほっからやまがわにまがっていっとったこともおしえてくれる。
ほか、展示品に大津百町おもしろ発見地図ってのもある。菱屋町(ひしやちょう)とか丸屋町(まるやちょう)とか、いまはなき町名がのっとるほか、大津城のあった位置や東海道、北国街道なんかもしるしてあって、歴史的なことがようわかる地図だ。200円で販売しておりますってはりがみがしてあるだけど、あらかじめこの地図がてもとにあったら、大津市の中心をさがしあてるっていうだいごみはあじわえんかった。
アーケード商店街をひがしのはしまであるく。
さて、ふだのつじにいくぞ。
アーケード商店街をにしにひきかえす。よこみちも、ひとや自転車のいきかう人間の空間。
電車どおりとまじわる中央1丁目交差点を左折。
電車どおりのさかをみなみにのぼって、つぎの京町1丁目交差点の西南かどに、ふだのつじの説明がきを発見。近代になっても、ここが大津市の中心だっただ。
ふだのつじから東海道をみなみに、ふかみどりいろの京阪電車がのぼっていく。
ふだのつじからひがしに、東海道のまちなみがつづく。
東海道をひがしにあるいてみる。まちやもいくつかのこっとって、しっかり街道のふぜいがある。
かえりの電車にのるべく、東南方向に東海道線大津のえきにむかう。
歩道にだけアーケードのついた商店街をのぼっていって、大津のえきにつきあたり。つきあたったとこはえきのにしのほうで、ずーっとひがしのほうまであるいていって、やっとえきのいりぐち。こっからみるえきまえには事業所のビルばっかりで、ふつうのみせはない。えきまえからのびるとおりもまったくのくるまどおりで、なんのふぜいもない。かいさつをはいって、かえりの電車にのる。
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