2022年9月ようか、もくようび、平日。松坂(まつさか)にいって、ぶらぶら魚町どおり(うおまちどおり)をあるいたり小津安二郎記念館を見学したりしてきた。ちなみに、松坂はじもとでは[1]まっつぁかって発音になる。
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さいしょは西尾線。ふるいから岐阜いきふつうのあっかい電車にのる。
しんあんじょうから名古屋本線にのりいれ。
知立までのって、岐阜いき快速特急のパノラマスーパーにのりかえ。うしろむきに展望席にすわっていく。
名古屋で近鉄にのりかえ。宇治山田いき特急の8両編成ビスタカーにのる。まえから3両め、6号車4Aの指定席にすわっていく。ひだりまどがわはしらまえ。5号車のうしろに喫煙室。ひだりまどがわにおおきなガラス。みぎ通路がわもS字曲線ガラスで、みぎがわのまどをとおしてそとがみえる。たばこをすいおわるころ桑名に停車。便所によって自席にもどる。
しばらくぼんやりすわっていって、白子(しろこ)に停車。また、あめになっとる。あさからふったりやんだりの天気だ。まあいっかい喫煙室と便所にいって、伊勢中川に停車。左右のとびらがひらいて、ひだりにのりかえ電車。大坂難波方面特急のりかえの案内もある。むかしはここで狭軌の名古屋線電車から標準軌の大坂線、山田線電車にのりかえにゃいかんくて、こういう構造のえきになっとるだ。
かいさつをでて駅舎んなかにおるとこで、あらたけひろこ社長がかいさつをでてくるのを発見。駅員さんや売店のひとたちとのはなしがながくて、あいさつできずじまい。きよわなおれだ。
えきまえどおりをあがっていって、日野町(ひのまち)交差点を右折。松坂のまちをつくった蒲生氏郷(がもううじさと)の出身地日野のなまえがここにのこっとる。よいほモールをすすみかけたとこできがかわって、まあ1本おくのとおりにはいりなおす。魚町どおり(うおまちどおり)だ。
魚町どおりをちょこっといって、みぎに糀屋太郎兵衛商店(こうじやたろべえしょうてん)。
すすんでひだりに松坂市立第1小学校。
すすんでみぎT字のかどに鎌田青果。おんなのひとがいっぱいかいもんしとる。まちのやおやさん、いいな。
大手どおりにでる。直進すると旧長谷川治郎兵衛家や本居宣長宅あとっていう観光かしょがあるだけど、ここを左折。しろにむかう。
ひだりに、おてがみぶんぐおとめごころってみせ。おじさんはようはいらん。
松坂城おもてもんにとうちゃく。
すぐみぎうえに松坂市立歴史民俗資料館。この2階が小津安二郎松坂記念館になっとる。
資料館はもと飯南郡図書館(いいなんぐんとしょかん)だったたてもん。いや、いかにもなたてもんだ。しらんかったけど松坂って飯南郡って郡になるだ。
- 入場料をはらってなかにはいって、さいしょに松坂歴史探訪って映像をみる。案内人は山上和美(やまがみかずみ)さんで、ざっとこんな内容。
- 蒲生氏郷により、松ケ島(まつがしま)からよいほのもりにしろを移転。まちなかおきてをさだめる。楽市楽座をつくって商売を自由化。松ケ島商人を強制移住。ほかからも商人を誘致。
- 松坂木綿が江戸で有名になって、白子(しろこ)から江戸へつみだしとった。
こんどは小津安二郎と入江泰吉展をみる。2階の記念館だけじゃなくて、1階にも展示品がある。
麦秋のポスター。主演の原節子さんのきれいなこと。1920年うまれ。1935年日活入社。小津安二郎紀子3部作1949年晩春、1951年麦秋、1953年東京ものがたりで紀子を演じる。1962年さいごの出演。引退して鎌倉に隠居。2015年なくなる。
- 2階に小津安二郎の紹介映像。東京ものがたりの原節子さん、いいな。
- 小津安二郎についてもこんなふうに紹介しとる。
- ちちは深川で有名な肥料問屋をいとなむ。9才で両親のふるさと松坂に移住。ちちは深川にのこってたまに松坂にあいにきて、ライスカレーをごちそうしてくれる。
- 宇治山田中学校で柔道部にはいるも、指導の先生と対立して寄宿舎を追放される。汽車でかようようになって、活動をみるようになる。カグラ座にいりびたり。女優パールホワイトに夢中になる。ほいから山中(やまちゅう)からのかえり、よう徳和駅(とくわえき)でとちゅう下車した。
- 19才になった安二郎。受験に失敗して浪人生活。2度めの受験にも失敗。飯高(いいたか)で1年間代用教員をつとめる。
- 1923年、松竹入社。
- 松坂で少年時代、青年時代をおくったことが、のちの映画づくりにつよくえいきょうしとるみたいだ。
遺作になったさんまのあじ。主演は岩下志麻さん。小津安二郎監督のおもいでをかたる岩下志麻さん。「人間はかなしいときにかなしいかおをするんじゃない」ってことばが印象にのこっとるとのこと。
資料館の展示資料として1916年の松坂の地図。うえのほうを左右にとおっとるのが紀勢線。安二郎がようとちゅう下車したっていう徳和駅はこの地図からははずれとる。紀勢線をまっとさきまでいったとこにあるえきで、のちに松坂をとおるようになる伊勢電鉄がここでまじわる。おどろきは中央を上下にはしる鉄道。いや、松坂にこんな鉄道があったのか。紀勢線と交差するだけじゃなくて、松坂駅に短絡する線まである。松坂電気鉄道っていって、うえは伊勢湾までしたはやまんなかまでいく軽便鉄道(けいべんてつどう)だ。
資料館と記念館の見学をおえてめしやさがし。大手どおりから魚町どおりをひだりにはいる。いきにとおってきたほうじゃなくて、観光かしょがあるほうだ。ひだり、牛銀はやすみ。ほのむこうに阪内川(さかないがわ)にかかる魚町橋(うおまちばし)。ほのしもの大橋(おおはし)でむこうぎしにわたっていく。わたってすぐみぎに須川屋金物店。でんわ118番。
まあちょっといったみぎに丸福ってみせを発見。のれんをくぐっててんぷらうどんを注文。ふとくてこしのないめんに、こいしょうゆあじのつゆ。まるで伊勢うどんだ。
かえりの電車。名古屋まで近鉄特急。
名古屋からパノラマスーパーと西尾線電車をのりついで、ふるいにもどる。