滋賀県のあちこちが映画「線は、ぼくをえがく」のさつえいちになった。せんだってさつえいちのひとつである多賀大社をおとずれてすぐに映画をみた。ほいで、こんかいべつのさつえいちであるごかしょうをおとずれた。ごかしょうは金堂(こんどう)のごうに近江商人のさとをみて、旧ごかしょうちょうの区域の東部を南北にとおる中山道をあるいてきた。2022年11月17日、もくようび、平日のこと。
(能登川で電車からバスにのりかえ)
(弘誓寺)(商人やしき外村繁邸)(商人やしき中江準五郎邸)(ごかしょう小学校)(近江商人博物館)
(中山道)
【地図】【乗車記録】
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まずは6時おきしてふるいから名鉄電車。岩倉いき急行、岐阜いき特急ってのりついで名古屋にとうちゃく。
かいさつをはいりなおして東海道線にのりかえ。このほうがやすくなる。
湖東平野をすすんで愛知川(えちがわ)をわたる。
はんたい電車とすれちがい。
能登川(のとがわ)にとうちゃく。8時48分。
えきまえにでてバスにのりかえ。金堂(こんどう)にいくことを運転士さんにたしかめて、能登川駅8時50分の八日市駅(ようかいちえき)いきバスにとびのり。まにあうはずないっておもっとっただけど、えきがこぶりだでのりかえれた。
能登川のまちなみをひがしにすすむ。
まちをぬけていったんきぬがさやまにむかっていく。
金堂交差点を直進。たんぼのむこうが金堂のごうにちがいない。
ごうのはずれ金堂バス停にとうちゃく。8時59分の定刻より2分おくれ。
バス停からひがしに金堂のごうにはいる。しゅくばまちでもなくもんぜんまちでもなくじょうかまちでもない。みせがいっぱいあってひとでにぎわっとったっていうとこじゃなかった。ごうにはいってみて、ほのことははだでわかった。あくまで近江商人として成功したひとたちの本宅がいくつかあったっていうとこなだ。まんだ時間がはやかって商人やしきはあいとらんくて、ごうのひがしのはずれの大城神社(おおぎじんじゃ)まであるいてみる。ごうはあくまでしずかな住宅街で、なかにおおきなおやしきがいくつかある。商人やしきとして公開しとるとこ以外にもいくつかある。
ごうなかにもどって弘誓寺(ぐぜいじ)山門まえの水路にこいがいっぱい。おとうさんにつれられたおとこのこがあしけりぐるまにのってすすむにつれて、むれになったこいがみずしぶきをあげてものすごいいきおいでおいかけていく。すてきな光景だ。
山門をくぐって本堂のなかまではいっておまいり。ここでも映画のさつえいがあったらしいだけど、どうもようわからん。ちょうど檀家のひとがとおりがかってきいてみると、本堂じゃなくておくのほうでさつえいがあったみたいとのこと。
さて、商人やしき外村繁邸(とのむらしげるてい)にはいる。4館共通券をかってはいる。
1階ろうかつきあたりの、壁面が全面ガラスになっとるとこにかみゆいのま。おくさんが鏡台のまえにすわってひろくにわをみながらかみをゆってもらっとっただ。
2階きゃくま。にわごしにとなりのおやしきの2階がみえる。
しらんかったけど外村繁は小説家だった。おとうとに家業をまかせて小説家になったとのこと。
ところでここが映画の主要ばめんだったはずだけどようわからんくてかかりいんのひとにきいてみると、1階のいまが食卓のばめんだったとのこと。
つぎに、商人やしき中江準五郎邸(なかえじゅんごろうてい)にはいる。かかりいんのおねえさんがしんせつに応対してくれる。
おどろきは三中井(みなかい)百貨店。しらんかったけど戦前に鮮満支、すなわち朝鮮、満州、支那に店舗網をひろげた三中井百貨店ってのがあって、金堂の中江4兄弟が経営したっていう。ここ中江準五郎邸はほの末弟の本宅。いや、鮮満支っていう表現が新鮮だ。いまは険悪な関係にある半島と大陸だけど、戦前は列島とこんなにちかしい関係にあっただ。にほんの敗戦で三中井はすべてをうしなう。ただ、三中井のなまえは彦根キャッスルロードの洋菓子店「三中井」にのこっとるだげな。いや、学生時代を彦根ですごしただけど貧乏学生には無縁なほんなみせはしらんかった。またいってみにゃ。
2階金田一耕助のま。みなみむきとひがしむきにまどのひろがったすてきなへやだ。金田一耕助の推理もはかどったにちがいない。
中江準五郎邸のみなみどなりに中江4兄弟長兄の本宅。ここは非公開。
さらにみなみに中江4兄弟三男の本宅。ここは金堂まちなみ保存交流館として公開されとって、はいってみる。きゅうなかいだんで2階にあがったとこから三方にだんちがいにへやがあって、まるで秘密基地だ。
大城神社のひがしにごかしょう小学校。ホテルかっておもうようなりっぱなたてもんに近江商人の財力をおもいしる。
ごかしょう小学校のみちをはさんだひがしがわの近江商人博物館にはいる。
- 近江商人についてべんきょう。
- 律令時代、ごかしょうを東山道がとおって清水駅家(しみずのうまや)がおかれる。
- 近江商人の発祥は東山道ぞいの小幡商人(おばたしょうにん)だけど、江戸時代になってほのなまえがきえる。
- 近代になって東海道線からはずれた近江商人のさとをつなぐように近江商人たちが近江鉄道を建設。1901年、彦根貴生川(きぶかわ)間開業。
展示品のひとつに「けいとをあむおんな」。きもんをきたおんなのひとがけいとをあんどる。こんな光景、いまみることないよな。1925年ごろ、藤井けいとがてあみけいとの販売をはじめたころのポスター。藤井けいともごかしょうの近江商人だけど、金堂とはべつの宮荘(みやしょう)の近江商人。
4館共通券のさいごがほの藤井けいとの商人やしき藤井彦四郎邸(ふじいひこしろうてい)になるだけど、中山道をあるくことを優先して見学を断念。
ひがしにあるいて国道8号線竜田(たつた)交差点をこえて中山道につきあたり。
- つきあたりからほんのちょこっとみなみにいったとこに、中山道にひがしにめんして旧ごかしょう郵便局。2階だてモルタルぬりの洋館で、説明がきにつぎのようにかいてある。
- 旧ごかしょう郵便局は1903年12月とおか、竜田郵便受所として開業。このたてもんは1925年6月にできて、おんなじとしの10月ここのかからごかしょう郵便局として開業。1964年3月までつかわれた。
もどってつきあたりから中山道をきたにいく。はっきり街道のふんいきのあるみちだ。金堂のごうは外来者にはとざされた空間だけど、中山道はひらかれた空間だ。
すすんで、ひだりみちばたに中山道なごりまつ。
中山道からひだりにはずれて国道8号線ぞいローソンでたばこをかう。たばこをきらしとってつらかっただけど、やっとかえた。このへんにコンビニがあることは近江商人博物館できいてきた。
ローソンのとなり、たい風ラーメンでひるめし。ラーメンとぎょうざ、ごちそうさまでした。
中山道にもどってまたきたにいく。
小幡の区域にはいって、みぎ120度に御代参街道(ごだいさんかいどう)が分岐。小幡はあの小幡商人の小幡で、御代参街道は八日市をとおって東海道につながる街道。まえに八日市にいったときに御代参街道って街道があることをしっただけど、ここで中山道から分岐しとっただ。
おくに、近江鉄道のだいだいいろの電車がいくのがみえる。八日市からきた電車がごかしょうのえきにはいっていくだ。
おんなじ交差点からみぎ90度にごかしょうのえきにつながるみち。いまいっただいだいいろの電車にまにあうわけがない。つぎの電車は1時間あと。ひるま1時間に1本しかないってなんちゅうふべんな電車だ。ほんとならいきに金堂のごうにいくにも近江鉄道でいきたかっただけど、このふべんさのために東海道線からバスのりかえでいったしだいだ。
さらに中山道は小幡の区域をきたにいく。江戸時代になって小幡商人のなまえはきえたっていうけど、しっかり街道のふぜいがある。近江鉄道の線路をみぎななめにわたっても街道のふぜいはつづく。
小幡の区域をぬけて愛知川(えちがわ)の堤防につきあたり。堤防のうちがわに、にらみどうろうこと中町出町(なかちょうでまち)の常夜灯。にらみどうろうってからには対岸にもついのもんがあるはずだけどわからん。ひだり、すぐしもに近江鉄道のあっかい鉄橋と道路橋。
えきまでもどったとこで、えきまえに小幡商人発祥の地のいしぶみを発見。かえりの電車にのる。
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