鵜殿長照(うどのながてる)の上ノ郷城(かみのごうじょう)が松平元康にせめおとされた。おんな城主お田鶴のかた(おたづのかた)の引間城(ひくまじょう)も松平元康あらため徳川家康にせめおとされた。鵜殿長照とお田鶴のかたはあにいもうとで、今川義元のいもうとがははおやになる。あにいもうととも家康にほろぼされたわけだ。こないだ上ノ郷城をみてきたとこで、こんどは、お田鶴のかたを椿姫としてまつってある椿姫観音堂にいってきた。
椿姫観音堂は浜松のまちの中心よりちょこっときたのほうにあって、東海道浜松宿をあるいたあと椿姫観音堂をおまいりして、さいごに引間城をおとずれるって行程でいってきた。
◇ ◇
名鉄と新幹線をのりついで浜松駅にとうちゃく。えきまえからひだりにいってあかでんこと遠州鉄道の新浜松駅をとおりぬけたとこでいっぷく。えきまえにはこういうばしょが必要だ。ほっから西南方向にだだっぴろい歩道のあるとおりをいってななし信号交差点を右折。
ななし信号交差点から平田どおりをにしにいく。りょうがわ歩道にアーケードのある商店街だ。
すすんで、ななし信号交差点を右折。
ななし信号交差点からおおてどおりをきたにいく。このとおりが東海道をかねとって、とおりにそって浜松宿がつづく。
ところでこの交差点の東北かどにあるはずの伝馬番所あとがない。ちょうどおおてどおりひがしがわの歩道拡幅工事をやっとって、ほの関係で一時的に撤去してあるみたいだ。
すすんで、伝馬町交差点東南かどに梅屋本陣あとのたてふだ。浜松にむっつある本陣のひとつで、国学者賀茂真淵(かものまぶち)がここの養子だったとのこと。
伝馬町交差点からすっかりビル街のふうけいになるだけど、この交差点をきたにわたるのに歩道がなくて地下道をいかにゃいかんっていうばかばかしさ。なんちゅう人間軽視の思想だ。
伝馬町交差点西北かどに川口本陣あとのたてふだ。このうしろに三菱UFJ銀行。
すすんで、ひだり浜松いわた信用金庫のまえに杉浦本陣あとのたてふだ。浜松にむっつある本陣のなかで、この本陣がいちばんふるいとのこと。むかいに静岡中央銀行。
すすんで、みぎに江馬殿小路あとのきぐい。あたりに説明がきもなんにもなくて、ほれらしいみちもみあたらんだけど、むかしはこっからひがしになのあるみちがのびていっとったのか。ところで、このきぐいのとこから、おおてどおりからにしにのびるみちがまっしょうめんにみえるだけど、さかをあがっていったつきあたりにしゅぬりのとりいとほのおくの銅板ぶきのやねもみえる。
きぐいからちょこっときたに佐藤本陣あとのたてふだ。
横断歩道をにしにわたってきぐいのむかいがわ地点にいってみる。
ほっからにしにのびていくみちのいりぐちりょうがわに門柱があって、五社前どおりってかいてある。なるほど参道だ。
五社前どおりをにしにいって、さかをあがっていったつきあたりに五社神社(ごしゃじんじゃ)。ひらいり銅板ぶきしゅぬりばしらで、3分割の中央部分がなかだかに2層になっとるはなやかな社殿だ。学問のかみさんらしくて、受験をひかえとるっぽいむすめさんとほのおかあさんのひとくみもおまいりしとる。
もどっておおてどおりをきたにすすんで、ひだり谷島屋のまえにこうさつばあとのたてふだ。このあたりの車道のまんなかへんにさくでかこったこうさつばがあったとのこと。
すすんで、ゆりのきどおりとまじわる連尺交差点。
東海道はこの連尺交差点を右折してゆりのきどおりをひがしにいくだけど、とりあえずおおてどおりをまあちょっときたにいってみる。
ひだりに浜松城おおてもんあとのたてふだ。このあたりの車道のまんなかへんにおおてもんがあったとのこと。まぐち8間おくゆき4間かわらぶきのたてもんで、つねに武器をそなえてではいりをきびしくとりしまっとったとのこと。ふつうのひとはこっからさきにはいけんかっただ。
すすんで、みぎに第一番小学校あとのきぐい。かっこがきに元城小学校。
もどって、連尺交差点からひがしに東海道をかねるゆりのきどおりにはいっていく。りょうがわ歩道にアーケードのあるとおりで、こっからひがしにむかって地形がひくくなっていくのがはっきりわかる。とおりのずーっとさきのあかでんの高架をみどりいろ電車がきたにいくのがみえる。
みぎに清水銀行のビル。たっかっ! こっからおくにはいっていくとおりもいいかんじだ。
すすんで、西北かどにりそな銀行のある交差点。
りそな交差点からきたに二俣街道がのびていくのがみえる。
りそな交差点からみなみにアルコモール有楽街がのびていくのがみえる。車道と歩道の区別をあいまいにした、化粧舗装のほどこされた、人間のための空間だ。ここまで東海道をきたにすすんで、つづいてひがしにすすんできただけど、繁華街をとおまきにまわってきとるってかんじだ。
田町交差点を直進。こっからりょうがわ歩道のアーケードがなくなる。ゆりのきどおりってなまえも田町交差点までだったのかもしれん。
すすんで、あかでんの高架したにまんねんばし。いや、ここで東海道がかわをわたるだ。上部を歩道でおおわれとるけど、あかでんの高架したを新川が暗渠(あんきょ)でながれとるだ。
まんねんばしのちょこっとみなみにあかでんの第一通り駅があって、ほっから西鹿島(にしかじま)いきふつうのももいろ電車にのる。いや、そもそもはしっとる電車どれもあっかい電車だであかでんっていわれてきとっただけど、これもあっかくない電車だ。車両番号2104、2103の2両編成。西鹿島は二俣のてまえのまち。浜松宿をあるいたあとは椿姫観音堂にいくだけど、ちょこっとの区間電車にのっていくことにした。
しゅっぱつして単線高架をきたにいく。
遠州病院に停車。
いきちがいの新浜松いきふつうとすれちがいながら八幡(はちまん)にとうちゃく。いきちがい電車はしろおびのはいったあっかい電車で、車両番号2008、2108の2両編成。これこそがあかでんだ。のりばにおりたとこで運転士さんによばれてきっぷをわたす。第一通り駅の自動券売機でかったきっぷで、自動改札機もないかいさつをすどおりして電車にのってきただけど、回収は運転士さんや車掌さんがやるだ。
かいさつ階におりていくとこで、西北方向にヤマハ本社工場がみえる。楽器づくりでなだかいヤマハだ。
かいさつ階から陸橋にわたってみなみに地平におりたとこで、あかでんの高架が道路のうえをはしっとることにきづく。リニモといっしょだ。さいしょは新川のうえをはしっとっただけど、しらんまにかわっとっただ。
八幡駅みなみのななし信号交差点から生活道路をにしにはいっていく。
すすんで、ひだりちょいおくに元浜町屋台おきば(もとはまちょうやたいおきば)を発見。まちばなだ。
すすんで、楽器中どおりとまじわるななし信号交差点を左折。東南かどにたばこやもあったりして、この交差点のへん、ちょっとにぎやかだ。
ななし信号交差点から楽器中どおりをみなみにいく。
すすんで、椿観音どおりとまじわるななし信号交差点を左折。
椿観音どおりをひがしにいく。いよいよだ。
みぎに元浜町公民館。
あった。ひだり、十字路の東北かどに椿姫観音堂。
まぐちのせばいしきちに、銅板ぶきつまいりの観音堂がみなみむきにたっとる。いりぐちのみぎわきにいしぶみがあって、「史跡|椿姫観音|祭祀|元曳馬城主/飯尾豊前守/乗竜奥方|お田鶴の方」ってかいてある。曳馬城は引間城のことでりょうほう「ひくまじょう」ってよむ。飯尾豊前守乗竜が4代城主で、おくがたのお田鶴のかたが5代城主になる。
なかにはいって観音さまにおまいり。
みぎのかべにいくつかの資料が掲示してある。
観音さまの写真。
あっかいおどし、はかま、はちまきすがたでなぎなたをふるう椿姫のえ。
- 史跡椿姫観音堂由来記。
- 今川氏真は、和睦とみせかけて飯尾乗竜(いのおのりたつ)を駿府城によんで暗殺。1565年のこと。
- 落城寸前のさなか、ひおどしのよろいにしらつかのなぎなた、たけなすくろかみにしろはちまきすがたのお田鶴のかた。しろはちまき、たすきがけ、かたなをてにした18人の侍女。徳川家康との壮絶なたたかいのすえ、お田鶴のかた、18人の侍女とも戦死。1568年12月にじゅうよっかのこと。
- 戦后、家康はお田鶴のかたと18人の侍女のつかをきずいてほこらをたてる。家康の正室築山御前もつかのまわりに100本あまりのつばきのきをうえて供養をいとなむ。
- 1570年、家康は岡崎城から引間城に本拠をうつして、ここを浜松ってあらためる。
いや、お田鶴のかた、どんな悲壮なおもいでたたかったのか。
ちなみに大河ドラマでは関水渚(せきみずなぎさ)さんがお田鶴のかたをえんじとる。
これから椿姫のたたかいのばめんもあるのかな。
中日新聞のきりぬき。2017年11月19日、没后450年の例大祭がひらかれて70人の町民がお田鶴のかたの冥福をいのったとのこと。
祈願石をなぜて椿姫観音堂をあとにする。
つぎは引間城。椿観音どおりをにしにもどる。楽器中どおりをよこぎってさらににしにいって、二俣街道とまじわるななし信号交差点を左折。西北かどに静岡銀行。
二俣街道をみなみにいく。
六間どおりをよこぎるへんから左右がにぎやかになる。
新川にかかる元目橋(げんもくばし)をわたる。あかでんの高架したを暗渠でながれとったあの新川だ。
元目橋のみなみづめから新川の南岸をにしにいって玄黙寺あと(げんもくじあと)のきぐい。このてらのなまえが元目って地名のもとになったらしい。
もどって二俣街道をみなみにいって、みぎに浜松元目郵便局。
連続するななし交差点のふたつめを左折。
新川こうじをひがしにいって、食事どころはせがわは「はたびのためやすみ」のはりがみ。まえにこのあたりにきたときによさそうなみせだなあっておもっとっただけに、ざんねんなことだ。
新川ぞいにでて高架をみなみにいくあかでんをみたとこで、新川こうじをにしにもどる。
二俣街道をよこぎってさらににしにいって、元城町東照宮屋台おきば(もとしろちょうとうしょうぐうやたいおきば)のてまえを左折。屋台おきばはふたつめ。
さかをあがったおかのうえ、元城町東照宮にとうちゃく。ここが引間城があったとこだ。ここをおとずれるのは2回めになるだけど、さいしょにおとずれたときはお田鶴のかたのものがたりもしらんかった。きょうはお田鶴のかたをおもっておまいり。
おかをにしにおりておおてどおりをみなみにいく。
みぎ、大河ドラマ館や浜松市役所のおくに浜松城をみてみなみにいく。家康はお田鶴のかたからうばった引間城あらため浜松城を、こっちに移転しておおきくつくりなおした。
アルコモール有楽街から繁華街にはいっていって、新浜松駅のちかくにみつけた長楽(ちょうらく)ってみせで上うなどん。ごちそうさまをして、きょうのたびをおえる。
〔2023年2月23日、もくようび、はたび〕