東北旅行ふつかめは平泉。平安時代末期に奥州藤原氏が栄華をきずいた地。義経が青春時代をすごして、また、みやこおちしてみをよせた地。
仙台のやどをでるまえにひとりあさめしまえの電車見物。やどにもどってつまと合流。新幹線と東北線で平泉に移動。中尊寺と毛越寺(もうつうじ)を見物。ひるめしにわんこそば。また東北線でやどのとってある盛岡までえんえん移動。ちょこっと市内見物して1日をおえる。
〔2023年4月30日、にちようび〕
〔あさめしまえの電車見物〕 〔電車で平泉まで〕 〔中尊寺と毛越寺〕 〔電車で盛岡まで〕 〔ちょこっと盛岡市内見物〕 |
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あさめしまえの電車見物
東北旅行ふつかめのあさ、なんだかはよめがさめちゃってあさめしまえの電車見物にいくことにする。ホテルグランバッハ仙台のやどにつまをのこしてひとりJR仙台駅にむかう。
宮城野どおりをにしにあるいてJR仙石線(せんせきせん)地下仙台駅のいりぐちを通過。きのうのよるの電車さんぽでのった仙石線はきょうは通過だ。JR仙台駅の橋上コンコースにあがって時刻表をみてみる。あんまり本数がないな。5時台の電車がかぞえるぐらいしかないのにおどろく。
入場券をかってかいさつをはいる。
6番のりばにおりてしゅっぱつまちの原ノ町いきふつう。東北線をみなみにいって常磐線にのりいれていく電車だ。みどりいろのふっといおびととあかいろのほっそいおびのはいったステンレス電車で、車両番号先頭クハ700-1027。乗降とびらのしたをみてみると、一段あがって電車にのりこむようになっとる。たかゆかしき電車だ。わが名古屋地区じゃあのりばをかさあげして電車のゆかめんとおんなじたかさにして段差をなくしとるだけど、仙台地区じゃあのりばのかさあげをしてなくて、こうやって一段あがって電車にのりこまにゃいかんだ。
定刻の5時30分、6番のりばにしゅっぱつまちしとった原ノ町いきふつうがでていく。これが東北線みなみいきのいちばん電車だ。
こせんきょうをのぼりおりして、きりかきのりばの3番のりばに移動。しゅっぱつまちの仙台空港いきふつう。東北線をみなみにいって仙台空港鉄道にのりいれていく電車だ。きのうは仙台空港からこれにのってきた。ふっといみずいろのおびとほっそいおうどういろのおびのはいった4両編成のステンレス電車で、車両番号先頭からSAT720-101、SAT721-101、E720-504、E721-504。仙台空港鉄道SAT721系とJR東日本E721系の混成電車だ。
うしろ2両のJR東日本E721系はふっといみどりいろのおびとほっそいあおいろのおび。仙台空港鉄道SAT721系ともども乗降とびらのしたをみてみると段差はない。車輪をちいさくしてひくゆかしきにしてのりばとの段差をなくしてあるだ。定刻の5時45分、3番のりばにしゅっぱつまちしとった仙台空港いきふつうがでていく。これが東北線みなみいきの2番電車だ。
つぎは東北線みなみいきの3番電車。6番のりばむかいの5番のりばに4両編成の郡山いきふつうがはいってくるのがみえる。6時ちょうどのしゅっぱつ予定だ。
こんどは東北線きたいきのいちばん電車。3番のりばむかいの4番のりばに6時ちょうどの一ノ関いきふつうがはいってくるはずだ。
なんでもみなみからはいってくるもんだっておもってまっとったら、一ノ関いきふつうはうしろからはいってきた。きたからはいってきてきたにでていくだ。さっきの原ノ町いきふつうにおなじくみどりいろのふっといおびととあかいろのほっそいおびのはいったたかゆかしきステンレス電車で、車両番号先頭クモハ701-1516。
- 〔東北線きたいきいちばん電車=仙台 5:30 原ノ町いきふつう(常磐線のりいれ)〕
- 〔東北線きたいき2番電車=仙台 5:45 仙台空港いきふつう(仙台空港鉄道のりいれ)〕
- 〔東北線きたいき3番電車=仙台 6:00 郡山いきふつう〕
- 〔東北線みなみいきいちばん電車=仙台 6:00 一ノ関いきふつう〕
ここまでみて電車見物をきりあげ。
橋上かいさつをでて橋上通路にめんしてあった便所にはいるときに、便所通路の壁面おくに伊達政宗のかぶとがかざってあるのを発見。地下鉄東西線の電車も前面が伊達政宗のかぶとのかたちのデザインになっとるだけど、やっぱり仙台のひとたちは伊達政宗がすきなだ。
ホテルグランバッハ仙台のやどにもどって、つまといっしょにあさめし。ごはんにやきざかな、あつあげ、みそしるのほか、2段がさねにこばちがいっぱい。ごちそうさまでした。
電車で平泉まで
いざ平泉え。
おーっ! みどりいろの新幹線だ! 仙台は新幹線かいさつをはいってきたいきしましきのりば11、2番のりばにあがったとこで、はんたいののみなみいきしましきのりばてまえの13番のりばに東京いきはやぶさ号がはいってくる。いや、わが愛知県じゃあしろい新幹線ばっかりで、このみどりいろの新幹線はとっても新鮮だ。
さて、わがみなみいきのりばはそとがわの11番のりばに、びよーんってひらぺったくのびたはなさきを先頭にして、みどりいろの10両編成盛岡いきやまびこ号がはいってくる。
車体側面はうえがみどり、したがしろで、さかいめにももいろのおび。あかるいふんいきの電車だ。
電車が停止して指定席をとってあった7号車にのりこむ。あかるい車体と対照的にちゃいろのおちついた色調の車内だ。座席は8Aと8B。通路みぎがわ3席のうちのまどがわとまんなか。8時ちょうど、仙台をしゅっぱつ。
みぎに車両基地。
すすんで、トンネルがいっぱい。トンネルんなかですれちがいも。
みぎに水田があらわれる。
古川(ふるかわ)に停車。まちあい。后続のはやぶさ号においこされてしゅっぱつ。古川は陸羽東線(りくうとうせん)とまじわるえきだけど、どこにほの線路があったのかわからずじまい。
みぎに水田。
みぎに高原。
またトンネルがいっぱい。またトンネルんなかですれちがいも。
みぎにさとのふうけい。
くりこま高原に停車。はんたいのりばのふたりのおとこのこがうれしそうにこっちをみる。こどもはのりもんがだいすきだ。上下2線しかないえきで、すぐにしゅっぱつ。
みぎに水田。
またまたトンネルがいっぱい。
ひだりにまちがみえてくる。
すぐに一ノ関は高架の新幹線11番のりばにとうちゃく。8時35分。
のってきた電車をみおくり。
- 〔仙台 8:00 → (東北新幹線=盛岡いきやまびこ号) → 8:35 一ノ関〕
こせんきょうをわたって地平の在来線のりばに移動。
しばし電車見物。1番のりばに2両編成小牛田(こごた)いきふつうがしゅっぱつまち。みどりいろのおびのはいったステンレス電車だ。3番のりばにきたから4両編成一ノ関いきふつうがはいってくる。ふっといあおいろのおびのはいったたかゆかしきステンレス電車だ。
さて、のるのは3番のりばむかいの2番のりばにとまっとる4両編成盛岡いきふつう。車両番号先頭クモハ701-1014。3番のりばにはいってきた一ノ関いきふつうにおなじく、ふっといあおいろのおびのはいったたかゆかしきステンレス電車だ。
車内、座席はあおいろのベンチシート。
8時56分、一ノ関をしゅっぱつ。運転士さんがぬいだうわぎを助手席がわまどしたにおいちゃって、ちょっと視界のじゃまになる。
はんたい線そとがわにつづいとった側線が堤防てまえでいきどまりになる。
みずいろのガーダー橋で磐井川(いわいがわ)をわたる。
みぎに北上川(きたかみがわ)にそそぐかわだ。
山ノ目(やまのめ)。あっかいこせんきょうがめだつ山ノ目に停車。
えきのみぎに堤防。
しゅっぱつして、しばらくみぎに堤防がつづいていく。
時速100キロから110キロぐらいで東北線をきたにすすむ。
平泉。しゃれたかたちのこせんきょうがとくちょうの平泉にとうちゃく。9時3分。
のってきた電車をみおくって、のりば直結のかいさつをでる。
- 〔一ノ関 8:56 → (東北線=盛岡いきふつう) → 9:03 平泉〕
中尊寺と毛越寺
こぢんまりとしたきれいな駅舎。ちいさなえきまえロータリーをかこんで、バスのりばとタクシーのりばとなんげんかのみせがある。平泉駅はこざっぱりしたえきだ。えきまえロータリーからみぎにでたとおりにちょこっと商店街があるほか周辺は住宅街。
さて、中尊寺(ちゅうそんじ)にさきにいくべきか毛越寺(もうつうじ)にさきにいくべきか。中尊寺はこっからきたにはなれたとこにあってあるいていくのはむづかしい。毛越寺はこっからにしにあるいていっていけんとこじゃない。路線バスがいっとるのは中尊寺だけ。りょうほうまわるバスもあるけど時間がようわからん。かしじてんしゃをかりるてもあるみたいだけど、どうするか。
きめかねとったとこでちょうどバス停に中尊寺いきの路線バスがしゅっぱつまちしとって、のることにする。
きたに5分ぐらいいって中尊寺バス停にとうちゃく。
バス停をせにひだり30度の方向に中尊寺のやまにはいっていく。しらんかっただけどひとつのやまぜんたいが中尊寺になっとるみたいだ。くろいきのとりいってっても、かさぎの中間がぬけとるへんなかたちのをとりいをくぐってはいっていく。
左右おおきなこだちのなか、参道のさかみちをあがっていく。
ひだりうえにかやぶきのこぢんまりとしたそばや。表札に義家、かんばんにわんこそばってかいてある。義家は八幡太郎義家のことだ。源氏の祖先としてあがめられとる八幡太郎義家をやごうにしてあるだ。わんこそばっていやあ岩手県。ここ平泉も岩手県だ。
そばやのまあちょっとうえに八幡堂。源氏すなわち八幡さんなわけだけど、みょうにどうながなたてもんだ。中央からとおくはなれた陸奥のくにだけあって、建築様式もことなるのか。
すすんでひだりうえに弁慶堂。義経のみやこおちにつきしたがってここ平泉まできて、たちおうじょうのすえになくなった弁慶だけど、こうやってまつってあるだ。
みぎ、ものみだいから東北方向をみはらす。
すすんでみぎに地蔵堂。
地蔵堂のとこからかやぶきの民家がみえる。てらの伽藍(がらん)とは異質のたてもんだけど、いいかんじだ。
すすんでひだりに薬師堂。
おなじくひだりに観音堂。いや、伽藍がいっぱいあるもんだ。
みぎ、いしだんのうえに中尊寺の山門。中尊寺のなかの中尊寺の山門っていうべきか。
山門をくぐったおくに中尊寺の本堂。
おくの門から中尊寺をでる。
また参道をすすんで、みぎうえにかねつきどう。いや、伽藍の左右非対称のぐあいといしだんの左右非対称のぐあいが交差しとるさまがおもしろい。伽藍は基本的に格子またはたてざんがあるだけのふきはなちの構造なだけど、ひだりしただけがしたみいたばりになっとって、ひだりがくろ、みぎがしろのしろくろになっとる。これにたいして伽藍みぎの部分からしたにつづくいしだんはくろぐろとしとって、ひだりのつちの斜面がしろっぽくみえる。伽藍とははんたいに、みぎがくろ、ひだりがしろのしろくろになっとるだ。伽藍自体も八幡堂におなじくみょうにどうながなたてもんなのもおもしろい。伽藍のやねはかやぶき。
すすんで、ひだりおくのしきちのなかに金色堂(こんじきどう)。奥州藤原氏の栄華をいまにつたえるあの有名な金色堂だけど、コンクリートづくりのおおいどうのなかにあって、さつえい禁止。
おんなじしきちのなかに経蔵。
おなじくおんなじしきちのなかに、以前の木造のおおいどう。
参道は金色堂のしきちのへんまでで、進行方向をみぎ90度にかえてすすんでいく。
すすんでいったつきあたりに白山神社があって、ほの社殿のみぎがわに能楽殿。奥州平泉にも能楽の文化があっただ。
また参道のほうにもどってきて、金色堂のしきちのはんたいがわに弁財天堂。かたのちからのぬけた伽藍だ。
ここまでみて、参道をもどりみち。
地蔵堂のとこからみえたかやぶきの民家にたちより。積善院ってなまえがついとって、展示資料をみたあとえんがわでぜんざいをくってひとやすみ。
また、えんがわから東北方向をみはらす。なんか東北にきたってかんじがする。
さらにもどっていったとこで、また東北方向をみはらす。とおくにみえるかわもは北上川のかわも。
ぎ~んが~のな~がれ~あお~ぎ~つつ~♪ ほ~しを~かぞ~えた~きみ~とぼく~♪
ムード歌謡としてはやった北上夜曲にうたわれる北上川のかわもだ。
中尊寺バス停までもどって平泉駅方面にいく路線バスにのる。バス停にまっとるひとがおるのがみえて、バスがすぐくることがわかった。ちょうどよかった。バスはいきとおなじく岩手交通のバス。
みなみに5分ぐらいいって平泉駅にとうちゃく。
毛越寺めざしてにしにあるいていく。左右は住宅街。
だんだんたかみにあがっていって、みぎにおおきなひろば。いや、こんなおおきなひろばってなんかしゃんっておもったら観自在王院(かんじざいおういん)あとってかんばんがでとって、説明がきに藤原氏2代基衡(もとひら)のつまがたてたてらで、1573年に焼失したってかいてある。みちのはんたいがわからみなみは住宅街がひろがっとって、べつの説明がきによるとこの一帯が藤原氏のみやこだったみたいなだけど、じゅうぶんにふんいきがある。みやびやかな京のみやことはちがう、おだやかなみやこってかんじか。
みちをまあちょっとにしにいって毛越寺の境内。みちは毛越寺をさけるようにみなみにそれていく。
山門をくぐっていって毛越寺の本堂。ふつうのてらだ。
さらにおくにはいっていって開山堂(かいさんどう)。毛越寺をひらいた円仁(えんにん)がまつってあるってことだけど、このたてもんのまた異質なこと。ひしがたの材木がゆびをくむようにくみあわさっとって、てらの伽藍ってよりはあぜくらづくりのくらだ。
ふりかえると庭園。毛越寺の境内のきたのほうは庭園になっとるだ。いけのまわりにしばふひろばがひろがっとるってかんじののびやかな庭園だ。観自在王院あとと共通するふんいきがある。
きたのほうにまわりこんでいって常行堂(じょうぎょうどう)。のどかなかやぶきのたてもんだ。
常行堂のちかくにかねつきどう。みたことのないつくりのかやぶきのかねつきどうだけど、これものどかなふんいきがある。
わんこそばがくえるってかいてあるのをみて、えきまえにあった芭蕉館ってみせにはいる。うまれてはじめてのわんこそば体験だ。おぼんのうえにちいさなおわんにはいったそばが12杯。おぼんは上下に2枚つんであって、そばはぜんぶで24杯。ひだりてでおわんをとってはみぎてでそばをしるにいれてくっていく。ぱっぱかぱっぱかくっていく。いや、テレビでみるみたいにおねえさんがそばをいれてくれるわけじゃないけど、わんこそば感満点だわ。そば自体もしっとりしとってうまい。おぼん1枚まで追加料金不要ってことでたのんで、そば36杯をごちそうさまでした。
芭蕉館となりの観光案内所できいて、えきまえロータリーからみぎにでた商店街にゆいつあるっていう喫茶店にいってひとやすみ。コーヒーがむかしなつかしいかおりがあるってことでつまに好評。
電車で盛岡まで
さて、えきにもどって、やどのとってある盛岡まで移動だ。
かいさつをはいって平泉13時53分の盛岡いきふつうにのる。車両番号先頭クモハ701-1034。一ノ関からここまでのってきた盛岡いきふつうとおんなじ、ふっといあおいろのおびのはいったたかゆかしきステンレス電車だ。
なみがたコンクリートのガーダー橋で衣川(ころもがわ)をわたる。
これもみぎに北上川にそそぐかわだ。義経が自害においこまれたっていう衣川のたたかいもこのあたりであったのか。
ひだりにゆみなりながら鵜ノ木(うのき)トンネルをくぐる。
みぎに北上川のながれ。かわが蛇行する部分で線路によってきた。
前沢(まえさわ)。国鉄がた配線の前沢に停車。あたらしいがっちりしたこせんきょうは橋上かいさつのえきにちがいない。
時速110キロできたにすすむ。
一ノ関いきふつうとすれちがい。こっちとおんなじ、ふっといあおいろのおびのはいったたかゆかしきステンレス電車だ。
陸中折居(りくちゅうおりい)。こせんきょうのしたで乗客3人がまつ陸中折居に停車。いっけん国鉄がた配線のえきだけど、しましきのりばのはんたい線はそとがわ線だけがのりばとしてつかわれとって、うちがわ線はなか線としてつかわれとる。
ところで、きのうほどなめらかなはしりじゃない。のりあじがわるいってほどじゃないだけど、きのう仙台空港からのった仙台いきふつうほどなめらかなはしりじゃない。東北線も仙台をさかいに南北で線路の整備のていどがちがうのか。岩手県内は1時間に1本しか電車がないだ。
水沢(みずさわ)。国鉄がた配線の水沢に停車。のりばにはおおぜいのひとがまっとる。
のりばのみぎがわに貨物コンテナがいっぱい。
ガーダー橋で胆沢川(いさわがわ)をわたる。
これもみぎに北上川にそそぐかわだ。
金ケ崎(かねがさき)。あたらしいがっちりしたこせんきょうのある金ケ崎に停車。みぎがわに駅舎のある国鉄がた配線のえきだったはずだけど、しましきだったきたいきのりばはそとがわ線だけがつかわれとる。駅舎もつかわれとらんくて橋上かいさつのえきにかわっとるみたいだ。
宿内川(しゅくないがわ)ってちいさなかわをわたる。
六原(ろくはら)に停車。上下ともしましきのりばのえきだけど、さびしいえきだ。
おおきくみぎにゆみなっていく。
みぎうしろからきた東北新幹線と合流。いや、なんで新幹線をべつ線にしたのかっておもうな。優等列車を新幹線にもってかれて在来線は1時間に1本のふつう電車しかはしっとらんだぞ。秋田新幹線や山形新幹線みたいに在来線を改軌して、ほこに新幹線もはしらせるようにするべきだった。
ガーダー橋で和賀川(わがかわ)をわたってまちにはいっていく。かわはすぐみぎに北上川にそそぐかわだ。
北上(きたかみ)。みぎに側線がいっぱいある北上の構内にはいっていく。ひだり駅舎の国鉄がた配線のえきだけど、ひだりのかいさつ直結ののりばじゃなくて、みぎのしましきのりばのひだりがわにはいっていく。
ひだりのかいさつ直結ののりばに盛岡いきふつうのステンレス電車が停車中。こっちも盛岡いきふつうだけど、あっちはいつしゅっぱつするのか。
停車。そこそこのかずのひとがのりばにまっとる。
みぎ、側線群をへだてて高架の新幹線駅。
北上をでて、わがいく複線の東北線からひだりに北上線がはなれていく。奥羽線(おううせん)横手(よこて)につながる線だ。
きたにすすんでいく。
村崎野(むらさきの)に停車。
きたにすすんでいく。
一ノ関いきふつうとすれちがい。こっちとおんなじ、ふっといあおいろのおびのはいったたかゆかしきステンレス電車だ。これが東北線の標準電車みたいだ。
ガーダー橋で豊沢川(とよさわがわ)をわたってまちにはいっていく。
このかわもみぎに北上川にそそぐかわだ。
花巻(はなまき)。ひろい構内の花巻にはいっていく。みぎ駅舎の国鉄がた配線のえきだけど、なんだか線路と線路のあいさがひろくて雑草もめだつ。はんたい線にはこれまでにみたことのないしろっぽい列車もみえる。
しましきのりばのひだりがわに停車。
はんたい線かいさつ直結ののりばにとまっとるのは釜石いきふつうだった。いろはしろが基調で、とびらやふちどりにきみどりがいれてある列車で、東北線からみぎに分岐する釜石線を終点の釜石までいく列車だ。
花巻をでて、わがいく複線の東北線からみぎに釜石線がはなれていく。
きたにすすんでいく。
ガーダー橋で瀬川をわたる。みぎに北上川にそそぐかわだ。
平凡なけしきのなかをきたにすすんでいく。
花巻空港駅(はなまきくうこうえき)。みぎ駅舎の国鉄がた配線のえきで、しましきのりばひだりがわに停車。なまえのとおり花巻空港のもよりえきなだけど、空港にいくにはこっからバスにのっていかにゃいかん。盛岡駅始発のえきで花巻空港駅を経由して花巻空港にいくバスだ。
はんたい線はかいさつ直結ののりば。かえりは花巻空港からかえるだけど、このえきをつかうことになるかどうか。
またきたにすすんでいく。ところで警笛をならす運転士さんの神経質なこと。やたらめったら警笛をならすのがきまりになっとるのか。
石鳥谷(いしどりや)。しましきのりばひだりがわにはいっていって石鳥谷に停車。みぎ駅舎の国鉄がた配線のえきだったはずだけど、むかいののりばは封鎖されとる。
はんたい線はかいさつ直結ののりば。
またきたにすすんでいく。
ガーダー橋で滝名川(たきながわ)をわたる。これもみぎに北上川にそそぐかわだ。
北上いきふつうとすれちがい。これもふっといあおいろのおびのはいったたかゆかしきステンレス電車だ。
日詰(ひづめ)。みぎ駅舎の国鉄がた配線のえきで、しましきのりばひだりに停車。岩手県はうまの産地だっていうけど、このえきのなまえもうまのひづめからきとるのか。
はんたい線はかいさつ直結ののりば。
紫波中央(しわちゅうおう)。みぎに高架の東北新幹線がそってきて、紫波中央に停車。じもとの請願によってできたあたらしいえきで、このえきを中心に計画都市をつくったっていう。いや、すばらしい。すぐにしに岩手県フットボールセンターもあって、盛岡や花巻からも来場者があるっていう。
みぎにならぶ新幹線が地平におりてくる。
わがのる盛岡いきふつうがのろのろ運転になる。
また新幹線が高架になったとこで新幹線とすれちがい。防音壁のうえからわずかにやねがみえる。
古館(ふるだて)に停車。ふるたちじゃない。紫波中央とおんなじようなこせんきょうのえきだ。これもあたらしくできたえきか。
ずーっとみぎに新幹線がそっていく。
矢幅(やはば)。みぎぶくらみの分岐を直進して、矢幅はしましきのりばひだりがわに停車。はんたい線がかためんのりばで、もともとはみぎがわに駅舎のある国鉄がた配線のえきだったはずだけど、いまは橋上かいさつのえきにかわっとるみたいだ。
けっこうようけのってくる。電車はワンマン運転で、のってきた乗客にたいして運転士さんが「うしろにもまわってくだいさい」っておねがいしとる。乗客もふえてきて、だいぶ盛岡にちかづいたってかんじだ。
はんたい線とはなればなれになって、あいさに線路群があらわれる。盛岡貨物ターミナルだ。
高架をあがって線路群をみぎにのりこえる。
高架をおりてはんたい線と合流。ほっからさきもひだりに盛岡貨物ターミナルはつづく。
岩手飯岡(いわていいおか)に停車。これもあたらしいえきだ。
東北線標準電車の一ノ関いきふつうとすれちがい。
ひさしのしたにはいっていく。新幹線のコンクリート高架のひだりにひさしがでとる部分があらわれて、ほのしたにはいっていく。
なんかしゃんっておもったら、このひさしのとこで新幹線がひだりにゆみなっていっとって、直進する東北線がしたをくぐっていくだった。
仙北町(せんぼくちょう)。ひだりにゆみなりながら上下共用しましきのりばの仙北町に停車。
ガーダー橋でしずくいしがわをわたる。すぐみぎに北上川にそそいどる。さっきひだりにはなれた新幹線のコンクリート高架もしずくいしがわをわたって東北線にちかづいてくる。
新幹線と左右いれかわり。
地平にぼわーんってひろがる盛岡の構内にはいっていく。
道路橋をくぐってひだりぶくらみの分岐をはいっていく。
盛岡(もりおか)はしましきのりばひだりがわの5番のりばにとうちゃく。15時14分。平泉からここ盛岡まで83.0キロ、1時間21分、時速61.5キロ、1,520円。いや、しっかり電車にのったわ。
- 〔平泉 13:53 → (東北線=盛岡いきふつう) → 15:14 盛岡〕
電車からどばーっておりたひとたちにつづいて橋上コンコースにあがって、かいさつをでる。
ちょこっと盛岡市内見物
盛岡駅はえきまえになるひがしぐちにおりて、ほっからひだりにいってすぐのとこにきょうのやどであるホテルメトロポリタン盛岡を発見。チェックイン。あてられた9階の客室でひとやすみ。
さて、ちょこっと市内見物。
盛岡えきまえどおりをひがしにいって北上川にかかる開運橋をわたる。盛岡のまちはそもそも北上川のひがしにあるだ。えきとまちをつなぐためにできたのがこの開運橋で、当時の岩手県知事がじぶんのかねで建設したっていう。しろいがっちりしたアーチ鉄骨がとくちょうてきだ。
はしのうえからきたにかみをみる。
東岸にわたってちょこっといったとこに「ひだり石川啄木新婚のいえ」のかんばん。あー、「たわむれに ははをせおいて そのあまり かろきになきて さんぽあゆまず」って詩でなだかい石川啄木って岩手県のひとだっただ。このまままっすぐいって盛岡のめぬきどおりであるおおどおりにいく予定だっただけど、よりみちしてみることにする。
きたに住宅街にはいっていって石川啄木新婚のいえにとうちゃく。いや、鉄板ぶきよせむねのかわったふんいきのうちだな。
なかにはいってかかりのおじさんの説明をきくと、新婚のいえってってもこのたてもんぜんぶをつかっとたわけじゃなくて、夫妻がつかっとったのはわずかに4畳半ひとまだったっていう。となりのへやとのまじきりはふすまひとつで、しかもほの4畳半がほかの住人のとおりみちにもなっとる。おちおちいちゃついたりもしとれん。
もどっておおどおりにはいっていく。盛岡えきまえから開運橋をわたってまっすぐにつながるおおどおりだ。
おおどおりをひがしのはしまでいってひきかえす。てきとうなめしやがないかさがしながらひきかえす。
けっきょく盛岡駅までもどっちゃって、えきビルんなかにみつけた大坂王将でばんめし。盛岡まできて冷麺でもなくジャージャー面でもなく大坂王将ってなんでやねん。
やどにもどってゆっくりしてあしたにそなえる。