スーパーはくとの智頭急行の車掌さん

鳥取倉吉と大阪、京都をむすぶ特急にスーパーはくとっていうJR西日本の特急がある。山陰のまちを都会につなげるだいじなやくわりをはたしとるだけど、運行経路に智頭急行線っていう三セクの線をとおる。2013年に姫路に旅行したときに、この智頭急行線のひとえきかんをふくむ区間スーパーはくとにのってみただけど、車掌さんがおんなの車掌さんだって、おっ!っておもった。おんなの車掌さん、おんなの運転士さんにおとこはこころときめくものなだ。ほのときは運がよかったぐらいにしかおもっとらんかっただけど、じつはこのおんなの車掌さん、JR西日本の車掌さんじゃなくて智頭急行の車掌さんだって、この会社の「おんなの車掌さん投入作戦」でなんにんか採用されとるおんなの車掌さんのひとりだっただ。たまたまおんなの車掌さんにあたったってわけじゃなかった。智頭急行線は1994年12月に開業しとるだけど、ほのときに車内をなごやかなふんいきにするためにってことで、この作戦をかんがえただげな。以下のあさひの記事でこれらのことをしった。

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  • 女性車掌はいま - 「開業時のめだま」 - 智頭急行:朝日新聞(柏樹利弘さん)|2017年1月6日14時49分
    • 共に苦労越え後輩に道 - 開業時の「目玉」女性車掌
      悔し涙を流すたび、「今に見てろよ!」と心を奮い立たせ、仕事に戻ったという。鳥取県東部の第三セクター智頭急行」(智頭町)の車掌主任、中村恵美さん(42)は開業と同時にデビューした女性車掌6人の1人。当時のつらい日々を鮮明に覚えている。
    • 智頭急行が開業したのは1994年12月*1。路線は智頭線鳥取県・智頭-兵庫県上郡駅、約56キロ*2)のみだが、JR西日本と乗り入れをしている。特急スーパーはくと鳥取と大阪を約2時間半で走行し、年間約60万人の乗客を運ぶ。開業后、鳥取と大阪の間を飛んでいた1日1便の航空便がなくなるなど周辺の交通に大きな影響を与えた。
    • 開業に合わせ、智頭急行は車掌を募集したが、女性に限った。同社によると、幹部らの発案で車内を和やかな雰囲気にしようと考えたという。当時は女性車掌が珍しく、メディアの注目を集めた。だが、「話題性を利用しようということではなかった」と、採用に携わった当時の営業課長、徳安紀道さん(76)は振り返る。「女性の社会進出が、いずれは普通になると信じて採用を進めた」。智頭線沿線に住む20代の女性6人が採用された。
    • 中村恵美さんは鳥取市出身。家族の勧めで応募したが、鉄道に関心はなく、知識もなかった。「大丈夫だろうか」。そんな不安は現場に出てすぐに現実になった。
    • 車内で切符を販売する際、行き先や釣り銭の額をたびたび間違い、乗客に何度も頭を下げた。気軽に相談できる先輩がいなかったため、智頭駅上郡駅JR西日本の車掌に業務引き継ぎをする際、助言を求めたこともあった。乗客の中には叱責(しっせき)する人や「女性が車内トラブルに対処できるのか」と疑念を持つ人もいたという。
    • ほかの5人もなかなか仕事に慣れることができず、智頭駅近くの智頭急行運輸部の事務所に、毎日のように女性車掌のだれかが泣きながら帰ってきたことは、今も社内の語り草だ。
    • 「何もわかっていない、何もできない自分に悔しくて」と当時を振り返る中村恵美さん。「やっぱりできないじゃないか」と思われることだけは嫌だった。同期同士、互いに失敗経験を共有し、励まし合いながら、改善を重ねた。「ここで終われないと思った。負けず嫌いなんです」
      智頭 - スーパーはくと(山田優子さんと中村恵美さん)(あさひ)
      △ 智頭 - スーパーはくと(ひだり=山田さん、みぎ=中村さん)(あさひ)
    • 開業から22年が過ぎた。車掌10人のうち、女性は6人。初代女性車掌は3人が残り、一線で活躍している。智頭町波多で喫茶店「花祥庵」を営む石井マス子さん(76)は以前住んでいた神戸市を訪ねる際、スーパーはくとを利用する。弁当を広げていたら、女性車掌が検札を后回しにしてくれたことが印象に残っている。「あの細かな気づかいがありがたいですね」
    • 中村恵美さんは今、月数回の乗務のほか、后輩車掌の指導にもあたる。鉄道業界も女性が珍しいことではなくなり、「時代が変われば社会も変わる」との思いを強くしている。車掌歴13年で新人時代に中村恵美さんの指導を受けた車掌の山田優子さん(33)は「先輩たちが苦労してつけてくれた道筋の上で仕事をしています」。バトンは引き継がれた。

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うん、智頭急行のおんなの車掌さんには、これからも車内をなごませつづけてほしいね。


(さんこう)

*1:1994年12月3日

*2:56.1キロ