東海道線の建設

東海道線についてはこれまで部分部分で建設の経緯をみたことはあったけど、こんかいはじめてぜんたいをとおして建設の経緯をみてみる。

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(1) 新橋から横浜

東海道線の建設 (1) 新橋から横浜 2000-838

さいしょの開業は新橋から横浜まで。首都とみなとを鉄路でむすんだ。1872年のこと。明治維新から5年めっていうおそるべきはやさだ。

  • 1872年
    • 1872年5月7日、品川 - 横浜間が旅客線として仮開業。
    • 1872年9月12日、新橋 - 品川間が延伸開業し、新橋 - 横浜間が正式開業。

(2) 神戸から大坂

東海道線の建設 (2) 神戸から大坂 2000-838

つぎはにしからの開業になる。1874年、神戸から大坂まで開業。にしにほんずいいちの都市とみなとを鉄路でむすんだ。

  • 1874年
    • 1874年5月11日、神戸 - 大坂間が旅客線として開業。

(3) 大坂から京都

東海道線の建設 (3) 大坂から京都 2000-838

さらににしからひがしにのびていく。1876年から1877年にかけて大坂から京都まで開業。明治天皇をむかえての式典もあったっていう。

  • 1876年
    • 1876年7月26日、大坂 - 向日町間が旅客線として延伸開業。
    • 1876年9月5日、向日町 - 大宮通仮停車場(いまの京都貨物駅付近)間が延伸開業。
  • 1877年
    • 1877年2月6日、大宮通仮停車場 - 京都間が延伸開業。大宮通仮停車場は廃止。前日の2月5日には、神戸 - 京都間全通を記念して明治天皇を迎えて京都で鉄道開通式を実施。

(4) 京都から大津

東海道線の建設 (4) 京都から大津 2000-838

さらににしからひがしにのびていく。1879年から1880年にかけて京都から大津まで開業。鉄路が琵琶湖畔までたっする。

  • 1879年
    • 1879年8月18日、京都 - 大谷間が延伸開業。現在奈良線となっとる路線の一部を経由しとった。
  • 1880年
    • 1880年7月15日、逢坂山トンネル開通により、大谷 - 大津(のちの浜大津)間が延伸開業し、神戸 - 大津間全通。この大津 - 京都間は逢坂山が途中にあり、現在のルートより迂回するルートであった。

(5) 大津から航路で長浜

東海道線の建設 (5) 大津から航路で長浜 2000-838

さらににしからひがしにのびていくだけど、こんどは航路でのびていく。1882年、大津から長浜まで琵琶湖航路で開業。おどろくべきは、このときまあはい長浜から敦賀港までの鉄路が一部区間をのぞいてできとったってこと。この時点でまんだ東海道線って概念はなくて、明治政府がさいしょにえらんだ路線は、東京-横浜、神戸-大坂-京都、京都-敦賀のみっつだっただ。ほいで、こんかいの琵琶湖航路の開設でみっつの路線が完成したってわけだ。

  • 1882年
    • 1882年5月1日、太湖汽船が大津 - 長浜間に琵琶湖航路を開設。長浜で官設鉄道金ケ崎(のちの敦賀港)方面に接続。

【旧長浜駅舎】
【敦賀の鉄道のうつりかわり】

(6) 長浜から関ケ原

東海道線の建設 (6) 長浜から関ケ原 2000-838

さらににしからひがしにのびていく。1883年、長浜から関ケ原まで開業。おんなじこのとしに明治政府は東京大坂間幹線鉄道を中山道経由で建設することを決定。

  • 1883年
    • 1883年5月1日、長浜 - 関ケ原間が開業。この区間伊吹山が途中にあり、これも現在のルートとは異なる。
  • 中山道経由で建設することを決定
    • 1883年8月、政府はすでに東京 - 高崎間(現在の高崎線)の建設が決まっとったことに鑑み、東京 - 大坂間幹線鉄道を中山道経由で建設することを決定(中山道幹線)。中部地区ではこの中山道線建設のための資材輸送を目的として、現在武豊線となっとる区間を含めた武豊 - 木曽川間が1886年に開業。また1884年には中山道ルートの一部として大垣 - 関ケ原 - 長浜間が開業しとる。

【近江長岡から東海道線旧線あとをたずねて】

(7) 関ケ原から大垣

東海道線の建設 (7) 関ケ原から大垣 2000-838

さらに中山道経由でにしからひがしにのびていく。1884年関ケ原から大垣まで開業。

(8) 武豊から木曽川

東海道線の建設 (8) 武豊から木曽川 2000-838

つぎはおもむきがことなる。三河湾武豊港から中山道の岐阜にむけて鉄路が建設される。武豊港からりくあげされた建設資材を岐阜まではこんで、さらに中山道経由でひがしに鉄路をのばしていくってわけだ。1886年武豊から木曽川まで開業。

ところでおんなじこのとしに明治政府は東京大坂間幹線鉄道を既存鉄道をいかしたうえで東海道経由で建設することに変更。武豊から木曽川までのかんもくみこまれる。

  • 1886年
  • 東海道経由で建設することに変更
    • しかし1886年7月、政府は東京 - 大坂間鉄道の予定経路を、工期が半分に抑えられるとして、工事の難航が予想された中山道経由から東海道経由に変更した。ただし、既存路線を積極的に活用して建設予算を低減する方針から、名古屋 - 草津間は江戸時代の東海道ではなく、美濃路中山道に沿うルートでの布設となった。

(9) 大垣から岐阜/木曽川から岐阜

東海道線の建設 (9) 大垣から岐阜/木曽川から岐阜 2000-838

1887年、中山道経由でのびてきた鉄路が岐阜にたっする。また、おんなじこのとしに武豊からのびてきた鉄路が岐阜にたっして、あいだに琵琶湖航路をはさんで鉄路が神戸から武豊までつながる。

  • 1887年
    • 1887年1月21日、大垣 - 加納(いまの岐阜)間が延伸開業。
    • 1887年4月25日、木曽川 - 加納間が延伸開業し、長浜 - 武豊間が全通。途中木曽川鉄橋の建設のため時間を要した。

【岐阜、加納のへんのえきのうつりかわり】

(10) 横浜から国府津

東海道線の建設 (10) 横浜から国府津 2000-838

さて、こんどはひがしからにしにのびていく。1887年、横浜から国府津まで開業。

  • 1887年
    • 1887年7月11日、横浜 - 国府津間が延伸開業。

(11) 大府から浜松

東海道線の建設 (11) 大府から浜松 2000-838

また、にしからひがしにのびていく。1888年、大府から浜松まで開業。盲腸線になった大府から武豊までのかんは東海道支線になる。

  • 1888年
    • 1888年9月1日、大府 - 浜松間が延伸開業。長浜 - 浜松間が本線、大府 - 武豊間が支線となる。

【安城(あんじょう)の歴史(かめぞう)】

(12) 国府津から浜松

東海道線の建設 (12) 国府津から浜松 2000-838

さいごはひがしからにしにのびて東西がつながる。1889年、国府津から浜松まで開業して、あいだに琵琶湖航路をはさんで鉄路が新橋から神戸までつながる。

  • 1889年
    • 1889年2月1日、国府津 - 静岡間が延伸開業。国府津から沼津までは途中現在の御殿場線を経由し箱根を避けるように路線を布設した。
    • 1889年4月16日、静岡 - 浜松間が延伸開業。この時点で、長浜 - 大津間琵琶湖の水路を用いることで、関東から関西までの輸送路が一応完成。

【御殿場線と熱海線】

(13) 大津から鉄路で関ケ原

東海道線の建設 (13) 大津から鉄路で関ケ原 2000-838

さいごのさいご、琵琶湖航路が鉄路にきりかわって東海道線の完成。1889年、大津から関ケ原までの鉄路が開業して、新橋から神戸まですべて鉄路でつながる。

  • 1889年
    • 1889年7月1日、馬場(いまの膳所) - 長岡(いまの近江長岡) - 分岐点(のちの深谷)間)が延伸開業し、新橋 - 神戸間が全通。直通は1日1往復。片道およそ20時間。運賃下等3円76銭。太湖汽船の大津 - 長浜間の琵琶湖航路が廃止。

(14) 1889年完成形

東海道線の建設 (14) 1889年完成形 2000-838

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