東海道線についてはこれまで部分部分で建設の経緯をみたことはあったけど、こんかいはじめてぜんたいをとおして建設の経緯をみてみる。
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(1) 新橋から横浜
さいしょの開業は新橋から横浜まで。首都とみなとを鉄路でむすんだ。1872年のこと。明治維新から5年めっていうおそるべきはやさだ。
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(2) 神戸から大坂
つぎはにしからの開業になる。1874年、神戸から大坂まで開業。にしにほんずいいちの都市とみなとを鉄路でむすんだ。
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(3) 大坂から京都
さらににしからひがしにのびていく。1876年から1877年にかけて大坂から京都まで開業。明治天皇をむかえての式典もあったっていう。
(4) 京都から大津
さらににしからひがしにのびていく。1879年から1880年にかけて京都から大津まで開業。鉄路が琵琶湖畔までたっする。
(5) 大津から航路で長浜
さらににしからひがしにのびていくだけど、こんどは航路でのびていく。1882年、大津から長浜まで琵琶湖航路で開業。おどろくべきは、このときまあはい長浜から敦賀港までの鉄路が一部区間をのぞいてできとったってこと。この時点でまんだ東海道線って概念はなくて、明治政府がさいしょにえらんだ路線は、東京-横浜、神戸-大坂-京都、京都-敦賀のみっつだっただ。ほいで、こんかいの琵琶湖航路の開設でみっつの路線が完成したってわけだ。
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(6) 長浜から関ケ原
さらににしからひがしにのびていく。1883年、長浜から関ケ原まで開業。おんなじこのとしに明治政府は東京大坂間幹線鉄道を中山道経由で建設することを決定。
(7) 関ケ原から大垣
さらに中山道経由でにしからひがしにのびていく。1884年、関ケ原から大垣まで開業。
(8) 武豊から木曽川
つぎはおもむきがことなる。三河湾の武豊港から中山道の岐阜にむけて鉄路が建設される。武豊港からりくあげされた建設資材を岐阜まではこんで、さらに中山道経由でひがしに鉄路をのばしていくってわけだ。1886年、武豊から木曽川まで開業。
ところでおんなじこのとしに明治政府は東京大坂間幹線鉄道を既存鉄道をいかしたうえで東海道経由で建設することに変更。武豊から木曽川までのかんもくみこまれる。
(9) 大垣から岐阜/木曽川から岐阜
1887年、中山道経由でのびてきた鉄路が岐阜にたっする。また、おんなじこのとしに武豊からのびてきた鉄路が岐阜にたっして、あいだに琵琶湖航路をはさんで鉄路が神戸から武豊までつながる。
(10) 横浜から国府津
さて、こんどはひがしからにしにのびていく。1887年、横浜から国府津まで開業。
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(11) 大府から浜松
また、にしからひがしにのびていく。1888年、大府から浜松まで開業。盲腸線になった大府から武豊までのかんは東海道支線になる。
(12) 国府津から浜松
さいごはひがしからにしにのびて東西がつながる。1889年、国府津から浜松まで開業して、あいだに琵琶湖航路をはさんで鉄路が新橋から神戸までつながる。
(13) 大津から鉄路で関ケ原
さいごのさいご、琵琶湖航路が鉄路にきりかわって東海道線の完成。1889年、大津から関ケ原までの鉄路が開業して、新橋から神戸まですべて鉄路でつながる。
(14) 1889年完成形
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