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ゆめたじま♪

JR西日本

きりのまち豊岡(とよおか)があって、城崎(きのさき)温泉があって、余部(あまるべ)きょうりょうがあって、小京都出石(いずし)があって、生野(いくの)銀山があって、天空のしろ竹田城(たけだじょう)があって、特急「はまかぜ」、「こうのとり」、「きのさき」で神戸、大阪、京都とつながる但馬(たじま)。3年まえに豊岡市大阪環状線で「電車まるごと豊岡作戦」を実行したことはまえにこのブログでも紹介したとこだけど、こんどは但馬ぜんたいで一丸となって、JRの神戸線京都線で「電車まるごと但馬作戦」を実行した。

神戸新聞の記事から)

  • 但馬全域を会場とした活性化イベント「夢但馬2014」をPRするため、車内の広告すべてを但馬のみどころとした8両編成の電車1編成をアドトレイン(広告かしきり列車)として、2014年3月ようかから19日、JR神戸線などをはしる。
    「夢但馬2014」の電車なかづり広告(神戸新聞)
  • 「夢但馬2014」は、各市町村や地域団体などがまいとしおこなっとる食のイベントやスポーツ大会など300事業を関連事業とし、1年間かけておこなわれ、観光振興や地域づくりにつなげる。
  • アドトレインは2014年4月の「夢但馬2014」開幕をまえに、推進協議会事務局の但馬県民局がはじめて企画したもので、事業費は250万円。
  • 広告は、雲海にうかぶ竹田城あとのほか、にほんかいにしずむゆうひや、えさをついばむコウノトリなど四季のふうけい写真。但馬郵便局長会の写真クラブがさつえいしたもので、なかづり、まどうえなど5種類680枚があり、1編成の車内広告がすべて夢但馬関連となる。はしるのはJRの琵琶湖線湖西線京都線神戸線赤穂線の5路線で、快速などで1日3回から5回とおる。
  • 但馬県民局の岩根正局長は「電車にのった瞬間に但馬の絶景がめにとびこんでくる。『夢但馬ってなんやろ?』ってインターネット検索やといあわせをするきっかけになってほしい」ってはなした。
(ねたもと)
電車内「夢但馬」一色に - JR線で広告貸し切り|神戸新聞|2014/3/8 10:00

なるほど、ことしは「夢但馬2014」のとしだっただ。ゴールデンヰークもあと1日をのこすだけになったけど、「電車まるごと但馬作戦」の効果がでとるといいね。

ほいから、但馬は古代アメノヒボコの干拓でみのりゆたかな大地がひろがったともきく。また、砂鉄がとれたことで、製鉄の先進地だったともきく。但馬は古代史のうえでもゆめのばしょなだ。おれもいってみたいな。


(さんこう)

  • 第9話 ラムサール条約とアメノヒボコ: 但馬二千年桂|2012年6月28日 (木)
    • 但馬には、地固め地蔵が円山川ぞいにのこっており、アメノヒボコ(天日槍)が円山川河口の瀬戸をきりひらき、どろのうみであった豊岡盆地をみのりゆたかな大地に開拓したっていう伝説がのこっております。
    • いまでは、河口付近にだけのこる湿地ですけど、アメノヒボコがきりひらくまでは、豊岡盆地全体が湿地帯で、おおぞらをコウノトリがむれれをなしてとびまわっとったことだらあ。
    • ところで、伝説どおりアメノヒボコが瀬戸をきりひらいたとして、水田開発が第1の目的だったのでしょうか。
    • もしかすると、湿地帯のしたにねむる大量の砂鉄を採取することがいちばんの目的で、採取したあとちが、水田として再利用されたのではないでしょうか。
    • 但馬では、アメノヒボコよりもふるくから、太耳が砂鉄を採取しとったのかもしれません。
    • 太耳は、前津耳ともいわれます。もっとも上流のみなとである糸井川河口付近、高瀬の港と、下流の式内社、耳井神社付近にふなだまりをもうけ、砂鉄を輸送しとったのかもしれません。
    • アメノヒボコが但馬に居をかまえたのは、ながれのゆるやかな円山川河口付近は、かんがい工事がしやすく、播磨の河口や琵琶湖岸よりも大量の砂鉄採取が期待できたからでしょうか。
  • 電車 まるごと 豊岡! - あきひこ ゆめてつどう|2011/10/28
  • アメノヒボコと伊和大神の足跡 <ひょうご伝説紀行 - 語り継がれる村・人・習俗 ‐>
    • アメノヒボコ但馬国をえたあと、豊岡(とよおか)周辺を中心とした円山川(まるやまがわ)流域を開拓したらしい。ほんでなくなったあとは、出石神社(いずしじんじゃ)の祭神としてまつられることになった。
    • 但馬一宮の出石神社は、出石町宮内にある。このばしょは出石町の中心部よりもすこしきたにあたり、此隅山(このすみやま)からのびるおねが出石川の右岸にいたり、左岸にもやまがせまって、ふところのような地形になっとる。神社はほのおくの一段たかいばしょにたっとる。
    • このあたりから下流は、たいへん洪水がおおいばしょである。2004年におきた豊岡市の大水害は記憶にあたらしいところだけど、出石神社のあたりを発掘してみると、低湿地にたまる粘土や腐植物層と、洪水でたまったすなの層があつくつみかさなっとるとこがおおい。
    • ほんなばしょであるから、古代、この地を開拓したひとびとは、ひじょうな苦労をしいられたことだらあ。『出石神社由来記』には、アメノヒボコが「瀬戸の岩戸」をきりひらいて、みずうみだった豊岡周辺を耕地にしたとしるされとるっていう。ほのアメノヒボコは、かみとなっていまもじぶんが開拓した平野をにらんどるだ。
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