山陰に出石(いずし)っていうまちがある。出石そばが有名で、小京都ともいわれるおちついた城下まちらしい。NHKの大河ドラマ「八重の桜(やえのさくら)」の主人公、八重のさいしょのおっと、川崎尚之助(かわさきしょうのすけ)の出身地としてしっとるひともおおいかもしれん。明治時代、鉄道の誘致をしたけどみのらず、福知山(ふくちやま)から豊岡(とよおか)への山陰線は和田山(わだやま)から八鹿(ようか)、江原(えばら)をとおるルートで布設されちゃった。出石は鉄道からとりのこされるまちとなる。したの地図のなかできみどりいろでひいてあるような線で鉄道ができるのが、出石ののぞみだったって推測する。
八鹿から江原、豊岡をとおって城崎温泉(きのさきおんせん)までの線路が布設されたのが1909年。
ほいでも出石のひとたちはあきらめず、ほれから20年あとの1929年に山陰線の江原から分岐するかたちで、出石までの鉄道を建設する。全長11.2キロの出石鉄道だ。
こんな出石のひとたちの執念のたまものである出石鉄道だけど、やっぱり本線からはずれた支線では経営もくるしかったじゃないかな。1944年には不要不急路線として営業休止においこまれ、以后、復活することはなくこんにちにいたる。
(さんこう)
- 両丹日日新聞:さいしょでさいごの出石鉄道展 - 運行休止から70年|2015年2月21日
- 鉄道がなきゃ地域の発展はない。ほんなおもいからまちぐるみで鉄道会社をおこし、けんめいに運営しとった出石鉄道の歴史をほりおこした企画展「さいしょでさいごの出石鉄道展」が、但馬国府・国分寺館ではじまった。2015年5月むいかまで。さいごの列車がはしってから70年。当時をしるひとがすくなくなっとることから、「さいしょでさいごの」と銘うった。
- もともと鉄道へのおもいがつよい地域で、1896年から誘致運動をつづけとったけど、山陰線は京都から福知山、和田山をへて鳥取へと開通。鉄路からはずれた出石からは官公庁や銀行が豊岡へと移転していき、ほれまでの繁栄にかげりがみえはじめた。「このままじゃ」と、出石をとおる鉄道会社設立の機運がたかまり、1919年に設立したのが、出石鉄道だった。
- 1929年の開業のあとも資金難はおもくのしかかる。やっとのおもいで購入した蒸気機関車は中古でちからがよわく、自転車ほどの速度しかでんかった。しかもたびたび故障して運休。これでは乗客がふえるはずもなかった。
- 当時も、住民たちは豊岡へでかけることがおおく、江原へでむくことはすくなかった。ほいでも出石-豊岡ではなく、出石-江原に鉄道を布設したのは、出石から野田川、江原から鳥取へと鉄道を延長せえっていう壮大な計画をひとびとがたてとったでだった。資金難にくわえ、加悦や神鍋のやまをくりぬくながいトンネルをほる技術は当時なく、現代の感覚からせやあ、およそ実現不可能な計画ではあった。
- こうした不運がつづき、1日7往復で、1本あたりの乗客は10人から20人ほどっていうくるしい運営に。戦況悪化による物資不足のため、1943年12月、軍から運行休止命令がでた。住民たちは決起集会をひらくなど猛反発したけど、翌1944年5月、強制撤去命令がでて鉄道設備の撤去がはじまり、鉄道運休のひをむかえた。
- 神戸新聞NEXT|但馬|ゆめと希望をまあいっぺん - 写真や文書でたどる出石鉄道展|2015/2/20 19:00
- ゆめたじま♪ - あきひこ ゆめてつどう|2014/05/05
- 出石 - 大河ドラマ八重のおっと:川崎尚之助の故郷:シニアとパソコン|2013.05.03
- 電車 まるごと 豊岡! - あきひこ ゆめてつどう|2011/10/28
- 大阪環状線の 電車が まるごと 豊岡に なった。
- 出石鉄道廃線あと訪問 - 西南海観光鉄道|2009年4月訪問
- 山陰本線 - Wikipedia
- 出石鉄道 - Wikipedia
- 出石鉄道 - 街と鉄道
- 出石鉄道 - 廃止鉄道ノート
- (※ 出石鉄道の路線図がすばらしい)