矢作橋まで電車さんぽ♪ - 2016.9.17

矢作橋駅バス停から坂戸バス停まで美人運転士さんとバスさんぽしたことは、きのうのブログ記事に紹介した。きょうは、ほのまえの、わがやもよりの碧海古井から矢作橋までの電車さんぽのようすを紹介する。

20160917_164512 矢作橋=ホーム 1220-720

西尾線

2016年9月17日どようび、碧海古井15時55分のしんあんじょういきふつうにのる。車両は6800系なのに鉄仮面ってやつだ。

20160917_155542 碧海古井 - しんあんじょういきふつう(6800系なのに鉄仮面)
(155542 碧海古井 - しんあんじょういきふつう)

みなみあんじょうで吉良吉田いき急行といきちがい。6500系4両編成だ。

20160917_155809 しんあんじょういきふつう - みなみあんじょう(吉良吉田いき急行6500系)
(155809 しんあんじょういきふつう - みなみあんじょう)

電車は時速100キロであんじょう平野をつっぱしる。

20160917_160215 しんあんじょういきふつう - きたあんじょうとしんあんじょうのあいだ
(160215 しんあんじょういきふつう - きたあんじょうとしんあんじょうのあいだ)

定刻の16時2分からちょこっとおくれて終点のしんあんじょうにとうちゃく。

20160917_160330 しんあんじょういきふつう - しんあんじょう
(160330 しんあんじょういきふつう - しんあんじょう)

名古屋本線

しんあんじょうは地下連絡通路をとおって、2番線から6番線に移動。東岡崎いきふつうのしゅっぱつがまぢかであることをつたえる車掌さんのこえに、のりかえきゃくは階段をいそいでかけあがる。16時5分、しんあんじょうをしゅっぱつ。写真をとるまもなかったけど、車両は6000系なのに鉄仮面ってやつだ。

20160917_160526 東岡崎いきふつう(6000系鉄仮面) - しんあんじょうしゅっぱつ
(160526 東岡崎いきふつう - しんあんじょうしゅっぱつ)

しんあんじょうをでてまもなく、あかい電車とすれちがい。

20160917_160635 東岡崎いきふつう - しんあんじょうすぎ
(160635 東岡崎いきふつう - しんあんじょうすぎ)

宇頭のつぎ、矢作橋のてまえで、空港特急とすれちがい。

20160917_161035 東岡崎いきふつう - 矢作橋てまえ
(161035 東岡崎いきふつう - 矢作橋てまえ)

16時11分、矢作橋にとうちゃく。

20160917_161050 東岡崎いきふつう - 矢作橋
20160917_161101 東岡崎いきふつう - 矢作橋 550-480
20160917_161134 矢作橋 - 東岡崎いきふつう
(161050 東岡崎いきふつう - 矢作橋)(161101)(161134 矢作橋 - 東岡崎いきふつう)

のってきた電車をみおくり、つぎにパノラマスーパーが通過していくのもみおくり、かいさつをでる。

20160917_161512 矢作橋 - さがりパノラマスーパーが通過
(161512 矢作橋 - さがりパノラマスーパーが通過)

矢作橋はさがりホームとかいさつが直結になっとるだけど、かいさつのそとからみるホームはえになる。てまえがさがりホーム、むこうがあがりホームで、さらにほのむこうが留置線。留置線にとまるあかい電車を背景に、あがりホームで電車をまつひとたちがうかびあがるようにめにはいってくる。

20160917_164512 矢作橋=ホーム 1220-720
(164512 矢作橋=ホーム)

駅舎もしゃれたつくりで、りっぱなトイレもあるだけど、きっぷうりばのまどぐちはシャッターがおりとった。いま、ヰキペディアをみてみると、「始発から午前8時30分までの時間帯のみ駅員が配置されとる」ってかいてあるで、無人駅ってわけじゃないだ。いや、じっさいこの矢作橋のえきはひとのではいりがひんぱんだ。これはあとでおもったことだけど、このえきをもよりえきとする高校や東レ岡崎工場があることも、利用者のおおさにつながっとるか。ただ、えきのまわりにいくつかのみせはあるものの、えきまえっていうふんいきはとぼしい。えきまえひろばっていえるものもなく、ただ、クルマが4台分とまれるばしょがあるだけだ。

20160917_164315 矢作橋駅
(164315 矢作橋駅)

えきからまっすぐのびるみちをちょこっといったとこに、矢作橋駅バス停はあった。こっからバスがでるだ。

20160917_161842 矢作橋駅バス停
20160917_162012 矢作橋駅バス停
(161842 矢作橋駅バス停)(162012)

線路のきたがわをひがしにあるく。ふみきりまでいったとこで、にしをみると矢作橋のえきがみえる。

20160917_162308 矢作橋ひがしふみきりからにしをみる
(162308 矢作橋ひがしふみきりからにしをみる)

ひがしをみると、線路のみぎがわにくさばえになっとるばしょがあるのがわかる。これが東レ岡崎工場ひきこみ線のあとか。バスの時間もあって、たしかめるのはまたの機会にして、バス停にもどった。

20160917_162317 矢作橋ひがしふみきりからひがしをみる
(162317 矢作橋ひがしふみきりからひがしをみる)


(さんこう)

美人運転士さんとバスさんぽ♪ - 2016.9.17

きょう2016年9月17日、午后の電車さんぽにひきつづいて、美人運転士さんとバスさんぽをしてきた(^_^)

20160917_165605 名鉄バス - 矢作橋駅前交差点を右折

◇            ◇

しゅっぱつは矢作橋駅バス停。ここまでは、わがやもよりの碧海古井駅から電車にのってやってきた。バス停は、きたがわを正面とする矢作橋のえきから、えきまえをちょこっときたにいったとこにある。えきまえにはクルマが4台とまれるだけのばしょしかなくて、バス停がはなれたとこにあるだ。ふつう、名鉄駅と接続するバス停のなまえに「駅」はつかんだけど、まあはいさきに矢作橋っていうバス停がほんとの矢作橋のたもとんとこにあって、やむなくこっちのバス停を「矢作橋駅バス停」にしたものと推測する。

さて、時間になってもバスがこん。スマホ名鉄バス案内で4分おくれになっとるのをたしかめたとこで、バスがやってくる。

20160917_164746 矢作橋駅バス停 20160917_165343 矢作橋駅バス停 - 名鉄バス
20160917_165349 矢作橋駅バス停 - 名鉄バスpng
(164746 矢作橋駅バス停)(165343 名鉄バス)(165349)

バスにのりこむと乗客はおれひとり。美人運転士さんとふたりでバスさんぽだ。16時54分、矢作橋駅バス停をしゅっぱつ。2分しかおくれてないじゃん。ここでまち時間が設定してあったか。

20160917_165415 名鉄バス - 矢作橋駅バス停
20160917_165438 名鉄バス - 矢作橋駅前交差点
(165415 名鉄バス - 矢作橋駅バス停)(165438)

国道1号線と交差する矢作橋駅前交差点を右折。

20160917_165605 名鉄バス - 矢作橋駅前交差点を右折
(165605 名鉄バス - 矢作橋駅前交差点を右折)

国道1号線をちょこっとだけひがしにいく。

20160917_165622 名鉄バス - 国道1号線をひがしに
(165622 名鉄バス - 国道1号線をひがしに)

すぐに矢作橋駅東交差点となり、ここを右折。

20160917_165646 名鉄バス - 矢作橋駅東交差点を右折
(165646 名鉄バス - 矢作橋駅東交差点を右折)

バスは、歩道のないみちをみなみにすすむ。

20160917_165709 名鉄バス - 名古屋本線ふみきり
20160917_165720 名鉄バス - 名古屋本線ふみきり
(165709 名鉄バス - みなみにすすむ)(165720)

名古屋本線ふみきりをみなみにわたる。

20160917_165748 名鉄バス - 名古屋本線ふみきりをわたる
(165748 名鉄バス - 名古屋本線ふみきりをわたる)

つぎは東レ前。路線図には、ふみきりのあたりに矢作橋駅口っていうややこしいなまえのバス停があるだけど、「かた方向のみ停車のバス停」のしるしがついとるで、みなみいきのバスはとまらんもんとみえる。

20160917_165738 名鉄バス - つぎは東レ前
(165738 名鉄バス - つぎは東レ前)

東レ前バス停。みぎがわが東レ岡崎工場だ。ちなみに、むかし矢作橋のえきからこの工場へのひきこみ線があったっていうけど、ほれをたしかめるのはまたの機会にするよ。

20160917_165833 名鉄バス - 東レ前バス停
(165833 名鉄バス - 東レ前バス停)

矢作町橋塚交差点を右折。

20160917_165848 名鉄バス - 矢作町橋塚交差点を右折
(165848 名鉄バス - 矢作町橋塚交差点を右折)

東レ岡崎工場のみなみがわにまわりこんだ。進行方向は西南になる。

20160917_165916 名鉄バス - 東レ岡崎工場のみなみがわ
(165916 名鉄バス - 東レ岡崎工場のみなみがわ)

まあちょいで東レ岡崎工場からはずれるっていうとこで、北筒針バス停。あとでしらべたら、このバス停のみぎは東レ筒針寮とある。大山加奈さんとかも、ここにくらしとるのかな。

20160917_165927 名鉄バス - 北筒針バス停
(165927 名鉄バス - 北筒針バス停)

つぎは筒針。

20160917_165940 名鉄バス - つぎは筒針
(165940 名鉄バス - つぎは筒針)

筒針町下川田交差点を直進。

20160917_170000 名鉄バス - 筒針町下川田交差点
(170000 名鉄バス - 筒針町下川田交差点)

筒針バス停。

20160917_170034 名鉄バス - 筒針バス停
(170034 名鉄バス - 筒針バス停)

フィールなんかもみえるけど、はしをこえたとこからとおりはだいぶにぎやかになる。

20160917_170042 名鉄バス - フィールがちかづく
(170042 名鉄バス - フィールがちかづく)

大和町(だいわちょう)バス停。かいものがえりのおじさんがのってくる。

20160917_170120 名鉄バス -  大和町(だいわちょう)バス停
(170120 名鉄バス - 大和町(だいわちょう)バス停)

みぎてにサンドラッグがみえる。

20160917_170158 名鉄バス - サンドラッグがちかづく
(170158 名鉄バス - サンドラッグがちかづく)

牧内バス停。まんだこのあたりもにぎやかだ。

20160917_170217 名鉄バス - 牧内バス停
(170217 名鉄バス - 牧内バス停)

東海道線ふみきりをみなみにわたる。このみぎに西岡崎のえきがある。

20160917_170242 名鉄バス - 東海道線ふみきり
(170242 名鉄バス - 東海道線ふみきり)

ちょこっとのあいだ左右にみせはなくなるけど、また、昭和町東交差点のへんでみせがあらわれ、正面にはでっかいマンションもそびえる。

20160917_170315 名鉄バス - みなみにすすむ
20160917_170334 名鉄バス - 昭和町東交差点
(170315 名鉄バス - みなみにすすむ)(170334 昭和町東交差点)

昭和町東交差点からちょっといったとこで、昭和町交差点。このひだりに、しるなしラーメンで有名なまるぎん二号がある。

20160917_170506 名鉄バス - 昭和町交差点
(170506 名鉄バス - 昭和町交差点)

小望(こもう)バス停。このあたりから左右は住宅街となって、みちもせばくなるだけど、古井、桜井をとおって西尾にまでつうじるこのみちはクルマががんがんはしって、とってもあぶない。

20160917_170612 名鉄バス - 小望バス停すぎ
(170612 名鉄バス - 小望バス停すぎ)

反対車線はこんなにクルマがつながっとる。

20160917_170624 名鉄バス - みなみにすすむ
(170624 名鉄バス - みなみにすすむ)

島バス停。自動放送では「しま」の「し」にアクセントをおいて発音しとったけど、ただしくは「ま」におく。島耕作のしまじゃなくてしまぐにのしまだ。さっきのおじさんは、ここでおりる。

20160917_170652 名鉄バス - 島バス停
(170652 名鉄バス - 島バス停)

住宅街もとぎれ、左右はだいぶさびしくなる。

20160917_170738 名鉄バス - みなみにすすむ
(170738 名鉄バス - みなみにすすむ)

ほとんど住宅もなくなったとこで、終点の坂戸バス停にとうちゃく。バスはこのあとおりかえしていくだけど、「みちのひだりにある降車場でおりずに、みぎのバス待機場までのっていきますか」っていう運転士さんのことばにしたがう。

20160917_170759 名鉄バス - 坂戸バス停 20160917_171119 坂戸待機場=運転士さん
20160917_170844 名鉄バス - 坂戸待機場 20160917_170910 名鉄バス - 坂戸待機場
(170759 名鉄バス - 坂戸バス停)(171119 運転士さん)
(170844 坂戸待機場)(170910)

坂戸のバス待機場で運転士さんとしばしはなす。島までのってくるひとはたまにあるけど、坂戸までのってきたのはおれがふたりめとのこと。さいしょのひとりも公共交通マニアで、ここでほのままおりかえしていっただげな。なんと。

運転士さん自身のことをきくと、出身は函館でこっちにきてふつうの会社づとめをへて運転士さんになったとのこと。あさは4時おきで、運転士さん不足のおり、勤務もきついとのこと。がんばってほしいね。

20160917_171207 坂戸待機場=運転士さん20160917_171221 坂戸待機場=運転士さん
20160917_171237 坂戸待機場=運転士さん
(171207 坂戸待機場=運転士さん)(171221)(171237)

さて、たのしい会話をおえたあとはかえりだ。わが古井はこっから西南方向、一面のたんぼをこえたむこうにある。交通手段はじぶんのあしだけ。25分ののち、わがやにとうちゃく。きょうのバスさんぽをおえた。


(さんこう)

名鉄資料館でみてきたもの (1) 松木島のえき

2016年9月15日、名鉄資料館にいって、館長さんからいろんなはなしをいっぱいきいて、いろんな展示物をいっぱいみてきた。いっぺんにぜんぶを紹介するのはとてもむりで、これからちょこっとづつ紹介していく。

◇            ◇

第1弾は松木島(まつきじま)のえき。じつは展示物じゃなくて、当方のもとめにおうじて館長さんがとりだしてくれた本のなかの写真だ。こどものころにこのえきをじかにみてうけた強烈な印象がいまもわすれれんくて、資料がみてみたかっただ。このえきは三河一色(みかわいしき)と吉良吉田(きらよしだ)のあいだのえきだけど、三河線碧南-吉良吉田間の廃止とともになくなった。じぶんのすむおんなじ西三河の地にありながら、このりっぱな駅舎を写真におさめんじゃったことが、くやんでもくやみきれん。

みなみがわからみた松木島駅舎(一色町松木島・1958年)
20160915 名鉄資料館 (3) 写真 - 松木島
当時、松木島駅にはまんだうでぎ式信号機がのこっており、写真みぎには、ほの操作のタイミングをまつ駅員のようすがうつされとる。〔白井昭氏さつえい〕
20160915 名鉄資料館 (3) 写真 - 松木島

みよ、この堂々とした洋館。一色町の代表駅でもない、吉良吉田みたいな結節点のえきでもない、ただのいなかのえきなのになんちゅうりっぱなたてものをあたえられとることか。こどものころにみたとき、つぎのように理解した。この鉄道ができた当時は、えきっていうもんがいまだと飛行場に相当するもんじゃなかったか。こっから電車にのやあ、にほんぢゅうのどこにだっていけるだ。ほんなひとびとの期待がこのりっぱな駅舎にこめられとるだって。

松木島駅(一色町松木島・1966年)
20160915 名鉄資料館 (2) 写真 - 松木島 620-450
三河線全駅のなかで、社長出身地にふさわしいとびぬけてモダンなたてものである。三河吉田へ延長されるまで終点駅であった。乗降客はすくなかった。〔倉知満孝氏さつえい〕
20160915 名鉄資料館 (2) 写真 - 松木島

このえきが、当時三河鉄道の社長の出身地のえきだったことは、ずーっとあとでしった。あ、ほいで、三河線がいっきに吉良吉田までつながったじゃなくて、さいしょはこの松木島どまりだっただ。えきのなまえも、社長のなまえをとって「神谷駅」だった。1926年のこと。乗降客はすくなかった、、、か。

松木島駅(旧神谷駅
開業=1926年9月ついたち、所在地=幡豆郡一色町松木島中切

20160915 名鉄資料館 (4) 写真 - 松木島 530-470
三河鉄道が大浜港(現碧南)から海岸の町村ぞいに鉄道建設工事をすすめ、矢作古川(やはぎふるかわ)のすぐてまえ、松木島に神谷駅をもうけて、1926年9月、大浜港-神谷間が開通した。
松木島は三河鉄道再興の恩人とされる神谷伝兵衛社長の出身地であり、駅名を神谷とした。こうした駅名は全国的にもたいへんめずらしい。このとし、2代め神谷伝兵衛が社長に就任、まもなく地方にはめずらしいコンクリート製のりっぱな駅舎をたてた。
1949年に学制改革などにともなう駅名改称がおこなわれたとき、ほかの13駅と同時に「神谷」を所在地おおあざ名の「松木島」にあらためた。1953年9月25日、13号台風による被害をうけた(松木島-三河吉田間の復旧開通は11月15日)。りっぱな駅舎は1978年9月、老朽化によりとりこわされた。〔沢田幸雄〕
20160915 名鉄資料館 (4) 写真 - 松木島

いや~、この駅舎がとりこわされたのは1978年のことだったか。てっきり、2004年3月31日の三河線碧南-吉良吉田間の廃止のときだっておもっとった。

矢作古川にかかる鉄橋をわたる栄生(さこう)いき特急(吉良吉田-松木島間・1964年)
20160915 名鉄資料館 (5) 写真 - 松木島 580-440
かわはばのひろい矢作古川の架橋には多額の費用と時間を要するので、三河吉田への延長は2年后であった。写真はまんだ本線直通特急が運転されとったころのようす。〔白井良和氏さつえい〕
20160915 名鉄資料館 (5) 写真 - 松木島

三河線が吉良吉田、当時三河吉田につながるのは、松木島開業から2年あとのことだったか。矢作古川(やはぎふるかわ)をわたるのがたいへんだっただね。いや、ほれにしてもこの写真の「栄生(さこう)いき」にはおどろきだ。1964年っていうとおれは小学校2年生だったけど、当時、西尾線経由じゃなくて、三河線経由で名古屋本線にのりいれていく特急の運行があっただ。鉄道の黄金期だ。

◇            ◇

さいごに、三河鉄道創業時の社長、神谷伝兵衛のものがたりだ。一色町松木島の出身で、えきのなまえにもほのなまえがあたえられたほどだけど、じつは鉄道の専門家じゃなくて、東京にでてワインの事業で成功をおさめたひとだった。

郷土の偉人 - 神谷伝兵衛
20160915 名鉄資料館 (6) 写真 - 松木島 560-425
にほんにワイン文化をひろめたおとこ神谷伝兵衛(1856~1922)は、一色町松木島のうまれだ。豪農のいえにうまれたけど、生家は没落し、17才のとき、横浜にでてフランス人経営の洋酒醸造会社につとめた。ワインをのんで病気が治癒したことから、酒造業界でみをたてることを決意したっていう。
てはじめに、浅草に洋酒の一杯うり『神谷バー』を開店、しょうちゅうづくりと平行してにほんじんごのみのあまみぶどう酒を調整して「蜂印」として販売し、好評をえた。本格的ぶどう酒づくりのために養子の伝蔵をフランス・ボルドーに派遣し、ワインづくりの手法をまなばせるいっぽう、ぶどうづくりの敵地をもとめて茨城県(いばらきけん)牛久(うしく)の地を開墾し、拠点とした。ぶどう園をつくり醸造施設をふくむレンガづくりの「牛久シャトー」を完成させたのは1903年、40才代なかばだ。牛久シャトーの本館2階にはおおひろまをもうけ、東京から知己(ちき)の政府高官をまねいてパーティーをするほどの社会的地位をえとった。
事業にたいする着眼点はするどく、石油・銀行・炭鉱・汽船・印刷などにほんの近代化に必要な会社の創立や経営に関与しとる。また、故郷の発展をつよくのぞみ、三河鉄道にも創立からかかわった。1916年には社長となり、経営悪化からのたてなおしに貢献した。1922年、郷里までの延長をみることなく、66才で死去。2代め伝兵衛(伝蔵)も、のち三河鉄道の社長となった。終点「神谷」の駅名は伝兵衛の姓に由来する。〔石川始史〕
20160915 名鉄資料館 (6) 写真 - 松木島

横浜でフランス人経営の洋酒醸造会社につとめて、浅草で神谷バーをひらいて、茨城県(いばらきけん)で「牛久シャトー」をつくった、、、か。政府高官をまねいてパーティーをひらくまでになって、石油、銀行、炭鉱、汽船、印刷っていう、ひろい分野にわたる事業にかかわっとっただ。三河鉄道にかかわったのは、故郷の発展をおもってのことだったって。

20160915 名鉄資料館 (1)
20160915 名鉄資料館 (1) 玄関にかざってある動輪


(さんこう)