納屋橋にあそぶ - 2019年6月26日

2019.6.26 (28) 堀川 - 納屋橋ほりわりあと 2000-1500

2019年6月26日、納屋橋にあそんだ。2019年6月11日に堀川(ほりかわ)を宮宿から名古屋城まであるいたとこで、いちばんにぎやかな納屋橋にまたいってみたかっただ。午前中に名鉄かぶぬし総会に出席して、ほのあとのひるからのはなしになる。

◇            ◇

2019.6.26 (6) 堀川 - 納屋橋 2000-1500

午后1時まえ、納屋橋にとうちゃく。なんかいみてもうつくしいアーチ橋だ。

2019.6.26 (7) 納屋橋 - 旧加藤商会ビル 1960-1500
2019.6.26 (8) 納屋橋 - 旧加藤商会ビル 2000-1500

はしのひがしづめきたがわに旧加藤商会ビル。ふぜいのあるいしづくりのたてもんだ。

2019.6.26 (9) 堀川 - 納屋橋からかわかみをみる 2000-1500

はしのまんかなから、かわかみをみる。ビル群のまんなかをみなもがはしる。すてきなふうけいだ。

2019.6.26 (10) 納屋橋 - 旧加藤商会ビル 1500-2000 2019.6.26 (11) 納屋橋 - 旧加藤商会ビル(サイアムガーデン) 1470-2000

旧加藤商会ビルって見学できるのかな。いってみると、いりぐちのよこに料理のおしながきをかいたたてかんばんがたっとる。サイアムガーデンっていうタイ料理のみせになっとるだ。ここでひるごはんにすることにする。いりぐちをはいったとこでちょこっとまたされる。予約客がどんどんなかにはいっていく。

2019.6.26 (12) サイアムガーデン - 1階から2階え 1200-1560 2019.6.26 (13) サイアムガーデン - 2階廊下 1200-1600

ちょっとして、3階の席があいたってことで、おくの階段からうえにあがっていく。左右しろぬりのかべのうつくしい階段だ。うえはアーチになっとる。あがって堀川がわのまどにつきあたって、廊下でおりかえす。

2019.6.26 (14) サイアムガーデン - 2階から3階え 1200-1550 2019.6.26 (15) サイアムガーデン - 3階廊下 1500-2000

まあいっかい階段をあがっていく。また、廊下でおりかえしたとこで、女給さんがにっこりほほえんでくれる。タイはほほえみのくにだっていうけど、この女給さんもきっとタイのひとにちがいない。

2019.6.26 (16) サイアムガーデン - 3階まど 2000-1500

へやにとおされて席にすわる。へやのみなみがわと東南のがわに洋風のまどがあるだけど、東南のがわのまどは、かねのてじゃなくて円弧状になっとるのがしゃれとる。まどにはしろいレースのカーテン。天井にシャンデリア。まどをせに円弧状に配置されたながいソファー。すてきなへやだ。

2019.6.26 (18) サイアムガーデン - タイ風やきそば 1000-750 2019.6.26 (19) サイアムガーデン - マンゴープリン 1000-750

女給さんにいちばんからくない料理をたしかめて、パッタイっていうなまえのタイ風やきそばを注文。デザートにマンゴープリン。いや、こういうとこはおんなといっしょにくるべきとこだな。

2019.6.26 (20) サイアムガーデン - 2階まど 1600-1200

廊下のつきあたりのまどから堀川をながめたりしながらしたにおりて、勘定。

2019.6.26 (22) 納屋橋 - 欄干 1960-1460

はしのひがしづめみなみがわに納屋橋いしぶみを発見。はしのなまえは付近の地名をとってつけたとのこと。納屋っていう地名があって納屋橋にしたのか、あるいは、そもそも納屋橋っていう地名があってほれがほのままはしのなまえにもなったのか。ほいから、いまのはしは1981年にかけかえられたもんだけど、1913年にアーチ橋にかけかえられたときに欄干のまんなかにとりつけてあったもんどころを、ひきつづきとりつけとるっていう。もんどころは堀川を開削した福島正則のもんと、三英傑織田信長豊臣秀吉徳川家康のもん。また、はしのまんなかまでいって、かくにん。

2019.6.26 (26) 納屋橋 - 堀川散策えまき 2000-1040

納屋橋いしぶみのとこから、みなみにのびる堀川ぞいの遊歩道におりたとこで、堀川散策えまきっていうおおきなかんばんを発見。堀川や堀川にかかるはし、左右のまちなみなんかがきれいなえにかいてある。説明がきもあって、1610年に福島正則が開削したのは、宮宿の渡船場からきたに朝日橋までの6キロだったことがわかる。筆者は朝日橋からさらにきたに筋違橋まであるいた。堀川七橋ってよばれたのは、上流から五条橋、中橋、伝馬橋、納屋橋、日置橋、古渡橋、尾頭橋。ほれと、清洲五条川から移築したのは五条橋だけじゃなくて、伝馬橋もほだったってことがわかる。伝馬橋は美濃路が堀川をわたるとこのはしでもある。

2019.6.26 (28) 堀川 - 納屋橋ほりわりあと 2000-1500

遊歩道をまたみなみにあるいて、ふなつきばのみなみの護岸がへっこんどるのを発見。ここが納屋橋ほりわりのいりぐち部分だった。まえにあるいたときは納屋橋ほりわりあとのいしぶみをみただけで、じっさいにどこが納屋橋ほりわりなのかたしかめてなかった。こっから陸地内部にほりわりがほられとっただ。

2019.6.26 (33) 堀川 - 納屋橋(空心菜) 2000-1500

ところで、さんばしのきたがわのとこで、いっしょうけんめいに堀川のかわもの写真をとっとるおじさんがおる。こえをかけてみると、堀川1,000人調査隊のひとだっていう。しらんかったけど、堀川の浄化にとりくんどる団体だった。とっとったのはペットボトルのいかだにうえられた空心菜(くうしんさい)。うえたのは恵那農林高校の生徒らで、水質浄化能力をもつ空心菜がこの堀川でどいだけの効果を発揮するかたしかめとるだった。堀川1,000人調査隊のおじさんにも恵那農林高校の生徒らにもあたまがさがる。

2019.6.26 (32-6) 堀川 - 納屋橋(かわう) 1200-900

こんどはかわうだ。かわうがぼらをとっとるのがみえる。おじさんがおしえてくれてわかっただけど、そもそもこんなとこにかわうがおるだ。あたまをみずにつけてはぼらをくわえて、ほのままあたまをみずのうえにだしてからくびをうえにのばして、くわえたぼらをのどからおくにながしこんでいく。じつにおもしろい光景だ。しばらくながめて納屋橋をあとにする。


(さんこう)

名鉄かぶぬし総会 - 2019年6月26日

2019.6.26 (3) 金山 - ANAクラウンプラザホテルグランコート名古屋 1500-2000

2019年6月26日、名鉄かぶぬし総会に出席した。

◇            ◇

ふるい7時34分の弥富いき急行にのる。5004編成4両の5000系ぎんいろ電車。しんあんじょうで、さきにとまっとった4両編成の5000系ぎんいろ電車と合体して8両編成になったうえで、急行にかくあげ。神宮前で準急にかくさげ。8時16分、金山にとうちゃく。

名鉄かぶぬし総会の会場は、金山のえきまんまえのANAクラウンプラザホテルグランコート名古屋。開始時刻の10時にはまんだちょっとはやくて、喫茶店でいっぷく。9時ごろ会場いり。誘導がかりのひとがいっぱいおって、いったんエスカレーターで地下1階におりてから、エレベーターで7階の会場にあがる。うけつけ整理票の番号は504番。5004編成の電車にのってきて504番。奇遇だ。9時30分、映像がはじまる。

2019.6.26 (1) 金山 - 弥富いき準急 1600-1200 2019.6.26 (2) 金山 - ANAクラウンプラザホテルグランコート名古屋 1600-1200

会議の概要はつぎのとおり。

10時、開会。
安藤隆司(あんどうたかし)社長が議長になる。かぶぬし59,059名のうち議決権行使は19,182名。議決権数でいうと、1,954,912個のうち1,282,759個。監査報告。映像とかたりで事業報告。安藤隆司社長から対処すべき課題の説明(招集ご通知18ページ)。〔長期計画=「VISION 2030~未来への挑戦」と「長期経営戦略」/中期計画=「BUILD UP 2020」(2018年~2020年)/名駅再開発の事業着手にむけた計画の推進(周辺地権者や行政などとの協議や調整、再開発ビルの事業計画、交通結節点としての交通施設整備計画の検討)/名古屋都心部における積極的な不動産事業の展開/魅力ある沿線・地域づくりの推進/成長事業への積極的な投資と収益力の向上/グループ事業のさらなる収益力強化/イノベーションをうみだす組織風土づくりと生産性向上にむけたとりくみの推進〕
議案説明。第1号議案は剰余金処分の件。配当はひとかぶにつき、特別配当2円50銭をふくめて27円50銭。第2号議案はとりしまりやく全員任期満了につき15名選任の件。

10時25分から質疑。
◆ 504番いわせあきひこ。2027年名鉄名古屋駅再開発で30階だて南北400メートルの巨大ビルができる。巨大ビルのしたになるえきも現状の2線からふえて4線になるってきいとるけど、金山-名古屋-枇杷島間で複々線化が必要であり、ほのための準備もなされるのか。また、標準軌などレールはばのひろい線路にする準備をしておく必要があるっておもう。さらに、近鉄との連絡線も必要だっておもう。
◇ 鈴木清美専務から回答。えきは4線化するけど、線路はこれから検討。狭軌から標準軌への改軌は莫大な費用と労力がかかる。〔うすい反応〕

◆ 1402番おおたしんぞう氏。事業計画も議案にしてはどうか。複々線化はむりってはっきりいったほうがいい。
◇ 安藤隆司社長から回答。とりしまりやくかいが最高意思決定機関。かぶぬし総会では、法律できまったことに限定してはかる。

◆ 644番しばた氏。インバウンド対応をまっと。かぶぬし数がへっとる原因はなにか。
◇ 岩瀬正明専務から回答。多国語表示や Wi-Fi など努力しとる。柴田浩副社長から回答。かぶぬし数はよこばいってかんがえとる。外国人かぶぬしは増加。

◆ 105番とうまつ氏。外国語放送について、名鉄はおくれとるじゃないか。津島線利用者だけど、ローカル線にもしんがた車両の投入を。
◇ 岩切道郎とりしまりやくから回答。あさの時間帯の動向を集計して分析しとる。ひるまは緩急結合が中心。

第2会場へ
◆ 1425番ほんだひさお氏。トイレが不備である。藤川とか東岡崎とか。
◇ 安達宗徳とりしまりやくから回答。

◆ 188番なかたちゅうたろう氏の長男じん氏。名鉄名古屋駅再開発中、名鉄バスセンターはどうなるのか。
◇ 高崎裕樹専務から回答。周辺道路にバス停を配置することになるけど、これから協議していく。

第1会場にもどって
◆ やまだ氏。車両のかたちといろを統一してはどうか。
◇ 鈴木清美専務から回答。2とびら車はなくす予定。特定の2とびら車はなくさん。いろはあかがうりだったけど、塗装の問題で通勤車両をステンレスにおきかえとる。(※ 車両のことを「クルマ」って表現)

◆ 325番ふくい氏。よごれた車両もあるけど。
◇ 鈴木清美専務から回答。特急はしろいクルマで外板のよごれをとるため、洗浄はみっかに1回実施。
(※ 「みっかに1回」はききまちがえた可能性あり)

◆ 138番かなだ氏。電車に便所を。かぶぬし総会の時期をかんがえなおしてはどうか。
◇ 安達宗徳とりしまりやくから回答。おおくの課題があって現行のとおりになっとる。柴田浩副社長から回答。この時期が適当。

◆ 503番あだち氏。小牧よりきたの小牧線の充実をはかってほしい。平安通からみなみにのばす予定は。
◇ 鈴木清美専務から回答。複線化は需要動向をみて。平安通からみなみは名古屋市交通局のはなし。

また第2会場へ
◆ 461番くろやなぎ氏(おんな)。かぶぬし優待の充実を。とくに百貨店の。
◇ 柴田浩副社長から回答。検討をつづける。

◆ 529番すえひろ氏(おんな)。東岡崎の再開発がすすまず、昭和30年代のふぜいのまま。名鉄がおかねをだししぶっとるでだっていううわさ。
◇ 高崎裕樹専務から回答。岡崎市など行政関係との調整をはかってすすめとる。

◆ 377番よしざわ氏。第2号議案について、おんなのとりしまりやくがすくないじゃないか。
◇ 柴田浩副社長から回答。

また第1会場にもどって
◆ 158番まつい氏。600かぶ以上が対象となるかぶぬし優待証の発送とかぶぬし総会の通知の発送をいっしょにしてはどうか。ひるま乗客をふやす対策を。
◇ 柴田浩副社長から回答。発送時期は現行どおりとするのが適当。岩切道郎とりしまりやくから回答。沿線自治体と協力。岡崎、西尾、犬山でひるごはんとセットの企画商品を提供しとる。

◆ 430番あさの氏。配当が年に1回しかないけど、中間配当も。かぶぬし優待の充実を。岐阜バスなどは対象外だけど、これはつらい。
◇ 高田恭介専務から回答。配当は現行どおりとするのが適当。柴田浩副社長からかぶぬし優待について回答。

11時45分、安藤社長の提案で、両会場からあとひとりづつとすることに
第2会場から
◆ 562番おおの氏。名鉄名古屋駅再開発では百貨店にこだわらんでもいいじゃないか。
◇ 拝郷寿夫社長から回答。百貨店はつづけるつもり。

第1会場から
◆ 30番むらせ氏(おんな)。かぶぬし優待について、南知多ビーチランドやリトルワールド、明治村なんかの充実を。
◇ 柴田浩副社長から回答。

11時52分、採決。第1号議案可決。第2号議案可決。

11時53分、かぶぬし総会終了。

総会が終了してすぐに、さいきんのとりくみ、さいきんの交通サービスの紹介。
9500系。ネット予約サービス。バス、鉄道、タクシーにプラスしてライドシェア、カーシェア、シェアサイクルも。MaaS(マース)にとりくんでいく。スマホアプリの名鉄「Touch」も。
先端技術の活用として、尾張旭から愛知医科大学のあいだで自動運転バスの社会実験。かお認証システムの実験も。ドローンの社会実験に参加。名鉄ドローンアカデミーの開設。

11時59分、ぜんぶ終了。大局的見地からの質問がすくなくて、ささいなことについての質問がおおかったっていう印象。


(さんこう)

  • 乗車記録 - 2019年6月26日、すいようび、平日
    • ふるい 7:34 → (弥富いきふつう(しんあんじょうから急行、神宮前から準急)) → 8:16 金山
      〔31.8km、42分、45.4km/h、600円〕
  • 午前中は…|いわせあきひこ|フェースブック|2019年6月26日15:03
    • 午前中は名鉄のかぶぬし総会に出席。おわったとこで、あきひこゆめてつどうの読者ですっていうひとがこえかけてくれた。いつもたのしみにみてますよって。いやー、うれしかったわー。はげみになるわー。
    • なんであきひこゆめてつどうの作者かわかったかっていうと、質問するときにフルネームでしたのなまえまでなのったため。ようこいだけでわかってくれたもんだ。質問は、名鉄名古屋駅再開発にあたって、複々線化の準備までするのかっていう内容。まあ、あんまりはっきりした回答はなかったけどね。
  • 名鉄かぶぬし総会 - 2018年6月27日 - あきひこゆめてつどう|2019/06/23
    • 1年まえのはなし。2018年6月27日開催の名鉄かぶぬし総会のようすを紹介する。

尾西歴史民俗資料館にいってきた - 2019年7月とおか

2019.7.10 (5) 尾西歴史民俗資料館 - 旧林家住宅 2000-1500

きのう2019年7月とおか、起(おこし)にある尾西歴史民俗資料館へいってきた。起にいくのはこいで3回めになる。

◇            ◇

おくれてきた、ふるい8時17分のしんあんじょういきふつうにのる。6011編成2両の6000系かんつうがた。座席配置はベンチシートで、まどのカーテンつき。あなあきジーンズにくろいくつのおんなのこや、ミニスカジーンズにしろいくつのおんなのこをふくめて、ふるいからのったのは24人。つぎのみなみあんじょうも3分おくれでしゅっぱつ。ここでははんたい電車をまってしゅっぱつするだけど、はんたい電車もおくれとるだ。東海道線をこえるとこで、ちょうどにしいきの電車と交差。いま推測してみるに岐阜いきふつうだったか。定刻の8時26分から3分おくれでしんあんじょうは2番のりばにとうちゃく。これをまつのももどかしそうに、1番のりばにとまっとった吉良吉田いきふつうがでていく。

名古屋本線にのりかえるだけど、8時28分の須ヶ口いき特急はでてっちゃったあと。むかしはこれにのりかえれたし、西尾線がおくれてのりかえれんくなっちゃうときはちゃんと車内放送でおしらせがあっただけど、ほれもあやへん。ちなみに、あとで名鉄ののりかえ検索でみてみたら。8時26分しんあんじょうとうちゃくからののりかえは、8時35分岐阜いき特急にかわっとった。特別車両券をかったうえで、4番のりばにやってきた、ほの8時35分の岐阜いき特急にのる。6両編成の2200系こおろぎで、定刻にしゅっぱつ。わが座席は特別車2号車7A。みぎまどがわのはしらかげで、となりの7Bはおんなのひと。座席は5わりうまっとる。前列の8Aと8Bの2席はおんなのひとがひとりがけだっただけど、境川のへんで車内精算しとった。名古屋をでて、8Aに移動。やっぱりはしらまえがいい。車内精算したおんなのひとが金山でおりたで、ほこに移動しただ。9時24分、一宮にとうちゃくするっていう車内放送。名古屋からはのろのろ運転。

2019.7.10 (1) 岐阜いき特急 - 西枇杷島 1600-1200

はばのせばいみかづきホームで有名な西枇杷島をのろのろ通過。はんたいホームに数人まっとるのがみえる。通過中にパノラマスーパーとすれちがい。新川橋ものろのろ。ホームをすぎてほのまま新川をわたるだけど、鉄橋のうえではとまりそうにさえなった。新清洲を通過したとこで、ようやく名鉄らしいはやいはしりをとりもどす。国府宮のてまえで、みぎたんぼんなかに名古屋文理大学。あっかい電車に車体広告をだしとるあの名古屋文理大学ってこんなとこにあっただ。あとでしらべたら、ここは稲沢市市民会館だって、命名権をかって名古屋文理大学のなまえをだしとるだけだった。大学はまあちょっといった線路のひだりがわで、国府宮のまちにはいったとこにあった。国府宮をでてまもなくの9時24分、一宮にとうちゃく。下車。

一宮は、高架のホームからおりて地平のかいさつをでて、南北自由通路はんたいがわひだりおくにあるバスターミナルに移動。いちばんてまえにある2番のりばから起いきバスにのるだけど、あれ?起いきばすじゃないじゃん。これまできづかんかったけど、起にいくバスのとちゅうの尾張中島バス停から分岐する、蓮池いきと西中野いきのバスがあるだ。あさゆうは10分おき、ひるまは15分おきに起いきバスがあるだけど、なかにいきさきのちがうバスがはさがっとるだ。とまっとったのはしゅっぱつ直前の蓮池いきバス。つぎの起いきバスは15分あと。まあ、尾張中島バス停から起バス停まであるいていけんきょりじゃないで、このバスにのっちゃうかってことで、名鉄一宮駅9時31分の蓮池いきバスにのる。

2019.7.10 (2) 尾張中島バス停 - 蓮池いきバス 1980-1500

バスどおりをにしにすすんで、9時43分、尾張中島バス停にとうちゃく。下車。バスが尾張中島交差点をひだりにまがっていくのをみおくって、ひとりバスどおりをにしにあるく。この交差点をわたって、ひだりにOK銀行尾西支店。むかしながらの銀行ってかんじのふるいたてもんだ。ついでだでってことで、ピピットでおかねをおろしていく。カードも通帳もなし、てのひら認証だけでおかねがおろせるってのはべんりなもんだ。またすすんで、ひだりに一宮警察署尾西幹部交番。交番にしてはおおきいだけど、コンクリートづくり2階だてのちいさなたてもんだ。みぎに三岸節子記念美術館がみえてくる。おりもん工場をまねたさんかくやねがとくちょうのたてもんだ。起工高・三岸美術館前バス停にとうちゃく。三岸節子記念美術館は2回めにきたときにおとずれた。ちからづよい作風がとくちょうだ。バス停のすぐひだりが起工業高校で、いちばんみちよりにたっとる体育館のなかから体育の授業をうける生徒らのこえがきこえてくる。またすすんで、みぎに、3軒ならびのあたらしいつくりの2階だて住宅。おくゆきはあさく、なんかの事業所用しきちのあとち活用か。ひだりに6階だてマンション。みぎにマツモトキヨシ。薬局業界も競争がきびしいってきく。

ななし信号交差点を直進。急にみせがおおくなって、商店街の街路灯も起商店街のもんにかわる。ひだりに森医院。おんなじとこで、みぎにイワコシ酒店。

2019.7.10 (3) 新栄町バス停 - 起いきバス 2000-1500

10時ちょうど、あるいて新栄町バス停にとうちゃく。バスまちをするひとが3人。ちょうど起いきバスがやってきてのりこんでいく。おれがまちきれんかったバスだけど、運転士さんはおんなの運転士さん。まちゃよかった。バス停のむかい、バスどおりのみぎにスーパーカネモト。やけにでっかいたてもんだなっておもったら、高層住宅の1階がスーパーになっとるだ。ちょうどたばこがきれかけとって、なかにはいってレジのおねえさんにきいてみると、ない。おくのほうにいってきいてくれて、イワコシ酒店ならあるっておしえてくれる。いまとおりすぎてきたとこだ。もどってたばこをかう。しなぞろえはなく、なんねんかぶりのショートホープにする。1はこ。またバスどおりをにしにあるいていく。イワコシ酒店のにしにも数軒の分譲住宅。スーパーカネモトのてまえひだりがわ、みちからおくにはいったとこに、コンクリートづくり4階だての廃虚アパートがみえる。ひだりどなりは木造2階だて住宅。起・東茜屋交差点をこえて、ひだりに喫茶のどか。1回めにきたときにはいった喫茶店で、店主のおばあさんとしたしくはなしたとこだっただけど、2枚のシャッターの1枚しかあがってなくて、いりぐちんとこにいってもおばあさんのすがたはみあたらん。旧映画館 tomida のみぎおくに廃屋。体育館みたいなはしらのないつくりでなかがひろいたてもんなだけど、ここが映画館だったのか。

2019.7.10 (4) 起バス停 - 起いきバス 1970-1500

10時18分、あるいて起バス停にとうちゃく。おんなのひと3人がのりこんでいく。起はひんぱんにバスがくるべんりなとこだ。バス停のとこのよつつじをきたにはいって、珈琲庵倭でいっぷく。ここも1回めにきたときにはいった喫茶店だ。おばあさんたちの一団がでたのといれかわりにはいっただけど、まんだみせんなかはじもとのひとたちでいっぱい。席はみっつあるおおきなテーブルがすべてで、ほのひとつにすわって、キリマンジャロコーヒーを注文。さいしょに、ビニールづつみのちいさなおかしがふたつでてくる。つづいて、ちゃいろいまるいせともんにはいった半熟たまごと、みかんののったヨーグルト。たのんだキリマンジャロコーヒーがでてきてこいでおわりっておもったら、さらにトースト2枚。どいだけ~ってかんじだ。トーストの1枚はしおあじ。うまいな。さいきんこのへんでどろぼうが横行しとるらしく、みんなほのはなしでもちきり。あとからはいってきていちばんみぎおくにすわった、ももいろのTシャツをきたご婦人がまえにここに案内してくれたひとかな~ともおもったけど、確信がもてんくてこえをかけずじまい。420円なりをはらってみせをでる。

バスどおりと交差するよつつじをみなみにはいっていく。東南かどに喫茶軽食レインボー。1回めにきたときはしまっとっただけど、きょうはあいとる。ちょうどおじいさんおばあさんの老夫婦がでてきて、店主らしいおんなのひとがみおくりをしとる。みせんなかもはやっとりそうなかんじだ。すすんで、ひだりに茶工房ギャラリーまつや。定休び。みぎ、よつつじの西南かどになるとこに、北面だけがレンガづくりの外壁になっとる木造住宅がある。一部2階だてのひらや住宅なだけど、レンガづくりの外壁はもともとこうばかなんかだったもんの一部を記念にのこしたもんか。このよつつじからにしにはいっていく。T字にあたってとこをちょこっとみぎにいったひだりに、くろい門塀に土蔵のあるおやしき。もどってT字からみなみにすすんで、ひだりに徳行寺のおてら。おてら西南かどのよつつじを、にしにほそいみちをはいっていく。このよつつじ西南かどにはのこぎりやねふたつのたてもん。おりもんこうばのあとにちがいない。おりもんは起の伝統産業だ。

つきあたって、南北にはしる美濃路にでる。つきあたったみちのむこうに尾西歴史民俗資料館の別館にもなっとる旧林家住宅。美濃路をきたむきにながめたとこで、みぎにいしぶみを発見。いってみると、本陣と問屋場(といやば)のあとのいしぶみがある。1回めにきたときに、にわさきにでてきとったおじさんにきいたとおり、わき本陣である旧林家住宅のむかいに本陣はあった。本陣と問屋場いしぶみにならんで、国学者加藤磯足(かとういそたり)邸あとのいしぶみ。説明がきに、「江戸中期の11代当主で、本陣職をつとめるかたわら、木曽川づつみの自普請や村政にもちからをつくし、国学者本居宣長の高弟として学問にも熱心で、尾張を代表する文化人でもあった」ってかいてある。自普請(じぶしん)ってのは、じぶんでかねをだして工事をやったっていう意味だ。加藤磯足っていうなまえ、おぼえときたい。

2019.7.10 (5) 尾西歴史民俗資料館 - 旧林家住宅 2000-1500

旧林家住宅にはいって見学。きのはしら、きのはり、きの天井。たたみに、障子に、おおいにおおわれた蛍光灯に、えんがわのゆらゆらガラス。最高の空間だ。おもやがあって、わきおくにはなれがあって、まんなかにこけむすにわがある。たてもんはぞんがいにあたらしくて、1913年に再建されたもん。はなれのほうはまっとあたらしくて、昭和になってからたてられたもん。1891年の濃尾地震で倒壊しただ。

コンクリートづくりの本館にはいって、さいしょに「歴史街道美濃路をあるく」っていうおりたたみの地図をかう。200円。美濃路はこの起宿のほか稲葉宿もおとずれたことがあるだけど、こいでほかのとこにもいける。入館料は無料でほのままはいっていきゃあよかっただけど、館員とはなしができんのもさびしいってこともあって、この地図をかった。旧林家住宅の建築年なんかもこのとき、うけつけのおねえさんからきいた。

展示室にはいって、美濃路と佐屋路の地図にめがとまる。美濃路は、東海道は宮宿から分岐して西北にすすんで中山道は垂井に短絡するわき街道。佐屋路は、おんなじ東海道は宮宿から分岐するだけど、陸路をにしに佐屋までいってから海路でまた東海道の桑名宿にもどるっていう街道。いまは名鉄津島線の佐屋いき急行がまさにこの経路をとる。

2019.7.10 (6) 尾西歴史民俗資料館 - 起五ヶ村の地図(1891年ごろ) 1620-1290

つぎに起5か村の地図。起村一村じゃあ人馬役をになえず、隣接する富田、西五城、東五城、小信中島(このぶなかしま)の4村が加宿としてになったとのこと。小信中島ってのは2回めにきたときにきいたぞ。三岸節子記念美術館の所在地が小信中島だった。起はもともとおおきなむらじゃなかっただ。

べつの地図に木曽川長良川揖斐川の別名がかいてある。それぞれ起川、墨俣川、佐渡川(さわたりがわ)っていうなまえだけど、じもとじゃあこっちをつかっとったみたいだ。起川と墨俣川のあいだに小熊川っていうのもあって、美濃路は起から西北に、起のわたし、小熊のわたし、墨俣のわたし、佐渡のわたしって、たてつづけによっつもかわをわたっていかにゃいかんかっただ。いや、陸路でもけっこうたいへんだっただ。

2019.7.10 (8) 「産業と観光の一宮市とほの付近」(ひだり) 1890-1020

こんどは一宮市鳥瞰図。新一宮のえきからずーっとひだりに起までのびる名鉄起線がくっきりみえる。路面電車の起線が道路のまんなかをはしっとる。とちゅうのえきとして、まんなかに三条のえきがみえる。沿線にはおりもんこうばがいっぱい。じもとのひとなら、いずれかのこうばにおもいいれもあったりして、とってもなつかしい図だらあ。いま三岸節子記念美術館になっとる三岸節子の生家のおりもんこうばも、いずれかのひとつか。起工業学校はいまも起工業高校としてこの位置にある。

2019.7.10 (11) 尾西歴史民俗資料館 - 蘇東線起停留所 1600-1600 2019.7.10 (12) 尾西歴史民俗資料館 - 昭和10年代の電車どおり 1700-1310

おーっ!往時の起線の電車の写真もある。そもそも起にくるようになったきっかけがこの起線だっただ。路面電車からバスに転換していまはどうなっとるかってことをたしかめに起をおとずれた。ついでに美濃路のしゅくばまち起宿だったってこともわかって、美濃路をあるいて渡船場(とせんば)のあとをたずねたりしとる。写真の説明がきに蘇東線(そとうせん)ってかいてあるのは、起線になるまえの路線名だ。

1945年から1955年ごろの起町地図も興味ぶかい。美濃路のひがしがわのたんぼだったとこが市街地化されて、おりもんこうばがいっぱいたっとるのがわかる。

濃尾大橋についての解説もある。1956年に開通して、江戸時代からつづいとった起と駒塚をむすぶわたしぶねが廃止になる。ちなみに、濃尾大橋は1969年まで有料だったとのこと。ほれぐらいのすごいはしなだ。いってみるとようわかる。

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見学をおえて、美濃路をきたにあるく。バスどおりをよこぎる。ひだりに船橋河戸(ふなばしごうど)のあと。みぎに土蔵。むかしのおもかげののこるまちなみをいく。ひだりに瓦屋。

2019.7.10 (13) 起宿 - 本誓寺(ほんせいじ)の楼門 2000-1500

美濃路からほんのちょこっとはずれて、みぎにさかをおりるとちゅうに本誓寺(ほんせいじ)の楼門。中国風のつくりなだけど、境内はほっからまたひくい位置にあって、楼門からみる本堂のようすが、がくぶちのえみたいにおもしろい。楼門の額に「起崋山」の文字。本誓寺のきたに宮河戸(みやごうど)あとのある大明神社(だいみょうじんじゃ)。ここは1回めにきたときにもおとずれとるだけど、社務所が起守城公民館もかねとることをかくにん。境内にある起のおおいちょうもさいかくにん。また、美濃路をきたにすすんで、ひだりに天然記念物の加納邸のいぶき。大垣一宮線の道路をくぐる。この道路がすぐひだりに濃尾大橋につながる。1回めにはこっちのほうまできただけど、ここでひきかえした。起宿もこのへんまでだらあっておもってのことだっただけど、みっつある渡船場のうちでいちばん重要ないちばんきたの渡船場がここよりきたにいったとこにあるってことで、こんかいはさらにきたにあるく。

みぎに亜杏(あき)ビューティーサロン。個人宅の一角にたてられた美容室だ。この美容室はいくつかある例外のひとつだけど、むかしのおもかげののこるまちなみはつづく。ところどころにあきち。

2019.7.10 (14) 起宿 - 土蔵 1340-1800

みぎに2階だてでくろぬりのりっぱな土蔵。后藤宅。この土蔵のむかい、ひだりの住宅にも2階だての土蔵。土蔵なだけど、外壁にいしやタイルをつかった洋風の外観で、あるいはあとで住居に改造しとるのかもしれん。また、すすんで、ひだりに木造2階だての丹羽宅。ほのすぐきたがよつつじになっとって、よつつじのはすむかいに木造2階だての湊屋。まあちょっとすすんで、みぎに土蔵。ほのとなりに二連ののこぎりやね。いまもおりもんこうばをやっとるのかどうかはわからん。湊屋にもどってひるごはん。これが旧湊屋文右衛門邸のたてもんなだけど、いまは茶店湊屋にかわって、水、土、日に営業しとるだ。ライスカレーを注文。500円。湊屋のにしにむかしはみちはなかった。みなみからきたにきた美濃路は、湊屋につきあたってにしにまがっとっただ。まがってすぐが、いちばんきたの渡船場である定渡船場になる。湊屋文右衛門はこの有利な立地をいかして、てびろく商売をやって財をなしたらしい。

よつつじからにしにいって、すぐに起第一陸閘にあたる。1954年3月完成。1回めにきたときには、船橋河戸のとこにあった起第二陸閘をおとずれた。起第一陸閘で堤防道路をくぐって、木曽川のかわらにでる。

よつつじまでもどるわずかのあいだのきたがわに金刀比羅神社。ここが定渡船場があったとこだ。境内、とりいてまえみぎに巨大な常夜灯。手水舎(ちょうずしゃ)でてとくちをきよめてから拝殿におまいり。手水舎と拝殿は、ももいろのコンクリートづくりだった。おまいりのあと、境内の休憩所でいっぷく。かべなしの木造のたてもんで、うちがわの周囲がコンクリートベンチになっとって、ほこにはいざらがおいてあるだ。たばこすいにはうれしい。いっぷくしおえて、3回めの起のたびをおえる。


(さんこう)