りぶらで「昭和をかけぬけた名鉄電車たち展」をみてきた - 2020年8月27日

2020.8.27 (15) 旧大樹寺駅(ジオラマ) - ホーム 2000-1500

2020年8月27日、岡崎りぶらにいって「昭和をかけぬけた名鉄電車たち展」をみてきた。展示会のようすといきかえりのようすをあわせて、以下に紹介する。
〔康生町バス停まで〕〔昭和をかけぬけた名鉄電車たち展〕
〔バスで矢作まで〕〔東岡崎まで〕〔ふるいにもどる〕

◇            ◇

康生町バス停まで

2020.8.27 (1) ふるい - しんあんじょういきふつう 2000-1470

ふるい9時25分のしんあんじょういきふつうにのって、西尾線をきたにすすむ。電車は2両編成鉄仮面のあっかい電車。

2020.8.27 (2) しんあんじょういきふつう - みなみあんじょう(吉良吉田いき急行) 1600-1200

みなみあんじょうで吉良吉田いき急行といきちがい。電車は、きんぎょばちと鉄仮面を連結したあっかい電車。ふつう客室にのっとる作業員さんが、助手席にのっとるのがめずらしい。

9時32分、しんあんじょうは2番のりばにとうちゃく。とうちゃく直前に5番のりばから豊橋いき特急のパノラマスーパーがでていくのをかくにん。名古屋本線豊橋方面の電車がおくれとるだ。

5、6番のりばに移動。まんだ5番のりばにおった、しんあんじょう9時32分の豊川稲荷いき急行にとびのって、名古屋本線をひがしにすすむ。いや、おくれとったせいで、のれるはずのない電車にのれた。電車は6両編成で、まえ4両がきんぎょばちのあっかい電車、うしろ2両がこおろぎ塗装の電車。こおろぎ塗装ってのは、本来あっかい電車だったやつをこおろぎ特急風の塗装にぬりかえたやつのことだ。

2020.8.27 (4) 東岡崎 - 豊川稲荷いき急行 1600-1200

9時45分、東岡崎は3番のりばにとうちゃく。

2020.8.27 (5) 奥殿陣屋いきバス - 東岡崎しゅっぱつ 1160-900

名鉄バスにのりかえ。しゅっぱつまぎわの奥殿陣屋(おくとのじんや)いきバスにとびのる。東岡崎9時40分のバスで、これものれるはずのないバスにのれた。

2020.8.27 (6) 康生町バス停 - 奥殿陣屋いきバス 1950-1500

菅生川(すごうがわ)をきたにわたって、9時45分、康生北交差点のとこにある康生町(こうせいちょう)バス停にとうちゃく。

昭和をかけぬけた名鉄電車たち展

康生町バス停からにしにあるいて、りぶらにとうちゃく。「昭和をかけぬけた名鉄電車たち展」開催中の岡崎むかし館にはいる。りぶらんなかに岡崎むかし館がある。

2020.8.27 (7) 名鉄電車たち展 - はしれ!名鉄特急 2380-1880

「はしれ!名鉄特急」のパネル展示。現役のパノラマスーパー、こおろぎ特急、ミュースカイ、貴婦人特急のほか、なつかしのパノラマカーやパノラマデラックスものっとる。

2020.8.27 (8) はしれ!名鉄特急 - 1700系(登場時) 1710-1260 2020.8.27 (9) はしれ!名鉄特急 - 1700系(新塗装) 1850-1390

貴婦人特急の説明にこうかいてある。
「1700系2両の特別車と2300系4両の一般車で構成された6両編成の総称を1700系とよびます。2008年のダイヤ改正で、ミュースカイをのぞき全車特別車の特急を廃止することになり、それまでの1600系を改造して1700系(特別車)としたもので、2300系の一般車と編成をくんではしっております。2015年からは外観の塗装も変更されました」。
いや~、1700系貴婦人かっこいいよな~。当初の塗装もかっこいいし、いまの塗装もかっこいい。ほいで、ここに写真はないけど、前身の1600系はさらにかっこいい。

2020.8.27 (10) はしれ!名鉄特急 - パノラマDX 1550-980

パノラマデラックスはわが西尾線をはしっとった特急だ。なのについにのらんじゃったことが、くやんでもくやみきれん。

2020.8.27 (11) 名鉄電車たち展 - 旧大樹寺駅(パネル) 1500-2000

大樹寺駅(だいじゅうじえき)のパネルをよんでみる。
「1973年3月に廃止された名鉄挙母線(ころもせん)の旧大樹寺駅は、1924年12月27日、岡崎電気軌道のてによって郡部線(岡崎井田(おかざきいだ)-門立(もだち)間)が開業したさいにもうけられました。その后、1929年12月18人地に三河鉄道が上挙母(うわごろも)-三河岩脇間を開通させ、三河岩脇で郡部線とむすび「岡崎線」としました。このとき、大樹寺以北の架線電圧を1500ボルトにして、大樹寺駅で市内線の電車と連絡するようにしました。ここ『むかし館』に展示されとる旧大樹寺駅のHOゲージ(80分の1)模型は、廃止まえのえきをおもいえがいて作成されたもんで、忠実に再現したもんではありません。挙母線がかつやくしとった時代のふんいきをあじわっていただければとおもいます」。
「おんなじホームで挙母線の電車(みぎ)と市内線の電車(ひだり)がのりかえできる便利な構造でした。挙母線の廃止后もバスのまちあいしつとして利用されておりましたが、1985年に現在のもんに改築されました(パネル作成:NPO法人名古屋レール・アーカイブス)」。

いや~、廃止のときおれ高校1年生だっただけど、いとこつれて大樹寺から挙母線にのりにいっただよ~。まあ、当時はカメラももってなくて、えきがこんなふうだったかどうかもぜんぜんおぼえてないだけどね。でも、ざんねんだな~。

ほいで、この挙母線、さいしょは岡崎電気軌道の郡部線っていうなまえだって、ほれが三河鉄道の傘下にはいって岡崎線っていうなまえにかわって、さらにあとになって挙母線っていうなまえになっただ。いろんな経緯をへた路線だっただね。ただ、かいてないけど、さいしょの開業が門立までだったのは、ほのさき足助までのばす計画だったでだ。このこともわすれたくない。

2020.8.27 (12) 旧大樹寺駅(パネル) - ホーム 1700-1100

ところで、「おんなじホームで挙母線の電車と市内線の電車がのりかえできる便利な構造」ってのは、こういうことだ。市内線の電車は路面電車のためゆかがひくい。ほれがふつうの電車用のホームにとまったじゃあ、のりおりができやへん。ほいでかんがえて、市内線の電車のとまるがわを階段状にして、のりおりができるようにしただ。いや~、感心するわ~。

2020.8.27 (14) 旧大樹寺駅 - ホーム(藤井建さん) 1760-1350
2020.8.27 (13) 名鉄電車たち展 - 旧大樹寺駅(ジオラマ) 2000-1440

大樹寺駅のジオラマ

2020.8.27 (15) 旧大樹寺駅(ジオラマ) - ホーム 2000-1500

のりかえホームをみてみると、おー!市内線の電車のとまるがわがちゃんと階段状になっとる!

市内線の写真も展示してある。

2020.8.27 (16-1) 康生北交差点 - 市内線電車(1960年) 1690-1110

1960年。康生北交差点付近にとまる市内電車。康生北交差点は、南北のめぬきどおり本町どおりと、東西のめぬきどおり康生どおりが交差するとこで、ここが岡崎の中心だ。

2020.8.27 (17) 康生北交差点 - 市内線電車(1962年) 1340-1100

1962年。市内電車さいごのひ。康生北交差点付近。このとしおれは保育園の年長。ざんねんながら市内電車にのる機会はなかった。

2020.8.27 (18) 明大寺本町交差点 - 市内線(1962年) 1560-1300

1962年。名鉄電車のなかから明大寺本町(みょうだいじほんまち)交差点付近をみる。なるほど、ちゃんとみちのまんなかに複線の線路があるわ。

2020.8.27 (19) 旧国鉄岡崎えきまえ - 市内線電車(1962年) 1500-1230

1962年。旧国鉄岡崎えきまえに停車中の市内線電車。電車おりて、ほのまま駅舎にあるいていけただ。

バスで矢作まで

さて、見学をおえて、りぶらから康生どおりにでて、岡崎公園前バス停から矢作にいく。矢作にひるごはんをたべにいくだ。ちなみに、名古屋本線岡崎公園前駅とはべつのばしょ。

2020.8.27 (20) 岡崎公園前バス停 - JR岡崎駅いきバス 1570-1200

ひがしいきのバスで東岡崎にでて電車にのりかえる方法と、にしいきのバスで直接矢作にいく方法があるだけど、ひがしいきのバスのほうがさきにくるってことで、まつ。いや、まてどもこんくてあきらめる。みちのみなみがわにわたって、にしいきのバスをまっとるとこで、ひがしいきのバスがいくのをみおくる。

2020.8.27 (21) 岡崎公園前バス停 - JRあんじょうえきいきバス 1600-1200

すぐににしいきのバスがきて、のる。岡崎公園前バス停11時47分のJRあんじょうえきいきバス。ところで、この康生どおりのさびしいこと。一見都会のふうけいだけど、じつはマンションがいっぱいたっちゃっとって、むかしみたいなにぎわいはぜんぜんない。

2020.8.27 (22) JRあんじょうえきいきバス - 竜城橋(岡崎城) 1400-1050

康生どおりからすぐに国道1号線に合流して、竜城橋(たつきばし)をわたるとこで、ひだりに岡崎城をみる。

2020.8.27 (23) 矢作バス停 - JRあんじょうえきいきバス 1600-1200

矢作川をわたって、11時53分、矢作バス停にとうちゃく。

2020.8.27 (24) とんかつのツヅキ - チーズかつ定食 1600-1200

きたにあるいて、東海道ぞいとんかつのツヅキにはいって、ひるごはん。たのんだのはチーズかつ定食。ごちそうさまでした。

東岡崎まで

とんかつのツヅキから国道1号線をよこぎって矢作橋のえきまであるいて、こんどは電車。

2020.8.27 (25) 矢作橋 - 一宮いき急行 1970-1500

かいさつをはいったとこで、2番のりばを一宮いき急行のあっかい電車がいくのをみおくり。どういうわけか減速していく。うしろにぎんいろ電車を連結。

2020.8.27 (26) 矢作橋 - 豊橋いき特急 1600-1200

3番のりばを豊橋いき特急のこおろぎ特急がいくのをみおくり。

2020.8.27 (27) 矢作橋 - 豊川稲荷いき急行 1600-1200

また3番のりばを豊川稲荷いき急行のあっかい電車がいくのをみおくり。うしろにこおろぎ塗装の電車を連結。車掌さんのかわいいこと。

2020.8.27 (28) 矢作橋 - 岐阜いき特急 2000-1500

2番のりばを岐阜いき特急のパノラマスーパーがいくのをみおくり。

さて、3番のりばにやってきた、矢作橋13時11分の東岡崎いきふつうにのって、名古屋本線をひがしにすすむ。電車は、ざんねんんがらぎんいろ電車。

岡崎公園前で岩倉いきふつうのぎんいろ電車とすれちがい。

13時15分、東岡崎は4番のりばにとうちゃく。

2020.8.27 (30) 東岡崎 - 豊橋いき快速特急(1702) 2000-1500

すぐあとに3番のりばに豊橋いき特急の貴婦人特急がはいってくるのをかくにん。いや、のこり2本しかなくなった貴婦人特急がみれるってうれしい。

かいさつをでて、岡ビル1階のロッテリアでいっぷく。

ふるいにもどる

2020.8.27 (33) 東岡崎 - 新鵜沼いき快速特急 1960-1500

いっぷくをおえて、かえりの電車。2番のりばから新鵜沼いき快速特急パノラマスーパーがでていくのをみおくり。

2020.8.27 (32) 東岡崎 - 犬山いきふつう 1600-1500

1番のりばでまちあいをしとった、東岡崎14時24分の犬山いきふつうにのって、名古屋本線をにしにすすむ。電車は2両編成きんぎょばちのあっかい電車。

2020.8.27 (34) 犬山いきふつう - 岡崎公園前(東岡崎いきふつう) 2000-1500

岡崎公園前東岡崎いきふつうのあっかい電車とすれちがい。

2020.8.27 (35) 犬山いきふつう - 宇頭(豊橋いき特急) 1600-1200

宇頭(うとう)で豊橋いき特急のこおろぎ特急とすれちがい。

2020.8.27 (36) しんあんじょうてまえ(豊川稲荷いき急行) 1420-1200

しんあんじょうがちかづいたとこで、豊川稲荷いき急行のあっかい電車とすれちがい。

14時34分、しんあんじょうは3番のりばにとうちゃく。

2020.8.27 (37) しんあんじょう - 西尾いきふつうと犬山いきふつう 1570-1200

2番のりばに移動。しんあんじょう14時37分の西尾いきふつうにのって、西尾線をみなみにすすむ。電車は2両編成鉄仮面のあっかい電車。いきとおんなじ電車だ。

みなみあんじょうで佐屋いき急行といきちがい。電車は、鉄仮面ときんぎょばちを連結したあっかい電車。これも、いきにここでいきちがいをした電車とおんなじ電車だ。

14時45分、ふるいにとうちゃく。うちにもどる。


(さんこう)

桑名くうしゅうと六華苑

きのうのブログ記事にかいたとおり、2020年8月25日、桑名の六華苑(ろっかえん)にいってきただけど、いくきっかけになったのが1年まえ、2019年7月23日ちゅうにちゆうかんにのった「桑名くうしゅう74年ルポ」っていう記事。要約するとこういうことだ。

大東亜戦争末期の1945年、桑名は6回もくうしゅうをうけた。とりわけ7月17日と7月にじゅうよっかのくうしゅうがはげしかった。六華苑は当時諸戸清六邸だっただけど、くうしゅうにそなえてにわにおおきな防空壕をつくった。私的防空壕だ。予期したとおり、諸戸清六邸もくうしゅうの被害をうけた。にわのいけに爆弾がおちて、いけぞこにおおあながあいた。ほれと、爆風で洋館のくるまよせもふきとばされた。くるまよせが再建されたのは、たてもんが市に移管されたあとの1993年のこと」。

いや~、観光客には、地下の防空壕もいけぞこのおおあなもめにはいらんし、洋館のくるまよせも、みためにはあとで再建したようなかんじはないだけど、あとひとつきもまたんで戦争がおわるってときに、こんなかなしいことがおこっとっただ。

記事の全文はつぎのとおり。

◇            ◇

桑名くうしゅう74年六華苑ルポ

(2019年7月23日 - ちゅうにちゆうかん)

三重県桑名市がほこる観光名所「六華苑(ろっかえん)」。くにが名勝に指定する庭園や、貴重な近代建築としてくにの重要文化財となっとるたてもんがおおくの観光客をたのしませるいっぽう、防空壕など戦争のつめあとものこる。市街地がやけのはらとなった桑名くうしゅうから74年。被害がおおきかった7月にじゅうよっかをまえに優雅な苑内をあるきながら、ちょっとだけ平和についてかんがえた。
(谷村卓哉さん)

名所にねむる戦争のかげ

六華苑は、実業家としてなをはせた2代め諸戸清六(もろとせいろく)1888年~1969年)の邸宅として、1913年に完成。鹿鳴館の設計で有名なイギリス伊zん建築家ジョサイア・コンドルが建設にかかわり、4層の塔屋をもつ木像2階だての洋館や和館、池泉回遊式庭園などがある。明治大正期を代表する文化遺産としてしられ、1990年に諸戸家が市にたてもんを寄贈。翌年、しきちを市が購入した。

【図:苑内案内図、防空壕立体図】
【写真:コンクリートづくりの防空壕内部/あめのあとで、そこにはみずがたまっとった】

天井に通気あな、堅固な私的防空壕

防空壕は、苑内にしがわのもりのなかにある。そばを散策路がとおるが、いりぐちは鉄板でふさがれ、きづかずとおりすぎてしまうひともおおいはずだ。ふだんは非公開だが、とくべつに許可をえてなかにはいった。

「ああ、やはり・・・。つゆどきはだめですね」。文化財保護を担当する市観光文化課の水谷芳春主観がざんねんそうにはなした。ながぐつをはいて8段の階段をおりると、10センチほどあまみずがたまった暗黒のコンクリートべやにたどりついた。いりぐち付近には、とびらがあったことをしめすきわくや、電球のスイッチのあとものこされとった。

へやはおくゆきおよそ5.8メートル、はばおよそ1.9メートル、たかさおよそ2メートル。おとなが20人ていど、にげこめるだらあか。天井には電球の設置あとと地上につうじる通気あながふたつ。ちかくのいけへぬける排水溝もそなわる。かべのあつさは不明だが、階段のコンクリートかべのはばは17センチもあり、ひじょうに堅固な防空壕だとわかる。

清六がくうしゅうにそなえて計画的につくらせたのはまちがいなく「本人やたいせつな使用人の私的な防空壕だった可能性がある。時間とおかねがかかっており、政財界とふといパイプのあったかれた、戦況をきちんと把握しとったのでは」と水谷主幹はみる。

桑名くうしゅう
太平洋戦争末期の1945年、戦闘機の部品などを製造する大規模な軍需工場があった当時の桑名市は、アメリカ軍のくうしゅうを計6回うけた。とくに7月17日、にじゅうよっかのくうしゅうははげしく、焼夷弾(しょういだん)や1トン爆弾などで市内は壊滅状態に。桑名くうしゅう遺族会によると、1平方キロメートルあたりの爆弾投下量711トンは全国最多という。警察のまとめなどによると、657人が犠牲になった。

桑名くうしゅうでは軍需工場のほか、交通の大動脈である伊勢大橋と国鉄近鉄の鉄橋がちかい六華苑周辺も標的に。しずかにみずをたたえるいけにも爆弾がおち、そこにはおおあなモルタルでふさいだ補修のあとがのこる。2012年8月のしゅんせつ作業で、それがくっきりあらわれた。たてもんでは、和館のはりが衝撃でおれたという証言も。象徴的な洋館は爆風でくるまよせが倒壊し、1993年に市が忠実に復元するまでながらくなかった。

【写真:爆弾投下でできたおおあなをモルタルでふさいだ補修あと/いけのみずをぬくとすがたをみせる】
【写真:ちかくにおちた爆弾の爆風で倒壊し、市が復元するまでなかった洋館のくるまよせ】

茶会や作品展、雅楽公演など文化的行事が年中ひらかれ、人気の食堂も隣接して年間5万人の観光客でにぎわう六華苑。平和な光景に、石棺のような防空壕をはじめとする戦争のかげが、いまなお同居しとった。

2019.7.23 ちゅうにち「桑名くうしゅう74年六華苑ルポ」 1455-2415

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(さんこう)

  • 桑名からかえる - 2020年8月25日 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2020/08/28
  • 六華苑、七里のわたし、東海道 - 桑名のたび - あきひこゆめてつどう|2020/08/27
    • いりぐちは洋館のひがしがわ。くるまよせのあるとこ。こっからはいって、ほのままおくにすすむとにほん家屋につながる。
      2020.8.25 (18) 六華苑 - 洋館(くるまよせ) 1460-2000
    • 一のまのつぎのま。にしから「一のま」、「一のまのつぎのま」、「二のま」、「二のまのつぎのま」ってよっつおおきなへやがならぶうちのふたつめのへや。
      2020.8.25 (28) 六華苑 - 和館(つぎのま) 2000-1500
    • ところで1年まえのちゅうにちに、「名所にねむる戦争のかげ - 桑名くうしゅう74年六華苑ルポ」っていう記事があって、ほれをみてきょうきただけど、記事にかいてあった防空壕とかはどこにあるのか。館員さんにきいてみると、地図をくれてばしょをしめしてくれるだけど、なんせ地下にあるもんで、いってもわからんとのこと。まあ、こいだけの豪邸になると、しきちのなかにじぶんとこ専用の防空壕をつくっとったってことだ。さらに館員さんはおしえてくれる。しきちないのたてもんのうち、洋館のくるまよせと内玄関棟だけは再建したもんだとのこと。洋館のくるまよせはくうしゅうの爆風でこわされたとのこと。ついでに、内玄関棟からひがしにみえる半円形のたてもんはなにかってきいてみると、レストラン Rocca だっていう。あいにくきょうだけ臨時休業とのこと。
  • 桑名でひるごはん - 2020年8月30日 - あきひこのいいたいほうだい|2020/08/30 〔ついか〕
    • 六華苑を見学。いけのほとりに防空壕があるのもかくにん。くうしゅうにそなえて、諸戸清六がつくった私設防空壕だ。
      2020.8.30 (2) 六華苑 - 防空壕 2000-1500
    • 七里のわたしのちかくに、歌行灯句碑を発見。
    • 歌行灯でひるごはん。おれは肉みそなす冷麺膳。つまは清流歌行灯御膳。ごちそうさまでした。
    • はらごしらえができたとこで、桑名市博物館を見学。
    • さいごに九華公園をさんぽ。桑名城のあとを公園にしたもんで、一角に初代藩主本多忠勝像がたっとるのをかくにん。

六華苑、七里のわたし、東海道 - 桑名のたび

2020.8.25 (15) 六華苑 - 洋館 1980-1500

2020年8月25日、名鉄近鉄をのりついで桑名までいって、六華苑(ろっかえん)や七里のわたしをみて、東海道をあるいてきた。愛知県のすぐとなりにありながら、桑名のまちをおとずれたのははじめてのこと。以下に、こんかいのたびのようすを紹介する。
〔名鉄〕〔近鉄〕〔六華苑〕〔七里のわたし〕〔東海道〕

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名鉄

2020.8.25 (1) ふるい - しんあんじょういきふつう 1850-1500

ふるい8時17分のしんあんじょういきふつうにのって、西尾線をきたにすすむ。電車は2両編成かんつうがたのあっかい電車。蒲郡線三河線からすけっとにきたやつで、みぎからさしてくるひのひかりを、ぬのカーテンがやさしくさえぎってくれる。乗客はたちきゃく5わり。あっけないすくなさだ。いきちがいのみなみあんじょうでちかくの1席があいて、すわっていく。

8時26分、しんあんじょうは2番のりばにとうちゃく。電車からおりた乗客が、どどーって名古屋方面のりばである3、4番のりばに移動。これをまって4番のりばから須ケ口いきふつうがしゅっぱつ。これはみおくり。

2020.8.25 (2) しんあんじょう - 岐阜いき特急 2000-1500

つぎに4番のりばに、しんあんじょう8時35分の岐阜いき特急がはいってきて、のりこむ。

2020.8.25 (4) 岐阜いき特急 - しんあんじょう 1600-1200

電車は6両編成のこおろぎ特急で、うしろから2両めの特別車2号車6Aにすわって、名古屋本線をにしにすすむ。席は前夜名鉄ネット予約サービスでとっといた。電車はなめらかに快走。ざんねんなのは前面展望がないこと。パノラマカーの伝統はどこにいった。

トンネルにもぐって、9時6分、名古屋にとうちゃく。

近鉄

2020.8.25 (5) 名古屋 - 伊勢志摩ライナー 1980-1500

連絡かいさつをとおって、名鉄ホームから近鉄ホームへらくらく水平移動。いちばんおくの5番のりばにまっとった、名古屋9時10分の賢島いき伊勢志摩ライナーにとびのる。いや、きいろとしろに2色塗装された流線形の車体のかっこいいこと。じつにうきうきたびきぶんだ。

2020.8.25 (6) 伊勢志摩ライナー - 1号車 1600-1170

しんがり1号車のあいた席にすわって、しゅっぱつ。にしにすすむ。座席はみぎ1列、ひだり2列の豪華なシート。いや~、うれしいな~っておもっとったら、ここはすわっとっちゃいかん席だった。車掌さんがやってきて、「1号車はデラックス車両ですので、おすわりいただけません。2号車もサロン席、ツイン席ですので、おすわりいただけません。3号車から6号車のレギュラー車両におうつりください」っていう。特急券はかってなくて、車内精算するつもりだっただけど、豪華車両のほうは事前予約じゃなきゃすわれんみたいだ。

2020.8.25 (7) 伊勢志摩ライナー - 4号車 1600-1200

ゆびをくわえて1号車、2号車をとおりぬけて、喫煙室にいちばんちかいっていう4号車まで移動。あいとった席にすわって、車内精算。喫煙室でいっぷく。いやいや、また、この喫煙室のりっぱなこと。通路がわには曲面ガラスをつかったしゃれたつくりで、まどがわからそとがみえるだけじゃなくて、通路がわからもそとがみえる。近鉄特急ってすごいわー。

2020.8.25 (8) 伊勢志摩ライナー - 富吉すぎ(名古屋いき特急) 1600-1200

たばこをすいおわって、すぐに先頭6号車の運転席うしろに移動。やっほーっ! 前面展望最高だ! 富吉をすぎたとこで、しんがた特急とすれちがい。しろが主体でおうどういろもはいっとるっていう、2色塗装の車体だ。

2020.8.25 (9) 伊勢志摩ライナー - 木曽川鉄橋 1600-1200

木曽川鉄橋をわたって、愛知県から三重県にはいる。がっちりしたしろい鉄骨トラスがいくつもつづく、ながい鉄橋だ。

2020.8.25 (10) 伊勢志摩ライナー - 長良川鉄橋、揖斐川鉄橋 1600-1190
2020.8.25 (11) 伊勢志摩ライナー - 揖斐川鉄橋(名古屋いき特急) 1600-1170

長良川鉄橋、揖斐川鉄橋って連続してわたる。河口にちかいこのあたり、ふたつの大河はせわりづつみでわかれとるだけだ。これもがっちりしたしろい鉄骨トラスがいくつもつづく、ながい鉄橋だ。まあじきわたりおえるってとこで、きゅうがた特急とすれちがい。おうどういろが主体でふっとい濃紺の線がはいっとるっていう、2色塗装の車体だ。

わたりおえて、ぐいーんってひだりにまがって進行方向をみなみにかえる。

2020.8.25 (12) 伊勢志摩ライナー - 桑名てまえ(名古屋いき急行) 1600-1200

みぎにならんではしっとった関西線をのりこえて位置関係がはんたいになったとこで、急行とすれちがい。えんじいろのかくばった車体は、近鉄標準電車だ。

2020.8.25 (13) 桑名 - 伊勢志摩ライナー 2000-1500

9時26分、桑名は6番のりばにとうちゃく。

かいさつはひがしがわ。はばのせばいふるびた階段をのぼって、はばのせばいふるびたこせんきょうで関西線をとおりこして、やっとかいさつをでる。かいさつは近鉄と関西線で共通。

六華苑

桑名のかいさつをでて地平におりて、みなみにバスのりばまであるいていったとこで、のらあっておもったバスはまあはいでちゃったみたい。いや、ほれにしても、きたないえきまえだ。かいさつから直結のビルも幽霊ビルになっちゃっとるみたいだし、これはきぶんがさがる。ただ、あたらしい東西自由通路がすがたをあらわしとって、なんらか整備工事も進行しとるみたいだ。きれいなえきにうまれかわることをいのる。

バスをあきらめて名鉄タクシーにのる。三重県でも名鉄があるだ。市街地まんなかよりもちょこっときたよりの八間どおり(はちけんどおり)をひがしにすすんで、田町(たまち)交差点を左折。きたにすすんで、すぐみぎに揖斐川があるってとこで、六華苑にとうちゃく。1913年完成の旧諸戸清六(もろとせいろく)邸だ。清六の六をとって六華苑っていっとるにちがいない。入場料460円をはらって、再入場できることをたしかめて、長屋門からなかにはいっていく。

2020.8.25 (15) 六華苑 - 洋館 1980-1500

まずは、にわになっとるみなみがわからたてもんをみてみる。みぎに2階だての洋館。よせむねのやねに、うすみずいろの外壁。みぎ半分が、にわのほうにせりだしとるのがとくちょう。ほいで、なんと鹿鳴館を設計したのとおんなじひとが設計したもんだっていう。ただ、鹿鳴館ほどはなやかじゃないし、端正な外観でもない。鹿鳴館にいったことがあるわけでも、はいったことがあるわけでもないだけど、ほうかんじる。いや、わるぐちじゃない。最上級のもんにくらべたらおとるじゃないかっておもっただけで、この六華苑の洋館もじゅうぶんにすばらしい。

2020.8.25 (16) 六華苑 - 和館 1920-1500

ひだりに、かわらぶきひらやだて一部2階だてのにほん家屋。いやいや、洋館からにしにつながってにほん家屋があるだ。りょうほうあわせるととてつもないおおきさで、とてもカメラにおさまりきらんだけど、やっぱり「きにたけをついだ」かんじはぬぐえん。

2020.8.25 (18) 六華苑 - 洋館(くるまよせ) 1460-2000

いりぐちは洋館のひがしがわ。くるまよせのあるとこ。こっからはいって、ほのままおくにすすむとにほん家屋につながる。

2020.8.25 (17) 六華苑 - 洋館(尖塔) 1480-2000

洋館の東北かどに4階だての尖塔。みあげるたかさの尖塔で、これがいちばんのとくちょうだ。揖斐川がみえるようにこのたかさにしたらしい。

洋館のきたにべつむねとしてある、かわらぶき木造ひらやだての内玄関棟からたてもんのなかにはいっていく。内玄関棟は厨房だったたてもんで、使用人はこっからではいりしとったっていう。内玄関棟からわたりろうかをとおって洋館にはいる。

2020.8.25 (19) 六華苑 - 洋館(1階ホール) 1800-1500

1階の玄関とホール。くるまよせのとこからおきゃくさんがここにはいってくる。かべや天井はしろで、たてぐや天井のはりはちゃいろ。天井にシャンデリアがぶらさがる。

2020.8.25 (20) 六華苑 - 洋館(1階応接室) 1500-2000

応接間。尖塔の1階部分が応接間になっとる。円形のへやがおもしろい。

2020.8.25 (21) 六華苑 - 洋館(2階書斎) 1940-1500

2階にあがって、東南に書斎。

ところで、おもいっきりばしゃばしゃ写真をとっとるひとがおる。っておもったら、つづいてマスクもしてないわっかいおんなのひとがやってくる。モデルさんをつかって写真どりしとるにちがいない。

2020.8.25 (22) 六華苑 - 洋館(2階寝室) 2000-1500

東北に寝室。

2020.8.25 (23) 六華苑 - 洋館(2階サンルーム) 2000-1500

みなみがわにサンルーム。いや、じつにしゃれとる。

2020.8.25 (24) 六華苑 - 洋館(2階いま) 1970-1500

西南にいま。

2020.8.25 (25) 六華苑 - 洋館(2階女中べや) 1890-1500

西北に女中べや。にしむきのまどから、にほん家屋のかわらやねがみえる。

1階におりて、にほん家屋のほうに移動。

2020.8.25 (28) 六華苑 - 和館(つぎのま) 2000-1500

一のまのつぎのま。にしから「一のま」、「一のまのつぎのま」、「二のま」、「二のまのつぎのま」ってよっつおおきなへやがならぶうちのふたつめのへや。

2020.8.25 (26) 六華苑 - 和館(みなみろうか) 1500-2000

みなみろうか。

2020.8.25 (27) 六華苑 - 和館(たたみろうか) 1500-2000

たたみろうか。よっつのおおきなへやときたろうかのあいだに、たたみじきのながーいろうかがあるだ。

2020.8.25 (29) 六華苑 - 和館(きたろうか) 1480-2000

きたろうか。なかにわに面しとる。

内玄関棟にもどっていかあっておもったとこで、結婚式のまえどりの一団とすれちがい。

内玄関棟にあった喫茶室にはいって、なかにわをながめながらいっぷく。

ところで1年まえのちゅうにちに、「名所にねむる戦争のかげ - 桑名くうしゅう74年六華苑ルポ」っていう記事があって、ほれをみてきょうきただけど、記事にかいてあった防空壕とかはどこにあるのか。館員さんにきいてみると、地図をくれてばしょをしめしてくれるだけど、なんせ地下にあるもんで、いってもわからんとのこと。まあ、こいだけの豪邸になると、しきちのなかにじぶんとこ専用の防空壕をつくっとったってことだ。さらに館員さんはおしえてくれる。しきちないのたてもんのうち、洋館のくるまよせと内玄関棟だけは再建したもんだとのこと。洋館のくるまよせはくうしゅうの爆風でこわされたとのこと。ついでに、内玄関棟からひがしにみえる半円形のたてもんはなにかってきいてみると、レストラン Rocca だっていう。あいにくきょうだけ臨時休業とのこと。

館員さんに礼をいってそとにでて、なかにわをへだててしきちのきたがわにある、くらやはなれをみてまわる。また、稲荷社まであるのにおどろく。説明がきによると、こうした豪邸のしきちないにやしろをたてることは、けっこうあったっていう。

2020.8.25 (30) 六華苑 - 桑名市観光案内図 2000-1500 〔かくだい〕(※ うえがみなみ)

みおえて長屋門をでたとこで桑名市観光案内図を発見。これからいく七里のわたしや東海道の位置をかくにん。

七里のわたし

2020.8.25 (31) 六華苑のへんからみた揖斐川 2000-1500

六華苑をでためのまえのとこの堤防道路から揖斐川をながめる。せわりづつみのむこうは長良川。ひだり45度に長良川河口堰があるのをかくにん。きのこみたいな構造物がぴょこぴょこならんどるやつだ。ほのひだりむこうは、揖斐川長良川をわたる伊勢大橋。

2020.8.25 (32) 桑名 - 住吉神社とりい 1600-1200

堤防道路を下流、東南方向にあるいていったとこで、みぎにあった住吉神社におまいり。西船馬町(にしせんばちょう)のひとたちがおまつりしとる神社だ。はつひのでがとりいのまんなかからあがる神社とのこと。ほー。

2020.8.25 (33) 桑名 - 七里のわたし 1600-1200

すすんで七里のわたしにとうちゃく。東海道は宮宿から海路7里をへだててここ桑名宿にいたる。

2020.8.25 (34) 七里のわたしひがしのはしからみた堀川 1600-1200

七里のわたしのすぐひがしからみなみにのびる堀川にはふねがいっぱい。はまぐりをとるふねか。

2020.8.25 (35) 蟠竜櫓からきたに揖斐川をみる 2000-1500

堀川にかかるはしをひがしにわたったとこに2階だての蟠竜櫓(ばんりゅうやぐら)。堀川からひがし、揖斐川河口までは桑名城のしきちで、51かしょもあるやぐらのうちいちばん西北にあるやぐらがこの蟠竜櫓で、こっからきたに揖斐川河口、にしに七里のわたしをみはっとったとのこと。蟠竜は「うずくまる竜」っていう意味。2階にあがって、きたに揖斐川をみる。

東海道

2020.8.25 (36) 七里のわたしから東海道をみなみえ 1510-1200

蟠竜櫓から七里のわたしにもどって、ここを起点にみなみにのびる東海道の陸路をあるいていく。みちは東海道にふさわしく、きれいな化粧舗装がほどこしてある。

2020.8.25 (37) 堀川 - 北大手橋 1600-1150

すすんで、ひだりにはいったとこに堀川にかかる北大手橋。いしづくりの欄干の、ちからのはいったはしだ。

2020.8.25 (39) 歌行灯 - 蛤歌行灯御膳 1540-1200

また東海道をみなみにすすんで、みぎがわにみつけた歌行灯(うたあんどん)志満や(しまや)っていうみせにはいって、ひるごはん。たのんだのは蛤歌行灯御膳。いやー、はまぐりうどんのうまいこと。はまぐりてんぷらのうまいこと。さらに、ちらしずしにちゃわんむしにぜんざい。なかいさんもかわいいし、大満足。ひるごはんになにたべるかきめてなかっただけど、やっぱりはまぐりになった。「ほのてはくったのやきはまぐり」だ。

ちなみに歌行灯は、桑名を舞台にしてかいた泉鏡花の小説「歌行灯」のことで、ほの小説にでてくるうどんやのモデルがむかしの「志満や」だったとのこと。

八間どおりをよこぎって、みなみえ。

2020.8.25 (42) 桑名宗社 - とりい(銅製) 1240-1200

みぎ、おおきな銅製のとりいをくぐって、神社にはいっていく。「春日神社の銅とりい」っていう説明がきがあって、よんでみる。「たてたのは桑名藩7代藩主松平定重。ほのまえに初代藩主本多忠勝のたてたきのとりいがあっただけど、おおかぜでたおれちゃった」とのこと。いや、本多忠勝って徳川四天王のひとりとしかしらんかっただけど、桑名藩の初代藩主になっとっただ。わが三河とつながりのある桑名だった。

2020.8.25 (40) 桑名宗社 - 楼門 1920-1500

おくにすすんで、どでかい楼門をくぐる。

2020.8.25 (41) 桑名宗社 - 拝殿 2000-1500

さらにすすんで、拝殿におまいり。いやいや、ここふたごの神社じゃんか。説明がきに、「桑名宗社とは桑名神社(三崎大明神)と中臣神社(春日大明神)の両社を称し、古来桑名の総鎮守として桑名首(おびと)の祖神をまつっておるので、桑名宗社という」ってかいてある。うん、あんまりようわからんけど、要はみぎの桑名神社とひだりの中臣神社がひとつになっとるだ。桑名首ってのは、こういうなまえの豪族がおったみたいだ。おくにまわってみてみると、拝殿のおくの本殿はべつべつ。拝殿がかわらぶきひらいりなのにたいして、本殿は銅板ぶきで、ちぎ、かつおぎつきの神明づくり。ちぎはさきっぽが水平ぎりになっとって、祭神がおんなのかみさまであることをあらわしとる。

ふりかえって、柵をなす石柱の1本に諸戸清六のなまえを発見。さっきみてきた六華苑をたてたあの諸戸清六で、従六位(じゅろくい)の官位までついとる。多額の寄付をしたにちがいない。ちなみに、あの英雄源義経の官位は従五位下(じゅごいのげ)。

2020.8.25 (43) 堀川 - 中橋 1600-1200

銅のとりいのとこを、はんたいにひだりにはいったとこに堀川にかかる中橋。朱ぬりの欄干に銅製ぎぼし。欄干りょうはしの石柱のうえには八角形の鉄製灯篭。うつくしいはしだ。

2020.8.25 (44) 堀川 - 桑名城のいしがき 1600-1200

またみなみにすすんで、堀川がみぎクランクして東海道のすぐひだりにきたとこに休憩所。説明がきがあって、対岸のいしがきは桑名城のいしがきだってかいてある。

この休憩所からみなみ、堀川のかわべに「はこにわ東海道」がつくってあって、ほんもんの東海道のひだりにそってのびる。

またみなみにすすんで、ほんもんの東海道がT字につきあたったとこで、「はこにわ東海道」はつきる。

2020.8.25 (45) 三之丸堀 - 南大手橋 1600-1200

T字をひがしにいったとこに、堀川にかかる南大手橋。ほのひだりにならんでちいさな三条大橋。これが「はこにわ東海道」の終点にちがいない。

2020.8.25 (46) 桑名 - 石取会館 1680-1500

ほんもんの東海道はT字を右折してにしにのびる。左右にみせもふえて、街道もにぎやかになってきたとこで、みぎに石取会館。2階だてのうすちゃいろのいしづくりふうの重厚なたてもんだ。そとにある説明がきをよんでみる。「1925年建築。鉄筋コンクリートづくり2階だて。旧四日市銀行桑名支店で、桑名信用金庫の前身桑名信用組合にかわったあと、また京町支店にかわる。1991年、内部改修」ってかいてある。なかを見学。ひとりみせばんをする館員のおねえさんにきくと、石取ってのはこの地域最大のおまつりとのこと。なかは2階までふきぬけになっとって、ほこに展示してあるのはこのおまつりに関するもんだ。だしもおいてあって、館員のおねえさんが、「これは祭車(さいしゃ)っていうもんで、諸戸家が寄贈したもんだ」っておしえてくれる。ここにも諸戸家だ。

にしにすすんで、京町交差点。このへんが桑名のまちの中心か。このみなみに桑名市博物館があるだけど、あいにくの休館。きょうはかようびだけど、げつようびとかようびが休館になっとる。

2020.8.25 (47) 京町見付から東海道をみなみえ 1600-1200

南北のおおどおりをよこぎって京町交差点をにしにすすんで、すぐに京町見付があって、東海道はここを左折。左折をしめすみちしるべもたっとる。またみなみにすすんで、みぎに仏壇や。すすんで、ひだりにふとんや。

市街地まんなかよりもちょこっとみなみよりの中央どおりをよこぎって、さらにみなみにすすむ。こっからは、きれいな化粧舗装もない、ふつうのアスファルト道路になる。みぎに仏壇や。

2020.8.25 (49) 桑名宿 - 吉津屋見付 2000-1440

すすんで、みぎに吉津屋見付のいしぶみを発見。よんでみると、「ここに門と番所があった。こっからはみちが四角形の3辺をまわるますがた道路になっとって、いまも石取祭車がとおるみちでもある」ってかいてある。

いしぶみにかいてあるとおり、東海道はここを右折。すぐに左折。またすぐに左折して、にしにのびていく。

2020.8.25 (48) いもや本店からみなみにのびる東海道 1200-900

ますがた道路をぬけてにしにすすんで、また、東海道が右折してみなみにのびていくってとこで、まちあるきをきりあげ。ますがた道路のとこにみつけといた貝増本店っていうみせまでもどって、うちへのみやげに桑名名産しぐれはまぐりをかって、えきにもどる。

2020.8.24 六華苑の地図 877-702

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(さんこう)