2020年8月25日、名鉄と近鉄をのりついで桑名までいって、六華苑(ろっかえん)や七里のわたしをみて、東海道をあるいてきた。愛知県のすぐとなりにありながら、桑名のまちをおとずれたのははじめてのこと。以下に、こんかいのたびのようすを紹介する。
〔名鉄〕〔近鉄〕〔六華苑〕〔七里のわたし〕〔東海道〕
◇ ◇
名鉄
ふるい8時17分のしんあんじょういきふつうにのって、西尾線をきたにすすむ。電車は2両編成かんつうがたのあっかい電車。蒲郡線か三河線からすけっとにきたやつで、みぎからさしてくるひのひかりを、ぬのカーテンがやさしくさえぎってくれる。乗客はたちきゃく5わり。あっけないすくなさだ。いきちがいのみなみあんじょうでちかくの1席があいて、すわっていく。
8時26分、しんあんじょうは2番のりばにとうちゃく。電車からおりた乗客が、どどーって名古屋方面のりばである3、4番のりばに移動。これをまって4番のりばから須ケ口いきふつうがしゅっぱつ。これはみおくり。
つぎに4番のりばに、しんあんじょう8時35分の岐阜いき特急がはいってきて、のりこむ。
電車は6両編成のこおろぎ特急で、うしろから2両めの特別車2号車6Aにすわって、名古屋本線をにしにすすむ。席は前夜名鉄ネット予約サービスでとっといた。電車はなめらかに快走。ざんねんなのは前面展望がないこと。パノラマカーの伝統はどこにいった。
トンネルにもぐって、9時6分、名古屋にとうちゃく。
近鉄
連絡かいさつをとおって、名鉄ホームから近鉄ホームへらくらく水平移動。いちばんおくの5番のりばにまっとった、名古屋9時10分の賢島いき伊勢志摩ライナーにとびのる。いや、きいろとしろに2色塗装された流線形の車体のかっこいいこと。じつにうきうきたびきぶんだ。
しんがり1号車のあいた席にすわって、しゅっぱつ。にしにすすむ。座席はみぎ1列、ひだり2列の豪華なシート。いや~、うれしいな~っておもっとったら、ここはすわっとっちゃいかん席だった。車掌さんがやってきて、「1号車はデラックス車両ですので、おすわりいただけません。2号車もサロン席、ツイン席ですので、おすわりいただけません。3号車から6号車のレギュラー車両におうつりください」っていう。特急券はかってなくて、車内精算するつもりだっただけど、豪華車両のほうは事前予約じゃなきゃすわれんみたいだ。
ゆびをくわえて1号車、2号車をとおりぬけて、喫煙室にいちばんちかいっていう4号車まで移動。あいとった席にすわって、車内精算。喫煙室でいっぷく。いやいや、また、この喫煙室のりっぱなこと。通路がわには曲面ガラスをつかったしゃれたつくりで、まどがわからそとがみえるだけじゃなくて、通路がわからもそとがみえる。近鉄特急ってすごいわー。
たばこをすいおわって、すぐに先頭6号車の運転席うしろに移動。やっほーっ! 前面展望最高だ! 富吉をすぎたとこで、しんがた特急とすれちがい。しろが主体でおうどういろもはいっとるっていう、2色塗装の車体だ。
木曽川鉄橋をわたって、愛知県から三重県にはいる。がっちりしたしろい鉄骨トラスがいくつもつづく、ながい鉄橋だ。
長良川鉄橋、揖斐川鉄橋って連続してわたる。河口にちかいこのあたり、ふたつの大河はせわりづつみでわかれとるだけだ。これもがっちりしたしろい鉄骨トラスがいくつもつづく、ながい鉄橋だ。まあじきわたりおえるってとこで、きゅうがた特急とすれちがい。おうどういろが主体でふっとい濃紺の線がはいっとるっていう、2色塗装の車体だ。
わたりおえて、ぐいーんってひだりにまがって進行方向をみなみにかえる。
みぎにならんではしっとった関西線をのりこえて位置関係がはんたいになったとこで、急行とすれちがい。えんじいろのかくばった車体は、近鉄標準電車だ。
9時26分、桑名は6番のりばにとうちゃく。
かいさつはひがしがわ。はばのせばいふるびた階段をのぼって、はばのせばいふるびたこせんきょうで関西線をとおりこして、やっとかいさつをでる。かいさつは近鉄と関西線で共通。
六華苑
桑名のかいさつをでて地平におりて、みなみにバスのりばまであるいていったとこで、のらあっておもったバスはまあはいでちゃったみたい。いや、ほれにしても、きたないえきまえだ。かいさつから直結のビルも幽霊ビルになっちゃっとるみたいだし、これはきぶんがさがる。ただ、あたらしい東西自由通路がすがたをあらわしとって、なんらか整備工事も進行しとるみたいだ。きれいなえきにうまれかわることをいのる。
バスをあきらめて名鉄タクシーにのる。三重県でも名鉄があるだ。市街地まんなかよりもちょこっときたよりの八間どおり(はちけんどおり)をひがしにすすんで、田町(たまち)交差点を左折。きたにすすんで、すぐみぎに揖斐川があるってとこで、六華苑にとうちゃく。1913年完成の旧諸戸清六(もろとせいろく)邸だ。清六の六をとって六華苑っていっとるにちがいない。入場料460円をはらって、再入場できることをたしかめて、長屋門からなかにはいっていく。
まずは、にわになっとるみなみがわからたてもんをみてみる。みぎに2階だての洋館。よせむねのやねに、うすみずいろの外壁。みぎ半分が、にわのほうにせりだしとるのがとくちょう。ほいで、なんと鹿鳴館を設計したのとおんなじひとが設計したもんだっていう。ただ、鹿鳴館ほどはなやかじゃないし、端正な外観でもない。鹿鳴館にいったことがあるわけでも、はいったことがあるわけでもないだけど、ほうかんじる。いや、わるぐちじゃない。最上級のもんにくらべたらおとるじゃないかっておもっただけで、この六華苑の洋館もじゅうぶんにすばらしい。
ひだりに、かわらぶきひらやだて一部2階だてのにほん家屋。いやいや、洋館からにしにつながってにほん家屋があるだ。りょうほうあわせるととてつもないおおきさで、とてもカメラにおさまりきらんだけど、やっぱり「きにたけをついだ」かんじはぬぐえん。
いりぐちは洋館のひがしがわ。くるまよせのあるとこ。こっからはいって、ほのままおくにすすむとにほん家屋につながる。
洋館の東北かどに4階だての尖塔。みあげるたかさの尖塔で、これがいちばんのとくちょうだ。揖斐川がみえるようにこのたかさにしたらしい。
洋館のきたにべつむねとしてある、かわらぶき木造ひらやだての内玄関棟からたてもんのなかにはいっていく。内玄関棟は厨房だったたてもんで、使用人はこっからではいりしとったっていう。内玄関棟からわたりろうかをとおって洋館にはいる。
1階の玄関とホール。くるまよせのとこからおきゃくさんがここにはいってくる。かべや天井はしろで、たてぐや天井のはりはちゃいろ。天井にシャンデリアがぶらさがる。
応接間。尖塔の1階部分が応接間になっとる。円形のへやがおもしろい。
2階にあがって、東南に書斎。
ところで、おもいっきりばしゃばしゃ写真をとっとるひとがおる。っておもったら、つづいてマスクもしてないわっかいおんなのひとがやってくる。モデルさんをつかって写真どりしとるにちがいない。
東北に寝室。
みなみがわにサンルーム。いや、じつにしゃれとる。
西南にいま。
西北に女中べや。にしむきのまどから、にほん家屋のかわらやねがみえる。
1階におりて、にほん家屋のほうに移動。
一のまのつぎのま。にしから「一のま」、「一のまのつぎのま」、「二のま」、「二のまのつぎのま」ってよっつおおきなへやがならぶうちのふたつめのへや。
みなみろうか。
たたみろうか。よっつのおおきなへやときたろうかのあいだに、たたみじきのながーいろうかがあるだ。
きたろうか。なかにわに面しとる。
内玄関棟にもどっていかあっておもったとこで、結婚式のまえどりの一団とすれちがい。
内玄関棟にあった喫茶室にはいって、なかにわをながめながらいっぷく。
ところで1年まえのちゅうにちに、「名所にねむる戦争のかげ - 桑名くうしゅう74年六華苑ルポ」っていう記事があって、ほれをみてきょうきただけど、記事にかいてあった防空壕とかはどこにあるのか。館員さんにきいてみると、地図をくれてばしょをしめしてくれるだけど、なんせ地下にあるもんで、いってもわからんとのこと。まあ、こいだけの豪邸になると、しきちのなかにじぶんとこ専用の防空壕をつくっとったってことだ。さらに館員さんはおしえてくれる。しきちないのたてもんのうち、洋館のくるまよせと内玄関棟だけは再建したもんだとのこと。洋館のくるまよせはくうしゅうの爆風でこわされたとのこと。ついでに、内玄関棟からひがしにみえる半円形のたてもんはなにかってきいてみると、レストラン Rocca だっていう。あいにくきょうだけ臨時休業とのこと。
館員さんに礼をいってそとにでて、なかにわをへだててしきちのきたがわにある、くらやはなれをみてまわる。また、稲荷社まであるのにおどろく。説明がきによると、こうした豪邸のしきちないにやしろをたてることは、けっこうあったっていう。
〔かくだい〕(※ うえがみなみ)
みおえて長屋門をでたとこで桑名市観光案内図を発見。これからいく七里のわたしや東海道の位置をかくにん。
七里のわたし
六華苑をでためのまえのとこの堤防道路から揖斐川をながめる。せわりづつみのむこうは長良川。ひだり45度に長良川河口堰があるのをかくにん。きのこみたいな構造物がぴょこぴょこならんどるやつだ。ほのひだりむこうは、揖斐川、長良川をわたる伊勢大橋。
堤防道路を下流、東南方向にあるいていったとこで、みぎにあった住吉神社におまいり。西船馬町(にしせんばちょう)のひとたちがおまつりしとる神社だ。はつひのでがとりいのまんなかからあがる神社とのこと。ほー。
すすんで七里のわたしにとうちゃく。東海道は宮宿から海路7里をへだててここ桑名宿にいたる。
七里のわたしのすぐひがしからみなみにのびる堀川にはふねがいっぱい。はまぐりをとるふねか。
堀川にかかるはしをひがしにわたったとこに2階だての蟠竜櫓(ばんりゅうやぐら)。堀川からひがし、揖斐川河口までは桑名城のしきちで、51かしょもあるやぐらのうちいちばん西北にあるやぐらがこの蟠竜櫓で、こっからきたに揖斐川河口、にしに七里のわたしをみはっとったとのこと。蟠竜は「うずくまる竜」っていう意味。2階にあがって、きたに揖斐川をみる。
東海道
蟠竜櫓から七里のわたしにもどって、ここを起点にみなみにのびる東海道の陸路をあるいていく。みちは東海道にふさわしく、きれいな化粧舗装がほどこしてある。
すすんで、ひだりにはいったとこに堀川にかかる北大手橋。いしづくりの欄干の、ちからのはいったはしだ。
また東海道をみなみにすすんで、みぎがわにみつけた歌行灯(うたあんどん)志満や(しまや)っていうみせにはいって、ひるごはん。たのんだのは蛤歌行灯御膳。いやー、はまぐりうどんのうまいこと。はまぐりてんぷらのうまいこと。さらに、ちらしずしにちゃわんむしにぜんざい。なかいさんもかわいいし、大満足。ひるごはんになにたべるかきめてなかっただけど、やっぱりはまぐりになった。「ほのてはくったのやきはまぐり」だ。
ちなみに歌行灯は、桑名を舞台にしてかいた泉鏡花の小説「歌行灯」のことで、ほの小説にでてくるうどんやのモデルがむかしの「志満や」だったとのこと。
八間どおりをよこぎって、みなみえ。
みぎ、おおきな銅製のとりいをくぐって、神社にはいっていく。「春日神社の銅とりい」っていう説明がきがあって、よんでみる。「たてたのは桑名藩7代藩主松平定重。ほのまえに初代藩主本多忠勝のたてたきのとりいがあっただけど、おおかぜでたおれちゃった」とのこと。いや、本多忠勝って徳川四天王のひとりとしかしらんかっただけど、桑名藩の初代藩主になっとっただ。わが三河とつながりのある桑名だった。
おくにすすんで、どでかい楼門をくぐる。
さらにすすんで、拝殿におまいり。いやいや、ここふたごの神社じゃんか。説明がきに、「桑名宗社とは桑名神社(三崎大明神)と中臣神社(春日大明神)の両社を称し、古来桑名の総鎮守として桑名首(おびと)の祖神をまつっておるので、桑名宗社という」ってかいてある。うん、あんまりようわからんけど、要はみぎの桑名神社とひだりの中臣神社がひとつになっとるだ。桑名首ってのは、こういうなまえの豪族がおったみたいだ。おくにまわってみてみると、拝殿のおくの本殿はべつべつ。拝殿がかわらぶきひらいりなのにたいして、本殿は銅板ぶきで、ちぎ、かつおぎつきの神明づくり。ちぎはさきっぽが水平ぎりになっとって、祭神がおんなのかみさまであることをあらわしとる。
ふりかえって、柵をなす石柱の1本に諸戸清六のなまえを発見。さっきみてきた六華苑をたてたあの諸戸清六で、従六位(じゅろくい)の官位までついとる。多額の寄付をしたにちがいない。ちなみに、あの英雄源義経の官位は従五位下(じゅごいのげ)。
銅のとりいのとこを、はんたいにひだりにはいったとこに堀川にかかる中橋。朱ぬりの欄干に銅製ぎぼし。欄干りょうはしの石柱のうえには八角形の鉄製灯篭。うつくしいはしだ。
またみなみにすすんで、堀川がみぎクランクして東海道のすぐひだりにきたとこに休憩所。説明がきがあって、対岸のいしがきは桑名城のいしがきだってかいてある。
この休憩所からみなみ、堀川のかわべに「はこにわ東海道」がつくってあって、ほんもんの東海道のひだりにそってのびる。
またみなみにすすんで、ほんもんの東海道がT字につきあたったとこで、「はこにわ東海道」はつきる。
T字をひがしにいったとこに、堀川にかかる南大手橋。ほのひだりにならんでちいさな三条大橋。これが「はこにわ東海道」の終点にちがいない。
ほんもんの東海道はT字を右折してにしにのびる。左右にみせもふえて、街道もにぎやかになってきたとこで、みぎに石取会館。2階だてのうすちゃいろのいしづくりふうの重厚なたてもんだ。そとにある説明がきをよんでみる。「1925年建築。鉄筋コンクリートづくり2階だて。旧四日市銀行桑名支店で、桑名信用金庫の前身桑名信用組合にかわったあと、また京町支店にかわる。1991年、内部改修」ってかいてある。なかを見学。ひとりみせばんをする館員のおねえさんにきくと、石取ってのはこの地域最大のおまつりとのこと。なかは2階までふきぬけになっとって、ほこに展示してあるのはこのおまつりに関するもんだ。だしもおいてあって、館員のおねえさんが、「これは祭車(さいしゃ)っていうもんで、諸戸家が寄贈したもんだ」っておしえてくれる。ここにも諸戸家だ。
にしにすすんで、京町交差点。このへんが桑名のまちの中心か。このみなみに桑名市博物館があるだけど、あいにくの休館。きょうはかようびだけど、げつようびとかようびが休館になっとる。
南北のおおどおりをよこぎって京町交差点をにしにすすんで、すぐに京町見付があって、東海道はここを左折。左折をしめすみちしるべもたっとる。またみなみにすすんで、みぎに仏壇や。すすんで、ひだりにふとんや。
市街地まんなかよりもちょこっとみなみよりの中央どおりをよこぎって、さらにみなみにすすむ。こっからは、きれいな化粧舗装もない、ふつうのアスファルト道路になる。みぎに仏壇や。
すすんで、みぎに吉津屋見付のいしぶみを発見。よんでみると、「ここに門と番所があった。こっからはみちが四角形の3辺をまわるますがた道路になっとって、いまも石取祭車がとおるみちでもある」ってかいてある。
いしぶみにかいてあるとおり、東海道はここを右折。すぐに左折。またすぐに左折して、にしにのびていく。
ますがた道路をぬけてにしにすすんで、また、東海道が右折してみなみにのびていくってとこで、まちあるきをきりあげ。ますがた道路のとこにみつけといた貝増本店っていうみせまでもどって、うちへのみやげに桑名名産しぐれはまぐりをかって、えきにもどる。
◇ ◇
(さんこう)
- 乗車記録 - 2020年8月25日、かようび、平日
- ふるい 8:17 → (名鉄西尾線=しんあんじょういきふつう) → 8:26 しんあんじょう
〔5.7km、9分、38.0km/h〕 - しんあんじょう 8:35 → (名鉄名古屋本線=岐阜いき特急【特別車2号車6A】) → 9:06 名古屋
〔29.7km、31分、57.5km/h、ふるいから名古屋まで1,040円(乗車料金680円+特別車料金360円)〕 - 名古屋 9:10 → (近鉄名古屋線=賢島いき特急【伊勢志摩ライナーレギュラー車両(4号車~6号車)】) → 9:26 桑名
〔23.7km、16分、88.9km/h、970円(乗車料金450円+特急料金520円)〕 - 桑名駅 → (名鉄四日市タクシー) → 六華苑
〔830円〕
- ふるい 8:17 → (名鉄西尾線=しんあんじょういきふつう) → 8:26 しんあんじょう
- 桑名の春日神社にあった…|いわせあきひこ|フェースブック|2020年8月25日15:10
- うっひゃっひゃー♪…|いわせあきひこ|フェースブック|2020年8月25日13:02
- うっひゃっひゃー♪
ほのてはくわなのやきはまぐりー♪
いやー、はまぐりうどん、うまーっ! はまぐりてんぷら、うまーっ!
ほいから、ちらしずしにちゃわんむしにぜんざい♪
ごちそうさまでした(^^)
- うっひゃっひゃー♪
- 六華苑の尖塔。…|iwase.akihiko|インスタグラム|2020年8月25日
- 六華苑の尖塔。2階だて洋館の一部分が4階だての尖塔になっとる。おー。
#桑名
- 六華苑の尖塔。2階だて洋館の一部分が4階だての尖塔になっとる。おー。
- 伊勢志摩ライナー…|iwase.akihiko|インスタグラム|2020年8月25日
- 2019.7.23 ちゅうにちゆうかん「名所にねむる戦争のかげ - 桑名くうしゅう74年六華苑ルポ」
- しきちないに防空壕、にわのいけに爆弾、爆風でくるまよせが倒壊
- 六華苑|록카엔|Rokkaen|桑名市|観光|旧諸戸清六邸|重要文化財|ジョサイア・コンドル|名勝
- 歌行灯について - 歌行灯
- 桑名宗社 » 由緒
- 桑名宗社とは桑名神社と中臣神社の両社をあわせた名称であり、古来桑名の総鎮守として桑名首(くわなのおびと)の祖神を祀っております。
- 桑名神社は平安時代、延喜式神名帳にその名の見える古社で、御祭神は天照大御神の第三御子天津彦根命と、その大神の御子天久々斯比乃神の二柱です。天津彦根命は国史にも見えた様に御子孫の殊に御繁栄になった神であり、また天久々斯比乃命は神徳霊妙な神で、桑名首(上代桑名の豪族)の祖神であるので桑名の開祖として『繁栄の神様』と仰がれております。
- 中臣神社も延喜式神名帳にその名を見える古社であり、桑名神社と共に延喜式内社とされております。中臣神社は769年に常陸国鹿島社(茨城県の鹿島神宮)より建御雷神霊が御通過になった基址に祀られるようになりました。御祭神天日別命は神武天皇御創業の時の功臣で伊勢国造の遠祖として仰がれ『厄除けの神様』とされております。中臣神社は山上にありましたが、1289年に桑名神社の境内に遷し奉り、1296年に奈良春日大社から春日四柱神を勧請合祀してからは「春日さん」と呼ばれています。
- 桑名からかえる - 2020年8月25日 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2020/08/28 〔ついか〕
- 桑名くうしゅうと六華苑 - あきひこゆめてつどう|2020/08/28 〔ついか〕
- 七里のわたし - 宮宿 - あきひこのいいたいほうだい|2015/07/26 〔ついか〕
- 桑名でひるごはん - 2020年8月30日 - あきひこのいいたいほうだい|2020/08/30 〔ついか〕