東西にはしる名古屋本線と南北にはしる三河線のまじわる知立(ちりゅう)から、ひとえき豊田市(とよだし)方面にいったとこにあるのが三河知立(みかわちりゅう)だ。きょうはこの三河知立とほっから分岐する知立連絡線の廃線あとのふうけいを紹介する。
知立のホームは、おもてであるきたから順に、6番線から2番線までいつつのホームがある。1番線は留置線があるだけでホームはない。まずは、名古屋本線が6番線をさがりホームに、5番線をあがりホームにつかっとる。6番線はかいさつ直結のかためんホームで、5番線はしましきホームのかためんをつかうかたちになっとって、はんたいがわのかためんである4番線は三河線のホームになる。さいご、3番線と2番線はしましきホームのりょうがわにあり、これは三河線専用のホームになる。三河線は4番線、3番線、2番線とみっつのホームがあるわけだけど、名古屋本線のあがりホームからホームタッチでのりかえれる4番線から刈谷(かりや)方面いきの電車が出発し、おもに2番線から豊田市方面いきの電車が出発する。ちなみに豊田市方面、刈谷方面とも電車はおんなじひがし方向にむかったあと、左右にわかれてそれぞれの方面にいく。三河線は知立でスイッチバックしとるだ。
2番線から豊田市方面、猿投(さなげ)いきのふつうにのる。っていうか、三河線は特急も急行もなく、1時間に4本のふつうしかない。車両は貫通がたのあかい電車で、貫通とびらのうえに運行案内盤がついとって、運転士さんはこれにしたがって運転をする。この運行案内盤は、名古屋本線をはしるパノラマスーパーについとるのとおんなじもんで、乗客の前方視界をさえぎることのないようこぢんまりとつくってあるのが、好感がもてる。
△ ひだり=16.19.02 知立 - 猿投いきふつう △ みぎ=運行案内盤
知立からしばらく複線をすすんでから、ひだりに単線で分岐するのが豊田市方面の線路だ。複線のままみぎにまがっていくのが刈谷方面の線路になる。
△ 知立を出発してひだりに分岐 (うえ=16.19.59) (なか=16.20.23) (した=16.20.33)
分岐のあともひだりにぐい~んとまがったあと、名古屋本線の高架をくぐると、まあはいほこが三河知立だ。あっけない。むだにひろい構内のかたすみに、ぽつんとあるしましきホームのなんとふるめかしいこと。また、あちこちにきがうわっとったり、線路わきにくさがはえとったりして、ひなびたいなかの駅っていうおもむきだ。
△ 名古屋本線の高架をくぐって三河知立に到着
(1枚め=16.21.03) (2枚め=16.21.11) (3枚め=16.21.19) (4枚め=16.21.33)
猿投いきふつうが停車するあいだに、はんたいから知立いきふつうがきて、そろいぶみとなる。ここ三河知立ですれちがいをすることで、知立での発着が円滑になっとるみたいだ。
△ うえ=16.22.27 知立いきがはいってくる △ した=16.22.40 知立いきと猿投いきのそろいぶみ
△ うえ=16.23.30 知立いきふつう △ した=16.23.54 猿投いきふつう
乗客ののりおりがおわり、電車のさったホームからすぐほこに名古屋本線をいきかう電車がみえる。いまは知立でスイッチバックして名古屋本線につながる三河線も、むかしはここ三河知立で本線にのりかえとっただ。名古屋本線がわにも、このみえとるあたりに、のりかえのための駅、東知立(ひがしちりゅう)があった。三河線は名古屋本線の高架をくぐったあともまっすぐすすんで、刈谷方面につながっとった。
△ 三河知立のホームから名古屋本線をいきかう電車をみる (うえ) (した)
構内ふみきりをわたってかいさつをでる。おおきくはきたにむかう豊田市方面の三河線だけど、このあたりではまんだ線路はひがしむきよりちょこっときたにむいとるぐらいで、かいさつは線路のきたがわにある。みなみがわに、かいさつはない。きたがわにある駅舎もちいさなもんだ。
△ うえ=三河知立のホーム △ したひだり=かいさつ △ したみぎ=駅舎
駅舎をでる。まわりはぱらっ、ぱらっとみせがあるほかは、ほとんど住宅がたちならぶばっかりで、むかしここが知立市の中心駅だったことをしのばせるものはない。駅舎のひがしどなりの駐車場からまあいっかい三河知立の構内をみてみる。ふるめかしいホームのむこうに名古屋本線をはしるあかい電車がみえる。ホームからだいぶはなれたとこに作業車両がみえる。いごくことがあるのかないのか。
△ うえ=三河知立のホーム △ した=構内においてあった保線車両
さらに線路ぞいにひがしにいくとふみきりになる。ほっから三河知立方面をみると、保線車両とホームがみえる。豊田市方面をみると、いまも電車がはしるきたがわの線と、いまは電車がはしることのなくなったみなみがわの線の両方が、まあちょっといったとこでみぎに分岐していくのがみえる。これが知立連絡線だ。三河線が知立にスイッチバックで接続するまえ、三河知立で名古屋本線の東知立で連絡するだけのときにできた線で、こっからみぎにまがってちょっといって名古屋本線と合流するようになる。いまヰキペディアでしらべると、「この知立連絡線は1928年にできたもので、1950年には知立連絡線を介して名古屋本線との直通運転を開始した」とある。いまの知立へのスイッチバックができたのは1959年とあり、ほれまでのあいだはこの知立連絡線に旅客列車がはしっとったみたいだ。
△ うえ=ひがしふみきりから三河知立をみる △ した=ひがしふみきりから豊田市方面をみる
知立いきの電車がふみきりにやってきたのをみとどけ、ふみきりをわたったみなみにあるく。ふりかえると、いまのふみきりをまたあかい電車がいくのがみえる。まえは名古屋本線のちいさなガードとなり、パノラマスーパーがいくのがみえる。このあたりは三河線と名古屋本線にはさまれた住宅街だ。
△ うえ=三河知立ひがしふみきりをいく電車 △ した=名古屋本線のガードをいくパノラマカー
ガードをくぐりぬけんで名古屋本線のきたがわをひがしにあるいて、知立連絡線との合流点までいく。ここに知立信号所があっただ。知立連絡線はレールもくさにうもれ、すっかり廃線あとのふぜいになっとっる。名古屋本線のあかい電車がこちらにむかってすすんでくるとおもいきや、知立信号所のとこでくいっとむきをかえてそれていく。
知立連絡線廃線あと (うえ=名古屋本線をすすんでくるあかい電車) (した=三河知立方面)
知立連絡線の廃線あとを三河知立方面にあるいて、廃線ふみきりにでる。ほっから三河知立方面にむけての廃線あとはレールもはがされ整地され、かし駐車場としてつかわれとる。う~ん。
△ うえ=廃線ふみきりから三河知立方面をみる △ した=廃線ふみきりから合流点方面をみる
また、廃線ふみきりからきたをみると三河線のふみきりをいくあかい電車がみえ、みなみをみると名古屋本線のふみきりをいくあかい電車がみえる。廃線ふみきりがいきとったころは、だんご3兄弟ならぬふみきり3兄弟だったわけだ。この廃線ふみきり部分もレールはのこっとる。
△ うえ=廃線ふみきりからみた三河線ふみきり △ した=廃線ふみきりからみた名古屋本線ふみきり
まあちょっと三河知立方面にむかってすすむと、廃線あとはアパートのしきちの一部になっちゃっとるだけど、かたすみに知立連絡線が三河線から分岐するとこを発見。
△ 三河線と知立連絡線の分岐するとこ (うえ=三河知立むき) (した=はんたいむき)
まあひとつにしのアパートが三河知立ひがしふみきりのひがしになるだけど、ここまでくると知立連絡線は完全に三河線に合流しちゃっとる。
このあと三河知立ひがしふみきりをわたってまっすぐきたにすすむ。しばらく住宅街をすすんで、東西にはしるふるい商店街にでて、これをにしにすすむ。またしばらくいって、変則的な交差点をみなみにまがりひろいとおりをみなみにすすむ。これは、クルマでわが安城(あんじょう)から知立にいくときにようとおるみちで、新地どおりっていうなまえのついた商店街だ。そこそこみせがある。まっすぐみなみにあるいて三河知立にしふみきりにあたるちょっとまえに、1本ひがしのみちにはいって三河知立にもどる。新地どおりからひがしにはいるへんに、かすかにむかしのにぎわいをしのばせるものがあった。
三河知立の駅名標のむこうに、名古屋本線の高架をいくあかい電車がみえる。
かいさつをはいって構内ふみきりをわたり、しましきホームにあがる。さいしょに猿投いきの電車がはいってくる。つぎに知立いきの電車がはいってきて、あかい電車のそろいぶみとなる。
△ 三河知立 - 猿投いきふつうがはいってくる (うえ=17.21.12) (した=17.21.19)
うえ=17.21.43 猿投いきふつう した=17.22.57 猿投いきと知立いきのそろいぶみ
△ 知立いきふつうが名古屋本線をくぐる (うえ=17.23.39) (した=17.23.52)
(さんこう)