2021年7月29日、小渡(おど)のたびをした。このふつかまえに大沼のたびをしたとこで、こんどは小渡のたびをした。大沼へは東岡崎から名鉄バスで1時間がかり、小渡へはおいでんバスで1時間がかり。大沼が旧下山村(しもやまむら)の中心、小渡が旧旭町(あさひちょう)の中心。りょうほうとも三河山間部のひとつの中心地なだけど、大沼が豊田市の区域のいちばんみなみにあるのにたいして、小渡はおんなじ豊田市の区域のいちばんきたにある。また、大沼が矢作川(やはぎがわ)の支流の支流の上流域にあるのにたいして、小渡は矢作川本流の上流域にある。2年まえに矢作川をさかのぼって上流域までいって、さらに支流の明智川をさかのぼって岐阜県にはいって明智までいってきただけど、ほのときにはじめて小渡ってまちがあることを認識した。ほの小渡がどんなまちなのかしりたくて、こんかいいってきた。
〔電車道中〕〔バス道中〕〔小渡まちあるき〕〔地図〕〔乗車記録〕
◇ ◇
電車道中
なつのひざしがようしゃなくてりつけ、せみがじりじりなくなか、わがやをでてふるいのえきまであるく。えきはひとでいっぱい。ふるい8時17分のしんあんじょういきふつうにのる。電車は、2両編成かんつうがたのあっかい電車。車内はベンチシートにぬのカーテンで、乗客は座席に4わり。この時間にしちゃあすいとる。みなみあんじょうに停車。吉良吉田いき急行のあっかい電車のとうちゃくをまって、しゅっぱつ。東海道線をこえて、きたあんじょうに停車。ちかくのとびらから、あんじょう農林高校のおんなのこがひとりおりる。ほかのとびらからもあんじょう農林高校のおんなのこがなんにんかおりる。あんじょう平野を時速100キロで快走。8時26分、しんあんじょうは2番のりばにとうちゃく。
橋上コンコースをのぼりおりして、4番のりばに移動。わりと余裕で、しんあんじょう8時28分の須ケ口いき特急へののりかえ成功。しんあんじょういきふつうもおくれがなかっただ。電車は2両と6両の連結で、5号車にたっていく。乗客はたちきゃく5わり。西三河平野をにしにすすんで、8時31分、知立(ちりゅう)は5番のりばにとうちゃく。
こせんきょうをのぼりおりしして、2番のりばに移動。知立8時35分の猿投(さなげ)いきふつうにのる。8時59分、豊田市にとうちゃく予定だ。電車は、4両編成かんつうがたのあっかい電車。車内はベンチシートにぬのカーテンで、乗客は座席に9わり。すわれるのはありがたい。三河知立に停車。はんたい電車がくるのをまって、しゅっぱつ。はんたい電車もかんつうがたのあっかい電車だ。いや、三河線はぜんぶかんつうがたのあっかい電車だ。電車ん中でおいでんバスの乗車検索。豊田市9時33分の旭・豊田線バスで10時40分に小渡につく。いや、ぞんがい時間がかかるもんだな。料金は600円。若林に停車。はんたい電車が、ふみきりで非常ボタンがおされて安全かくにんをしとるとのこと。ちょこっとしてはんたい電車がきて、1分おくれでしゅっぱつ。いつもならさきにはんたい電車がまっとる。土橋(つちはし)に停車。はんたい電車がくるのをまって、しゅっぱつ。三河知立や若林でいきちがった電車は4両編成だったけど、こんどは2両編成。あさの通勤時間帯もおわりだ。乗客も座席に6わりにへっとる。8時59分、豊田市にとうちゃく。
バス道中
豊田市のえきをえきまえひがしぐちにおりたとこで、おいでんバスの大沼いきバスがでていくのがみえる。おとつい東岡崎から名鉄バスでいった大沼だ。バスのりばをかくにん。1番のりばだ。旭・豊田線をふくめて5路線のおいでんバスがこっからでていく。しゅっぱつ時刻まで時間があるだけど、のんちゃんのみせストリートコーヒーアンドブックスはまんだ開店まえ。いすをだしたりあれこれ準備をしとるさいちゅうだ。半円形の喫煙室でいっぷく。ありがたい。25系統自然観察の森いきバスがでていくのをみおくり。おいでんバスは助手席がわにかぶりつき席がないのをかくにん。
さて、小渡いきバスが1番のりばにきて、のりこむ。9時33分、乗客4人をのせて豊田市をしゅっぱつ。いちばんうしろの席のひだりまどがわにすわっていく。えきまえロータリーをでて、うつくしいえきまえどおりをひがしにすすむ。にーよんぱーこと国道248号線をよこぎって、しろくうつくしいアーチ橋をわたる。矢作川にかかる豊田大橋だ。はんたいバス2台とたてつづけにすれちがい。みぎにしろくおおきな豊田スタジアム。わきのグランドでサッカーボールをけるこら。
いったん左右がたんぼになったあと、また市街地にはいって、広川町7丁目(ひろかわちょうななちょうめ)バス停に停車。わっかいおとこのひとがひとりおりて、乗客は3人に。とおくまでいくバスだけど、こんなすぐおりるひともおるだ。上野町6丁目南(うえのちょうろくちょうめみなみ)交差点を左折。ひろいとおりをきたにのぼっていって、上野町5丁目(うえのちょうごちょうめ)バス停に停車。ふたりのってきて、乗客は5人に。高上1丁目(たかがみいっちょうめ)バス停に停車。おばあさんがひとりおりて、乗客は4人に。前方にやまがみえてきて、みちがひだりにゆみなってくだっていく。
水間町6丁目(みずまちょうろくちょうめ)交差点を右折。たんぼんなかにはいっていく。住宅地にはいって、平井町(ひらいちょう)バス停に停車。おばあさんがひとりおりて、乗客は3人に。すすんで、ひだりに矢作川の堤防がみえてくる。またすすんで、ひだりにかせんじき公園。みぎT字の扶桑町4丁目(ふそうちょうよんちょうめ)交差点を右折。さかをのぼって扶桑町9丁目(ふそうちょうきゅうちょうめ)交差点を右折。高速道路にはいる。いや、高速道路みたいにりっぱな幹線道路だ。やまんなかをくだっていって、つきあたりT字の平戸橋町馬場瀬(ひらとばしちょうまばせ)交差点を右折。やまみちにはいっていく。いや、やまみちじゃないだけど、やまみちってかんじのみちだ。ひだりに越戸ダム(こしどだむ)。平戸橋町馬場瀬交差点から、矢作川をひだりにそってはしっとる。
あっかいおおきなアーチ橋をくぐる。東海環状自動車道のとおる勘八峡大橋(かんぱちきょうおおはし)だ。勘八(かんぱち)バス停を通過。ダム湖をひだりにそってはしる。勘八町勘八(かんぱちちょうかんぱち)交差点を左折。くねくねすすんで矢作川の支流力石川をわたって、また、ダム湖をひだりにそってはしる。すすんで、かわぎしのたけやぶんなかをいく。あ、三河線の鉄橋! 車窓に一瞬三河線の鉄橋がみえた。いや、廃線区間の鉄橋がまんだのこっとるとは。写真をとりそこねたことをくやむ。
また、たけやぶんなかをすすんでいったとこで、みちのひだりわきに線路。いや、線路あとだけど、まんだレールがひいてある。三河線廃線区間、まんだレールものこっとるのか。たしかにこのけしき、ともだちの投稿でもみた。えきまえロータリーにはいって、広瀬バス停に停車。わっかいおとこのひとがひとりおりて、乗客はふたりに。いや、三河広瀬の駅舎が、えきまえひろばともどもいまものこっとって、ほこがバスターミナルになっとるだ。わが小渡いきバスのほか、べつの路線のおいでんバスも2台とまっとる。しばらく停車して、10時5分、ほかの2台ともども広瀬バス停をしゅっぱつ。すぐに十字路を左折。
すぐに広梅橋(ひろうめばし)で矢作川をわたる。豊田大橋で東岸にわたった矢作川を、また西岸にわたるだ。わたってまちにはいって、西広瀬町(にしひろせちょう)交差点を右折。こっから県道豊田明智線にはいって、さらに矢作川をさかのぼっていく。左右に住宅がなくなって、やまあいにはいっていく。自転車のりとすれちがい。みぎにかわがみえてくる。かわはひろくあさい。藤沢(ふじさわ)バス停を通過。みぎに阿摺ダム(あずりだむ)。やまあいをいく。みぎにダム湖がみえてくる。左右たけやぶんなかをいく。
ちょっとまちになって、ガソリンスタンドもあらわれる。下川口(しもかわぐち)バス停を通過。地形もひろがって、みぎにたんぼもあらわれる。ひだりに英行寺。みぎしたにかわ。これまでよりちょっとひくい位置にかわがきたか。ひだりT字の上川口梨ノ木(かみかわぐちなしのき)交差点を直進。ひだりにぱらぱら人家。みぎにたんぼ。上川口(かみかわぐち)バス停を通過。人家がなくなって、やまあいにはいっていく。たけやぶんなかをいく。ひだりにアートマテリアル豊田工場の製材工場。上百月(かみどうづき)バス停を通過。やまあいにはいってぬけて、みぎしたにかわ。だいぶひくい位置にかわがきた。川下(かわしも)バス停を通過。ちょこっと人家がある。すすんで、人家がたくさんあらわれて、簗平(やなだいら)バス停を通過。みぎに百月ダム(どうづきだむ)。
みぎしたに矢作川のながれ。左右にぱらぱら人家。
みぎT字路を右折して、笹戸橋(ささどばし)をわたる。矢作川の東岸にわたって、すぐにみちがひだりにゆみなって、温泉街をぬけていく。こんなとこに温泉街があるだ。ひだりしたに矢作川の絶景。すすんで、地形がひろがって左右に人家やたんぼがあらわれて、平畑口(ひらはたぐち)バス停を通過。はんたいバスとすれちがい。対岸にも人家がみえる。すすんで、ひだりした、かわぞこにいわがごろごろ。また地形がひろがって、ひだり、たんぼごしに人家。
人家がなくなって、すぐひだりしたにかわのながれ。宇内戸(うないど)バス停、小柳(こやな)バス停って通過。地名は「こやなぎ」だけど、バス停は「こやな」だ。対岸にもまちがみえてくる。こっちがわもまちにはいっていくってとこで、小渡西(おどにし)バス停に停車。おばあさんがひとりおりて、乗客はおれひとりに。
すぐにみぎT字路を右折。やまがわにさかみちをちょこっとのぼっていって、ひだりのひろいしきちにはいったとこで、定刻どおりの10時40分、小渡(おど)バス停にとうちゃく。豊田市から1時間7分。
小渡まちあるき
小渡(おど)バス停のあるひろばは、バスのりばになっとるほかに駐車場にもなっとって、自家用車できてまちあるきにでかけるひとたちもなんくみかみえる。また、バスのりばには「駅舎」もあって、「おどゆめかけふうりんえき」のかんばんがでとる。りっぱなまちあいしつがあって、かべのそとにベンチもあって、はなれて便所もある。ひとやすみしたいなっておもったとこで、ベンチにすわっとったおじさんがまねいてくれて、となりにすわっていっしょにいっぷく。いろいろおしえてくれる。このひろばのまわりにもうなぎののぼりばたがいっぱいでとって、有名なうなぎやさんがあるみたいなだけど、はよいって予約しといたほうがいいとのこと。また、ふろにはいれるのは「はしもと」とのこと。さらに、バス路線のこともおしえてくれる。むかしは豊田から名鉄バスがきとった。明智からも名鉄バスがきとったとのこと。小渡は交通の結節点だった。ほれが名鉄バスが撤退していって、いま、豊田からのバス路線がおいでんバスで復活したってわけだ。おじさんはどっかのみせの送迎バスの運転士さんふぜいなだけど、むかしは名鉄バスの運転士さんだったのかもしれん。また、さらに、くにがえのこともおしえてくれる。旧旭町当時も豊田市に編入されたいまも、対岸をふくめて旭町、または旭地区になっとるだけど、ほのむかしは対岸は美濃のくにだったっていう。ほれがダム工事の関係だったかなんかの関係で三河のくににくにがえになっただっていう。いや、ふつかまえにいった大沼もこおりざかいが変更になっとる。そもそもは東西にながれる郡界川(ぐんかいがわ)が文字どおりこおりわかれのかわだったもんが、いまはまあちょっとみなみに変更になっとる。こおりざかいとかくにざかいとか、かわるもんなだ。
おじさんがおしえてくれたとおりに、おどゆめかけふうりんえきのひろばからおくにすすむ。おくからむこうにぬけたとこにふうりんばし。あっかいらんかんのはしに、ふうりんをつるしたあさがおのアーチがかかっとって、ほこをくぐっていく。したに介木川(けんぎがわ)の清流がひだりにながれる。矢作川の支流だ。さらに民家のにわさきをぬけていって、とおりにつきあたる。つきあたったとおりはひだりにくだりざか、みぎにのぼりざか。りょうわきにみせがいっぱい。このとおりが小渡のめぬきどおりにちがいない。
つきあたりから、まずはめぬきどおりをあがっていく。ひだりに小渡公会堂。2階だての洋風たてもんで、観光客のきゅうけいじょになっとる。つぎに、風鈴寺ののぼりぐちがあって、のぼっていって、おまいり。ふうりんばしといい風鈴寺といい、小渡はふうりんでならすまちみたいだ。みぎに、きのみせ糟谷工房。きの戦車まであるのにびっくり。すすんで、みぎにおかしどころ松栄軒。すすんで、みぎに衣料品食料品の原田屋。まちはここまでだ。
つきあたりにもどって、めぬきどおりをくだっていく。みぎに旭郵便局。ひだりにかなもんのさかや商店。かなもんをうっとるのにさかやか。成瀬洋服。
みぎに風鈴ひろば。きもんをきたおやこづれもふうりんをたのしんどる。生活衣料くまがい。ひだりに、さけ食料品の彦平商店。みぎに美容室 Powder。ひだりにおかしどころひだや。ふまんじゅうののぼりばたがでとる。めぬきどおりには風鈴ひろばだけじゃなくて、どのみせにも、みせじゃなくてもどのうちにもふうりんがかざってある。ひだりに海産雑貨森下商店。ようわからんみせだ。つぎに小渡交差点。ここで、県道豊田明智線と交差する。
小渡交差点を直進してすぐに、矢作川にかかる両国橋。いや、すぐにわかった。まえにきたときはわからんかったけど、こんかいはおじさんがおしえてくれたおかげでわかった。むかしは、はしのむこうは美濃のくにだっただ。ほいで、三河のくにと美濃のくにをむすぶ両国橋ってわけだ。ところで、つくりがみょうだ。こっち半分はコンクリートらんかんのガーダー橋で、むこう半分は鉄骨トラス橋。三河と美濃がそれぞれのくにのやりかたで、はんぶんづつはしをつくったのか。
こんどは、小渡交差点から県道豊田明智線を豊田方向にあるく。ちょこっといったとこに、介木川(けんぎがわ)をわたる小渡新橋(おどしんばし)。「講和記念|1953年9月改築」ってかいてあるけど、1951年のサンフランシスコ講和条約を記念してつくったってわけか。かわかみ左右に、しっかりたてもんがたちならぶ。小渡新橋をわたったすぐひだりに料理旅館はしもと。おじさんが、ここでふろにはいれるっておしえてくれたみせだ。玄関をはいってごはんがたべれるかきいてみると、あいにくきょうは満席ですとのことで、ごはんもふろもあきらめる。いや、ようはやっとってなによりだ。すすんで、ひだりに路地をはいっていったとこに、おりょうりしだし「やよい」ってみせを発見。はいってみる。どうもここが、おじさんがいっとった有名なうなぎやさんみたいだ。ほかのきゃくもうなぎをたのんどるだけど、きのううちでたべたとこで、てんぷら定食を注文。いや、これもほっくほくのてんぷらがいっぱいで、うまい。ごちそうさまでした。こういう路地があるってこともうれしい。
また、県道豊田明智線を豊田方向にあるく。このみちも左右にみせがなんげんかある。すすんで、小渡西バス停をすぎたひだりに豊田市旭観光協会とJAあいち豊田旭支店。みぎした矢作川んなかに、つりびとがおおぜい。
めぬきどおりにもどって、ひだやでうちへのみやげをかって、かえりのバスにのる。
△ 路線図ドットコム - おいでんバス旭・豊田線路線図(2021.4.1改定)
(さんこう)
- 乗車記録 - 2021年7月27日、かようび、平日
- 名鉄
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- 名鉄
- きの戦車 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2021/08/11
- 大沼のたび - 2021年7月27日 - あきひこゆめてつどう|2021/08/06
- 2021年7月27日、東岡崎からでとるバスで終点の大沼までいってきた。旧下山村の中心、大沼だ。青木川(あおきがわ)を最上流部までさかのぼって、分水界をこえてさらに郡界川(ぐんかいがわ)をさかのぼって、たどりついた。まえから、大沼いきの名鉄バスやおいでんバスをみることがあって、いったいどんなとこなのかいってみたかったとこだ。名鉄バスが終点のふたつてまえのバス停で運行をうちきっちゃったっていう事件もニュース記事でみた。ことしになって、豊田市近代の産業とくらし発見館で、大沼にある洋風建築の旧下山郵便局の写真をみたことがきっかけで、ついにいってきた。東岡崎までの電車道中と現地でのまちあるきをふくめて、以下にほのようすを紹介する。
- 矢作川から明智川え - 2019年9月26日 - あきひこゆめてつどう|2019/09/26
- きょう2019年9月26日、矢作川をさかのぼって上流域までいって、さらにえだわかれして明智川をさかのぼってきた。
- みぎに矢作川をみてすすむ。おいでんバスがいくのがみえる。猿投グリーンロードの高架をくぐる。支流にかかる広瀬橋をわたる。このへんに三河広瀬のえきがあったはずだ。三河線は2005年までは猿投から三河広瀬をとおって西中金(にしなかがね)までいっとっただ。ほのさきは、矢作川の本流よりひがしをながれる一大支流、巴川流域にある足助までいく予定だった。
- みぎにかわをみながら、すすむ。
- 阿摺ダム。ダムをすぎて、みぎにダム湖がひろがる。下川口で左右にちょこっとまちがあらわれる。上川口では地形もひらけて、また、左右にちょこっとまちがあらわれる。一定間隔でおいでんバスのバス停がつづく。矢作川がみぎしたにふかくなる。
- みぎに百月(どうづき)ダム。おおきなダムだ。また、みぎにダム湖がひろがる。
- 県道11号線がみぎにまがって、矢作川にかかる笹戸橋をわたる。歩道だけはあゆみばしの別名がある。東岸にわたって、みちなりにひだりにまがったすぐのとこが笹戸温泉で、かわぞいやみちぞいに温泉やどやがなんげんかある。
- 笹戸温泉をぬけてすぐのとこに休憩所があって、小休止。いくさきのかわかみをみる。またすすんで、道路案内かんばんに「ひだり小原」ってかいてあるのをかくにん。矢作川本流ぞいとはべつのとこにある地区のなまえだ。
- しばらくすすんでおどやなをすぎたとこで、小渡(おど)のまちにはいる。県道11号線にはいってからいちばんおおきなまちで、旧旭町の中心地だったとこだ。ちなみに「おどやな」ののぼりばたはここにいたるまでにも、またこのあとにもいっぱいたっとった。
- ひだりにそれて、矢作川にかかる両国橋をかくにん。トラスがさびさびだ。
- 旭町(愛知県東加茂郡) - ヰキペディア
- 三濃村 - ヰキペディア
- 三濃村(みのむら)は、かつて岐阜県恵那郡に存在した村である。村名は三河国と美濃国の両方に跨っとったことから、一文字ずつを取った合成地名である。村域は美濃三河高原であり、古くから愛知県側との交流が盛んであった。昭和の大合併の越境合併により、大部分が愛知県東加茂郡旭村(旭町 → 現・豊田市)に編入されたが、一部(横通地区)は岐阜県恵那郡明智町(現・恵那市)に編入されとる。
- 室町時代
旧・野原村は、元は三河国加茂郡足助庄仁木郷であったが、この地域を支配する領主が、隣接する美濃国恵那郡の領主であった遠山氏へ娘を嫁がせる際に、旧・野原村を美濃国恵那郡に化粧料として割き与えたと伝えられとる。 - 江戸時代
この地域は美濃国恵那郡であり、旗本の明知遠山氏の領地であった。 - 1873年、一色村、上切村、上中切村、下中切村、下切村、島崎村が合併し、野原村となる。
- 1873年、浅谷村と須淵村が合併し、浅谷村となる。
- 1875年、才坂村、土助村、安主村、颪村、柏尾村、岩竹村が合併し、横通村となる。
- 1889年7月1日、野原村、浅谷村、横通村が合併し、三濃村が発足。
- 1955年4月1日、三濃村の大部分(旧・野原村、浅谷村)が愛知県東加茂郡旭村に編入される。
- 1955年4月1日、三濃村の一部(旧・横通村)が岐阜県恵那郡明智町に編入される。
- 小渡バス停から豊田市まで - 2021年7月29日 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2021/08/11 〔ついか〕