みぎ、電車のまどからまちなみがみえる。平行する国道のしたにこのまちなみがずーっとつづいていく。えきがあってもよさそうなだけど、ついにない。またつぎのまちにはいったとこでやっとえきがある。げしゅくさきの滋賀県からわが愛知県にさとがえりする電車のまどから、いつもふにおちんきもちでこの光景をながめとった。米原からのった電車が岐阜県にはいってすぐあらわれるこのまちは、今須(います)ってなまえのまちだった。中山道のしゅくばまちだってことも、ずーっとあとでしった。
はじめてこの光景をみてから46年。ついにこのまちをおとずれた。2021年6月にじゅうよっかのこと。
現地には、いったん新幹線で米原までいっちゃって、ほっから東海道線電車とタクシーをつかってひがしにひきかえすかたちではいった。
〔名鉄でふるいから名古屋まで〕
〔新幹線で名古屋から米原まで〕
〔東海道線で米原から柏原まで〕
〔タクシーで柏原駅から寝物語の里まで〕
〔今須宿をあるく〕
〔米原までもどる〕
[乗車記録]
◇ ◇
名鉄でふるいから名古屋まで
さいしょは西尾線。ふるい7時22分の岐阜いきふつうにのる。電車は、4両編成きんぎょばちのあっかい電車。
7時32分、しんあんじょうは3番のりばにとうちゃく。
いったんかいさつをでて、藤園でモーニングセット。
えきにもどって、こんどは名古屋本線。3番のりばに、しんあんじょう8時3分の須ケ口いき特急がはいってくる。電車はパノラマスーパー。いや、1日1本だけある、西尾線から名古屋本線にのりいれていく特急だった。名古屋本線特急は4番のりばしゅっぱつなだけに、3番のりばにはいってきたパノラマスーパーの新鮮なこと。
しんがり1号車2Aの展望席にすわって、うしろむきにけしきをみながらいく。
トンネルにもぐって、8時37分、名古屋にとうちゃく。
新幹線で名古屋から米原まで
新幹線にのりかえ。名鉄にしかいさつから新幹線広小路口かいさつにマッハで移動。まどぐちできっぷをかってホームにあがって、名古屋8時43分の新大阪いきこだま号にのる。とびのり成功。
喫煙室でいっぷくしながら、名古屋をしゅっぱつ。
庄内川をわたって、名古屋をあとにする。
自由席6号車に移動。ひだり3席のいちばんまどがわ8Aの席にすわっていく。
木曽川をわたって、愛知県をあとにする。
岐阜羽島で5分停車。おんなの車掌さんの案内のこえのさわやかなこと。
揖斐川をわたる。
滋賀県にはいって、9時10分、米原は11番のりばにとうちゃく。
東海道線で米原から柏原まで
東海道線にのりかえ。かいさつをはいりなおして8番のりばにおりて、米原9時18分の大垣いきふつうにのりこむ。はいりなおさんと乗車料金が通算になって、わりだかになる。おかしなはなしだ。電車は、だいだいいろの線のはいった313系ステンレス電車。むかいの7番のりばに、JR西日本の米原どまりの新快速もはいってきて、JR東海の大垣いきふつうにもらくらくのりかえ。米原のえきはJR西日本の管理になるだけど、他社線電車へののりかえでも乗客の便宜をはかっとる。かたや、自社線電車同士でののりかえでもこせんきょうをわたらせるJR東海ってなんだ。
さて、定刻になって、米原をしゅっぱつ。広大な車両基地があいさにあるために、はんたい線とはなればなれに単線の状態で東海道線をひがしにすすむ。
北陸線をこえる。
はんたい線と合流。複線状態になる。
みぎ曲線のとちゅうで急制動がかかって、停車。安全かくにんをするっていう車内放送がはいる。
4、5分して、さいしゅっぱつ。あいずの警笛は無用だ。
田園地帯のまわりをやまやまがかこむ、のどかなふうけいのなか、電車はすすむ。線路はくさぶかい。
醒ケ井(さめがい)は、だだっぴろい構内にはいっていって、上下共用のしましきのりばのひだりがわに停車。ほかに、上下線のりょうがわに側線が1本づつ。ここでのってきたのは、わっかいおんなのひとひとりだけ。
すすんで、正面に伊吹山(いぶきやま)がみえてくる。滋賀県をでていくひとをみおくってくれるやまだ。
近江長岡(おうみながおか)は、だだっぴろい構内にはいっていって、上下それぞれにあるしましきのりばそとがわに停車。なんにんかのってくる。特急通過まちの案内放送がはいって、まちあい。
しましきのりばうちがわをとおっていったのは、ワイドビューひだ。岐阜から高山線にのりいれていく、気動車特急だ。めずらしい列車がみれた。
さいしゅっぱつ。4分おくれになっとるっていう車内放送がはいる。
みぎ曲線のとちゅうで、はんたい電車とすれちがい。こっちとおんなじ、だいだいいろの線のはいった313系ステンレス電車だ。
こんどはおおきなひだり曲線をいく。やまがちな地形だ。
柏原(かしわばら)は、だだっぴろい構内にはいっていって、上下それぞれにあるしましきのりばのうちがわにとうちゃく。9時35分の定刻から4分おくれ。そとがわに貨物列車がとまっとる。
のってきた電車をみおくり。
さて、こせんきょうかいだんをあがっていかあっておもったとこで、とまっとった貨物列車がゆるゆるいごきだして、びっくり。ここまでのってきた大垣いきふつうも近江長岡でワイドビューひだをまちあいしたけど、この貨物列車もここで大垣いきふつうをまちあいしとっただ。
貨物列車もみおくって、こんどこそこせんきょうをみぎにわたっていく。いや、なんちゅうつかいこんだこせんきょうだ。いったいなんにんのひとがこのこせんきょうをのぼりおりしたことか。こせんきょうをおりて、簡易改札機にマナカをかざしてかいさつをでる。そうじのおばさんがおるのはみえとっただけど、ほかにかいさつに駅員さんもおるのにびっくり。
タクシーで柏原駅から寝物語の里まで
柏原駅(かしわばらえき)はまんだ滋賀県。バスはなくて、こっからタクシーで今須宿までいくだけど、えきのどこにも電話番号がない。駅員さんにたずねてみると、タクシー会社2社のでんわ番号をかいたかみをくれる。まずは近江タクシーにでんわ。30分かかるってことで、やめ。いま、タクシーはなかなかきてくれんだ。まあひとつの都タクシーにでんわ。10分でくるってことで、たのむ。
都タクシーがきて、柏原駅をしゅっぱつ。みなみにちょこっといったつきあたりT字を左折。中山道をひがしにはいっていく。じつは柏原もしゅくばまちなだけど、こんかいは今須宿にいく。
ひだりクランクで東海道線ふみきりをきたにわたって、さらに中山道をひがしにいく。
ねものがたりのさとにとうちゃく。まちなみのなかをひきかえしていく都タクシーをみおくり。
今須宿をあるく
ねものがたりのさとからまちあるき。中山道のみなみがわにあるちいさなみぞが、いまの県ざかいであり、むかしのくにざかいでもある。みぞの左右に、それぞれちいさな標柱とおおきないしぶみ。ちいさな標柱はみぎが「滋賀県」、ひだりが「岐阜県」。みぎのおおきないしぶみは、たてがきに「近江美濃両国境寝物語|近江国長久寺村」、両翼によこがきに「美濃国|近江国」ってかいてある。ひだりのおおきないしぶみは、たてがきに「旧跡|寝物語|美濃国不破郡今須村」ってかいてある。 いや、くにざかいがだいじにされとるもんだ。
都タクシーがひきかえしていったまちなみは、柏原宿とはべつの長久寺村(ちょうきゅうじむら)ってとこになるみたいだ。ほいで、こっからひがしは今須村(いますむら)にまちがいない。
ところでねものがたりのさとってなんだ。中山道のきたがわにいしぶみがあって、よんでみる。「むかしはくにざかいのちいさなみぞをはさんで両国の番所(ばんしょ)やはたごがあって、かべごしに『ねながら他国のひととはなしあえた』でねものがたりってなまえになった」とのこと。なるほど、柏原宿の中心や今須宿の中心からはなれた、くにざかいのこの地がけっこうにぎわっとったわけだ。また、「源義朝(みなもとのよしとも)をおってきた常盤御前(ときわごぜん)や、源義経(みなもとのよしつね)をおってきた静御前(しずかごぜん)もこのねものがたりの地に逸話をのこしとる」とのこと。さらに、「歌川広重のうきよえにもこのねものがたりの地がえがかれとる」とのこと。いや、いろんなものがたりがつまっとるもんだ。
さて、ねものがたりのさとから中山道をひがしにいく。みぎにゆみなりながら、さかをくだっていく。ひだりにオーツカ関ケ原工場のおおきなこうば。みぎした、ちょっとへだたったとこに東海道線。
じてんしゃがおいこしていく。
車返(くるまがえし)ふみきりで東海道線をみなみにわたる。
今須交差点で国道をみぎななめによこぎる。交差点をわたったむこうがわに、「これより中山道今須宿|関ケ原町」のみちしるべ。今須のまちもいまは関ケ原町に合併されとるだ。みぎうえに車返のさか。むかし、「不破郡の地にあれやしきがあって、やぶれたやねからのぞくつきがふぜいがある」ってことをききつけたお公家さんが、ほれはおもしろいってことで現地にむかっただけど、ここまできたとこで「やねは修理しちゃった」ことをきいてひきかえしたのがこのさかのとこだったとのこと。クルマをかえしちゃったさかってことだ。
車返のさかからすぐに中山道はくだりざかになる。みぎにオーツカ第2関ケ原工場のおおきなこうば。ほのうしろに、中山道と平行して名神高速。
すすんで、十字路を直進。この十字路のひだりてまえに、もとはとこやさんだったたてもんがあって、なかにおばあさんがひとり。みぎむこうに常夜灯。いよいよしゅくばまちってかんじだ。なおもつづくくだりざかの左右に住宅。たまにまちや。
すすんで、みぎ、左右ついになった常夜灯。ほのうしろにいしのとりいがあって、さらにおくに変形常夜灯がある。ただ、とりいに八幡神社ってかいてあるけど、ほれらしい社殿はどこにもみえん。変形常夜灯がご神体ってわけか。
すすんで、ひだりに法善寺。
さかをくだりきってひだりにゆるくゆみなるへんで、みぎがわたてもんがとぎれる。
おがわをわたっていって、また、左右まちなみになる。
ひだり、あきちからおく、どてのうえに国道と東海道線がみえる。
また、ゆるくくだりざかになりかけたとこで、みぎに真宗寺。
すすんで、みぎに関ケ原町商工会。徳川家康や松平忠吉ののぼりばたがたっとる。さいしょのオーツカ関ケ原工場にもこののぼりばたはあった。
ひだり、今須郵便局にはいって、食堂がないかきいてみる。いや、業務に関係ないことで恐縮なだけど、ここまでみせひとつなくてひるごはんにありつけるかしんぱいで、おもいきってはいってみたしだいだ。きゃくはほかにおらんくて、ふたりの局員さんが親身になってかんがえてくれる。国道ぞいに1軒あるけど、あいにくきょうはていきゅうび。今須宿からちょこっとはなれたとこにやっとるみせが1軒あるけど、あるいていくにはちょっとつらい。局員さんらのひるごはんはどうしとるのかきいてみると、べんとうをもってきとるとのこと。また、コンビニもなくて、ここ今須はひるごはん砂漠であるとのこと。礼をいって、また、まちあるき。
みぎ、今須郵便局のむかい、木造かわらぶき2階だてのりっぱなたてもんのいたべいのみぎはしに永代常夜灯。むかしのにぎわいのおもかげがここにある。
みぎに、でっぱり玄関つきの、あっかい木造2階だてのりっぱなたてもん。
またみちがくだっていって、ひだりに問屋場(とんやば)。説明がきをよむと、一時今須宿には7軒も問屋場があって、全国的にもめずらしかったっていう。また、美濃16宿のうち、当時のまま現存してほの偉容をいまにつたえとるのは、ここ山崎家だけとのこと。
ちょっとくだりざかがきつくなってきたかってとこで、みぎに垂井警察署今須警察官駐在所。いや、関ケ原警察署とかじゃなくて垂井警察署なだ。今須のひがしが関ケ原で、ほのさらにひがしが垂井になる。ひだりに松浦呉服店。シャッターがおりとって、廃業しとるっぽい。いぜんとして垂井宿にみせはない。ひだり、たてもんのすきまからにしいきに貨物列車がいくのがみえる。
すすんで、ひだりにJAにしみの今須店のコンクリートづくり2階だてのたてもん。このあたりに、河内脇本陣があったとのこと。駐車場のおく、どてのうえを東海道線ひがしいき電車がいくのがみえる。
みぎおくにコンクリートづくり3階だての小学校。いや、中山道に面した門柱にきのかんばんがかかっとって、ひだりのかんばんに今須中学校、ひだりのかんばんに今須小学校ってかいてある。小学校と中学校がいっしょになっとるだ。きのかんばん、いいかんじだ。
すすんで、みぎに中山道今須宿のいしぶみ。むかってみぎめんに「柏原宿1里」、ひだりめんに「関ケ原宿1里」ってかいてある。みっつのしゅくばまちが等間隔にあるだ。また、説明がきに、今須宿は妙応寺(みょうおうじ)のもんぜんまちでもあるってかいてある。
ひだりに妙応寺(みょうおうじ)のいりぐち。だだっぴろい空間がおくにむかってつづいていっとって、中山道にめんしてどぶとく妙応寺ってかいたいしぶみがある。また、一角に公衆便所もある。おてらがどこにあるのかようわからんけど、これはいってみるしかない。
おくにすすんでいって、わかった。トンネルをくぐったむこうにおてらがあるだ。トンネルは、国道のトンネルと東海道線のトンネルが連続。国道のトンネルはさっぷうけいなコンクリートのトンネルだけど、東海道線のトンネルはレンガづみのうつくしいアーチ橋で、妙応寺架道橋ってなまえがついとる。銘板に「427K831M07|1954年12月18日完成」の文字。
トンネルの正面に妙応寺の山門。
山門をくぐって、りょうわきにでっかい灯篭のたちならぶ参道のおくに、整然とたたずむ本堂。境内のまわりには回廊がめぐらされとる。いや、なんちゅうりっぱなおてらだ。いまとおってきただだっぴろいひろばと公衆便所は、観光客のためのもんにちがいない。
山門からみぎに回廊にはいっていってみる。ほのうつくしさにむねがつぶれそうな回廊だ。
かねんてにつきあたって、ひだりにまがっていく。
かべに無双窓(むそうまど)。
境内東南かどに鐘楼。いま、回廊でしたをくぐりぬけてきたとこだ。
本堂みぎてまえに、徳川家康のこしかけいし。説明がきに、「関ケ原のたたかいにかった家康が、翌日に今須宿本陣にたちよって、このいしにこしかけて、この地をことほいだっていういし」ってかいてある。
こしかけいしのみぎに、天然記念物になっとるさざれいし。いや、きみがよにでてくるさざれいしって、こんなざくろみたいないしなのか。
妙応寺をあとにして、また中山道をひがしにいく。みちはくだりざかからのぼりざかにかわって、中狭川にかかる今須橋をわたる。はしのみぎてまえに常夜灯。またちょこっといって、中狭川の支流にかかる門前橋をわたる。説明がきにかいてあったとおり、今須宿はしゅくばまちでもあり、もんぜんまちでもあるだ。
すすんで、中山道がひだりうえにあがっていって、国道と合流。合流地点にひがしむきに、「これより中山道今須宿」っていう標柱があるのをかくにん。今須宿もここまでだ。
今須宿はおわったけど、合流地点からきたに国道をわたって、また、つづく東海道線天谷道(あまがたにみち)ふみきりをわたって、青坂神社におまいり。また、青坂神社からきたにはいっていったとこに東海道線があるのをかくにん。さっきわたったのがにしいき線で、こんどはひがしいき線。ここも上下で線路が分離しとるだ。ひがしいき線は、すぐひだりに青坂山トンネルがあって、すぐみぎに新今須トンネルがある。いっきにやまんなかにはいったってかんじだ。
今須宿をあるきおえて、きたみちをひきかえす。中山道今須宿のいしぶみまでもどったとこで、いきにのった都タクシーにでんわしてみるも、あまりのまち時間のながさにあきらめ。ひきつづききたみちをひきかえす。ずーっといって車返のさかまでいったとこで、うえにのぼって車坂地蔵におまいり。
国道をよこぎってすすんで、東海道線車返ふみきりで通過列車まち。めのまえを、おおきくみぎに車体をかたげた貨物列車がとおっていく。すすんで、オーツカ関ケ原工場の駐車場わきに芭蕉のいしぶみ。芭蕉っておくのほそみちばっかりじゃない、中山道もあるいとるだ。
ねものがたりのさとまでもどったとこで、こんどは近江タクシーにでんわしてみる。20分まちでこれるとのことで、たのむ。
タクシーのまち時間に、中山道をにしに長久寺のほうに探検していったとこで、ひだり長久寺集会所のまえに「ここは長久寺です」の説明がきを発見。くにざかいをまたいであった25軒のうち、20軒が近江の地にあって、5軒が美濃の地にあったっていう。また、近江の地の20軒は、近江ことばをはなして銀をつかっとったのにたいして、美濃の地の5軒は美濃なまりのことばをはなして金をつかっとったっていう。いや、ねものがたりのさとっていわれるほど一体化しとったのに、くにざかいのちいさなみぞをさかいに、ことばと通貨はことなっとっただ。
さて、やってきた近江タクシーにのる。柏原駅までの車中、運転士さんとはなし。大学時代を彦根ですごしたっていうと、すぐに滋賀大学のことってわかってくれて、「わたしもともだちが滋賀大生だって、まぎれて講義にでたこともある」とのこと。滋賀県にあっては、学生は一目おかれて「学生はん」ってよばれとった。
米原までもどる
タクシーから電車にのりかえ。柏原13時33分の米原いきふつうにのる。電車は、いきにおなじく、だいだいいろの線のはいった313系4両編成ステンレス電車。
近江長岡のてまえで、みぎ車窓に伊吹山。方向ははんたいだけど、滋賀県にさようならをいう。
13時47分、米原は2番のりばにとうちゃく。ちゃんとむかいの3番のりばに、姫路いき新快速がまっとるみん。
かいさつからにしぐちにでて、たまたまみつけたたい風ラーメンってみせで、やっとひるごはん。いや、期待せんではいったみせだけど、なんだかうまい。
えきにもどって、新幹線で愛知県にかえる。
(さんこう)
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- 妙応寺(岐阜県関ケ原町今須)- 日本すきま漫遊記|2000年03月18日訪問
- しびれるようなすばらしい回廊寺院。私はこのタイプの伽藍配置には目がない。
- 地方の禅寺で回廊を持つお寺は貴重だが、ここ妙応寺はそのなかでも際立って伽藍が整った寺だといっていい。
- 中山道今須宿・今須永代常夜灯|スポット情報|関ケ原観光ガイド
- 江戸時代、宿駅で人馬の継ぎ立てなどの様々な事務を行った問屋場が7軒あったという「今須宿」。「関ケ原宿」に同じくして、この「今須宿」も地理的に交通の要所として、商人も多数行き交ったとされております。今須中町の西端には高さ1.5mほどの石灯篭「今須の永代常夜灯」があります。これは、かつて(江戸期・1808年頃)は今須が宿場町として賑わっとったということを表しております。その昔、京都の問屋・河地屋が大名の荷物を運ぶ途中、この地で紛失してしまい「金毘羅」さんに願をかけ一心に祈ったことで荷物が出てきたのだそうです。喜んだ河地屋はその礼として建てたとされるのがこの常夜灯です。正面には「金毘羅大権現永代常夜灯」と刻まれ、大切に保存されております。
- 常夜灯とは、一晩中つけておく明かりのことです。街道沿いに設置されとる常夜灯は路傍にあり夜道を行く旅人を照らし、道中の安全を守っておりました。「永代常夜灯」とは、常に心の不浄を焼き払い家内安全を祈ることを意味します。当時は灯篭を寄付することは、それにかかる毎日の油代も併せて寄付することを意味し、一般的には使用する菜種油が必要な量だけ採れる畑を寄付しました。並々ならぬ感謝の表れであったことがうかがえます。
- 米原からふるいまで - 2021年6月にじゅうよっか - おぼえがき(ゆめてつどう)|2021/08/17 〔ついか〕