蒲郡線と吉田城のたび - 2021年4月ようか

2021.4.8 (30) 蒲郡競艇場前 - 蒲郡いきふつう 1960-1480 2021.4.8 (82) 吉田城 - 鉄櫓(くろがねやぐら) 2000-1500

2021年4月ようか、西尾線蒲郡線のあっかい電車にのってうみをみて、名古屋本線パノラマスーパーで前面展望をたのしんで、豊橋は吉田城を見物してきた。
〔西尾線、蒲郡線のあっかい電車で蒲郡競艇場前まで〕
〔三河塩津から東岡崎まで〕
〔名古屋本線のパノラマスーパーで豊橋まで〕
〔豊橋のまちと吉田城〕
(乗車記録)

◇            ◇

西尾線蒲郡線のあっかい電車で蒲郡競艇場前まで

2021.4.8 (1) ふるい - 吉良吉田いきふつう 2000-1500

さいしょは西尾線。ふるいのえきからみなみいきのあっかい電車にのる。高校生もようけのって、車内は満員。

堀内公園で、通勤のひとがなんにんかおりる。桜井は、男女高校生らがようけおりる。

2021.4.8 (2) 吉良吉田いきふつう - 南桜井 1550-1200

南桜井に停車。アイシンエイダブリュ勤務のひとらがどばーっておりて、たちきゃく3わりにへる。しゅっぱつしたとこで、まあはいたんぼのかなた米津のえきにあっかい電車がとまっとるのがみえる。

2021.4.8 (3) 吉良吉田いきふつう - 米津(しんあんじょういきふつう) 1960-1480

はんたい線にきたいきのあっかい電車のまつ、米津に停車。多少のってくる。

2021.4.8 (4) 吉良吉田いきふつう - 矢作川鉄橋 1600-1200

矢作川鉄橋をわたる。

2021.4.8 (5) 吉良吉田いきふつう - 桜町前 1600-1200
2021.4.8 (6) 吉良吉田いきふつう - 桜町前 1600-1200

桜町前に停車。西校生らがようけおりて、たちきゃく1わりにへる。ホームにおるひとたちはのってこんで、きたいきの電車をまつ。

2021.4.8 (7) 吉良吉田いきふつう - 西尾口 1580-1200

西尾口に停車。そこそこのかずのひとがおりる。ひるまはほとんどおりるひともないこのえきだけど、通勤にこのえきをつかうひとが一定数あるだ。しゅっぱつするとこで、まあはいつぎの西尾のえきにあっかい電車がとまっとるのがみえる。

2021.4.8 (8) 吉良吉田いきふつう - 西尾(新可児いき急行) 2000-1500
2021.4.8 (9) 吉良吉田いきふつう - 西尾 1600-1200

きたいきのあっかい電車とすれちがって、西尾に停車。どどーっておりて、たちきゃくはなくなって、乗客は座席に5わりにへる。

2021.4.8 (10) 吉良吉田いきふつう - 西尾しゅっぱつ 1580-1180

ちょっとまって、しゅっぱつ。

2021.4.8 (11) 吉良吉田いきふつう - 福地(しんあんじょういきふつう) 1990-1430

はんたい線にきたいきのあっかい電車のまつ、福地に停車。ちょこっとのってくる。

2021.4.8 (13) 吉良吉田いきふつう - 上横須賀 1920-1380
2021.4.8 (14) 吉良吉田いきふつう - 上横須賀 1580-1180

上横須賀に停車。ちょこっとのってくる。いきちがいはなし。ひるまはここでかならずいきちがいがあるだけど、あさの不規則時間帯だでだ。

2021.4.8 (15) 吉良吉田いきふつう - 吉良吉田 1780-1330
2021.4.8 (16) 吉良吉田 - 吉良吉田いき急行 1980-1480

おおきくひだりに湾曲したとこで、吉良吉田はみぎかためんホームの3番のりばにとうちゃく。ここが西尾線の終点で、電車もここまで。

2021.4.8 (17) 吉良吉田 - のりかえかいさつ 1530-1180

蒲郡線のりかえかいさつをとおって、蒲郡線のりばの2番のりばに移動。マナカなのに自動改札をとおれんっていう不便さ。西尾線電車をおりた乗客のうち、えきのそとにでるかいさつをでていったひとがほとんどで、蒲郡線のりかえかいさつをとおったのは一部のひとたちだけ。

2021.4.8 (18) 吉良吉田 - 蒲郡いきふつう 1980-1480

おりかえし発車の、蒲郡線ひがしいきのあっかい電車がはいってきて、のりこむ。

2021.4.8 (19) 蒲郡いきふつう - 吉良吉田(車内) 2000-1500

電車は6010編成2両かんつうがた。乗客は、1両めは座席に2わり、2両めはおれひとりっていうさびしさ。

三河鳥羽(みかわとば)に停車。のりおりなし。いきちがいもなし。これも、あさの不規則時間帯だでだ。西幡豆(にしはず)はみぎがわ通行で停車。ひとりおりる。

2021.4.8 (20) 蒲郡いきふつう - 西幡豆東幡豆間(三河湾) 1800-1330

すすんで、みぎに三河湾のうみ。

東幡豆(ひがしはず)もみぎがわ通行で停車。のってくるひとが2、3人。

2021.4.8 (21) 蒲郡いきふつう - 東幡豆こどもの国間(三河湾) 1800-1000

すすんで、みぎに三河湾のうみ。

2021.4.8 (22) 蒲郡いきふつう - こどもの国(三河湾) 1800-1350

ひだりかためんホームのこどもの国に停車。ひとりのってくる。みぎに三河湾のうみ。

2021.4.8 (23) 蒲郡きふつう - こどもの国西浦間(三河湾) 1800-1350

西尾市の区域から蒲郡市の区域にはいったへんで、みぎに三河湾のうみ。いりえのむこうに西浦半島もみえる。

2021.4.8 (24) 蒲郡いきふつう - 西浦 1600-1200

西浦は、ふつうにひだりがわ通行で停車。わかいおんなのこらがなんにんかのってくる。

2021.4.8 (25) 蒲郡いきふつう - 西浦(吉良吉田いきふつう) 1700-1200

いきちがいのあっかい電車をまって、しゅっぱつ。

2021.4.8 (26) 蒲郡いきふつう - 西浦形原間(三河湾) 1800-1180

すすんで、みぎに三河湾のうみ。

2021.4.8 (27) 蒲郡いきふつう - 形原 1780-1310

形原に停車。数人のってくる。蒲郡市の区域にはいってから、ちょこっとづつ乗客がふえていく。

すすんで、道路ごえのとこで、みぎに複線分の用地が確保してあるのをかくにん。これがいかされるような時代がこにゃいかん。みぎかためんホームの三河鹿島に停車。4、5人のってくる。この時点で、1両めは座席に6わり、2両めは座席に3わりにまで乗客がふえとる。はっきりと蒲郡にむかう乗客のながれがある。

2021.4.8 (28) 蒲郡いきふつう - 蒲郡競艇場前 2000-1500

ひだりうえから東海道線がよりそってきて、みぎかためんホームの蒲郡競艇場前にとうちゃく。このつぎが東海道線と連絡する蒲郡のえきなだけど、ひとつてまえのここでおりる。

2021.4.8 (29) 蒲郡いきふつう - 蒲郡競艇場前(大垣いき快速) 1600-1200

停止直前、ひだり車窓に東海道線にしいきのステンレス電車がえらいいきおいでいくのをみる。じつは、ひだりに東海道線三河塩津(みかわしおつ)のえきがならんであるだけど、大垣いき快速が通過してった。

2021.4.8 (30) 蒲郡競艇場前 - 蒲郡いきふつう 1960-1480

さて、おれ以外にもなんにんかおりて、ホームのいちばん蒲郡よりにあるかいさつにむかっていく。

2021.4.8 (31) 蒲郡競艇場前 - 南北自由通路 1180-1560

かいさつをでて、みんなほのままこせんきょうの階段をあがっていく。こせんきょうは南北自由通路であり、三河塩津のかいさつもここに面してある。はたして、みんな東海道線にのりかえるのか。ほのことをたしかめたくて、蒲郡競艇場前でおりただ。ここでのりかえるっていうと、蒲郡方面へののりかえはないだらあで、はんたいの岡崎、名古屋方面へののりかえになる。ひるまの規則的運行の時間帯だとまち時間がながすぎちゃうだけど、あさの不規則運行の時間帯のこの時間なら、あんまりまたんで東海道線にしいき電車にのりかえれる。まえにあさの時間帯に蒲郡線ひがしいき電車でここをとおったときに、なんにんかがこのこせんきょうの階段をあがっていくのをみた。

2021.4.8 (32) 蒲郡競艇場前 - 南北自由通路 1600-1180

こせんきょうにあがって、あれれ。みんな三河塩津のかいさつをすどおりして、ほのままきたぐちにおりてっちゃう。ここが、蒲郡線東海道線ののりかえの機能をはたしてないことをかくにん。

三河塩津から東岡崎まで

こせんきょうのうえのかいさつをはいって、三河塩津のにしいきホームにおりる。蒲郡線からのりかえるひとはほかにおらんかったけど、おれひとりのりかえてみる。

2021.4.8 (33) 三河塩津 - 豊橋いき区間快速 2000-1500

電車をまっとるとこで、はんたい線を豊橋いき区間快速が通過していく。

2021.4.8 (34) 三河塩津 - 大垣いき特別快速 2000-1500

さて、のる電車がきたっておもったら大垣いき特別快速だって、通過していく。

2021.4.8 (35) 三河塩津 - 豊橋いき新快速 2000-1500

また、はんたい線を豊橋いき新快速が通過していく。

2021.4.8 (36) 三河塩津 - 吉良吉田いきふつう 2000-1500

さらには、うしろの蒲郡競艇場のえきからにしいきのあっかい電車がでていく。おれがここまでのってきた電車が、蒲郡でおりかえしてやってきただ。

2021.4.8 (37) 三河塩津 - にしいき貨物列車 2000-1500

こんどこそきたっておもったら、桃太郎のけんいんする貨物列車。いや、ほれにしてもおっそいぞ。おれのほかに10人ぐらいがまっとるだけど、時間になっても電車がこんことをさわぐ人間がだあれもおらんのにもおどろく。名鉄は人身事故でおくれる以外におくれることはないだけど、東海道線はひんぱんにおくれが発生するだ。

2021.4.8 (38) 三河塩津 - 岐阜いきふつう 2000-1500

きた。ついにやってきた。まっとった岐阜いきふつうがはいってきて、のりこむ。

2021.4.8 (39) 岐阜いきふつう - 三河塩津(車内) 2000-1500

電車は4両編成で、のりこんだ1両めに乗客はおれひとり。蒲郡線もさいしょおれひとりだったけど、東海道線もおれひとりだ。うしろの車両にはひとがのっとるのがみえる。

2021.4.8 (40) 岐阜いきふつう - 三河塩津三ケ根間 1600-1200

みぎ曲線をすすんで、進行方向をきたむきにかえていく。

2021.4.8 (41) 岐阜いきふつう - 三ケ根 1600-1190

みぎ曲線のとちゅう、三ケ根に停車。ひろいホームにぱらぱら電車をまつひとたち。

2021.4.8 (42) 岐阜いきふつう - 三ケ根幸田間(豊橋いきふつう) 1600-1200

直線になって、豊橋いきふつうとすれちがい。きゅうがたのステンレス電車だ。

2021.4.8 (43) 岐阜いきふつう - 幸田 1800-1350

しましきホームの幸田(こうだ)に停車。上下線のそとがわに側線が、ひだりに2本、みぎに1本ある、なんともだだっぴろい構内のえきだ。

電車は、時速120キロできもちよくはしる。

2021.4.8 (44) 岐阜いきふつう - 相見 1800-1350

相見(あいみ)は、しましきホームみぎがわの主線に停車。はんたい線は主線だけのかためんホーム。

2021.4.8 (45) 岐阜いきふつう - 相見岡崎間(豊橋いき新快速) 1970-1500

豊橋いき新快速とすれちがい。

2021.4.8 (46) 岐阜いきふつう - 岡崎 2000-1500
2021.4.8 (47) 岐阜いきふつう - 岡崎 2000-1500

ひろい構内の岡崎のえきがみえてくる。

2021.4.8 (48) 岐阜いきふつう - 岡崎(回送) 1600-1200

回送電車とすれちがい。

2021.4.8 (49) 岐阜いきふつう - 岡崎 1600-1200
2021.4.8 (50) 岐阜いきふつう - 岡崎 1600-1200

岡崎はしましきホームひだりがわのまちあい線に停車。

2021.4.8 (51) 岡崎 - 岐阜いきふつう 1970-1480

のってきた電車はまちあい。

2021.4.8 (52) 岡崎 - にしぐち自転車おきば 1990-1500

橋上コンコースにあがったとこで、にしぐち自転車おきばに大量の自転車がとまっとるのをみる。いや、じつに大量の自転車がとまっとるもんだ。

2021.4.8 (54) 岡崎 - 東西自由通路エスカレーター

かいさつをでて、ひがしぐちバスのりばにおりる。

2021.4.8 (55) 滝団地いきバス - JR岡崎駅しゅっぱつ 1590-1200

東岡崎までいくのに、滝団地いきバスにのる。運転士さんが「岡崎営業所の井上です。よろしくおねがいします」。とってもていねいな案内がつづく。さすが名鉄バス

電車どおりをきたにすすんで、戸崎町バス停に停車。ほれまでは、どのふたりがけの席にもひとりはすわっとるっていう状態だった車内が、いっきにすく。このバス停からちょこっとひがしにいったとこに、イオンモール岡崎がある。

岡崎警察署前バス停でもなんにんかおりる。

2021.4.8 (56) 東岡崎 - 滝団地いきバス 1960-1490

東岡崎は4番バスのりばにとうちゃく。

岡ビル2階にたばこがすえる喫茶店があるってきいとっていってみると、ことし2021年3月31日で閉店しとる。けっきょく、いつもの1階のロッテリアでひとやすみ。

名古屋本線パノラマスーパー豊橋まで

2021.4.8 (58) 東岡崎 - 豊橋いき特急(パノラマスーパー) 2000-1500
2021.4.8 (59) 豊橋いき特急 - 東岡崎しゅっぱつ 1600-1200

さて、東岡崎からパノラマスーパー豊橋いき特急のパノラマスーパーは、特別車1号車5Aの展望席にのりこんで、しゅっぱつ。

2021.4.8 (60) 豊橋いき特急 - 東岡崎すぎ(岐阜いき特急) 1600-1190

すぐに、パノラマスーパーとすれちがい。パノラマスーパー同士のすれちがいだ。

2021.4.8 (61) 豊橋いき特急 - 本宿 1600-1200

はんたい線まちあい線にあっかい電車をみて、本宿を通過。

2021.4.8 (62) 豊橋いき特急 - 本宿すぎ(欣浄寺) 1600-1200

みぎ車窓、欣浄寺(ごんじょうじ)桜山のさくらはまあちっとる。

2021.4.8 (63) 豊橋いき特急 - 本宿名電長沢間(新鵜沼いき快速特急) 1600-1200

西三河から東三河へ分水界をこえるへんで、こおろぎ特急とすれちがい。

2021.4.8 (64) 豊橋いき特急 - 名電長沢 1590-1190

みぎ曲線で名電長沢を通過。このぜんご、なんだかゆっくりはしる。

2021.4.8 (65) 豊橋いき特急 - 国府 1600-1200

はんたい線まちあい線にあっかい電車がはいってくるのをみながら、国府(こう)に停車。進行方向まちあい線と、こっから分岐する豊川線そとがわ線にもあっかい電車がとまっとる。

2021.4.8 (66) 豊橋いき特急 - 国府小田渕間(岐阜いき特急) 1600-1200

パノラマスーパーとすれちがい。

2021.4.8 (67) 豊橋いき特急 - とよがわ放水路をわたる 1590-1190

とよがわ放水路をわたる。

2021.4.8 (68) 豊橋いき特急 - とよがわ放水路とよがわ間(石巻山) 1600-1150

ひだり45度に石巻山(いしまきさん)をみる。げじげじのとんがりやまがとくちょうのやまだ。

2021.4.8 (69) 豊橋いき特急 - とよがわをわたる 1600-1200

とよがわをわたって、豊橋のまちにはいっていく。また、電車はゆっくりゆっくりすすむ。

2021.4.8 (70) 豊橋いき特急 - とよがわ豊橋間(豊川いきふつう) 1550-1200

飯田線電車とすれちがい。とよがわ放水路てまえから、線路は飯田線と共用しとる。

2021.4.8 (71) 豊橋いき特急 - 豊橋 1600-1200
2021.4.8 (72) 豊橋 - 新鵜沼いき快速特急(豊橋いき特急おりかえし) 1930-1480

豊橋は3番のりばにとうちゃく。のってきた電車はおりかえし新鵜沼いき快速特急になる。

豊橋のまちと吉田城

2021.4.8 (73) 豊橋 - 南北自由通路 2000-1500

豊橋は、橋上かいさつからみぎにでて、さらに駅ビルをみぎにぬけてしたにおりて、豊橋鉄道豊橋のえきのわきをぬけて、みなみにむかう。

2021.4.8 (74) 豊橋 - 水上ビル(すいじょうびる) 2000-1500

水上ビル(すいじょうびる)にとうちゃく。牟呂用水(むろようすい)のうえにたつビルで、こっからひがしに万里の長城みたいにのびていく。

時刻は11時すぎだけど、めざしてきたおこのみやきの伊勢路はまんだあいとらんくて、またにする。

2021.4.8 (75) 水上ビル(すいじょうびる) - 水上食堂(みながみしょくどう) 2000-1500

おんなじ水上ビルにみつけた水上食堂(みながみしょくどう)ってみせがおもしろそうで、はいってみる。かんばんに「街中社員食堂、昼飯処」ってある。まあ、大衆食堂だ。

2021.4.8 (76) 水上食堂(みながみしょくどう) - ぶたにくたまりやき定食 1200-900

券売機で券をかって、ぶたにくたまりやき定食を注文。むかし名豊ビル地下にあったグリル八雲のたまりやきが起源の料理で、1968年当時のあじを再現してあるっていう。たまりやきは、さしみだまり基調のあじつけがしてあるってこと。いや、あぶらみもしっかりあるぶたにくにあまがらいたまりがようからまっとって、うまい。さいしょはおれひとりだったきゃくも、12時がちかづいて、ひとり、またひとりってはいってきて、10人ぐらいがすわれる、かべむきのカウンター席もにぎやかになってくる。ほれと、あんまりはっきりわからんかったけど、2階にも席があるみたいで、階段をおりてくるひと、のぼっていくひともある。

ごちそうさまをして、みせのそと、縁台にこしかけていっぷくしとるとこで、とおりががったおばあさんも縁台にすわってくる。あるくのが大儀なだ。ところで、おばあさんがすごいね!っていう。どっかでなんかやっとるのかっておもったら、おれがスマホでインスタ投稿しとるのがすごいってことらしい。ふたことみことはなしをするうちに、おばあさんのケータイに電話がかかってくる。およめさんから、あっこのなんかをかってこいっていう指示らしい。おばあさん、かわいそうだな。

2021.4.8 (77) 豊橋 - まるかん化粧品 1990-1500

水上ビルからみちをへだてたみなみどなりに、木造かわらぶき2階だてしたみいたばりのしぶいたてもんを発見。のぼりばたがなんぼんもたっとって、ここが斉藤ひとりさんのまるかん化粧品のたてもんだっていう。こっからでかけてって化粧品をうりにまわるのか。

また、水上ビルをひがしにすすんで、ヒグラシ珈琲はやってない。これまでにもきたことのあるみせだけど、やめちゃったじゃないといいだけど。

水上ビルをひがしのはしまでいったとこで、にしにあるいて南北のおおどおりにでる。

2021.4.8 (78) 豊橋 - 大手どおり 2000-1500

南北のおおどおりのうち、路面電車のはしる区間をちょこっときたにいったとこで、みぎ30度の方向にのびるみちをはいっていく。

2021.4.8 (79) 豊橋 - 大手どおり 2000-1500

左右にならぶさくらの街路樹がまんださいとることにおどろき。これが大手どおりだ。中央線はなくて、クルマはきたからみなみへの一方通行。文字どおり吉田城の大手門につづくみちで、むかしはここを路面電車がはしっとったっていう。つきあたり、とおくにみえとった豊橋市公会堂のたてもんがだんだんおおきくなってくる。

2021.4.8 (81) 大手どおり - 上手洋服店 1480-1980

みぎ、3階だて三角やねつまいりのちゃいろい洋館。服匠上手洋服店っていう銘板がでとる。じょうずに洋服をつくってくれるにちがいない。このむかいが郵便局で、一旦停止して用をたしていくクルマもある。

2021.4.8 (80) 大手どおり - 豊橋市公会堂と路面電車 2000-1500

正面、いしづくりの豊橋市公会堂のたてもんのまえを、ひだりからみぎにみずいろの路面電車がいく。むかしはほこでみぎにむきをかえとったはずのとこだ。

豊橋市公会堂のおくが、吉田城のある豊橋公園。ほのひだりに隣接してある、豊橋市役所地下1階のコンビニでたばこをかう。おおきな市役所だけにコンビニがはいっとるだ。

2021.4.8 (82) 吉田城 - 鉄櫓(くろがねやぐら) 2000-1500

豊橋公園をおくにすすんで、本丸の西北かどに鉄櫓(くろがねやぐら)。「てつのやぐら」ってかいて、「くろがねやぐら」ってよむ。「まもるもせめるもくろがねの♪」ってうたもあった。天守閣をもたんかった吉田城にあって、この鉄櫓が実質的な天守閣だったらしい。

2021.4.8 (83) 吉田城 - 「吉田橋」 1900-1500

鉄櫓をはいってすぐのとこに、吉田橋の説明がき。吉田橋のむこうがわからかわぎしにある吉田城をみたえがあって、作家宮城谷昌光さんの小説の一部もそえてある。このしろをめぐって、今川氏をうしろだてにした牧野氏と、三河全域に勢力をのばしたい松平清康があらそうだ。

てっぺんまでのぼっていくとちゅうに、SKE48熊崎晴香さんをモデルにつかった二川宿(ふたがわじゅく)ポスターを発見。二川宿は豊橋のすぐひがしだ。また、いってみにゃ。

2021.4.8 (85) 吉田城 - 鉄櫓からのながめ 1600-1200

てっぺんまでのぼって、ひだり、とよがわのかわしもに吉田大橋、とよばし、名鉄鉄橋がみえる。名鉄鉄橋は、ちょうどこおろぎ特急がみぎからひだりにわたっていくとこだ。

おりていくとちゅうに展示資料を見学。吉田城下町推定図をみてみると、大手門は東西の電車みちのちょこっとみなみ、大手どおりがそとぼりをわたるとこにあったことがわかる。また、「吉田宿はめしもりおんながおおかったことでもしられ、『吉田とおれば二階からまねく、しかも鹿の子のふりそでが』などのうたがひろくしられとる」ってかいてある説明がきもある。めしもりおんなは給仕のあと、鹿の子のふりそでをきて遊女にかわる。しゅくばまちに遊女はつきもんだ。また、吉田城が、織田、豊臣がわの武将、池田輝政(いけだてるまさ)未完のしろであることをしる。

2021.4.8 (86) 吉田城 - 鉄櫓(くろがねやぐら) 1500-2000

うらがわにまわって、鉄櫓をみあげる。

うしろ、とよがわの対岸にのどかなふうけいがひろがるのをみて、ひきかえす。

2021.4.8 (87) 吉田城 - うちぼり 1980-1480

どばしでうちぼりをわたって、本丸からそとにでたとこに冠木門があった。

そとぼりのとこが豊橋公園のいりぐちで、ここに三の丸口門があった。三の丸口門をでるてまえ、ひだりがわにあった太鼓櫓のとこには、いまは便所がある。

豊橋公園いりぐちの門をでたすぐみぎに門衛つめしょ。ほんとにひとがひとりはいれるだけの、郵便ポストのかたちをしたコンクリートづくりのまったくかざりっけのない門衛つめしょだ。門のがわが開口部になっとって、門衛さんがみはれるようになっとるほか、そとがわとうちがわにちいさなのぞきあながひとつづつ。そとでおおきなおとがすると、なかで反響してぐわんぐわんぐわんってなる。豊橋公園は陸軍の部隊がおかれたとこ。不審人物がはいってこんように、この門衛つめしょでみはったのか。

2021.4.8 (88) 豊橋市公会堂と路面電車 1980-1480
2021.4.8 (89) 豊橋市公会堂と路面電車 1900-1460

豊橋市公会堂から路面電車のいきかうみちをわたって、豊橋のえきまであるいてもどる。


(さんこう)

あんじょう城の歴史

あんじょう城をあるいたブログ記事をかくにあたって、つぎのとおりあんじょう城の歴史をまとめてみた。

あんじょう城の歴史
  • 1440年、和田氏があんじょう城を築城。
    (あんじょう城築城以前の和田氏の本拠地は、にしどなりのあんじょう古城)
  • 1471年、岩津城主松平信光があんじょう城をおとす。
  • 1524年松平清康松平氏の本拠地を岡崎城にうつす。
    (4代50年あまりのあいだ、あんじょう城が松平氏の拠点になっとった)
  • 1535年、森山くずれにより松平清康がなくなる。
    (これにより松平氏は全三河の大名から西三河の一大名に転落)
  • 1540年から1549年までの10年間に、松平氏織田氏とのあいだで、あんじょう城の所有をめぐって数次にわたる合戦がおこなわれる。
  • 1560年桶狭間のたたかいで織田信長今川義元をうちとる。
  • 1562年ごろ、あんじょう城が廃城となる。
    松平氏が今川氏から独立したあと織田氏清洲同盟をむすんだことで、織田氏にたいする前線基地の意味がなくなったため)

◇            ◇

基本的に戦国期のしろだ。のちに天下をとることになる松平氏が、岡崎に本拠地をうつすまで本拠地にしとったのがあんじょう。岡崎移転后も織田にたいする前線基地としてつづいたあんじょう城だけど、あんじょう合戦で織田にとられとりかえしたあと、松平のうしろだてになっとった今川が桶狭間のたたかいで織田にやぶれ、松平と織田が同盟をむすぶにおよんで、存在意義をうしなったあんじょう城は廃城になる。


(さんこう)

  • あんじょう城をあるく - あきひこゆめてつどう|2021/04/03
    • 1440年に築城、1562年に廃城になったあんじょう城をあるいた。まわりの古戦場や、しろからつながるまちをふくめてあるいて、戦国期あんじょう城の歴史や、律令時代から江戸時代にかけてのあんじょうのまちの歴史をしることができた。とりわけ、律令時代からおおきないちのあるまちだったことにおどろいた。
  • 安城合戦 - Wikipedia
    • 安城合戦の古戦場周辺には、討死にした者たちを弔った塚が数多くあり、それらの塚は十三塚と総称され、具体的には東条塚・千人塚・堀平十郎塚・大道塚・鏡塚・玄塚・古見塚・姫塚・恋塚・貴人塚・金蔵塚・富士塚・大胴塚の計13の塚である。
  • 安祥城 - Wikipedia
    • 舌状台地の先端に位置し周囲を森と深田に囲まれとって、その内側に土塁や堀があり、天守を持たん平山城だった。室町時代中期に築城され、織田氏、今川氏、松平氏との間で激しい戦闘が繰り広げられた。『岡崎領主古記』に安祥森城、『三河国二葉松』に安條古城・云城森、という記載があるが、徳川の同時代史料(『家忠日記』や大久保の『三河物語』)には、別名の森城なる記載はない。『寛政重脩諸家譜』では安城とある。
    • 徳川最古参の三河安祥之七御普代の発祥の地でもある。三河安祥之七御普代とは、酒井左衛門尉・大久保・本多・阿部・石川・青山・植村、または酒井・大久保・本多・大須賀・榊原・平岩・植村を指す(『柳営秘鑑』)。
    • 信長公記』に「三川の内あん城と云ふ城」と記載される。織田氏保有しとった時代には三河進出の牙城となった。

金蔵塚をあるく

2021.4.12 (9-1) ふるい - 金蔵塚(きんぞうづか) 1280-1280

わがふるいに金蔵塚(きんぞうづか)っていうあざがあることは、ものごころついたころからしっとった。ほの金蔵塚っていうあざに金蔵塚っていうつかがあることを、さいきんしった。ほいでついさいきんになって、あんじょう合戦でうちじにしたものたちをとむらった十三塚のひとつに、金蔵塚っていうつかがあることをしった。あんじょうはふるいのきたにあるまちで、戦国期まであんじょう城っていうしろがあっただけど、これをめぐる松平、織田、今川いりみだれての合戦があんじょう合戦だ。

わがふるいの金蔵塚にある金蔵塚が、あんじょう合戦十三塚のひとつの金蔵塚にちがいない。あんじょう合戦の戦場はわがふるいにまでおよんどっただ。きょう2021年4月12日、あらためてこの金蔵塚をあるいてみた。

◇            ◇

2021.4.12 (1) 古井神社(ふるいじんじゃ) - とりい 1600-1200

ふるいのおみやさんこと古井神社(ふるいじんじゃ)におまいり。

2021.4.12 (2) 古井神社 - うら参道 1600-1200

うら参道からにしのみちにでる。

2021.4.12 (3) ふるい - いぼ地蔵さん 2000-1430

ちょこっときたにいって、十字路東北かどのいぼ地蔵さんにおまいり。わが少年時代ここにおまいりしていぼがなおったっていう経験があるだけど、名鉄西尾線の前身、碧海電気鉄道の建設にあたっとった線路工夫さんも、ここにおまいりしていぼがなおったっていう。

2021.4.12 (4) ふるい - いぼ地蔵さんの十字路からにしえ 1590-1180

十字路からにしにいく。いったんひくみにおりて、またたかみにあがっていく。ひくみのへんは、左右新興住宅街。たかみにあがるへんから、ふるくからの住宅地。

2021.4.12 (5) ふるい - あざ金蔵塚みなみはし 1600-1200

のぼりざかのとちゅうで右折。こっからきたにいく。こっから金蔵塚のあざの区域になるだけど、むかしはこのみちがめぬきどおりだったっていう。ちょこっとのぼりざかであとは水平にいく。左右はふるくからの住宅地。

2021.4.12 (6) ふるい - あざ金蔵塚まんなか 2000-1500

ななめの十字路を直進。こっからは軽トラック1台がかろうじてとおれるはばしかない。こいでもめぬきどおりだっただ。また、この十字路からは、ひだりうえにふるいのえきにいけて、みぎしたに県道にでれる。このみちと県道は平行しとるだけど、このみちがむかしのめぬきどおり、県道がいまのめぬきどおりってわけだ。

ひだりがたかみ、みぎがひくみっていう地形のなか、めぬきどおりをきたにいく。

2021.4.12 (7) ふるい - あざ金蔵塚きたのほう 2000-1400

すすんで、みぎに保福寺(ほうふくじ)がみえてくる。

2021.4.12 (8) ふるい - 保福寺(ほうふくじ)のうら 1980-1480

保福寺のうらまですすんで、みちのみぎわきにちいさなもり。みちはこのもりのぶんだけ、ひだりに迂回。

2021.4.12 (9) ふるい - 金蔵塚(きんぞうづか) 1780-1330

もりのむこうがわ、もりにかくれるようにして金蔵塚のつかがたっとる。ここにあんじょう合戦でうちじにしたものたちをとむらってあるだ。いいつたえによると、このつかからあおいひがでたり、このつかにわるさをすると熱がでてねこんだりすることがあるっていう。おまいり。

2021.4.12 (10) ふるい - あざ金蔵塚きたはし 1590-1200

すすんで、つきあたりT字を左折、にしにいく。ちょこっとのぼりざかであとは水平にいく。左右は新興住宅街のなかにふるくからの住宅がぽつんぽつん。

2021.4.12 (11) 古井4号ふみきり - 地蔵さん 1560-1200

金蔵塚のあざの区域からはずれてすすんで、名鉄西尾線古井4号ふみきりのわきに地蔵さん。かなしいかなふみきりに地蔵さんはつきもん。

2021.4.12 (12) みぎ上寺/ひだり亀山下 1580-1180

ふみきりをわたらんで、右折してきたにいく。いまはみちの左右の土地がおんなじたかさになっとるけど、みぎはもともとのたかみで、ひだりはがけしたをうめて造成した土地。左右とも、アパートやマンションもある新興住宅街になっとる。

すすんで、みぎに1枚だけたんぼ。むかしは左右たんぼだっだけど、ここだけのこっとる。

2021.4.12 (14) ふるいから勢井畷え 2000-1420

すすんで十字路にでる。ふるいの区域はここまでで、このさきはあんじょうの区域になる。すぐ左右は墓地で、ほんなかに、十三塚にかぞえられる千人塚や東条塚がある。墓地のなかをいくみちが勢井畷(せいなわて)で、墓地からおりてたんぼんなかをとおっていったむこうに、あんじょう城のあとや、むかしっからのあんじょうのまちがある。また、勢井畷のひがしのほうからふるいのきたのほうにかけて、たんぼんなかを勢井前川(せいまいがわ)がながれる。


(さんこう)

  • あんじょう城をあるく - あきひこゆめてつどう|2021/04/03
    • ふるいのわがやをでて、あざ金蔵塚(きんぞうづか)にある保福寺(ほうふくじ)をひだりにみて県道をきたにすすむ。あんじょう合戦でうちじにしたものたちをとむらった十三塚のひとつにある金蔵塚が、このあざめいの金蔵塚にあたるもんか。
  • 安城合戦 - Wikipedia
    • 安城合戦(あんじょうかっせん)の古戦場周辺には、討死にした者たちを弔った塚が数多くあり、それらの塚は十三塚と総称され、具体的には東条塚・千人塚・堀平十郎塚・大道塚・鏡塚・玄塚・古見塚・姫塚・恋塚・貴人塚・金蔵塚富士塚・大胴塚の計13の塚である。
  • 古井町歴史研究会 - 金蔵塚の碑
    • あおいひがでるとか、つかにわるさをすると発熱してねこむといわれ、自然のちからをおそれてまつったつかです。
  • 古井町歴史研究会 - いぼ地蔵
    • 幕末のころ、保福寺の和尚があんじょうから桜井へむかうみちのつじにまつりました。
    • 昭和のはじめのころ、電車の線路工夫がこの地蔵をまいりいぼがなおったとのうわさがひろがり、「いぼ地蔵」とよばれております。
    • 道路の改修でなんども移動し、1933年からいまの地点にうつりました。