あんじょう城をあるいたブログ記事をかくにあたって、つぎのとおりあんじょう城の歴史をまとめてみた。
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基本的に戦国期のしろだ。のちに天下をとることになる松平氏が、岡崎に本拠地をうつすまで本拠地にしとったのがあんじょう。岡崎移転后も織田にたいする前線基地としてつづいたあんじょう城だけど、あんじょう合戦で織田にとられとりかえしたあと、松平のうしろだてになっとった今川が桶狭間のたたかいで織田にやぶれ、松平と織田が同盟をむすぶにおよんで、存在意義をうしなったあんじょう城は廃城になる。
(さんこう)
- あんじょう城をあるく - あきひこゆめてつどう|2021/04/03
- 安城合戦 - Wikipedia
- 安祥城 - Wikipedia
- 舌状台地の先端に位置し周囲を森と深田に囲まれとって、その内側に土塁や堀があり、天守を持たん平山城だった。室町時代中期に築城され、織田氏、今川氏、松平氏との間で激しい戦闘が繰り広げられた。『岡崎領主古記』に安祥森城、『三河国二葉松』に安條古城・云城森、という記載があるが、徳川の同時代史料(『家忠日記』や大久保の『三河物語』)には、別名の森城なる記載はない。『寛政重脩諸家譜』では安城城とある。
- 徳川最古参の三河安祥之七御普代の発祥の地でもある。三河安祥之七御普代とは、酒井左衛門尉・大久保・本多・阿部・石川・青山・植村、または酒井・大久保・本多・大須賀・榊原・平岩・植村を指す(『柳営秘鑑』)。
- 『信長公記』に「三川の内あん城と云ふ城」と記載される。織田氏が保有しとった時代には三河進出の牙城となった。