ひたちなか海浜鉄道、復旧へ 意欲!

3月 31日に 常磐線 (じょうばんせん)が 水戸の ひとつ むこうの 勝田 (かつた)って いう とこまで 運行 再開した とこだけど、その 勝田から 分岐して 鹿島灘に でて、那珂湊 (なかみなと)から 終点の 阿字ヶ浦 (あじがうら)に いたる 全長 14.3キロの 三セク 鉄道、ひたちなか海浜鉄道に ついては、被害が ひどくて かんたんには 復旧できんらしい。







ひたちなか海浜鉄道 路線図
ひたちなか海浜鉄道 路線図

おなじ 三セク 鉄道でも、すぐ となりの、水戸から 分岐して 鹿島灘 ぞいを みなみに むかう 鹿島臨海鉄道 大洗鹿島線は 一部 区間を のぞいて 4月 なのかまでに 運行を 再開する ことが きまっとる。


そんな なか、ひたちなか海浜鉄道の 吉田千秋 社長は 復旧に 意欲を みせる。







吉田千秋 社長 (あさひ) 500-332
地盤が くずれて、おちこんだ 線路を しめす 吉田千秋 社長 (あさひ)


  • ひたちなか海浜鉄道の 路線は 1913年に 開業。約 40年 まえの 最盛期には 年間 350万人の 利用者が おっただけど、2007年度は 70万人に 低迷。2008年 4月、ひたちなか市などが 出資する 三セク 鉄道と して 再スタート。

  • 北海道の 炭鉱で 使用されとった 1962年製の ディーゼル カーなど レトロな 車両が 現役で はしっとる。

  • 2009年度の 利用者数は 77万人に 回復。2010年度も 地震が なければ 80万人に 到達する みこみだった。あかじ 脱却の きざしが みえはじめた やさきの 試練だけど、「この まま 廃線には できん」と 関係者らが 奮闘しとる。

  • 3月 11日の ひがしにほん地震で、線路 わきの いけが 決壊。もりどが 濁流で ながされ、約 50メートルに わたって 線路が つりばしの ように たれさがった。ほかにも 線路が なみうったり、まくらぎが ずれたり する 被害が あちこちで みつかった。












もりどが ながされて むきだしに なった レール (ひたちなか市 金上)
レールが むきだしに なった 線路 (茨城新聞) 宙に ういた レール (まいにち)
ひたちなか市 金上 (茨城新聞
佐藤彦三郎 団長 (まいにち)
(110318 原田啓之氏 撮影)


  • 復旧には すくなくとも 3か月は かかり、工事費は 約 2億円と みつもられとる。

  • ひたちなか海浜鉄道を つうじて、まちの 活性化を めざす 市民 組織 「おらが湊鉄道 (みなとてつどう)応援団」の 佐藤彦三郎 団長 71才は 「ひたちなか海浜鉄道が なければ 高令者や 学生の 交通 手段が なくなる。まちの 活性化の ためにも 絶対に 必要だ」と はなす。メンバーは 現在、線路を あるき、かわりはてた 光景を 写真に おさめとる。てづくりの 写真集に して 沿線 住民に 回覧し、復興 資金を つのりたい かんがえだ。

  • 吉田千秋 社長は 「この 困難を のりこえれば、全国の あかじ 路線にも 希望を あたえれる。気概を もって がんばりたい」と 意欲を みせる。


がんばれ、ひたちなか海浜鉄道
がんばれ、茨城!




(ねたもと)

(さんこう)