能勢電鉄 100周年!

能勢電鉄 (のせでんてつ)の 路線は ふたつ ある。阪急 宝塚線を 梅田から 17.2キロの 川西能勢口 (かわにしのせぐち)って とこから 分岐して、妙見口 (みょうけんぐち)って とこまで いく 妙見線 12.2キロと、妙見線の とちゅう 川西能勢口から 8.2キロの 山下 (やました)って とこから 分岐して 日生中央 (にっせいちゅうおう)って とこまで いく 日生線 2.6キロの ふたつで、あわせて 14.8キロの きょりに なる。わが 名鉄 西尾線で いうと 起点の 新安城 (しんあんじょう)から とちゅうの 西尾までが 15.0キロだで、だいたい ほれ ぐらいの ながさだって おもや いい。

能勢電鉄 路線図 (あきひこ)
能勢電鉄 路線図 (あきひこ)

阪急 宝塚線から 能勢電鉄 のりいれて くる 電車も あるだけど、梅田からの 通算 きょりで いうと 妙見線の 終点 妙見口が 29.4キロで、日生線の 終点 日生中央が 28.0キロに なる。わが 名鉄で いうと 名鉄名古屋から 新安城までが 29.7キロだで、だいたい ほれ ぐらいの きょりだって おもや いい。

ところで、この 能勢電鉄が こんげつ 2013年 4月 13日で、開業 100周年を むかえたって いう。さいしょに 川西能勢口から 一の鳥居 (いちのとりい)までの 区間が 開業したのが 1913年だけど、阪急 宝塚線が 開業した 1910年から わずか 3年 あとの ことで、当時の 期待度の たかさが わかる。

5年 まえの 会社 設立 100周年の ときは 経営 再建中で、ろくな おいわいも できんかっただげなけど、こんかい 開業 100周年に あたっては、これを 記念した 復刻 塗装 車両も はしりはじめとるって いう。

能勢電鉄 1がた 復刻 塗装 車両 (山下駅) (あさひ)
能勢電鉄 1がた 復刻 塗装 車両 (山下駅) (あさひ)
能勢電鉄 50がた 復刻 塗装 車両 (川西能勢口駅) (あさひ)
能勢電鉄 50がた 復刻 塗装 車両 (川西能勢口駅) (あさひ)

(あさひの 記事から)

  • 能勢電鉄は、能勢 地域の 農産物 輸送と 妙見山 参拝を 目的に 1908年に 設立。1913年から 川西能勢口-一の鳥居間で 営業 運転を はじめた。現在では おもに 大阪に むかう 通勤、通学客が 利用する 鉄道線の ほか、妙見山への ケーブルカーと リフトを 運行しとる。
  • 能勢電鉄では 開業 100周年を むかえる 記念の としを もりあげえと、11月まで 沿線で 多彩な 行事が 計画されとる。
  • こんかい、開業時に 使用した 「1がた 車両」の みどりがかった あおい 塗装と、1950年 ごろから 1981年まで かつやくした 50がた 車両の アイボリーと あおの 塗装を 現在の 車両で 再現した。2013年 4月 13日は 川西能勢口駅の ホームで 11時から 式典を し、車内で 記念 グッズや 沿線の やさいを販売。1がた 復刻 塗装 車両は まあはい はしっとって、50がた 復刻 塗装 車両は じゅうよっかから はしりはじめる。2013年 11月 にじゅうよっかまで 山下-妙見口間と 山下-日生中央間を 運行する。
  • 能勢電鉄は 2008年が 会社 設立の 100周年だったけど、当時は 債務 超過で 経営 再建中。会社の 「100年史」を つくった ほかは、既存 イベントに 「設立 100周年」の かんむりを つけた だけで 質素に いわった。ほの あと、2012年 3月期 決算で 債務 超過から 脱し、こんかい、開業 100周年を よろこべる かんきょうが ととのった。

 いま 能勢電鉄を はしっとるのは もと 阪急の 電車 ばっかで、いろも 阪急 時代の マルーンの ままなだけど、こんかい 復刻 塗装 車両を 運行する ことで 能勢電鉄の アイデンティティーを あらわしとるって わけだ。

能勢電鉄 100周年、おめでとう!


(さんこう)