みたけじゅくをあるく - 2018年6月なのか

2018.6.7 みたけ (90) 商家竹屋 - なかにわ 1600-1200

名鉄の終着駅、御嵩(みたけ)。古井(ふるい)から5本の電車をのりついでほの御嵩のえきまでたどりついたことはまえのブログ記事にかいたとおりだけど、こんかいはほっからひがしにのびる、中山道はみたけじゅくをあるいたようすを紹介する。

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2018年6月なのか10時25分、御嵩のえきにとうちゃく。えきとしては無人駅だけど駅舎は御嵩町(みたけちょう)観光案内所としてつかわれとって、ほこにおった案内のおねえさんにみどころをきく。中山道は線路の延長線上にある。みたけじゅくは、えきのとこからひがし500メートルぐらいのあいだのりょうがわにいまもむかしのまちなみがのこる。みどころは願興寺(がんこうじ)、みたけ館(みたけかん)、商家竹屋(しょうかたけや)のみっつで、ごはんがたべれるとこがふたつとのこと。いや、こうやって対面で説明してくれるひとがおるってのがうれしい。ひとがおることでえきもさっぷうけいにならんですむ。おまけに写真までとってもらった。駅舎のなかにはってあった「はんぶん、あおい」のポスターのとなりで1枚と、駅舎を背景に1枚。「はんぶん、あおい」の撮影地、岩村(いわむら)もここ御嵩もおんなじ東濃(とうのう)地域だ。

2018.6.7 みたけ (81) 御嶽宿の地図 1680-1880
(81) 御嶽宿の地図

ひがしにむかってあるきはじめたとこで、遠足できたってかんじの小学生がいっぱいあらわれる。いや~、いい光景だな~。さいしょの願興寺(がんこうじ)はすどおり。やねは鉄板ぶきだし、たてもん自体もほんなにあじわいのあるもんじゃなさそうだし、ほれにじぶん自身ほんなに信心ぶかいほうでもないってことが理由だ。

はしをわたってとこで、とおりに面してみたけじゅくの説明がきと地図のかんばんがたっとる。家康が五街道を整備したときに、中山道ではこの御嵩をまっさきにしゅくばまちに指定したっていう。いまはひっそりとたたずむ御嵩のまちも、ほのむかしは主要都市だっただ。

みたけ館

みたけ館にはいる。町立図書館の2階がこのみたけ館になっとって、ふるい資料が展示してあるだ。2階にあがったとこで職員のひとがでてきて、はなしをしてくれる。いますどおりしてきた願興寺のはなしだ。江戸時代は尾張藩から100石の禄(ろく)をもらっとったもんが、明治になって貧乏になったらしい。なるほど、かわらやねにするおかねがなくて鉄板ぶきになっとるだ。檀家(だんか)は10軒しかないっていう。ほとんどの住民はほかのおてらをだんなでらにしとるとのころ。いや、ほれはたいへんなことだ。ただ、くにの重要文化財になっとって、これから補助金をえて大改修にはいるっていう。いまのかたちのまま復元をするらしい。たてもんはりっぱなたてもんじゃないだけど、つくりが独特でたいへんとのこと。まがった材木がほのままはしらにつかってあったりもして、おかねが10億円以上、期間は10年ちかくもかかるっていう。ただ、補助金だけじゃふじゅうぶんで、御嵩のまちのひとたちや一般のひとからも寄付をつのるっていう。ほー、さいごに願興寺によってみることにする。

ほかにこんなはなしもきいた。江戸末期だったか平田国学(ひらたこくがく)が中山道ぞいでさかんになって、この御嵩でも神道(しんとう)に改宗したうちが70軒だったかもあるっていう。中津川(なかつがわ)に拠点があって、ほっからの布教だったらしい。う~ん、歴史の教科書では国学者平田篤胤(ひらたあつたね)のなまをきいたことはあったけど、じっさいにこの御嵩の地にこんなえいきょうをおよぼしとったとはおどろきだ。

じつに貴重なはなしがきけた。こいでうちにかえってもいいとさえおもった。

2018.6.7 みたけ (84) 中山道みたけ館 - 亜炭鉱の模型 2000-1480
(84) 中山道みたけ館 - 亜炭鉱の模型

展示物でわが興味をひいたのが亜炭(あたん)の展示。ほういやあ東濃のどこやらで戦前に亜炭採掘のさかんなとこがあるってのを、新聞だかテレビだかできいたことがあるだけど、この御嵩がほの地域だっただ。広範な区域にわたって陥没の危険性があるともいっとった。あとでしらべたらヰキペディアの「御嵩駅」の項にも、「御嵩駅は御嵩町中心部への旅客専用駅としてもうけられたため、かつて運行していた亜炭の貨物列車はひきつづき御嵩口駅から発着した」っていう記述があった。

ほかに、すけごう(助郷)についての説明なんかもあった。

2018.6.7 みたけ (84あ) 御嵩町図書館 - 「みたけの鉄道90年史」 540-720
(84あ) 御嵩町図書館 - 「みたけの鉄道90年史」

1階の図書館におりて、この地域の鉄道に関する資料はないかきいてみる。主要都市でありながら中央線からはずれたこの御嵩。じもとのひとたちのてで新可児から御嵩にいたる鉄道をひいただ。いまは名鉄の路線網にくみいれられて名古屋に直結する。ほの鉄道についての資料がみてみたかった。あった。いまはてにいれることのできん「みたけの鉄道90年史」っていう資料だ。ここまできたかいがあった。全18ページ分のコピーがほしかっただけど、きまりによりかなわず。半分の9ページ分だけのコピーをもらってそとにでる。

そとにでたとこで、ちょうど遠足の小学生のひとつのグループがおる。どっからきたのかってきいたら、この御嵩のこだっていう。静岡県のどこやらへ遠足だか校外学習だかにいく予定があるだけど、ほれにさきだってじもとのことをしらべていくだっていう。ほー、いいことだ。じぶんの地域のことがわかっとってこそ、よその地域の特性もわかるってもんだ。いや、すばらしい。わが小学校時代とはえらいちがいだ。

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2018.6.7 みたけ (86) 「1842年ごろの御嶽宿のやなみ図」 2000-1360
(86) 「1842年ごろの御嶽宿のやなみ図」

ひがしにすすんで「1842年ごろのみたけじゅくのやなみ図」ってのがある。ふーむ、本陣とわき本陣を中心にびっしり商家がたちならんどるわ。

商家竹屋

2018.6.7 みたけ (85) 商家竹屋 1500-1200
(85) 商家竹屋

やなみ図のとなりの商家竹屋(しょうかたけや)にはいる。

2018.6.7 みたけ (87) 商家竹屋 2000-1500
(87) 商家竹屋

この郵便うけみたいなかたちのおねえさんのえがはめてあるぼんぼりみたいなの、いいな~。なんていうなまえなのかわからんのがしゃくだけど、ほかのたてもんにもおんなじのがついとった。みたけじゅくのめじるしに統一的につけてある。この意匠については縁のある大学やじもとの高校生もかかわっとるらしかった。

2018.6.7 みたけ (88い) 商家竹屋 - ガラスど 1660-1080
(88)(88あ)(88い) 商家竹屋 - ガラスど

なかにはいって、かかりのおばさんに案内してもらう。はねあげしきのおおどもある。ほかのしゅくばまちでもみたやつだ。あげさげするのがたいへんだらあねってきくと、3人がかりだっていう。いや、ほんとにたいへんだ。ずーっとおくにのびるどまのみぎがみせになっとる。おきまりだ。ただ、まどりが「田の字」にあるのにおどろく。まぐちがひろいだ。ふつうならどまに面したへやがふたへや、みへやあるだけなのに、まあ1列どまに面してないへやもあるだ。おばさんもほのことは承知だった。おくざしきのえんがわにあがってみる。ゆらゆらガラスだ。むかしはガラスが均一のあつさでつくれんくて、ガラスのむこうのけしきがゆらいでみえるだ。わがこどものころもこうだった。なつかしい。

2018.6.7 みたけ (89) 商家竹屋 - 展示棟と土蔵 1500-1200
2018.6.7 みたけ (88う) 商家竹屋 - 展示棟 1600-900
(89) 商家竹屋 - 展示棟と土蔵(88う) 展示棟

いったんたてもんをでておくにさらにたてもんがある。展示棟と土蔵だ。展示棟ははたおりに関するもんが展示してあるだけど、ここがはたおりごやになっとったことを記念してのことだげな。

2018.6.7 みたけ (90) 商家竹屋 - なかにわ 1600-1200
(90) 商家竹屋 - なかにわ

茶室のよこをぬけてなかにわにいくと、さっきのゆらゆらガラスがみえる。

2018.6.7 みたけ (91あ) 商家竹屋 - どまから玄関をみる 1920-1080
(91)(91あ) 商家竹屋 - どまから玄関をみる

おばさんに礼をいって、とおりにもどる。

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2018.6.7 みたけ (92) 柏屋 1800-1350
(92) 柏屋

はすむかいに柏屋(かしわや)。ひがしにすすんでしゅくばまちのはずれのへんまでいって、ごはんをたべて、にしにもどる。

願興寺

2018.6.7 みたけ (93) 願興寺 - 山門 2000-1500
(93) 願興寺 - 山門

とおりに面した山門から願興寺(がんこうじ)にはいる。

2018.6.7 みたけ (94) 願興寺 - 本堂 2000-1500
(94) 願興寺 - 本堂

さびさびの鉄板ぶきのでっかいやね。

2018.6.7 みたけ (95) 願興寺 - 本堂 2000-1500
(95) 願興寺 - 本堂

ほねぐみもおおきいぞ。

2018.6.7 みたけ (96) 願興寺 - 「蟹薬師」 2000-1500
(96)(96あ) 願興寺 - 「蟹薬師」

えんがわにあがって、おまいり。うえに「蟹薬師(かにやくし)」の額がかかっとる。いまは「可児(かに)」っていう表記だけど、むかしは「蟹」ともかいたのか。可児市御嵩町のにしどなりのまちだけど、あとでしらべたら、むかしはひろくこの一帯が「可児」で、明治期には郡役所が御嵩町にあった。いまののどかなしゅくばまちのふうけいからは想像しにくいけど、むかしはこの御嵩が中心都市だっただ。

2018.6.7 みたけ (96い) 願興寺 - 境内 1850-1040
(96い)(97) 願興寺 - 境内

えんがわを正面からみぎがわにまわりこんどると、ゆかいたがくちかけてへっこんどるとこがある。大改修をせにゃいかんわけだ。

2018.6.7 みたけ (98) 願興寺 - 本堂 2000-1500
2018.6.7 みたけ (98あ) 願興寺 - 本堂 1080-1920
(98)(98あ) 願興寺 - 本堂

したにおりてひだりからうらがわにまわりこんでみると、えんがわもぐるーってまわりこんどる。おてらでこんなつくりははじめてみる。いやいや、ほんなことより、このあらあらしさはどうだ。まったく洗練なんかされてない、素朴でちからづよいつくりだ。これをみれただけでもここまできたかいがあった。

2018.6.7 みたけ (99) 願興寺 - 鐘楼門 2000-1500
(99) 願興寺 - 鐘楼門

おくにすすんで、鐘楼門。本堂におなじく素朴でちからづよい。

2018.6.7 みたけ (100) 願興寺 - おくの門 2000-1500
(100) 願興寺 - おくの門

いちばんおくのおくり(お庫裏)までいって、見学をおえる。

14時29分の電車でみたけじゅくをあとにする。

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貴重なはなしをきくことができた。貴重な資料をてにいれることができた。むかしのまちなみをたのしむことができた。素朴でちからづよいおてらの伽藍をこのめにすることができた。すばらしいまちあるきだった。


(さんこう)