2019年1月16日、神宮前(じんぐうまえ)からぶらぶらあるいて断夫山古墳(だんぷさんこふん)、熱田記念橋(あつたきねんばし)、青大悲寺(せいだいひじ)ってみてきた。神宮前までの乗車のようすとあわせて、以下に紹介する。
◇ ◇
神宮前まで
ふるい8時40分のしんあんじょういきふつうにのる。
8時48分、しんあんじょうにとうちゃく。8時55分の岐阜いき急行にのりかえ。
9時10分、鳴海(なるみ)にとうちゃく。のりかえのため下車。いや、ここまでのってきたあっかい電車のうつくしいこと。
えきの豊橋よりにある留置線から鳴海9時18分の佐屋(さや)いき急行がはいってきて、これにのる。ここ鳴海始発の電車でこれにのるためにここでのりかえた。
鳴海をしゅっぱつしてすぐに豊橋いき特急のふるい塗装のパノラマスーパーとすれちがい。
東岡崎いきふつうのあっかい電車とすれちがって、本星崎(もとほしざき)を通過。
東岡崎いきふつうのSR車が停車中の本笠寺(もとかさでら)を通過。
豊明(とよあけ)いき準急のあっかい電車とすれちがって、桜(さくら)を通過。
呼続(よびつぎ)を通過。
豊橋いき急行のあっかい電車とすれちがって、堀田(ほりた)に停車。まちあいするのかっておもったらすぐにしゅっぱつ。
9時26分、神宮前(じんぐうまえ)にとうちゃく。下車。のってきた電車がふつうにかくさげになってしゅっぱつするのをみとどけて、かいさつをでる。
断夫山古墳(だんぷさんこふん)
神宮前のえきから熱田神宮をさけるようにして西北方向にすすむ。えきまえに名古屋本線と平行して南北にのびるのが大津どおり(おおつどおり)で、ほのまあ1本にしに南北にのびる伏見どおり(ふしみどおり)にでる。国道19号線でもある。
もりをまもり、子々孫々へ!
ここは断夫山特別緑地保全地区です。
面積およそ1.5ha
といあわせさき:名古屋市緑政土木局緑地部緑地事業課
電話:052-972-2493
伏見どおりからちょこっとにしに住宅街にはいったとこからきたにあるいて、断夫山古墳(だんぷさんこふん)にとうちゃく。古墳のなまえは「だんぷやま」ともよむみたいだけど、より優勢っておもわれる「だんぷさん」ってする。古墳は前方后円墳(ぜんぽうこうえんふん)で、このみなみがわが正面になる。東海地方最大の古墳ってことだけど、わが西三河(にしみかわ)で最大の二子古墳(ふたごこふん)とくらべてもほんなにおおきいっていう印象はない。ただ、しらべると倍のおおきさだ。古墳のまわりにはほりがめぐらされとるだけど、これをみぎまわりにまわって一周することにする。
西南かどからひがしむきに、みなみがわのほりをみる。
西南かどからきたむきに、にしがわのほりをみる。
きたにすすむにしたがって古墳のはばがせばまって、とちゅうからまたふっくらとふくらむ。いちばんせばまったとこをさかいに、みなみがわが前方部できたがわが后円部。
いちばんせばまったとこに「つくりだし」っていうちいさなでっぱり。このにしがわだけにあるってことだけど、わかったようなわからんかったような。
円弧をえがきながらきたがわにまわりこんでいく。
きたからながめる。后円部をうしろからみとるかたちだ。
断夫山古墳
東海地方最大の前方后円墳で、全長151メートル、前方部のはば116メートル、后円部の直径80メートル、前方部のたかさ16.2メートル、后円部のたかさ13メートルの規模をほこる。
前方部と后円部のあいだのくびれ部に「つくりだし」とよぶ小丘部がにしがわにある。后円部は3段築成であったとおもわれ、1段めに須恵質と土師質の円筒埴輪をめぐらしていた。
この古墳は6世紀はじめ、尾張南部に勢力をもった尾張氏の首長のはかとかんがえられている。
1987年、くにの史跡に指定された。
名古屋市教育委員会
かんばんの説明がきをよんでみる。西暦500年代はじめの尾張氏(おわりうじ)の首長のおはかじゃないかっていわれとるだ。しらべると、尾張氏は天忍人命(あめのおしひとのみこと)からはじまっとる。
古墳から西北、熱田球場のうらがわになるとこに、27分の1模型の断夫山古墳。これなら全体がようわかる。
尾張名所図会(おわりめいしょずえ)断夫山(だんぷさん)
かつて断夫山は、つねひごろのたちいりが禁止されていましたが、3月みっかだけははいることをゆるされました。熱田のはまを眼下にみわたせるのはこのときだけでした。
またかんばん。年に1回、3月みっかだけ、この断夫山にはいれただ。ここがえらいひとのおはかだってことがずーっと認識されとっただな。
ひがしがわにまわりこむ。東北地点からみなみむきに、ひがしがわのほりをみる。后円部のまるみや、くびれ部からつながる直線的な前方部のようすがようわかる。
みなみにすすんで、東南かどからきたむきに、ひがしがわのほりをみる。
おなじく東南かどからにしむきに、みなみがわのほりをみて、古墳見学をおえる。
さて、高座結御子神社(たかくらむすびみこじんじゃ)にいくかっておもって、この断夫山古墳をふくむ熱田神宮公園をでえってするとこで、公園の配置図のなかに熱田記念橋ってのを発見。ほんとはほのまま伏見どおりをきたにあるいていくだっただけど、ひきかえしてさらにおくの熱田記念橋をみにいくことにする。
熱田記念橋
断夫山古墳のきたをとおりぬけ、熱田球場のみなみをとおりぬけたとこで、あった、あった。熱田記念橋(あつたきねんばし)があった。堀川(ほりかわ)にかかる歩行者専用のしろいつりばしだ。
まんなかのしろい主塔2本があおいそらをつきさす。しろいメインケーブルが主塔のてっぺんからりょうぎしにむかって弧をえがいてたれていく。うつくしいはしをひとがいきかう。
にしづめに設置してあった銘板で、1989年に完成したもんであることをかくにん。名古屋デザイン博のあったとしだ。筆者もみにいっただけど、このあたりが主会場だった。ほいで、このデザイン博をきっかけに名古屋のまちがみちがえるようにうつくしくなった。
はしのまんなかまでいって、ひだりに堀川のしもをみて、みぎに堀川のかみをみる。うつくしい光景だ。かわもにめをやると、かもがたのしそうにあそんどる。
はしのにしづめまでいったとこで、伏見どおりにひきかえす。
青大悲寺(せいだいひじ)
また伏見どおりにしがわの歩道をきたにあるきはじめたとこで、ひだりにおてら。
歩道に面したすぐとなりにお堂。
青大悲寺と鉄地蔵
当寺は、1756年この地でうまれた「きの女」がひらいた如来教(にょらいきょう)の本山。その説法の速記録は「御経様(おきょうさま)」とよばれ、名古屋弁そのままでかたられる特異な経典である。
寺内の地蔵堂には、等身大の鉄地蔵立像(愛知県指定文化財)が安置されている。像背面すそちかくの銘文から室町時代の作であることがわかった。
名古屋市教育委員会
お堂のわきのかんばんをよんでみる。「このおてらのなまえは青大悲寺。きのさんっていうおんなのひとがひらいた如来経の本山。名古屋ことばで説法をしとった。おてらのなかの地蔵堂に鉄地蔵が安置されとる」。いや、なかなかおもしろそうなおてらじゃんか。筆者もつねづね、おきょうはにほんごでやってこそっておもっとる。ちんぷんかんぷんな漢文のおきょうでひとのこころがいごくわけがない。
ちょっとよりみちのつもりでなかにはいってみる。なかなかていれのいきとどいた、こぎれいなおてらだ。金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)っていうかんばんのかかった土蔵みたいな伽藍(がらん)もある。
境内をうろつくうちに、おくのほうでにわのていれをしとるおじさんを発見。こえをかけてみると、いろいろとおしえてくれる。「ここはあまでらなだけど、如来教の本山にもなっとる。鉄地蔵ってのはにほんに3体しかない貴重なもんだ。名古屋ことばの説法『おきょうさま』は、まいつききまったひに檀家をあいてにやっとる」。などなど。
ところで、本堂からわたりろうかでつながっとるたてもんがあるだけど、おてらの伽藍としては異質なたてもんだ。これもおじさんにきいてみると、このおてらを資金援助するお武家さんがここにきたときにつかうたてもんだっていう。しかも、いまこれとおんなじもんをつくると、つぼ300万円もするっていう。ほー。
おじさんといっしょに、このたてもんをみてまわる。角材はすべてめんとりがしてある。まどガラスはゆらゆらガラス。
とびらがしまっとった本堂もおじさんがあけてくれて、なかをみせてくれた。ここでおきょうさまをやるだ。
ところで、鉄地蔵が安置してあるっていう地蔵堂はどこにあるのかってきいたら、歩道に面したとこにあるっていう。あー、説明がきのかんばんのたっとったあのお堂か。おじさんにお礼をいって見学をきりあげて、かえりがけに鉄地蔵をかくにん。
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青大悲寺の見学ですっかり時間をつかった。じつに有意義に時間だった。おきょうさまは、またあらためてききにいく。このひにいく予定だった高座結御子神社(たかくらむすびみこじんじゃ)もひをあらためていくことにする。このひのぶらりたびをおえて、ひるごはん。
東北方向、大津どおりの高蔵(たかくら)交差点まであるいて、ベーリングプラントでスパゲッティーを注文。食后にチャーイ。たのむつもりだったあおかびチーズはなかったけど、スパゲッティーについてきたほかっちゃはしおあじがきいてうまかった。
(さんこう)
- 乗車記録 - 2019年1月16日、すいようび、平日
- 鉄地蔵におまいりしたあとは…|いわせあきひこ|フェースブック|2019年1月16日12:54
- 神宮前からぶらぶらあるくうちに…|いわせあきひこ|フェースブック|2019年1月16日11:53
- 神宮前からぶらぶらあるくうちにあまでらを発見。名古屋ことばでお経をやっとったっていう。興味をひかれて、歩道に面した鉄地蔵をおまいり。おそるおそる境内にはいって金比羅大権現をおまいり。おてらっぽくないたてもんもあるぞ。にわそうじのおじさんを発見。鉄地蔵はにほんに3体しかないっていうめずらしいもんだった。おてらっぽくないたてもんはこのあまでらを資金援助するお武家さんのもんで、いまつくるとつぼ300万円もするっていう。お武家さんとあまさん、なかよしだっただ。しまっとった本堂もあけてくれておまいり。名古屋ことばのお経はみれるのかってきいたら、まいつきふつかの檀家があつまるときならみれるっていう。またこにゃいかんな。
- 堀川にあそぶかものむれ。…|いわせあきひこ|フェースブック|2019年1月16日11:21
- 堀川にあそぶかものむれ。いっしょになっておよぎたいなー。
- 尾張氏 - Wikipedia