とうかいどうもとじゅくをあるいてみる。「じゅく」はついとるけどしゅくばまちじゃないもとじゅくのまちをひがしのはしからにしのはしまであるいてみる。これまでにもとちゅうとちゅうをみたりあるいたりしたことはあるだけど、こんかいはぜんぶのくかんをとおしであるいてみる。
〔えきからひがしのはしまで〕 〔とうかいどうもとじゅくのまちをひがしのはしからにしのはしまでいく〕 |
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えきからひがしのはしまで
もとじゅくのえきででんしゃをおりて、こくどう1ごうせんのきたがわほどうをひがしにいく。えきからみなみにこくどう1ごうせんよこぎってとうかいどうにでることもできるだけど、あくまでもとじゅくのまちのひがしのはしからとうかいどうにはいっていきたいってことで、とうかいどうとならぶこくどう1ごうせんをひがしにいく。すぐひだりにめいてつなごやほんせんをみながらひがしにいく。
はっちがわもとじゅくばしをわたる。
ひだり、せんろとのあいだにかーさでるそるってなまえのあぱーと。
しんはこねいりぐちこうさてんをいく。ここまでくるととうかいどうは、こくどう1ごうせんのはんたいがわにくっついとる。しんはこねってのは、もとじゅくからはっちざかとんねるをぬけてがまごおりへでるまがりくねったやまみちを、はこねになぞらえてつけたなまえだ。
せんろわきにしゃしんかのせいねんをみつける。すれちがいざまにぺこってあたまをさげてくれる。れいぎただしいせいねんだ。
とつぜんめのまえにでんしゃがあらわれる。しんうぬまいきかいそくとっきゅうのこおろぎとそうだ。
もとじゅくまちふかだこうさてんで、こくどう1ごうせんのはんたいがわにわたる。ほこがもとじゅくのまちのひがしのはしだ。このこうさてんからひがしはまあはいながさわのまちになる。
とうかいどうもとじゅくのまちをひがしのはしからにしのはしまでいく
さて、もとじゅくのまちのひがしのはしからとうかいどうをにしにいく。しばらくみぎにこくどう1ごうせんがくっついたじょうたいでいく。おかげでみぎがわにやなみはない。
はいってすぐみぎに「しぜんとれきしをはぐくむまち|もとじゅく」のいしぶみ。ただ、これはこくどう1ごうせんのほうをむいとって、とうかいどうをあるくひとからはうらがわしかみえんのがざんねんだ。
- ちょこっといって、みぎに「これよりにしもとじゅくむら」のかんばん。かいてあることをかんたんにまとめてみるとつぎのとおり。
- もとじゅくはちゅうせいいこうほうぞうじのもんぜんをちゅうしんにまちなみがつくられた。いえかずは1802ねんに121けん、1874ねんに135けんあった。たてばがほうぞうじまえとよつやにあって、ほかにはたもとしばたしもとじゅくじんやなんかがあった。めいさんはあさざいくで、めいぶつはほうぞうじだんご。もとじゅくでとうかいどうからわかれる2ほんのえだみちがあった。1ぽんが、はっちがわぞいにみなみにすすんでからやまごえをしてがまごおりのたけしまべんざいてんにいたるはっちむらみち。まあ1ぽんが、きたにやまごえをしてそぶみかんのんにいたるそぶみやまみち。
なるほど、まちのちゅうしんは、たてばもあったほうぞうじなだ。ほいで、まあひとつのたてばがあったよつやってのがこのあたりのことだけど、いまはみぎがわにやなみもなく、にぎわったとうじのおもかげはない。きんだいになってできたもとじゅくのえきやもとじゅくむらやくばはほうぞうじよりもにしになる。
すすんで、みぎにじょうやとうとかぶきもん。むかしっからあったもんかどうかはわからんけど、たびびとにはうれしい。
みちがくだりにかかる。はっちがわのりゅういきをくだっていくかたちだ。
しんはこねいりぐちこうさてんをいく。ひだりがしんはこねになるだけど、むかしのはっちむらみちがこのしんはこねにかわったのか。
しんはこねいりぐちこうさてんをまっすぐいって、こくどう1ごうせんに「ひだりほうぞうじ」のひょうしき。いや、せんでんかんばんとかじゃなくて、ひょうしきとしてでとるのがすごいな。ほいで、こくどう1ごうせんととうかいどうのあいだにあるしょくさいたいをきりさいて、こくどう1ごうせんからとうかいどうにはいってこれるようにしてある。
ひだりにおりていけるようになっとるとこがあって、おりていってみる。もとじゅくひがしまちこうみんかんがある。いま、このあたりをひがしまちっていうだ。こうみんかんのひだりわきにじぞうどう。ほのおくにはっちがわにかかるあっかいはし。
もどって、とうかいどうをちょこっといって、ひだりにわかれみち。わかれみちにはいっていくほうがとうかいどうになるだけど、わかれみちになるとこのみぎがわにみちしるべがあって「みぎこくどう1ごう|ひだりとうかいどう」ってかいてある。
みちしるべやじょうやとうのほかに、「もとじゅくのれきしとぶんかをたずねて」ってかんばんがあって、ほうぞうじや、ほのけいだいにあるろっかくどう、とうしょうぐう、さらにもとじゅくじんやいちりづかについてのめいしょあんないがかいてある。ほうぞうじは701ねんっていうむかしにぎょうきがつくったてらで、じょうどしゅうにあらためた1385ねんにいまのなまえになったとのこと。ほいから、とくがわいえやすてならいのてらとしてもんぜんげばのちいをあたえられとったとのこと。うまにのってきたひとも、うまをおりてけいいをひょうしてけいだいにはいらにゃいかんかっただ。
さて、わかれみちになるとこからまたとうかいどうをいく。こっからは、みぎにこくどう1ごうせんがくっついとるってなこともなくて、みぎひだりにふぜいのあるやなみがつづく。
はっちがわほうぞうじばしてまえ、ひだりおくにほうぞうじがみえる。「とくがわいえやすがこどものころここでべんきょうした」ってせつめいがきをよんでおくにすすんでいく。しゅいろのらんかんもきれいなはっちがわらいこうばしをわたって、さんもんをくぐる。
いしだんのうえにみあげるろうもん。
ろうもんをくぐってほんどう。
ほんどうのなかにはいっておまいり。しぶいそとみとうらはらにきらびやかだ。
ほんどうをでてろうもんをふりかえり。すてきなろうもんだ。ろうもんのむこう、きぎのみどりもうつくしい。
ほんどうからひだりにろっかくどう。さっきのかんばんによると、1388ねんにりゅうげいがさいけんしたっていうふるいたてもんだ。
あと、けいだいにとうしょうぐうがあるだけど、いしだんのしたでおとめがしてあってあがっていけん。
とうかいどうにもどって、はっちがわほうぞうじばしをひがしにわたっていく。1920ねん10がつにかけかえたっていうふるいはしだ。
すすんで、みぎ、ふどういんっててらのいしべいに、「もとじゅくふるじろ」のせつめいがきがはってあるのをみつける。こんなしろがあったってこともしらんかっただけど、まつだいらいちぞくのしろでありながらほんけにそむいてほろぼされたしろがここにあっただ。1547ねんにしろはおちた。
またすすんで、ひだりにふぁみりーしょっぷすぎたや。ちょっとまちんできた。
ひだりおくにあがっていって、だいかんやしきのたてもん。ここが「これよりにしもとじゅくむら」のかんばんにあった、はたもとしばたしもとじゅくじんやだ。だいかんをつとめてきたのがとみたけなだけど、いまもこのたてもんをつかって、とみたけがいたりありょうりのみせをやっとる。
もどってすすんで、みぎにすずきちゃほ。しゃったーがいちまいだけあいて、かろうじてやっとるのか、やっとらんのかってかんじだ。
すすんでひだりに、きづくりにかいだてかわらぶきのくろぐろとしたでっかいたてもん。こうみえてにほんれとるとふーずってかいしゃのたてもんだ。こんなねんきのはいったたてもんをつかいつづけとるのか。
みぎてーじのみぎてまえかどにひのみやぐらと、ほのねもとにもとじゅくむらどうろげんぴょうがある。どうろげんぴょうがあるってことは、ほこがまちのちゅうしんってことなだけど、きんだいになって、たてばのあったよつややほうぞうじまえから、えきにちかいここにかわっただ。
みぎてーじをはいるとすぐにこくどう1ごうせんもとじゅくえきひがしこうさてんにでるだけど、みぎてーじとこうさてんのあいだのひだりに、むかしのもとじゅくむらやくばのたてもん。にかいだてしろいいたばりのすてきなようかんだ。
また、てーじからとうかいどうをにしにいく。
ひだりにおれてさかをあがっていったとこに、ごんじょうじ。きせつにいくと、うらやまのさくらがきれいだ。
とうかいどうにもどって、ごんじょうじいりぐちてーじろのにしみなみかどに、えんまどうことじゅうおうどうあとのかんばん。
かんばんのうしろ、もとじゅくまちさかえしゅうかいじょのなかに、えんまさま。
もとじゅくまちさかえしゅうかいじょのにしどなりに、ひろみびようしつ。
すすんで、ひだりにじてんしゃや。いや、かんばんもでとらんくて、じてんしゃやばいくもほったらかしじょうたいだで、みせはやっとらんのかもしれん。
みぎてーじをはいっていくとしょうめんにえきがみえる。こうかののりばにぎんいろでんしゃがとまっとるのがみえる。みじかいけどこれがえきまえどおりなだ。こくどう1ごうせんにつきあたるてまえみぎにあおいずし。ひだりにかみやしょぼう。ざんねんながらふたつのみせともしゃったーがおりとる。こくどう1ごうせんをわたってえきにいくのに、このばしょにおうだんほどうがなくて、ちかどうをとおっていかにゃいかんだ。いまからでもちゅうおうぶんりたいをとりはらって、おうだんほどうをつくるべきだ。
もどってにしにいって、みぎにもとじゅくいちりづかあと。
ひだりにつづきめいしゃ。
1とうしきてんめつしんごうこうさてんをいくとこで、みぎにこくどう1ごうせんもとじゅくまちひろはたこうさてんがみえる。
ひだりむこうのかどにとよかわしんようきんこもとじゅくしてん。
にしにいく。まんだとうかいどうのふぜいはある。
ひだりにようじゅいん。
みちがゆるいくだりざかになっていく。
ひだりにふるいうち。
ひだりにうつのりゅうせきていあとのせつめいがき。「もとじゅくのれきしとぶんかをたずねて」のかんばんにあった「らんぽういうつのけながやもん」ってのがここなだ。「しーぼるとのもんじんにまなんだらんぽうい」だってかいてある。いや、しーぼるとのなまえをここでみるとはおもわんかった。ただ、ながやもんはどこにもみあたらん。
みぎにふぁみりーまーとがあって、ほのさきはみぎひだりにまつなみき。
こくどう1ごうせんもとじゅくまちさわたりこうさてんのとこで、ほとんどとうかいどうとこくどう1ごうせんがごうりゅう。このこうさてんのひがしみなみかどに、みちしるべとじょうやとうと「これよりひがしもとじゅくむら」のかんばん。みちしるべはひがしむきにみるようになっとって、「みぎとうかいどう|ひだりこくどう1ごう」ってかいてある。ここがもとじゅくのまちのにしのはしだ。
- 「これよりひがしもとじゅくむら」のかんばんをみてみる。さいしょにみた「これよりにしもとじゅくむら」のかんばんにかいてあることと、とちゅうまではおんなじ。さいごのぶぶんだけがどくじで、つぎのようにかいてある。
- このあたりがやまつなむらとのさかいになる。こっからみなみにいったとこのやますそで、だいかんのとみたまきたつねあきがほうじゅつのけいこをした。しーぼるとの「えどさんぷきこう」にこのへんのやまからほうぞうじのうらやまにかけてしょくぶつさいしゅうしたってかいてある。このへんからかみそぶみむらをとおってみやざきむらにいたるやまがざいどうがあった。
なるほど、やまでだいかんがほうじゅつのけいこをしたり、しーぼるとがしょくぶつさいしゅうをしたりって、おもしろいれきしがあるもんだ。さっきのうつのりゅうせきていあとのせつめいがきにもしーぼるとがでてきたけど、このへんでじっさいにしょくぶつさいしゅうをしとるだ。やまがざいどうってのは、いまもめいてつばすがもとじゅくのえきからみやざきのまあちょっとむこうのくらがりけいこくってこうらくちまでいっとるだけど、むかしからのかいどうなだ。
もとじゅくのまちをひがしのはしからにしのはしまであるきおえて、えきにもどることにする。
- こくどう1ごうせんきたがわのほどうをひがしにいって、まあちょっとでえきのいりぐちってとこで、「しぜんとれきしをはぐくむまちもとじゅく」のかんばん。かいてあることをかんたんにまとめてみるとつぎのとおり。
- もとじゅくは、おおむかしはうまやのごう、やまなかごうにぞくして、ならこどう、かまくらかいどうぞいのようちとして、ほうぞうじとともにはってんした。えどじだいになってとうかいどうがさだめられると、もとじゅくもまつなみきやいちりづか、たてばちゃやがせいびされた。ほいで、もとじゅくはあかさかじゅくのすけごうむらにさだめられてじんばをていきょうした。
- えどじだい、1700ねんごろからはたもとしばたしとほうぞうじりょうのあいきゅうのむらになった。1926ねん、いまのめいてつなごやほんせんがかいつうして、もとじゅくのえきもできた。このことで、たてばちゃやでにぎわったほうぞうじまえやよつやはしだいにさびれて、えきまえをちゅうしんにまちができた。1955ねん、おかざきしとがっぺい。1994ねん、こくどう1ごうせんのかくふくこうじがかんりょう。
なるほど、もとじゅくはむかしからさかえてきたまちなだ。えどじだいはたてばちゃやでにぎわって、てつどうがかいつうしてからはえきでにぎわった。さらにこくどう1ごうせんもかくふくこうじをおえた。
このたびをおえて、えきにもどる。
(2025ねん6がつはつか、きんようび、へいじつ)