西三河の鉄道のうつりかわり15回め=西尾鉄道の一部廃止、あんじょう支線の廃止、岡崎市内線・挙母線の一部・福岡線の廃止

15回めのこんかいは1960年、1961年、1962年。世間が高度経済成長にわきたつなかで、鉄道はかげがうすい。この3年、まいとしひとつづつの廃止で、みっつの廃止のはなしになる。

ひとつめ。1960年3月27日、西尾鉄道の西尾-港前間が廃止になる。まあはい1943年に岡崎-西尾間が廃止になって、岡崎と西尾っていう西三河の2大都市をむすぶ鉄道としての機能をうしなっとった西尾鉄道が、西尾とほの外港である平坂港をむすぶ機能もうしなう。ちなみに、開業のあと愛知電鉄、名鉄と事業者がかわったうえでの廃止だ。1914年のこの区間の開業から46年。

ふたつめ。1961年7月30日、名鉄のあんじょう支線が廃止になる。東海道線名鉄西尾線は、また、あんじょう市内で接点のない状態にもどる。1951年の旅客輸送開始から10年。

みっつめ。1962年6月17日、大樹寺(だいじゅうじ)-岡崎井田(おかざきいだ)-岡崎-福岡町(ふくおかちょう)間が廃止となる。西三河でさいしょにできた私鉄である岡崎市内線の廃止で、岡崎のまちを南北にいきかう路面電車がすがたをけす。ちなみに、正式には岡崎市内線は岡崎井田-岡崎間にかぎられるだけど、挙母線の一部区間である大樹寺-岡崎井田間と福岡線の全線の岡崎-福岡町間とあわせて、一体運行をしとった。開業のあと三河鉄道、名鉄と事業者がかわったうえでの廃止だ。さいしょの区間が1898年に開業してから64年。

西三河の鉄道のうつりかわり(あきひこ) - 15.西尾鉄道の一部廃止、あんじょう支線の廃止、岡崎市内線・拳母線の一部・福岡線の廃止
△ 西三河の鉄道のうつりかわり(あきひこ) - 15.西尾鉄道の一部廃止、あんじょう支線の廃止、岡崎市内線・拳母線の一部・福岡線の廃止

◇            ◇

(さんこう)

*1:さいしょから平坂線っていうなまえだったっていう、この記述はうたがわしい。