むかし、岡崎電気軌道っていう鉄道会社があった。西三河さいしょの私鉄だ。東海道線開業から10年あとの1898年12月28日、路面電車区間として岡崎-明大寺(みょうだいじ)間を開業。1907年6月22日、康生町(こうせいちょう)まで延伸。1923年9月ようか、岡崎井田(おかざきいだ)まで延伸。1924年12月27日には、郊外電車区間として岡崎井田-門立(もだち)間を開業。門立は暫定的な終点で、ほのさき足助(あすけ)までつなげる予定だったもんが、1927年4月16日、三河鉄道により吸収合併され、いきさきは豊田市にかえられ、ゆめはついえる。
2017年8月11日、ほの岡崎電気軌道のはたせんかったゆめをしのぶべく、いまはなき門立のえきのあったへんにいってみた。大樹寺(だいじゅうじ)のえきのあとは、かえりみちにたまたまみつけた。このえきは、岡崎井田のつぎのえきなだけど、じっさいにはここまで路面電車がやってきとって、このえきが実質的な郊外電車の始発駅だったっていう重要なえきだ。
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やつぎ
国道1号線を八帖(はっちょう)交差点でひだりにまがって、にーよんぱこと国道248号線を北上。岡崎のまちをぬけ、つながる岩津のまちもぬけたとこにある岩津於御所(いわづおごそ)交差点をななめみぎにまがって、足助街道にはいる。なまえのとおり足助につながる街道で、みちはばはせばいけどおおくのクルマがいきかう。ちょこっといったとこで、八ツ木(やつぎ)のえきのあったへんになる。八ツ木は終点、門立よりみっつてまえのえき。
(14) 八ツ木(順)、(16) 八ツ木(順)、(15) 八ツ木(逆)
みかわいわわき
八ツ木からさかをあがって、また、くだりはじめたとこで、三河岩脇(みかわいわわき)のえきのあったへんになる。三河岩脇はさいしょっからあったえきじゃなくて、岡崎電気軌道を吸収合併した三河鉄道が、いきさきを足助から豊田市にかえるときに、線路の進行方向をひだりにかえるためにつくった分岐駅だ。
さかをくだりきったとこで細川町長根(ほそかわちょうながね)交差点となって、足助街道はこれをみぎにまがる。岡崎電気軌道の線路は足助街道をすすむだけど、三河鉄道の布設した豊田市にむかう線路は足助街道をはずれて、この交差点をまっすぐの方向にすすむ。
足助街道は、細川町長根交差点からすぐの北斗台口(ほくとだいぐち)交差点から、また、さかをあがっていく。このへん、あがりさがりがおおい。
ほそかわ
さかをあがりきって、みちがたいらかになったとこで、新香山中学入口(しんかやまちゅうがくいりぐち)交差点となるだけど、みせがいくつかあって郵便局もあるこのへんが細川のまちの中心地で、細川のえきのあったへんになる。ちょうどひるどきで、なんか鉄道のあとでもないかきくために、交差点の東北にあった「たいら」っていうめしやさんにはいる。おかみさんに「足助にいく鉄道がこのへんはしっとっただけど、なんかあとがわかるとこある?」ってきいたところ、西中金(にしなかがね)のはなしがでてくる。西中金は三河鉄道の終点だったえきで、ほっから足助までは未成線でおわっとる。この細川の地を、足助をめざした鉄道がはしっとったことはしらんくても、西中金のことはしっとるだ。いや、もっともなことか。岡崎電気軌道が郊外電車区間として門立までの区間を開業させたのが1924年のことで、三河鉄道に吸収合併されていきさきが豊田市に変更になったけっか、門立支線にかくさげになった三河岩脇-門立間が休止になったのが1938年のこと。ここに鉄道があったのは、戦前のたかだか14年のあいだのことでしかないだ。ほかにおったふたりの常連客のひとにもはなしはきこえただけど、やっぱりわからん。ひとりのひとが「ここを鉄道がはしっとったってことはきいたことはあるけど、ようしらん。記憶があるのは85才以上のひとだらあな」とのこと。うん、85才のひととして、1938年の廃止のときはたかだか6才。記憶のあるひとのはなしをきくのは至難のわざか。たのんだやまかけそばをくい、おまけでだしてくれたコーヒーをのみ、めしやさんをでる。
(2) 細川 - 新香山中学入口交差点(順)、(1) 細川 - 新香山中学入口交差点(逆)
新香山中学入口交差点からちょこっとにしにはいると、足助街道と平行するわきみちがある。おっ、線路のあとか!ともおもったけど、いえいえがみちに面しとることとみちはばがそこそこのひろさがあることからすると、足助街道の旧道か。はたまた、もともとのたんなるわきみちか。
(3) 細川 - わきみち(順)、(4) 細川 - わきみち(逆)、(5) 細川 - わきみち(逆)
交差点にもどったとこで、足助方面に名鉄バスがいくのをかくにん。
もだち
細川からすすむと、足助街道はまたくだりにはいる。くだりきって、ほのままいくと巴川(ともえがわ)につっこんじゃうってとこで、みちはみぎにまがっていくだけど、ちょうどほこにある細川町上屋敷(ほそかわちょうかみやしき)交差点のへんが、門立のえきのあったへんだ。「門立」ってのは細川のまちのはずれのごくごくちいさなあざめいで、限定的な地域を代表するなまえでさえないみたいにおもえるだけど、暫定的な開業をいそぐあまりに、議論や合意もなくこれをもって駅名にしちゃったもんか。ちょっとでもはよ足助にちかづきたいってきもちがつよかったじゃないかって推測する。
このせばい地形に、えきのあとか線路のあとでもあるかってさがすも、わからん。なんのしたしらべもなくきちゃったわけで、あたりまえか。
ところで、足助方面いきの名鉄バスが細川町上屋敷の交差点をとおっていったあとに、バス停があるじゃんか! いや、ほのなも門立バス停だ。岡崎電気軌道の門立駅は、名鉄バスの門立バス停にかたちをかえて、ひきつがれとっただ。さらに、東岡崎からきたバスはここ門立から足助までいく。なんだか感動。
(10) 門立 - バス停(順)、(8) バス停標識(名鉄バス)、(9) バス停標識
門立バス停の時刻表をみてみる。いや、おもいのほかなんぼんかある。1日に数本かっておもったら、足助いきは「基本的に1時間に1本だけど、ない時間帯もある」っていうぐらいの本数がある。ほかに岡崎市内どまりで奥殿陣屋(おくどのじんや)いきが1時間に3、4本と、川向(かわむき)いきが1日に2本。
あと、名鉄バスじゃなくて豊田市地域バスってのもある。バス停標識にかいてある路線図をみると、豊田市内の交通不便地域をとなりの岡崎市にはなるけど、もよりバス停である門立バス停につなぐっていうやつだ。
だいじゅうじ
さて、かえりみち。ほのままにーよんぱをかえるのもなんで、ひがしに平行する県道39号線を南下して、岡崎のまちの南北軸をとおっていくことにする。いきに岩津於御所(いわづおごそ)交差点からはいっていった足助街道も県道39号線であり、要は、岡崎のまちの南北軸がほのままきたに足助街道につながっとるってわけだ。岡崎電気軌道がこれにそって鉄道を布設していったのも、ごくごくあたりまえのことだ。
さいしょにさがしたのが岩津のえきのあと。岩津は青木川をへだてて岡崎のまちからは独立したまちで、けっこうなにぎわいのあるまちなだけど、岩津郵便局のあたりかなっておもってさがすも、わからず。
青木川をわたって岡崎のまちにはいる。いや、ほれにしても、県道39号線のふぜいのあること。にーよんぱこと国道248号線の旧道になるわけだけど、みちとまちが一体になっとるかんじがあって、いい。ひとがクルマにけちらされてないだ。岩津のつぎが百々(どうど)っていうえきになるだけど、こいつはまったくあてがなく、さがしもせず。
つづくまちなみを南下。鴨田本町(かもだほんまち)交差点でみぎのみちのおくをみると、大樹寺(だいじゅうじ)のえきがある。いや、名鉄バスの大樹寺バスターミナルだ。ちょうど交差点からバスがでてくる。
(17) 大樹寺 - 鴨田本町交差点 (※ ひがしからにしをみたとこで、おくにバスターミナルがみえる)
むかしの大樹寺のえきを、いまもバスターミナルでつかっとるだ。いや~、はずかしながらしらんかったわ~。バスターミナルから交差点までのみじかい「えきまえどおり」にも、ほれらしいふんいきがただよう。
(19) 大樹寺 - 「えきまえどおり」(ひがしからにしをみる)、(18) (にしからひがしをみる)
「駅舎」もあって、「ホーム」もある。まちあいしつのたてもんと、ほっからつづくバスのりばなだけど、ずーっとやねでおおわれとって、おきゃくさんがあめでぬれることもない。タクシーもたたずんどって、えきさながらだ。
(20) 大樹寺 - バスターミナル(1番のりば)、(21) 大樹寺 - バスターミナル(2番のりば)
のりばは1番のりばと2番のりばのふたつ。いきさきはどういうわけか、東岡崎のほか市民病院と大門駅しかない。まちあいしつにはいってみると、ほかに、交差点のとこのフィールのまえののりばも案内してあるだけど、これもいきさきは岡崎駅と東岡崎しかない。門立バス停でみたとおり、東岡崎を起点に奥殿陣屋や足助にいく、きたいきのバスもあるはずなのに、なんでか。またこの路線のバスにのったときに解明することとする。
(23) 大樹寺 - 1番のりば、(22) 大樹寺 - 2番のりば、(24) 大樹寺 - 構内発時刻表
バスターミナルからちょっときたにはいったとこで、廃線あとかっておもわれるほそおびの土地があった。一部は自転車おきばになっとっただけど、さいごは名鉄挙母線(ころもせん)として1973年に廃止になった、岡崎電気軌道の線路のあとがいまものこっとるのか。
(25) 大樹寺 - ほそおびの土地(順)、(26) 大樹寺 - ほそおびの土地(逆)
おかざきいだ
県道39号線にもどって、また、南下。大樹寺のつぎの岡崎井田(おかざきいだ)からは路面電車区間になる。この県道39号線を路面電車がはしっとっただ。井田交差点はふたまた交差点で、これをみぎにすすむ。えき、っていうか電停があったのもこのへんだ。
いがちょう
伊賀町(いがちょう)バス停。このへんにも電停があった。
ほんまち
伊賀町バス停からは、まんぜんと県道39号線を南下。八幡社(はちまんしゃ)、神明社(しんめいしゃ)、能見町(のみちょう)をすぎて、本町(ほんまち)までくると、左右は完全な都会となる。つづけて、まんぜんと南下。岡崎ずいいちの繁華街、康生町(こうせいちょう)から殿橋(とのばし)、東岡崎駅前と岡崎電気軌道のあとをたどって、こんかいのみじかいたびをおえる。
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(さんこう)