名古屋電鉄発祥の地にいってきた - 2019年6月17日

2019.6.17 (12) 「名古屋における電気鉄道事業発祥の地」のいしぶみ 1600-1200

名古屋電鉄っていうのは、はじめて名古屋に路面電車をはしらせた会社だ。名古屋の路面電車、市内線は、さいしょ私鉄の路線だっただ。また、あとから名古屋電鉄は郡部線として一宮や犬山、津島、小牧方面にも路線を展開しとった。ところが、さらにあとになって、市内線を名古屋市に、郡部線を初代名古屋鉄道に譲渡して、名古屋電鉄は解散。市内線はいまの名古屋地下鉄につながり、郡部線はいまの名鉄各線につながる。ほのいまはなき名古屋電鉄の本社が那古野(なごの)にあったっていうことをしって、2019年6月17日、いってきた。

◇            ◇

堀内公園11時53分のしんあんじょういきふつうにのる。

2019.6.17 (1) しんあんじょういきふつう - ふるい 1760-1500

ふるい、みなみあんじょう、きたあんじょうってあんじょう平野をきたにすすんで、12時2分、しんあんじょうにとうちゃく。下車。名古屋本線にのりかえ。12時6分の一宮いき急行にのる。

2019.6.17 (2) 堀田 - 一宮いき急行 1590-1200

ずーっとにしにすすんで、堀田に停車。岐阜いき特急をまちあいのあと、しゅっぱつ。

2019.6.17 (3) 一宮いき急行 - 金山すぎ(堀川) 2000-1500

金山すぎで堀川をわたる。12時42分、名古屋にとうちゃく。下車。

2019.6.17 (4) 名駅 - 大名古屋ビルヂング 1500-2000

かいさつをでて地上にあがって、東北方向、めのまえに大名古屋ビルヂング。こっからあるく。

2019.6.17 (5) 名駅 - 中央郵便局交差点 2000-1500
2019.6.17 (18) 名駅 - 中央郵便局交差点 2000-1500

名駅どおりをきたにあるいて、中央郵便局交差点を鈍角に右折。ななめのおおどおりを東北方向にすすむ。

2019.6.17 (6) 那古野交差点 1570-1200
2019.6.17 (7) 那古野交差点 1550-1200

変則5差路の那古野交差点までいってふりかえると、名駅の摩天楼。壮観だ。

2019.6.17 (8) 那古野交差点のきた 1600-1200
2019.6.17 (9) 那古野 - 名古屋プライムセントラルタワー 1600-1200

那古野交差点からちょこっときたにすすんで、ひだりに名古屋プライムセントラルタワー。

2019.6.17 (10) 那古野 - 名古屋プライムセントラルタワー 1600-1200

みあげる高層ビルだ。

2019.6.17 (11) ナゴノスペース - 案内かんばん 1380-2000

さて、いしぶみをさがす。道路に面したとこになくて、しきちのきたがわ部分にナゴノスペースの案内かんばんを発見。この部分を不特定多数がいこえるばとして提供しとるだ。

2019.6.17 (13) 「名古屋における電気鉄道事業発祥の地」のいしぶみ 1600-1200
2019.6.17 (12) 「名古屋における電気鉄道事業発祥の地」のいしぶみ 1600-1200

かんばんからおくにはいったとこに「名古屋における電気鉄道事業発祥の地」のいしぶみを発見。よんでみる。

名古屋における電気鉄道事業発祥の地
1898年5月、名古屋でさいしょの市内電車が笹島-県庁前間2.2キロをはしりました。わがくにで2番めの電気鉄道でした。
電車をはしらせた名古屋電気鉄道の本社、発電所、車庫は、この地にありました。ほのあと、市内電車事業は1922年8月名古屋市に譲渡され、市電、市バスの車庫としてつかわれてきました。
名古屋プライムセントラルのかどでにあたり、名古屋の近代化をすすめたゆかりの地として、当時のレンガをつかってこの記念碑をたてました。

なるほど、本社以外に発電所や車庫もここにあっただ。名古屋市に譲渡されてからは、市電、市バスの車庫としてつかわれとった。ほいで、ほれも無用となって、あとちに名古屋プライムセントラルタワーをたてるにあたって、記念のいしぶみが設置されたわけだ。ちなみに、このばしょはさいしょに笹島-県庁前間で開通した広小路線(ひろこうじせん)とはべつの、押切線(おしきりせん)の沿線になる。押切線の那古野町電停がここにあって、みなみにすすんで、柳橋で広小路線につながっとった。

2019.6.17 (14) カフェたかとり - からあげランチ 1000-750

いしぶみをたしかめたとこで、ひるごはん。しきちない、みなみがわにあったカフェたかとりっていうみせにはいって、からあげランチをたべる。サラリーマンやOLらでようはやっとるみせだった。

2019.6.17 (16) 旧那古野小学校 2000-1500

さて、かえらあっておもったとこで、みちのはんたいがわにきになるたてもんを発見。

2019.6.17 (15) 「那古野小学校」のいしぶみ 1600-1200

いってみると那古野小学校のたてもんだっただけど、2015年に旧幅下小学校(はばしたしょうがっこう)のなごや小学校に統合されて、廃校になっとる。あとでしっただけど、この廃校となった校舎を地域交流のための施設として活用していく方針らしい。

2019.6.17 (17) 名駅 - 中央郵便局交差点 2000-1500

名駅にもどって、かえりの電車にのる。


(さんこう)

牛川のわたし - 2019年8月むいか

2019.8.6 (11) 牛川のわたし 2000-1500

愛知県第二の都市にわたしぶねがある。ほれも都心からたいしたきょりもないとこに。豊橋は牛川(うしかわ)っていうとこにわたしぶねがあるってきいて、きのう2019年8月むいか、いってきた。

◇            ◇

2019.8.6 (1) ふるい - しんあんじょういきふつう 2000-1500

ふるい8時40分のしんあんじょういきふつうにのる。あっかい電車は6800系きんぎょばち。きんじょのひとも、おとうさんとおとこのこのふたりであそびにいくとこだった。あんじょう平野をきたにすすんで、8時48分、しんあんじょうは1番のりばにとうちゃく。下車。

2019.8.6 (3) しんあんじょう - 豊橋いき特急 1600-1200

5番のりばに移動。しんあんじょう8時58分の豊橋いき特急にのる。パノラマスーパーは特別車2号車6Dにすわっていく。西三河平野をひがしにすすんで、分水界をこえて東三河平野におりていく。

2019.8.6 (4) 豊橋いき特急 - とよがわをわたる 1600-1200

すっかり平野がひらけたとこで、とよがわをわたる。これからこのかわをわたしぶねでわたりにいくだ。9時26分、豊橋にとうちゃく。下車。

2019.8.6 (5) 駅前大通停留場 - 赤岩口いき 2000-1500

かいさつをでて、えきまえおおどおりをちょこっとひがしにあるいたとこで、ちょうど駅前大通停留場に9時39分の赤岩口(あかいわぐち)いきがやってきて、のる。車内、たちきゃくはないけどほぼ満席。ひがしにすすんで、新川(しんかわ)停留場に停車。すぐに新川交差点を左折。きたにすすんで、札木(ふだぎ)停留場に停車。西八町(にしはっちょう)交差点を右折。国道1号線をひがしにはいったとこで、すぐに市役所前停留場にとうちゃく。下車。電車どおりからはなれてきたにあるいたとこに豊橋公園のいりぐちがあって、ほのままなかにはいっていく。この公園にはいるのははじめてだ。すぐにしに豊橋市役所のしきちにつながっとって、公園はななめにかすめてとおっただけで、市役所のたてもんにはいる。豊橋市役所にはいるのもはじめてだ。はいってすぐのうけつけで牛川のわたしのばしょをきく。しっかりしらべてきてなかっただ。うけつけのおんなのひとがかかりのおんなのひとにとりついでくれて、ほのひとがうちだした地図をもってきて説明してくれる。「豊橋公園のみなみのみちをひがしにすすんで、ファミリーマートのとこでつきあたって左折。ずーっといって、豊橋創造大学をすぎたとこでみちばたに『牛川のわたしいりぐち』のちゃいろいみちしるべがたっとって、ほこを左折していったとこにある」とのこと。

お礼をいって、豊橋公園のにしがわ部分をきたにぬける。おしえてもらった経路とはちょっとかえた。

2019.8.6 (6) 吉田城のいしがきととよがわ 1600-1200

吉田城鉄櫓のひだりからうらがわにでるっていうとこで、とよがわがあらわれる。いっつも電車でとよがわをわたるとこにみえる吉田城がこの鉄櫓なだ。いま、ヰキペディアをみてみると、この鉄櫓が天守のやくわりをはたしとったらしいってかいてある。

2019.8.6 (7) 吉田城のうらからとよがわをみる 2000-1500

かわはひだりが下流、みぎが上流だけど、上流はこっからひだりにほぼ直角にまがっていく。ほかにみぎにまっすぐすすむちいさなかわがある。ひがしにすすんだとこで、ちいさなかわにはしがかかっとる。かわのなまえは朝倉川で、はしのなまえは城下橋だった。まんだ公園のなかだ。このはしをむこうがわにこえてもいけそうなきがしたけど、おもしろそうじゃなくてやめる。公園のまんなかにもどりながらひがしにすすむ。みぎに豊橋球場や豊橋市陸上競技場。ひがしにぬけて住宅街のなかをすすむ。餌指(えさし)交差点を左折。下条街道(げじょうかいどう)をきたにはいっていく。街道のみぎにそって用水がながれとる。むこうがわからこっちがわにむかってのながれだ。かえりにきづいたことだけど、道路が用水を半分ぐらいおおうようなかたちになっとる。左右は市街地。ひだりはみせもいくつかある。しばらくすすんで、境橋で朝倉川をわたる。さっき城下橋でわたらんかった朝倉川だ。境橋をわたると左右の土地がひくくなって、下条街道と用水だけがたかいとこをいくかたちになる。ひだりしたはたんぼで、みぎしたは住宅街。道路と用水は完全に分離。しばらくすすんで、左右の土地もたかくなって、左右とも市街地になる。坂上橋交差点まできたとこで、とおくに豊橋創造大学がみえてくる。あっこまでいきゃあいいだ。若宮橋交差点をすぎると、みちがみぎに屈折して進行方向が東北方向にかわる。みぎは住宅街でひだりに豊橋創造大学があらわれる。正門もすぎて豊橋創造大学のしきちがおわるとこで、ひだりみちばたに「牛川のわたしいりぐち」のちゃいろいみちしるべを発見。きいとったとおりだ。

2019.8.6 (8) とよがわ - 牛川のわたし 2000-1500

みちしるべを鋭角に左折してすぐにとよがわの堤防にでる。下流にふねがみえる。あそこが牛川のわたしにちがいない。豊橋創造大学のたてもんをひだりにみて、堤防道路をにしにあるいていく。たてもんもすぎたとこで牛川のわたしにとうちゃく。堤防のうえのこやにおったおじさんとめがあって、でてきてくれる。船頭さんだ。むこうぎしにわたって、どっかあるいていけるかきいたら、とくにみどころはなくて、またひだりにぐるーってまわって、豊橋市役所のほうにもどってくるしかないとのこと。往復乗船をおねがいする。時刻表なんかはなくて、おきゃくさんがきたらふねをだしてくれるだ。ただわたしぶねにのりにきたひとにいやなかおをすることもない。いや、ただわたしぶねにのりにくるだけのひとが9わりだっていう。

2019.8.6 (9) 牛川のわたし 2000-1500

ふねをきしにつけてもらって、のりこむ。しろとあおの席であわせて10席あるだけど、しろの席にすわったほうがあっつくなくていいっていう。ほのとおりしろの席にすわっただけど、あおの席にてをおいてみたらあっついこと、あっついこと。いろによってこんなに太陽熱の吸収がちがうことにおどろく。10席しかないのにゆかがひろくとってあるとのことで、これは人間だけじゃなくて自転車やリヤカーなんかものせれるようにしてあるためとのこと。むかしはやさいをつんだリヤカーなんかもはこんだらしい。

2019.8.6 (10) 牛川のわたし 2000-1500

かわもにこぎだしたとこで、かわかみ正面にげじげじやま。石巻山(いしまきさん)かってきいたらほのとおりだった。まえに水上ビルにあるヒグラシ珈琲っていうみせにはいって、ほこの美人ママさんがおしえてくれたやまだ。とくちょうてきなやまでおぼえとった。船頭さんによると、石巻山はたびびとのめじるしになっとるとのこと。これをめじるしに姫街道にでて静岡方面にいけるとのこと。姫街道東海道の迂回路だ。ほいから、ずーっとひだりのほうにある本宮山(ほんぐうさん)もめじるしになっとるとのことで、本宮山と石巻山のあいだをいくと新城方面にいけるとのこと。

2019.8.6 (11) 牛川のわたし 2000-1500

ふねはゆっくりゆっくりすすむ。かわぞこはあさくて、船頭さんがたけざおをさしてふねをおしていくだ。容赦ないひざしのもと、かわもをふきぬけるかぜがきもちいい。みどりのおおいかわべののどかなけしきもいい。船頭さんがいろいろはなしをしてくれる。下流の吉田大橋と上流の下条橋(げじょうばし)のあいだにこの牛川のわたしがあるだけど、ふたつのはしのきょりは4キロもあること。むこうぎしは川北(かわきた)地区っていうなまえだっていうこと。文字どおりだ。川北地区のむこうはとよがわ放水路で、ふたつのかわにはさまれて川北地区は輪中をなしとること。川北地区のなかだけでコミュニティーバスがはしっとって、ほのコミュニティーバス主催のバスハイクできょうこの牛川のわたしに団体客がくること。むかしはとよがわにはいっぱいわたしがあったこと。なかでも姫街道のとおる当古(とうご)のわたしが重要だったこと。江戸時代、大地震がおこって東海道も新居の関なんかがつなみでやられちゃってとおれんくなっただけど、家康が迂回路の姫街道をとおっていくときは、ほかのわたしからもみんな当古のわたしまで応援にいったこと。いま、牛川のわたしは道路管理の一環にあること。あくまで道路交通とつながっとってこそのわたしだってことで、ほうなっとるだな。自転車通学につかっとるおんなのこがひとりおること。はしまでおおまわりしていくと45分もかかるだけど、わたしぶねだと数分でいっちゃうとのこと。ここにカヌーをやりにくるひともおおいこと。たしかに、堤防をあるいてくるとこで、カヌーをやねにのせたクルマとすれちがったし、このおだやかなながれはカヌーをやるのに最適にちがいない。

2019.8.6 (12) 牛川のわたし 2000-1500

つりびとのおるむこうぎしにとうちゃく。ふねをおりる。つりびとにえんりょして、船頭さんをよぶ用の3連のかねをそーっとたたいて、またふねにのる。3連のかねはガードレール柱のあたまをきって、てづくりしたもんだとのこと。ちなみに、のったほうのきしには、かねじゃなくていたがおいてある。いたをたたいて船頭さんをよぶだ。また、ゆっくりゆっくりすすんでもとにもどって、牛川のわたしのたびをおえる。


(さんこう)

兵越峠(ひょうこしとうげ)まで - 2019年8月ついたち

2019.8.1 (25) 国道152号線 - 兵越峠 1600-1200

さきおとついの2019年8月ついたち、兵越峠(ひょうこしとうげ)までいってきた。かたみち140キロの行程は4区間にわかれる。第1区間は一般道で、ふるいのわがやからひがしに岡崎東インターチェンジまで。第2区間は新東名高速道路で、岡崎東インターチェンジからひがしに浜松浜北インターチェンジまで。第3区間国道152号線で、浜松浜北インターチェンジからきたに水窪(みさくぼ)まで。第4区間はひきつづき国道152号線で、水窪からきたに兵越峠まで。兵越峠遠江(とおとうみ)と信濃(しなの)のくにざかいにあるとうげで、戦国時代は1572年10月とおかっていうむかしに、甲斐(かい)を発した武田軍がこのとうげをみなみにこえて遠江に侵攻してきたっていう由緒のあるとうげだ。いま水窪からさきは電車もバスもなく、ひとりクルマを運転していってきた。

◇            ◇

第1区間

午前8時、ふるいのわがやをしゅっぱつ。

2019.8.1 (1) 美矢井橋で矢作川をわたる 1200-900

ひがしにすすんで美矢井橋(みやいばし)で矢作川をわたって、あんじょうしの区域から岡崎市の区域にはいる。上和田交差点から渋滞がはじまる。

2019.8.1 (2) 東海道線 - 羽根ガード 1600-1200

渋滞したまま東海道線の羽根ガードをくぐる。ちょうど貨物列車がとおっていく。羽根ガード東交差点で渋滞がおわる。

2019.8.1 (3) 光ヶ丘女子高校みなみ 1150-850

光ヶ丘女子高校のよこでちょこっと渋滞。光ヶ丘交差点を直進。ここをひだりにまがっていくと東名高速道路の岡崎インターチェンジにいけるだけど、こんかいは新東名高速道路をえらんだため、直進。名古屋本線をくぐるへんでまた渋滞がはじまって、ほたる橋南交差点までつづく。ここで右折して国道1号線にはいるといっきにクルマはすすむ。ひがしにすすんで三河高校入口交差点のとこの陸橋で、これをひだりに高校生がひとりふたりってわたっていくのがみえる。藤川駅から三河高校にいくにちがいないだけど、遅刻したのか。ひがしにすすんで、名古屋本線のみぎがわにうつる。

2019.8.1 (4) 本宿町沢渡交差点を左折 1200-900

本宿駅(もとじゅくえき)よりちょっとてまえの本宿町沢渡交差点を左折。岡崎東インターチェンジへの連絡道路をきたにはいる。東名高速道路をこえて、本宿トンネルをくぐっていく。まるで高速道路みたいに沿道から隔絶されたみちだ。

2019.8.1 (5) 東部工業団地交差点を直進 1200-900

東部工業団地交差点を直進。また、のぼりくだりしたあと、左折して岡崎東インターチェンジにはいっていく。ここで午前9時。けっこう時間がかかった。

第2区間

2019.8.1 (6) 岡崎東インターチェンジからひがしえ 1200-900

岡崎東インターチェンジから新東名高速道路をひがしにすすむ。豪華な観光バスになんだいもぬかれながらすすむ。たにをとびこえて、トンネルをつきぬけて、また、たにをとびこえて、トンネルをつきぬけて、すすむ。いったいいくつのたにをとびこえて、いくつのトンネルをくぐったことか。地上の地形とは無関係に高速道路ができとるだ。かたみち2車線の道路はあんまり余裕がない。

2019.8.1 (7) 長篠設楽原サービスエリア 1600-1200

長篠設楽原(ながしのしたらがはら)サービスエリアで小休止。午前9時半、さいしゅっぱつ。また、ひがしにすすんで、愛知県から静岡県にはいると地形がひらけて、みちはかたみち3車線にひろがる。いや、はしりやすい。午前10時、浜松浜北インターチェンジをでて、交差する国道152号線をきたにはいる。

第3区間

国道152号線は秋葉街道。浜松を起点に天竜川ぞいにきたに兵越峠までつながるみちだ。まえに、遠州鉄道の終点、北鹿島駅(きたかじまえき)から水窪までバスでいった。

2019.8.1 (8) 中瀬大平交差点を直進 1200-900

浜松浜北インターチェンジからすぐ、中瀬大平(なかぜおおひら)交差点を直進。

2019.8.1 (9) 飛竜大橋で天竜川をわたる 1600-1200

飛竜大橋(ひりゅうおおはし)で天竜川の東岸にわたる。いや、迫力のあるかわだ。飛竜大橋北交差点を左折。

2019.8.1 (10) 天竜二俣駅 - 西鹿島いきふつう 1200-900

みちのすぐひだりにあった天竜浜名湖鉄道天竜二俣駅(てんりゅうふたまたえき)によったとこで、ちょうどにしいきの西鹿島いきふつうがでていく。ひなびたふうけいだ。

2019.8.1 (11) 双竜橋で二俣川をわたる 1200-900

国道152号線にもどって、双竜橋(そうりゅうばし)で二俣川をわたってすぐに右折。きたにすすむ。水窪まで47キロのかんばん。このあたりはまちなかで、クルマもおおい。

二俣のまちをぬけて、ラジオがはいらんくなる。船明ダム東(ふなぎらだむひがし)交差点から天竜川東岸をいく。すぐひだりに船明ダムのダム湖がひろがる。いくそうものてこぎボートがたのしそうにみなもをいくのがみえる。西鹿島駅いきバスとすれちがい。水窪からみなみにすすんできたバスだ。横山橋(よこやまばし)をわたって、西岸にでる。

2019.8.1 (12) 国道152号線 - 秋葉トンネルみなみ 1600-1200

秋葉トンネルのてまえで、まえに水窪いきバス。バスはトンネル直前で右折。とおまわりして、天竜川ぞいのむかしからの集落をまわっていくだ。

2019.8.1 (13) 天竜川 - 秋葉ダム 2000-1500

秋葉トンネルをぬけて、正面に秋葉ダム。西川橋(さいかわばし)をわたって東岸にわたったっておもったら、まんだ西岸。わたったのは天竜川の支流だった。みぎに秋葉ダム。ほっからまたダム湖がはじまる。ところで、かわぞいにいくつかトンネルをくぐっていくだけど、トンネルんなかがくらくてまいるな。改善をのぞむ。

2019.8.1 (14) 天竜川 - 大輪橋 1590-1200

大輪橋(おおわばし)で東岸にわたったとこで、小休止。クルマがおけるようになっとって、トイレがあって、自販機がある。バイクのにいさんも、あせだくになったからだをやすめとる。トイレは、じもとのおじさんおばさんたちがそうじしてくれとる。ありがたいことだ。

大井橋(おおいばし)をひだりにみて、直進。天竜川の支流、水窪川の東岸をすすむ。ひだりに大井橋をわたると、天竜川本流にそって佐久間のまちにつながる。ほんとは新東名高速道路を、浜松浜北インターチェンジよりてまえにある浜松いなさジャンクションで三遠南信自動車(さんえんなんしんじどうしゃどう)にのりついで、佐久間を経由して大井橋まできたかっただけど、天竜川をわたるとこの河川内仮設道路が通行どめのため、こういうふうにおおまわりしてきたわけだ。ちなみに、2019年5月ふつかに三遠南信自動車道をつかって佐久間までいってきただけど、ほのすぐあとに河川内仮設道路が通行どめになったみたいだ。

水窪川ぞいにはいって、かわはずーっとしたになって、かわぞこにいわやいしもみえる。渓谷ぞいのまがりくねったかたみち1車線のみちをすすむ。

2019.8.1 (15) 国道152号線 - 相月駅みなみ 1600-1200

また、まちになったとこで、鉄橋をくぐる。どっからあらわれただ!っておもうぐらい、とつぜんにあらわれた鉄橋だ。佐久間からいっきにながーいトンネルをぬけてきた飯田線が、ひだりからここにでてきただ。相月(あいづき)トンネルから2車線になる。水窪川の西岸にでる。みぎ道路わきに城西駅(しろにしえき)。ここをすぎてだんだんまちになってきて、みぎにブーメランばし。水窪川の東岸をはしっとる飯田線が西岸にわたるかなっていうそぶりをみせただけで、また東岸にもどるっていうはしだ。要はたにがせばくて線路をひくとこがどこにもなくて、やむなくかわんなかをはしっとるっていうわけだ。城西駅があんなにみなみのまちはずれにあるのも、ほれが原因だ。

2019.8.1 (16) 水窪のまち(しおのみち) 2000-1500

きたにすすんで、水窪橋交差点を左折。国道152号線をはずれて旧道のほうにはいって、午前11時20分、水窪のまちにとうちゃく。想定より20分おくれになった。停車したとこに「塩の道」のかんばんのあるいしだんを発見。しおのみちってのは海岸部から内陸部にしおをはこぶみちってことだっておもうだけど、むかしはこのいしだんをあがっていくみちが秋葉街道だったのか。

2019.8.1 (17) 水窪 - 水窪川(塩の道国盗り) 1600-1200

旧道に食堂はみあたらんくて、国道152号線にもどって塩の道国盗りっていうみせにはいることにする。まえに電車できたときもひるごはんをたべたとこだ。駐車場にクルマをとめたとこで、水窪川の護岸にすわってかわもをながめとるこどもたちがなんにんかおる。引率するおとなのひとがおって、ちょっとしてクルマなんだいかに分乗してさっていく。こどもかいの行事かなんかだったか。みせのたてもんのまわりにバイクが5台。横浜ナンバーや川崎ナンバーだ。はるばるこんなとこまできたのか。さきにみやげもんやのほうにはいって、ただでもらえるっていうダムカードをもらう。水窪ダムのカードだった。食堂にはいって、とんかつ定食をたべる。バイクのにいさんたちもごはんをたべとる。まあいっかいみやげもんやのほうにはいって、うちへのみやげをかう。

第4区間

12時ちょうど、水窪からきたにむけてさいしゅっぱつ。

2019.8.1 (18) 国道152号線 - 水窪からきたえ 1200-900

みぎしたにかわ。むこうにやま。水窪のまちをぬけて、水窪川からひだりに分岐した翁川(おきながわ)の西岸をきたにすすむ。

2019.8.1 (19) 国道152号線 - 水窪からきたえ 1600-1200

水窪からおくもぞんがい人家があることにおどろく。クルマをとめて写真をとっとるとこで、さっきのバイクのにいさんたちがぬいていく。池島橋をわたるへんからいよいよのぼりざかがきつくなる。翁川橋をわたる。なんだかとつぜんにでっかいはしだ。

2019.8.1 (20) 国道152号線 - 草木トンネルみなみ 1600-1200

三遠南信自動車道の工事げんばをとおって、すぐに草木(くさぎ)トンネルっていうでっかいトンネルをくぐる。トンネルをぬけて、翁川から草木川の流域にうつった。このトンネルでひがしに移動しただ。また、草木川ぞいをきたにすすむ。

2019.8.1 (21) 国道152号線 - 兵越峠いりぐち 1600-1200

みちがほっそくなるとこで、「兵越峠、長野県」のかんばん。いよいよだ。

2019.8.1 (22) 国道152号線 - すぎこだち 1200-900

すぎこだちをぬけていく。

2019.8.1 (23) 国道152号線 - 兵越峠みなみ 1600-1200

みちがひろがったとこで、のぼりざかの正面にやま。

2019.8.1 (24) 国道152号線 - 兵越峠みなみ 1200-900

さらにきたにのぼって、みちばたになんぼんかのぼりばたがたっとる。おー、武田軍のはたか!っておもったら、「ライトオン」のはた。いよいよ兵越峠か。ここでクルマが1台ぬいていく。バイクのにいさんたちにぬかれた以外はずーっとわがクルマ1台ではしってきただけど、はじめてほかのクルマをみた。

2019.8.1 (25) 国道152号線 - 兵越峠 1600-1200
2019.8.1 (26) 国道152号線 - 兵越峠 1600-1200

12時40分、兵越峠にとうちゃく。草木川っていうちいさなたにに左右をまもられるようにしてのぼってきたせいか、あんまりとうげみちをきたーっ!っていう興奮はなかっただけど、最高到達点のへんで信濃のくにがわをみると、すっごいふかいたにだ。信濃のくにがわから兵越峠をあがってきた武田軍は、どんなにたいへんだったことか。2万2千人もの大軍にくわえて、食料供給なんかもある。

2019.8.1 (27) 国道152号線 - 兵越峠 1600-1200

ちょこっとくだりざかにはいったとこで、ひきかえす。

2019.8.1 (28) 国道152号線 - 兵越峠(くにざかい) 2000-1460

遠江のくにがわにはいるとこで、みちのわきに「国境」を発見。いま、おあそびとして、遠江の軍と信濃の軍で「とうげのつなひき」をやって、ほの結果を反映して移動するっていう国境だ。

2019.8.1 (29) 国道152号線 - 兵越峠 1200-900

見学をおえて、きたみちをかえる。

ふるいから兵越峠までの行程図(2019年8月ついたち訪問) 1220-765
△ ふるいから兵越峠までの行程図(2019年8月ついたち訪問)


(さんこう)