西三河の鉄道のうつりかわり2回め=岡崎市内線

東海道線ができたあとにさいしょに鉄道ができたのは岡崎だった。西三河ずいいちの都会だで、あたりまえか。1888年東海道線の開業といっしょに岡崎にえきができたのはいいけど、まちからとおかった。いや、正確にいうと、ほこは岡崎じゃなくて羽根村(はねむら)だった。筆者がおさないころ、っていうと1960年代のことだけど、ほんなにあとになっても、ほこは「岡崎駅」じゃなくて「羽根のえき」ってよばれとった。路面電車のかたちで岡崎のまちと東海道線のえきをむすぶ鉄道ができたのは1898年12月28日東海道線の開業からたった10年だ。区間は岡崎-明大寺(みょうだいじ)間で、事業者はあとで岡崎電気軌道ってなまえをかえる会社。

西三河の鉄道のうつりかわり(あきひこ) - 2
△ 西三河の鉄道のうつりかわり(あきひこ) - 2

1907年、明大寺から康生町(こうせいちょう)まで延伸。里程はわずかだけど、菅生川(すごうがわ)をわたって、都心に到達した。康生こそが岡崎のなかの岡崎だ。

1912年、ほれまで軌間2フィート6インチの馬車軌道だったものを、軌間3フィート6インチの電気軌道につくりかえる。

【まめ知識】
  • 軌間2フィート6インチ=762ミリ
  • 軌間3フィート6インチ=1067ミリ
    • 狭軌ってよばれるもんで、にほんが明治になって鉄道を布設するにあたって採用した軌間。おおくのくにで採用しとる軌間4フィート8.5インチの標準軌にくらべて、いちじるしく高速化に不利。

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(さんこう)