東海道線ができたあとにさいしょに鉄道ができたのは岡崎だった。西三河ずいいちの都会だで、あたりまえか。1888年、東海道線の開業といっしょに岡崎にえきができたのはいいけど、まちからとおかった。いや、正確にいうと、ほこは岡崎じゃなくて羽根村(はねむら)だった。筆者がおさないころ、っていうと1960年代のことだけど、ほんなにあとになっても、ほこは「岡崎駅」じゃなくて「羽根のえき」ってよばれとった。路面電車のかたちで岡崎のまちと東海道線のえきをむすぶ鉄道ができたのは1898年12月28日。東海道線の開業からたった10年だ。区間は岡崎-明大寺(みょうだいじ)間で、事業者はあとで岡崎電気軌道ってなまえをかえる会社。
1907年、明大寺から康生町(こうせいちょう)まで延伸。里程はわずかだけど、菅生川(すごうがわ)をわたって、都心に到達した。康生こそが岡崎のなかの岡崎だ。
1912年、ほれまで軌間2フィート6インチの馬車軌道だったものを、軌間3フィート6インチの電気軌道につくりかえる。
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(さんこう)
- 西三河の鉄道のうつりかわり1回め=東海道線 - あきひこゆめてつどう|2017/08/01
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- 電車どおりをこえて、東岡崎にとうちゃく。かいさつをでて、いっぷく。
△ 2017.7.30 東岡崎いきふつう - 電車どおりをこえる
(※ みえとるみちが電車どおりで、みえとる交差点が明大寺本町交差点)
- 電車どおりをこえて、東岡崎にとうちゃく。かいさつをでて、いっぷく。
- 名鉄資料館:岡崎市内線写真展 - 名鉄のオススメ|名古屋鉄道|開催期間 : 2012.3.20~2012.5.31
- 岡崎市内線は、町から遠く離れた岡崎停車場と町の中心部を結ぶため1898年に岡崎馬車鉄道としてスタートしました。開業当初は文字通り馬が客車を牽引する馬車鉄道で、軌間762mmの幅の狭い線路でした。電車が走り始めたのが、100年前の1912年9月で、50年前の1962年6月に岡崎市内電車は廃止になり、バス化されました。岡崎市内の繁華街を50年間走った市内電車も、廃止から既に50年経過しました。乙川に架かる殿橋からJR岡崎駅に至る道路に「電車通り」の愛称が今でも残っていますが、岡崎市内の風景は大きく変わり、市内電車の走っていた面影はなくなってしまいました。岡崎市内電車が活躍していた時代の、懐かしい写真の数々をご覧ください。
△ 岡崎市内線の路線図(名鉄) - 岡崎市内線の廃止は、1962年6月17日。廃止になったのは、大樹寺~岡崎駅前~福岡町8.8km。このうち、本来の岡崎市内線は岡崎駅前~岡崎井田5.8km。大樹寺~岡崎井田0.5kmは、分類上は鉄道の挙母線の一部。岡崎駅前~福岡町2.5kmは福岡線で、岡崎駅前から南0.1kmまでが軌道、残り2.4kmが鉄道であった。この福岡線は、戦時中に不要不急路線として休止された旧西尾線(岡崎新~西尾)の一部を復活させた路線。分類上は上記のように別れていたが、運用上は大樹寺~福岡町を一括して岡崎市内線としていた。
- 岡崎市内線は、町から遠く離れた岡崎停車場と町の中心部を結ぶため1898年に岡崎馬車鉄道としてスタートしました。開業当初は文字通り馬が客車を牽引する馬車鉄道で、軌間762mmの幅の狭い線路でした。電車が走り始めたのが、100年前の1912年9月で、50年前の1962年6月に岡崎市内電車は廃止になり、バス化されました。岡崎市内の繁華街を50年間走った市内電車も、廃止から既に50年経過しました。乙川に架かる殿橋からJR岡崎駅に至る道路に「電車通り」の愛称が今でも残っていますが、岡崎市内の風景は大きく変わり、市内電車の走っていた面影はなくなってしまいました。岡崎市内電車が活躍していた時代の、懐かしい写真の数々をご覧ください。
- 名鉄岡崎市内線 - Wikipedia
- 明大寺町 - Wikipedia
- 西三河の鉄道のうつりかわり〔地図目次〕 - あきひこゆめてつどう|2018/02/18 〔ついか〕
- (全22回の連載のまとめ)