天竜 かわくだり ぶね 転覆 事故 〜だいじょうぶか 天竜浜名湖鉄道〜

きのう 2011年 8月 17日の 午后、天竜 かわくだり ぶねが 転覆して ふたりが なくなり、3人が いまも ゆくえ 不明に なっとる。

事故は かわくだり コースの なかで ゆいつの みせばだって いう、うずの とこで おこったって いう。ほんとなら 「うずに まきこまれたと みせかけて、すぐに 体勢を たてなおして また かわを くだって いく」 ところを、「うずに しっかり まきこまれちゃった あげくに、左岸の 岸壁に あたまから ぶつかって いった」らしい。

天竜 かわくだり ぶね 転覆 事故 げんば 周辺 地図
(ひだりうえの 詳細図は 時事ドットコムから 借用)
天竜 かわくだり ぶね 転覆 事故 げんば 周辺 地図 677-645

ほんで、なくなった ひとや ゆくえ 不明の ひとが あるのは、用意して あった 救命 胴衣の 着用が 徹底しとらんかった ことが 原因らしい。あっつい 季節、おきゃくの ほうも ダウン ジャケット みたいな 救命 胴衣は きたく ない。

かわくだり ぶねも のりもんの ひとつで ある 以上、事故が おこる ことは さけれん。わざわざ うずの なかを とおる ことも、かわくだりの スリルを もとめる おきゃくの 要望に こたえる もんだで、その ことを 非難する ことは できんだらあ。

人間ってのは かんたんに しんじゃえる もんだ。あっつくて いやで あっても、おきゃくは 救命 胴衣を ちゃんと きにゃ いかんかった。運行する がわも ほの ように おきゃくに 指示せにゃ いかんかった。みんな、かわくだりの あぶなさを しっかり 認識せにゃ いかんかっただ。

ところで、この かわくだり ぶねを 運行しとるのが 鉄道 会社でも ある 天竜浜名湖鉄道で、おれも 2008年 8月 27日に 新所原 (しんじょはら)から 天竜二俣 (てんりゅうふたまた)まで のりに いった 経験が ある。天竜二俣は 本社も ある とこで、こんかいの 事故が おこった とこも ほの ちかくだ。軽快 気動車天竜川を わたった ときは、ただ おだやかな かわだなって いう 印象で、ちかくで かわくだり やっとる ことも しらんかっただけどね。

これから 天竜 かわくだり ぶね 転覆 事故の 責任を 追及される 天竜浜名湖鉄道だけど、本業の 鉄道の ほうでも じつは ピンチだった。8月 むいか、都田駅 (みやこだえき)で はしっとる 列車の ドアが あいちゃったって いう トラブルが あったと おもったら、また すぐ 8月 15日、原田駅 (はらだえき)では 反対に 列車の ドアが あかんく なっちゃった うえに エンジンも かからんく なっちゃったって いう トラブルも あって、国土交通省から 運行 停止 命令を うけかねん 状況だげな。

ほんな ところに また、2009年 以来 増収策の はしらに なって きたって いう かわくだり ぶねも ピンチ。どう なる、天竜浜名湖鉄道



(ねたもと)

(さんこう)