こんかいが美濃町(みのまち)にいたる道中のさいごの区間になるだけど、美濃太田から美濃市(みのし)までの長良川鉄道区間のようすについてしるす。
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鵜沼(うぬま)からのった多治見(たじみ)いきふつうで、8時48分の定刻よりちょこっとおくれて美濃太田にとうちゃく。だだっぴろい構内のかたすみに1両編成の気動車がとまっとる。これからのる長良川鉄道の美濃市いきふつうだ。のりかえは、いったんこせんきょうをあがってJRのかいさつをでて、あらためて長良川鉄道のホームにおりる。
長良川鉄道のホームにおりたとこで、自動券売機で美濃市まで630円なりのきっぷをかって、列車にのりこむ。座席配置は、中央部がボックスシートで前后がベンチシート。ボックスシートは進行方向ひだりがわが4人がけでみぎがわがふたりがけ。列車はワンマン運行で、運転士さんが料金のうけとりまでやる。この美濃太田もふくめて、すべてのえきにかいさつがない。
(29) 美濃市いきふつう - 美濃太田しゅっぱつ、(30) 美濃太田-前平公園間
定刻の8時59分、美濃太田をしゅっぱつ。進行方向はにし。ちょうど運転席よこ、貫通とびらのうしろにひとがひとりたてるようになっとって、ここにじんどる。ガラス1枚をへだてただけで前方がまるみえだ。列車は高山線にそって鵜沼方向にひきかえすかたちでちょこっとすすんでから、みぎにはなれる。
列車は短レール、コンクリートまくらぎの線路を左右にゆれながらすすむ。さいしょの停車駅は前平公園(まえひらこうえん)。ホームに3人まっとる。みぎにちょこっとだけはたけがあるけど、まわりはまんだまちだ。
加茂野(かもの)にとうちゃく。だあれもおらんホームのひだりに自転車おきば。線路のみぎてにひなびたふうけい。つぎのえきとのまんなかぐらいにきのまくらぎの区間があって、やっぱりほこはゆれがいっそうひどい。ところで、運転士さんがやたらに警笛をならす。ふみきりでならして、作業員のひとがみえてならす。きまりにしたがってならしとるだらあけど、こんなにならすのかってかんじだ。JR東海もこんなふうだけど、めったに運転士さんが警笛を鳴らすことのない名鉄をふだんの交通手段とするわがみにはひどく苦になる。
(33)、(34)、(35)、(36) 美濃市いきふつう - 富加
こだちのなか左右に分岐する線路をひだりにはいって、富加(とみか)にとうちゃく。「とみか」はプラレールのトミカみたいな頭高アクセントじゃなくて、アクセントなしにたいらかに発音する。はじめていきちがいのできるえきにきた。ちょうどはんたい列車がはいってきて、構内ふみきりのてまえでとまる。こっちも構内ふみきりのてまえでとまっとって、ちどり配置の停車になっとる。構内ふみきりの安全確保のためか。はんたいホームのほうにおおきな駅舎もある。いや、ほれにしても、時代がかった光景だ。このまま大正時代の映画のさつえいにつかえる。
つぎのえきとのまんなかへんでかわをわたる。あとでしらべたら、津保川(つぼがわ)っていうかわで、長良川にそそぐかわだ。出発地の美濃太田は木曽川ぞいのまちなだけど、しらんまに長良川流域にきとっただ。これからとおる関のまちも長良川ぞいのまちで、終点、美濃市の美濃町も関のまちから上流にさかのぼった長良川ぞいのまちだ。ちなみに、県都、岐阜のまちも関のまちから下流にくだった長良川ぞいのまちだ。
関富岡(せきとみおか)にとうちゃく。左右に人家もおおいだけど、ホームにひとはおらん。
関口(せきぐち)にとうちゃく。関口宏さんの関口じゃなくて、関のまちのいりぐちっていう意味の関口だっておもう。えきができた当初、このえきにあたえるべき適当な地名がなかったもんって推測する。だけど、いまはけっこうひらけたとこになっとる。ホームにおったのは3人だけど、ほのうちホームのさきっぽのほうにおったわかいおかあさんとほのこのふたりは、ここでおりたおばあさんのおむかえできとっただった。このひとたちは運転士さんともしりあいだったみたいで、こどもが運転士さんに「これから保育園にいってきます!」っていっとった。
列車がぐいーんってみぎにまがる。きたにむきをかえて刃物会館前にとうちゃく。はものはもちろん関のはもののことで、左右はしっかりまちだ。ホームにひとはおらんかったけど、ふたりおりる。
車両基地のよこをとおって関にとうちゃく。ここも、はんたいホームのほうにおおきな駅舎がある。県都、岐阜からつながる名鉄美濃町線がなくなったいま、関のまちをとおるのは美濃太田からつながるこの長良川鉄道しかないだけど、このまちの代表駅であるこのえきはまちのにぎわいのそとにある。列車んなかにもホームにも駅舎にも、わずかなかずのひとがおるだけだ。
ここで5分停車だっただけど、はんたい列車もなくしゅっぱつ。つぎのまち美濃町にむけて、長良川流域をさかのぼるかたちできたにすすんでいく。むかしは、こっから美濃町までは名鉄美濃町線がひだりに平行しとった。ちなみに、美濃町線の新関(しんせき)-美濃間が先行して廃止になったときは、新関から関までわずかに路線が延伸されて、美濃町線と長良川鉄道の連携がはかられた。
関市役所前にとうちゃく。駅名に市役所がつくのにたんぼんなかってどういうことだ。ひとりのってくる。
関下有知(せきしもうち)にとうちゃく。ひだりに関有知(せきうち)高校があるほか、みぎてにたんぼがひろがる。ここでふたりおりたとこで車内をみると、乗客はたったの3人になっとる。
しばらくぞうきばやしのなかをはしって、松森(まつもり)にとうちゃく。みぎはまんだこだちだけど、ひだりは住宅街だ。ちなみに、このえきからちょこっとにしにいったとこが中有知(なかうち)っていうとこになるだけど、ひとつまえのえき、関下有知の下有知が関市の区域になるのにたいして、この中有知は松森のえきともども美濃市の区域になる。
松森からはずーっとみぎにやま、ひだりに住宅街がつづいて、9時33分、列車の終点、美濃市にとうちゃく。
ついた列車はここでおりかえしになるだけど、3人の乗客がおりたあとにそうじのおばさんがのりこんでいく。
(52) 美濃市 - ホームでぐち、(53) 線路した通路、(54) かいさつ、(55) 駅舎
ホームはどてうえにあって、かいさつへはホームうしろの階段から線路した通路をとおっていく。階段といい線路した通路といい、なんちゅうわびしいふぜいだ。きっぷは車内の料金ばこにいれてきた。かたちばかりのかいさつをでて、まちあいしつをとおってそとにでたとこで駅舎をふりかえる。やっぱり駅舎もわびしいふぜいだ。えきまえも2、3台のタクシーがおるほかは、2、3軒のみせがやっとるだかやっとらんだかっていう状態だ。1911年っていうむかしにできた、岐阜からのはじめての郊外線、美濃町線の終点がこの美濃町だった。美濃町っていうまちが、いくつかある岐阜近郊のまちんなかでいちばんにぎやかで、いちばんちからのあるまちだったにちがいない。ほうおもって、まんだおとずれたことのないこの美濃町にやってきただ。時代はくだって往時の栄華はうしなわれとるかもしれんにせよ、この長良川鉄道の美濃市のえきのわびしさはどうだ。
まちの中心部らしいとこがどのへんかは、あらかじめグーグル地図でたしかめといた。美濃市のえきからはきたの方角にあって、えきまえからみぎ45度の方向にあるいていきゃあいい。えきまえひろばにたつまちの案内図で再確認して、あるきだす。
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- 乗車記録 - 2018年5月16日、すいようび、平日
(さんこう)
- 美濃町のたび - 2.鵜沼から美濃太田まで - あきひこゆめてつどう|2018/05/18
- 美濃町のたび - 1.古井から新鵜沼まで - あきひこゆめてつどう|2018/05/17
- 岐阜につながる鉄道のうつりかわり 2.市内線と美濃町線 - あきひこゆめてつどう|2018/05/15
- 美濃町線
美濃電気軌道は、市内線の岐阜駅前-今小町間の開業とおんなじ1911年2月11日、岐阜柳ヶ瀬(ぎふやながせ)-美濃(みの)間を開業。市内線の中間駅であり、岐阜のあたらしい繁華街である柳ヶ瀬から東北方向に、はもののまち関をとおって美濃和紙で有名な美濃にいたる美濃町線ができた。起点のわずかな変更をのぞいてはこれが美濃町線の最終形であり、いっきにこいだけの区間が開業したことにおどろく。おもうに岐阜、関、美濃とも長良川ぞいのまちであり、古来この長良川にそってひとやものの往来がさかんだったじゃないか。さらに上流には郡上おどりで有名な郡上八幡(ぐじょうはちまん)もある。のちに、木曽川の支流である飛騨川ぞいに布設された高山線がにほんかいがわにぬけて、この長良川流域はわきにおかれたっていうかんじがあるだけど、ほんとはまっと重視すべき地域じゃないかってきがする。
- 美濃町線
- 長良川鉄道越美南線 - Wikipedia