岐阜につながる鉄道のうつりかわり 4.揖斐線の開業、名古屋本線の開業、市内線の延伸

4.揖斐線の開業、名古屋本線の開業、市内線の延伸
△ 岐阜につながる鉄道のうつりかわり 4.揖斐線の開業、名古屋本線の開業、市内線の延伸

4回めのこんかいは、1914年と1915年の2年間のみっつのはなし。1914年は揖斐線(いびせん)と名古屋本線の開業。1915年は市内線の延伸。西北方向とみなみ方向にあらたに郊外線ができて、市内線は南北の全線が完成する。

揖斐線の開業
1914年3月29日、岐阜から西北方向の郊外線として、岐北軽便鉄道が忠節(ちゅうせつ)-美濃北方(みのきたがた)間を開業。

名古屋本線の開業
1914年6月2日、美濃電気軌道が広江(ひろえ)-笠松(かさまつ)間を開業。おんなじとしの12月26日、名鉄岐阜-広江間を開業して名鉄岐阜から笠松までつながる。広江は名鉄岐阜と加納のあいだにあったえき。また、名鉄岐阜で市内線と接続。ただし、開業時は笠松線としてできたもんで、名古屋本線の一部となるのはずーっとあとに名鉄に合併されてからのこと。
名古屋本線の開業で注目すべきは、ほの起点を市内線と接続する名鉄岐阜としたことだ。どてうえ高架で東海道線をまたいで、岐阜南郊のひとたちが直接岐阜のまちの中心部にいけるようにした。

開業時の笠松駅はいまよりもみなみ、八幡神社のうらに笠松口駅としてできた。いまの笠松駅から開業時の笠松口駅までのかんは廃線になっとる。

市内線の延伸
1915年11月20日、美濃電気軌道が市内線を長良橋(ながらばし)から長良北町(ながらきたまち)まで延伸。こいで、市内線ははじめて長良川をきたにこえて、岐阜駅前から長良北町までの南北の全線が完成する。また、終点の長良北町では、2年まえに全線が開業しとった高富線(たかとみせん)と接続。

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これまでのまとめ。1887年、岐阜につながる鉄道としてはじめて東海道線が開業した。つづいて、1911年から1915年までの5年間まいとし私鉄路線の開業、延伸があって、市内線は南北の全線が完成して、郊外線は美濃町線(みのまちせん)、高富線、揖斐線名古屋本線とそれぞれ方向のことなる4路線が開業するにいたる。


(さんこう)