長良線ってのは通称らしい。いまは全廃になっとる岐阜市内線だけど、このうち徹明町(てつめいちょう)から長良北町(ながらきたまち)までを長良線っていって、これがさいしょの廃止区間として廃止されてから30年たつってちゅうにちの記事にのっとった。いまは岐阜のまちのにぎわいづくりにとりくんどる高森正明さんっていうひとがとった、往時の岐阜市内線電車の写真とあわせてのっとる。
(ちゅうにち - 2018.6.23)
|
◇ ◇
岐阜市内線、復活したいとこだけどね。路面電車のかわりにはしっとるバスもけっこうひとがのっとって、すくなくとも中心市街地においてはじゅうぶんに公共交通機関のやくめをはたしとるようにみえるだけにむづかしいとこだ。
◇ ◇
(さんこう)
- 名鉄鏡島線のあとをたずねて - 2018年6月ついたち - あきひこゆめてつどう|2018/06/08
- 名鉄高富線のあとをたずねて - 2018年6月ついたち - あきひこゆめてつどう|2018/06/06
- 岐阜につながる鉄道のうつりかわり 4.揖斐線の開業、名古屋本線の開業、市内線の延伸 - あきひこゆめてつどう|2018/05/25
- 岐阜につながる鉄道のうつりかわり 3.市内線の延伸と高富線の開業 - あきひこゆめてつどう|2018/05/24
- 市内線の延伸
1912年8月28日、美濃電気軌道が本町(ほんまち)-長良橋(ながらばし)間を開業。長良橋のえきは長良川にかかる長良橋のみなみづめにあって、前年のうちに開業しとった岐阜駅前-本町間とあわせて、岐阜の市街地を南北につらぬく路面電車の完成となる。 - 高富線の開業
1913年12月25日、長良軽便鉄道が長良北町(ながらきたまち)-高富(たかとみ)間を開業。軌間は市内線におなじく1067ミリの狭軌だけど、車両は木製単車。これが高富線の最終形で、岐阜からきたに、長良川支流の鳥羽川(とばがわ)上流につながる鉄道が完成。終点の高富はいまの山県市(やまがたし)の中心になるまちだけど、えきができたばしょはまちのてまえにとどまる。2年后に市内線が長良北町まで延伸してきて、高富線と接続。
- 市内線の延伸
- 岐阜につながる鉄道のうつりかわり 2.市内線と美濃町線 - あきひこゆめてつどう|2018/05/15
- 岐阜までぶらり - 2018年5月よっか - あきひこゆめてつどう|2018/05/04
- 岐阜市中心部の飲食店などが集まる玉宮(たまみや)地区で、5階建てビルにおよそ70の小規模な居酒屋など飲食店がテナントとして入る「岐阜横丁」が今夏に開業することが2018年4月26日、分かった。運営会社によると、風情ある居酒屋で飲み歩きを楽しむことができる「横丁」は全国的なブームだが、70店の横丁は全国最大規模となる。
- 玉宮地区の飲食店などは、2018年5月上旬にも共同で飲食店集積地区としての観光地化や情報発信などを進める組織「世界のタマミヤプロジェクト」を立ち上げる。プロジェクトに参画する玉宮まちづくり協議会の高森正明会長は「岐阜横丁による相乗効果で、玉宮地区がさらに盛り上がると確信している」と期待を寄せている。
- 名鉄岐阜市内線 - Wikipedia
- 1988年までは、岐阜市内線の一部として徹明町停留場から長良橋通りを北上し長良北町停留場に至る通称長良線が走っていた(本来、岐阜市内線は岐阜駅前-長良北町間が本線で、これに対し徹明町-忠節間を忠節支線という)。ぎふ中部未来博覧会開催の際に他の交通の障害になるという理由で同年廃止されたものであるが、この点においても岐阜市ならびに岐阜県警の行政における車優先の姿勢は一貫していた。このほか、長良北町停留場からは高富線、千手堂停留場からは鏡島線が延びていたが、いずれも1960年代に廃止されている。
- 1988年6月1日、徹明町-長良北町間3.9kmが廃止。
- 2003年12月1日、岐阜駅前-新岐阜駅前間が休止。
- 2005年4月1日、岐阜駅前-忠節間3.7kmが廃止され全廃。
- 名鉄高富線 - Wikipedia
- 1960年4月22日、全線廃止し、バスに転換。