2019年5月26日は、豊田スタジアムでグランパスたい山雅(やまが)のサッカー観戦。もよりえきの豊田市まで電車でいってきた。
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ふるいからきたいきのあっかい電車にのる。9時55分のしんあんじょういきふつうは4両編成の鉄仮面。
9時57分、みなみあんじょうにとうちゃく。下車。
アクトスでひとあせ。
みなみあんじょうにもどったとこで、さいしょにみなみいきのあっかい電車がはいってくる。西尾いきふつうは鉄仮面。
ちょっとして、きたいきのあっかい電車がはいってきて、のる。佐屋いき急行は4両編成の鉄仮面。
東海道線をこえるとこで、ひだりにあんじょうのまちをみる。
しんあんじょうは3番のりばに停車。ここまでが西尾線で、こっから名古屋本線にはいっていくだけど、1、2番のりばの西尾線ホームじゃなくて、ちゃんと3、4番のりばの名古屋本線あがりホームに停車するのがえらい。
しんあんじょうをしゅっぱつしてすぐにあっかい電車とすれちがい。吉良吉田いき急行は4両編成のきんぎょばちで、しんあんじょうから西尾線にはいっていくやつだ。わが佐屋いき急行も、終点の佐屋からおりかえし吉良吉田いき急行になる。
牛田を通過。あっかい電車とすれちがい。東岡崎いきふつうは4両編成の鉄仮面。
知立のてまえからみぎに高架工事げんば。
11時23分、知立は5番のりばにとうちゃく。下車。
かいさつをでてにしにあるいて、あたらしくできた知立クロスゲートっていうビルにいってみる。1階の乃が美(のがみ)はなれ知立店っていうパンやさんには行列ができとるけど、2階よりうえにはいっとるなんげんかの食堂はちょっとひかれるもんがなかった。
はんたいにひがしにあるいて、三河知立てまえのふみきりをみなみにわたったとこで、ひがしむきに、にしむきに、高架工事のすすみぐあいをかくにん。ふみきりきたの井谷家でうなぎをくわあかっておもったけど、2,400円なりのおしながきをみて、すどおり。
えきにもどるとちゅう、やまもと食堂にはいってひるごはん。とんかつ定食900円。
えきにもどって、三河線きたいきのあっかい電車にとびのる。知立12時35分の猿投(さなげ)いきふつうは、かんつうがた。いや、三河線は6000系かんつうがたしかはしってない。
ひがしにすすんで、三河知立(みかわちりゅう)に停車。知立駅高架工事にともなって消滅するえきだ。あたらしいえきは、ひがしにだいぶはなれたとこにできる。はんたいからあっかい電車がやってきて、しゅっぱつ。知立いきふつう。三河線きたがわ区間は、きたいきは猿投いきふつう、みなみいきは知立いきふつうしかない。
知立をでて、わが猿投いきふつうはきのまくらぎの線路を100キロちかい速度ではしる。三河線のなかでは異例にはやい速度だ。
市街地をぬけたとこで、たんぼにむかってくだっていく。
時速60キロですすむ。
高架をあがって、三河八橋(みかわやつはし)に停車。高架にしたのに、なんで速度制限のかかるしましきホームを採用したのかふしぎだ。いまは通過電車はないけど、知立駅高架工事完成のあかつきには名古屋本線から直通の特急がはいってくるっていうのに。
しゅっぱつしてしばらく複線分のはばのある高架をすすむ。進行方向はこっから東北方向にかわる。
地平におりて、市街地のにしのはずれを時速90キロですすむ。
ひだりがわにはんたい電車のとまる若林(わかばやし)は、みぎがわ通行で停車。
しゅっぱつして、また、市街地のにしのはずれをすすむ。ひだりにたんぼをみながら時速70キロでのろのろすすむ。
竹村(たけむら)もみぎがわ通行で停車。
おんなのひとのこえで、「つぎは土橋(つちはし)、土橋です♪」の自動放送。利用者がすくないわけでもないのに、三河線はワンマン運行だ。
左右たんぼになって、きのまくらぎのレールを時速70キロでのろのろすすむ。土橋のてまえではついに徐行。
はんたい電車のとまる土橋(つちはし)に停車。三河線にはめずらしくしましきホームじゃない。
高架の道路をくぐる。あんじょうから東名高速の豊田インターにつながる、豊田安城線(とよだあんじょうせん)だ。
左右に工場群をみて、きりとおしのなかをとおっていく。きりとおしをぬけて左右がたんぼになって、くだっていく。
時速70キロですすんで、愛知環状鉄道をくぐる。
しましきホームの上挙母(うわごろも)。みぎがわの線に、みぎうしろに分岐するみじかい線があるのをかくにん。こっから岡崎の大樹寺(だいじゅうじ)につながっとった挙母線(ころもせん)のなごりだ。1973年の廃線まぎわに、当時高校1年生だった筆者もいとこをつれてのりにいっただよ。大樹寺から上挙母まで挙母線にのって、三河線にのりかえてかえっていった。いまヰキペディアをみてみると、廃線のときには2面3線のホームだって、いまのみぎがわの線が挙母線の電車が発着するなか線で、なか線のりょうがわがホームになっとったってかいてある。記憶がよみがえった。上挙母についたとき、たしかにりょうがわのとびらがひらいた。三河線のきたいき電車にもみなみいき電車にも、おりたホームでほのままのりかえていけるだっただ。
ホームに停車。
きりとおしをとおっていく。
きりとおしをぬけたとこから、ほのまま高架につながっていく。
正面に松坂屋がみえてくる。
豊田市(とよだし)はひだりの線にはいっていく。みぎの線には三河線のはんたい電車がとまっとって、まんなかのこっちがわでいきどまりになっとる線には名古屋市交通局の、あおい線のはいったステンレス車がとまっとる。豊田線から地下鉄鶴舞線(つるまいせん)にのりいれていく電車だ。この電車をみると豊田市にきただな~ってかんじがする。
ホームに停車。12時59分。のるときはきづくまもなかったけど、のってきた電車はグランパスエイト号だった。満員電車をいっせいにおりたひとたちがホームからかいさつにおりていく。さあ、グランパスを応援するぞ! 筆者もしんがりからついていく。
(さんこう)
- 乗車記録 - 2019年5月26日、にちようび
- 乃が美(のがみ)はなれ知立店 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2019/06/29
- 知立駅高架工事の完成は2023年度でまちがいなし - 2019年6月ついたちかくにん - あきひこゆめてつどう|2019/06/02
- グランパス第13節は山雅にまける - 2019年5月26日 - あきひこのいいたいほうだい|2019/05/27
- 上挙母駅 - Wikipedia
- 1973年まで、この駅から挙母線が分岐していた。
- 1920年8月31日、三河鉄道の駅として開業。
- 1929年12月18日、三河鉄道により岡崎線(のちの挙母線)が開業。
- 1963年8月1日、2面4線から2面3線に配線変更。中線を挙母線着発線とする。
- 1973年3月4日、挙母線廃止。
- 20m車6両編成対応の島式1面2線の地上駅である。貨物を取り扱っていた頃は4線あったほか、貨物廃止后は両面ホームの中線を抱き込んだ2面3線の島式ホームに改造されて中線に挙母線の列車が発着していた。挙母線廃止后も土橋駅方面には分岐の跡が残っており、保守用車両が留置されている。
- 駅集中管理システムを導入した無人駅となっており、隣の豊田市駅より遠隔管理されている。なお、駅舎は開業当時のものである。
- 三河線の列車は最大4両編成であるが、早朝深夜には豊田線で使用される100系電車が豊田市駅-土橋駅間で運転される(早朝の土橋駅 → 豊田市駅は営業運転、深夜の豊田市駅 → 土橋駅は回送運転)ため、上挙母駅のホームおよび交換設備の線路は6両分の延長がある。