2021年3月18日、七州城(ひちしゅうじょう)をみてきた。いきかえりの道中もふくめて、ほのときのようすを以下に紹介する。
〔電車で上挙母まで〕〔七州城をあるく〕[地図]〔豊田市からかえりの電車〕[乗車記録]
◇ ◇
電車で上挙母まで
さいしょは西尾線。ふるい8時17分のしんあんじょういきふつうにのる。電車は2両編成かんつうがたのあっかい電車。いや、あさひをよこにあびて、あっかいにもほどがある。
あんじょう平野をきたにすすんで、みなみあんじょうに停車。
はんたいから吉良吉田いき急行のあっかい電車がくるのをまって、しゅっぱつ。西尾線は単線だ。
8時26分、しんあんじょうは2番のりばにとうちゃく。
階段をのぼりおりして、名古屋本線4番のりばに移動。しんあんじょう8時28分の須ケ口いき特急にとびのり。いや、2分でのりかえってきびしいわ。これがのりかえ検索にも表示される標準のりかえなだけど、西尾線のおくれでのれんこともたびたびある。電車はこおろぎ特急で、うしろから4両めの4号車にたっていく。
にしにすすんで、8時31分、知立は5番のりばにとうちゃく。
階段をのぼりおりして、三河線2番のりばに移動。知立8時35分の猿投いきふつうにのる。電車は6005編成4両6000系かんつうがたのあっかい電車。
はんたいから知立いきふつうのあっかい電車がくるのをまって、しゅっぱつ。三河線も単線だ。
ちょこっといったとこで、線路のひだりわきにゼロキロポストをかくにん。三河線の前身、三河鉄道は、ここを起点にみなみへきたへ線路をのばしていった。
三河八橋に停車。まんださいきんに高架になったばっかりの、ぴっかぴかのえきだ。
若林は、しましきホームひだりに知立いきふつうのあっかい電車がとまっとるとこで、みぎがわ通行で停車。ひだりがわ通行が原則の鉄道世界にあって、みぎがわ通行は異例のことだ。
竹村も、しましきホームをみぎがわ通行で停車。
土橋(つちはし)は上下相対式のえきで、みぎがわはんたい線に知立いきふつうのあっかい電車がとまっとるのをみて、ひだりがわ通行で主線のほうに停車。
上挙母(うわごろも)は、しましきホームをひだりがわ通行で停車。8時56分。
のってきた電車がでていくのをまって、構内ふみきりをひだりにわたってかいさつをでる。
七州城をあるく
上挙母のえきまえに「朝日丘(あさひがおか)地域歴史のかおるさんぽみち」っていうでっかい地図かんばん。豊田に朝日丘なんていう地域があることははじめてしっただけど、おすすめのさんぽ経路もいくつかかいてあるわかりやすい地図だ。この地図で七州城のばしょをかくにん。こっから西北方向にある。豊田市のえきからだと西南方向になるだけど、どっちのえきからもおんなじようなきょりにある。
さびれたえきまえをぬけて住宅街にはいっていって、金谷城址(かなやじょうし)にとうちゃく。豊田市にさいしょにできたしろがこのしろだ。ほっから、いまの豊田市のえきのほうに移転してできたのが桜城。さらに2回めの移転でできたのが七州城っていう歴史がある。
となりの勝手神社(かってじんじゃ)におまいり。四方ふきはなちの拝殿がとくちょうてきだ。
またきたにすすんでいくと、ふるい住宅街からあたらしい住宅街にかわって、さかをおりたつきあたりに愛知県豊田加茂建設事務所。みぎはすぐ三河線で、はんたいのひだりにいく。
さかをあがって、またふるい住宅街にはいったとこで、点滅信号機のついた十字路。ここでまじわる南北道路をみてみるとなんだかふぜいがあって、これをきたにすすんでいくことにする。
すすんで、ひだりに「中山神社」っていうたてふだ。たてたぬしは七州城城下町づくり協議会。いや、七州城にじょうかまちなんかあったのか。しかも、まんだ七州城までとおいこんなとこに。すごい発見をした。
すすんで、ひだりに、まっくろのいたばりのたてもん。説明がきに、1871年の挙母城(ころもじょう)撤去で売却された挙母藩米蔵門がここ鈴村家に移築されてきたもんだってかいてある。挙母城は七州城の別名。
むかいの住宅の玄関に「樹木区長」のふだ。樹木(じゅもく)って、かわった地名があるもんだ。
十字路を左折。化粧舗装のほっそいみちをにしにいく。すすんで、十字路のひだりにあった豊田屋っていうみせでおちゃをかって、みちをきく。七州城はこのままにしにいきゃあよかった。
すすんで、南北のクルマどおりと交差する、樹木町1丁目(じゅもくちょういっちょうめ)交差点てまえひだりに観音さん。みぎが千手観音。まんなかが薬師観音。ひだりが土居津島社。説明がきに、みぎふたつをあわせて土居の観音っていうってかいてある。
樹木町1丁目交差点をわたったみぎかどに黒川米穀をみて、ほのままにしにすすむ。
愛知環状鉄道をくぐると、すぐみぎむこうに豊田市美術館のたてもんがみえてくる。
みぎうしろからあがってきた幹線道路と合流。まあちょっとにしにあるいたとこで、幹線道路をきたにわたる。
ほのままきたむきに豊田市美術館にはいっていくみちをすすむと、正面に七州城のすみやぐら。
うつくしいしらかべのすみやぐらだ。説明がきに、「桜城の建設が矢作川(やはぎがわ)の氾濫(はんらん)で断念されたあと、1785年に完成。内藤氏2万石のやかたとして2代学文(さとふみ)以来86年つづいたけど、1871年にとりこわし。1978年復元」ってかいてある。なるほど、江戸時代も后期にあったしろなだ。
いしがきてまえの、みぎにまわりこんでいくいしだんをあがっていく。
うらがわからすみやぐらにはいると、ちょうど、ここも、とよたまちなか芸術祭の会場のひとつになっとって、中崎透さんっていうひとのいとの作品が展示中。まどのあかりと、なないろのいと。おもしろい光景だ。でも、いとをひっかけちゃいそう。
この展示のため、てっぺんにはあがれず。三河、信濃、尾張、美濃、伊勢、伊賀、近江のななつのくにがみえるたかだいにあることから七州城のなまえがついとるってことで、じっさいにてっぺんにあがってほれをたしかめたかっただけど、またの機会だ。
七州城のうらに、又日亭(ゆうじつてい)っていうたてもん。
七州城すみやぐらからひがしにつづいて豊田市美術館のたてもんがあるだけど、ほのうらがわにまわっていったとこでへんな銅像。ヘンリームーアの「すわるおんな」っていう作品だげな。くびのほっそいこと。ほかにも、いろんな作家のいろんな作品が点在しとる。
たかだいの東北かどから、豊田市のえきのほうのまちをみおろす。
愛知環状鉄道の電車がくるのをみながら、まちにおりていく。
おりていくとちゅうで、また、うしろから愛知環状鉄道の電車がやってくる。
豊田市のえきまでいって、ストリートコーヒーアンドブックスでひとやすみ。のんちゃんがとびっきりのえがおでいれてくれたグアテマラをのむ。
豊田市からかえりの電車
えきしたにみつけたふくいやっていうみせでひるごはんをたべて、かえりの電車。豊田市13時ちょうどの知立いきふつうにのる。電車は、かんつうがたのあっかい電車。
「The next stop is Tiryuu,our final destination」っていう英語の自動案内放送をきいて、知立にとうちゃく。13時25分。いや、ほれにしても、「われらがついの目的地」とはまたおおぎょうな表現をするもんだ。そもそも英語放送なんかいらんし。
いったんかいさつをでて、ミスタードーナッツでひとやすみ。
かいさつをはいりなおして、知立14時47分の吉良吉田(きらよしだ)いき急行にのる。電車は、きんぎょばちのあっかい電車。
14時52分、しんあんじょうにとうちゃく。
しんあんじょう15時7分の西尾いきふつうにのりかえ。電車は、鉄仮面のあっかい電車。あっかい電車も、かんつうがた、きんぎょばち、鉄仮面って3種類ある。
15時15分、ふるいにとうちゃく。きょうのたびをおえる。
(さんこう)
- 乗車記録 - 2021年3月18日、もくようび、平日
- 豊田市のえきしたでひるごはん - 2021年3月18日 - あきひこのいいたいほうだい|2021/03/18
- ふくいやってみせにはいって、ひるごはん。たのんだのはとんかつ定食。
- ハニーディップってなんだ。|いわせあきひこ|フェースブック|2021年3月18日13:56
- our final destination♪|いわせあきひこ|フェースブック|2021年3月18日14:07
- The next stop is Tiryuu,our final destination♪
いや、三河線を豊田市駅から知立駅までのってきただけなのに、「われらがついの目的地」とはまたおおぎょうな表現をするもんだ。
- The next stop is Tiryuu,our final destination♪
- とびっきりのえがお♪|いわせあきひこ|フェースブック|2021年3月18日13:05
- ひだり米蔵門とみぎ邸宅のあいだのつなぎ部分。|iwase.akihiko|インスタグラム|2021年3月18日
- あっかい電車、ふぉーっ!|iwase.akihiko|インスタグラム|2021年3月18日
- あっかい電車、ふぉーっ!
あさ、ふるいのえきにはいってきたしんあんじょういきふつう♪
- あっかい電車、ふぉーっ!
- ぶらころも - あきひこゆめてつどう|2021/03/08
- 七州城 - Wikipedia
- 七州城(しちしゅうじょう)は1782年、現在の愛知県豊田市小坂本町(こざかほんまち)付近にあった日本の城である。挙母藩の藩庁が置かれた。通称は七州城で正式には地名の通り挙母城(ころもじょう)という。
- 挙母には、鎌倉時代の1309年に中条景長によって金谷城が築かれたが、戦国時代に今川氏、后に織田氏に攻略され、江戸時代初期である1604年に三宅康貞が1万石で入封(にゅうほう)した。康貞は城の破損が著しいことから、金谷城から1キロメートルほど北に陣屋を構え、桜の木を植えたことから俗に桜城といった。1749年、内藤氏が城の改修を計画し着手したが、矢作川の氾濫により何度も被害を受けたため、桜城から高さ65メートルほどの丘である童子山に移し、「三河国」「尾張国」「美濃国」「信濃国」「伊賀国」「伊勢国」「近江国」の7つの国が見える高台にあることから、「七州城」といった。
- 「朝日丘地域歴史のかおるさんぽみち」 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2021/04/20 〔ついか〕
- 七州城すみやぐら - おぼえがき(ゆめてつどう)|2021/04/20 〔ついか〕
- 七州城すみやぐらで展示しとったいとの作品 - 2021年3月18日 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2021/04/20 〔ついか〕
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