ふるいのまちをふみつけて建設された東海道新幹線 - 改善を要求

2019年9月ついたち、あんじょうし歴史博物館に「1964 - 東京五輪がもたらしたもの」展をみにいって、東海道新幹線着工まぎわのあんじょう市内のようすをつたえる広報紙が展示されとるのをみてきた。広報紙は1960年2月15日号と1961年11月ついたち号のもんで、「1961年11月上旬に着工して、1963年6月までに完了する予定」ってなっとる。開業したのが1964年10月ついたちだで、じっさいにこの日程で工事がなされたにちがいない。おれが保育園の年中、年長、小学校1年生のときのことだ。

ところで、東海道新幹線はわがふるいのまちをふみつけて建設された。景観が破壊されて、まちが分断されて、騒音や振動の公害が発生した。この状況は開業から55年たったいまもかわらん。ふるいのまちをふみつけとる区間について、つぎのとおり改善を要求する。

  1. 騒音を最低限のもんとすべく、つつ状の防音壁を設置して、線路を側面から上部までおおうこと。
  2. 騒音や振動を最低限のもんとすべく、線路のりょうがわ、しかるべき一定のはばで土地を買収して緩衝地帯として、ほの部分に公園などの整備をおこなうこと。
  3. 高架橋、どて、防音壁など、すべての構造物を景観にはいりょしたもんに変更すること。

路線図

2019.9.1 (1-1) 広報あんじょう1960.2.15号 - 新幹線計画路線 320-905 2019.9.1 (2-1) 広報あんじょう1961.11.1号 - 新幹線のとおるコース 535-1500
(ひだり=広報あんじょう1960.2.15号 - 新幹線計画路線)
(みぎ=広報あんじょう1961.11.1号 - 新幹線のとおるコース)

広報あんじょうの記事

〔広報あんじょう - 1960年2月15日号〕
本市をとおる国鉄新幹線 - くいうちがはじまる
ふるい → 南中学校きた → 横山 → 二本木
年々輸送量が激増する国鉄は近年全国的にゆきづまり、とくに東海道線は、明年、明后年ごろには列車を増発する余裕もなくなるってかんがえられております。
ほこで、ほのゆきづまりを解決するために計画されたのが、最高時速250キロ、平均時速170キロのはやさで東京大阪間を3時間でむすぶ「東海道広軌新幹線」で、本市のふるい、あんじょう(大山)、横山、二本木などの地内をはしることにきまりました。
この建設については国鉄から市へ協力のもうしいれがあり、すでに説明会がひらかれ、あらましがあきらかにされましたけど、関係の幸田、桜井、六ッ美、あんじょう、刈谷知立の市と町では「東海道新幹線対策協力委員会=会長あんじょう市長」を結成し、円満に事業の促進をはかるよう相談がすすめられております。
東海道線は1961年、1962年にゆきづまる
東海道線は京浜、名古屋、京阪神などの産業経済上、もっとも重要な地区をむすんどる交通網で、わがくにの動脈としての使命をはたしてきましたけど、この地区は全国総人口のおよそ40パーセントをしめ、さらに工業生産額も全国の60パーセントにたっしとるため、交通量はきわめておおきく、ほの延長はわずか590キロていど(国鉄総延長のおよそ2.9パーセント)であるのに、年間輸送量は全国鉄のうち旅客でおよそ24パーセント、貨物でおよそ23パーセントもしめております。また現在かたみちの列車回数はおよそ120本っていう最高水準をしめております。
国鉄では、この対策として列車の増発、全線電化などによる速度の向上などによる速度の向上など、最大の努力をはらってきたもんの、1961年、1962年ごろには、まったくゆきづまり、単に東海道線だけでなく、わがくに経済の発展にも重大な結果をおよぼすことがかんがえられ、この計画がはじめられました。
東京~大阪間を3時間で
新幹線は広軌(=1435ミリ/狭軌=1067ミリ)で、いまの路線とくらべると、①輸送力がおおきい、②東京大阪間を3時間ではしる(飛行機羽田伊丹間1時間55分、こだま特急6時間50分、はと、つばめ特急7時間30分)、③工事費がやすい(現在のもんを副線化するよりも)、④徹底した近代化が可能(車両がゆったりして、振動防止、防音装置、冷暖房装置ができて、にぬしにもピギーパック式が採用できる)などの有利な点がたくさんあります。
総工費は用地費、工事費、車両費をふくめて、1,725億円で5か年で完成。1964年に開通する計画です。また、新幹線の巾員は11メートルで、たてもんをできるだけさけ、たかさおよそ6メートル、勾配およそ1わり5分のどもりしきとするため標準巾員およそ29メートルの用地がいることになります。
着工は1960年10月ごろ
本市付近の計画によると、六ッ美町からはいった新幹線は、ふるいちょうのごうなかをぬけ、名鉄碧西線きた-あんじょうちょう大山-南中学校きた-横山町きた-二本木をとおって刈谷市へはいりますけど、すでにはじまっとるはばぐいうちは1960年3月末でおわり、つづいて用地買収について所有者と交渉をすすめ、1960年10月ごろから工事に着手する予定です。また、用地買収には市議会から委員を選出し、さらに各地区より土地所有者がわの委員をえらんで、こんご交渉がすすめられますけど、みなさんのご協力をおねがいします。
2019.9.1 (1) 広報あんじょう1960.2.15号 - 国鉄新幹線 1580-1745
(かくだい)

〔広報あんじょう - 1961年11月ついたち号〕
市内をとおるコースの3分の1が高架橋に
工事のはじまる東海道新幹線
東京-大阪間を3時間でむすぶ「東海道新幹線」は、1964年開通をめざし、すでに各地で工事がはじまっておりますけど、あんじょうをふくむ西三河地方の工事区でも、さる1960年10月28日に啓明館で起工式をおこない、いよいよ1961年11月上旬からいっせいに工事のスタートがきられることになりました。
建設される新幹線は、現在の東海道線の線路はばよりおよそ37センチひろい広軌を採用しますけど、速度をあげるために、鉄道と交差する道路は、こんご新設される都市計画道路をふくめて、ぜんぶ立体交差になります。
本市をとおるコースは、ふるいちょうのごうなかから南中学校のきたをとおり、二本木の北部をぬけ刈谷市にいたる6,740メートルですけど、このうち、ふるいちょうのごうなか353メートル名鉄ふるいえきのにし165メートル、あんじょうちょう大山地内から碧海家畜市場までの1,330メートル、二本木地内の明治用水中井筋をまたぐ部分337メートルの4か所、計2,185メートルが高架橋に、のこる部分4,555メートルがどもり式になります。つまり、市内をとおるコースのうち、およそ3分の1を高架橋がしめるわけで、愛知県下でもきわめて、条件のよい地区にはいっております。
高架、どもりとも1963年6月にできあがる
すでに、げんば事務所では着々と工事のした準備がおこなわれておりますけど、本格的に工事のはじまるのは、1961年11月上旬からで、3万立方メートルのコンクリートと、35万立方メートルのつち(おもに和泉方面からはこばれる)をつかい、高架橋、どもり部分とも1963年6月までに工事をおわる予定です。ほいで、1964年の東京オリンピックまでには、最高時速250キロ(平均170キロ)の特急電車が東京大阪間を3時間でつっぱしることになります。
新幹線が開通すると
現在の東海道線は、特急と急行がなくなり、通勤用のローカル電車がおおはばに増発になるはずです。したがって、通勤通学の定期旅客と近距離の一般旅客を、現在の線にのこし、中長距離の旅客の大部分を新幹線にうつす計画がたてられております。
いっぽう、貨物は、現東海道線の4分の1をしめておる京浜、静岡、名古屋、京阪神のほんとんどが新幹線にうつるため、旅客をふくめ、東海道線全体ではおよそ20パーセントが新幹線にはいる予定です。なお、ピギーパック方式(トラックのトレーラーをほのままつみこむ)の採用などで、輸送時間もおおきく短縮されます。
いずれにしても、現在の東海道線はちかい将来にはまったくゆきづまるもんってかんがえられ、あたらしくできる東海道新幹線によせる各方面の期待は、きわめておおきいっていえます。
2019.9.1 (2) 広報あんじょう1961.11.1号 - 国鉄新幹線 2191-1970
(かくだい)

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(さんこう)