わが古井神社(ふるいじんじゃ)に悠紀斎田(ゆきさいでん)のいしぶみがあった。拝殿ひだりがわにあるいしぶみに、「大正天皇御即位悠紀斎田碧海郡御点定記念樹」ってかいてあるだ。悠紀斎田ってのは、天皇即位にともなう大嘗祭(だいじょうさい)につかう新米をつくるたんぼで、全国で2か所指定される。
ほー、大正天皇の大嘗祭のときの悠紀斎田がふるいにあったのか。いやいや、ふるいじゃなくて中島(なかじま)にあっただ。
中島って岡崎の六ツ美(むつみ)地区にあるまちなのに、なんであんじょうのふるいに悠紀斎田のいしぶみがあるのか。いやいや、いまでこそあんじょうと岡崎にわかれちゃっとるけど、むかしはおんなじ碧海郡(へっかいぐん)だっただよ。いま碧海郡っていうと、あんじょう、刈谷、知立、碧南、高浜の5市の範囲かっておもうけど、くわえて、岡崎の六ツ美地区と矢作(やはぎ)地区、豊田の上郷(かみごう)地区と高岡(たかおか)地区、西尾の米津地区も範囲にふくまれとっただ。ほいで、おんなじ碧海郡のまちで悠紀斎田がえらばれたことを、ここふるいでもいわったってわけだ。
ちなみに、悠紀斎田当時、碧海郡の首都はあんじょうだって、中島の悠紀斎田でとれたこめも、あんじょうまでかついではこばれて検査をうけたうえで、あんじょうえきから東海道線ではこばれていった。
ところで、いしぶみのどこにも中島ってかいてない。ほいから、うらめんにかいてあるだけど、このいしぶみをたてたのは1940年。中島に悠紀斎田が指定された1914年から26年もあとだ。つまり、26年もたった時点でも、碧海郡ぜんたいで悠紀斎田をいわうきもちをもちつづけとったし、わざわざ中島ってかかんでもわかりきっとったことだっただ。
いや、ほれにしても、ちいさいころからあそびばにしとった古井神社(ふるいじんじゃ)の、このしょっちゅうめにしとったいしぶみが、悠紀斎田のいしぶみだったとはおどろいた。
◇ ◇
以下、いしぶみのおもてめんとうらめんにかいてあることを、くわしくみてみる。
【おもてめん】
1914年11月14日大典奉祝日
おもてめんについては、かいてあるとおりだ。うえた記念樹は、いまはみあたらん。
【うらめん】
うらめんは悠紀斎田とは関係なくて、このいしぶみをたてた1940年当時のふるいのまちの状況がかいてある。
1940年安城町大字古井現勢
氏別現住戸数183戸
内訳
石原36、杉浦31、岩瀬18、稲垣16、太田11、細井9、大河内7、渥美6、市川6、梅村4、待田4、蜂谷3、伊与田3、林3、大沢3、宮宅2、藤本2、岡山2、寺脇2、丸山2、山田1、山本1、鈴木1、伊藤1、原田1、坂崎1、徳富1、都築1、二村1、小島1、平岩1、柴田1、久野1
戸数183戸は、当時中規模のまちだ。石原、杉浦、岩瀬、稲垣がふるいの4大名字なのは、いまもかわらん。
職業別数
農167、工4、商4、其他8、計183
人口
男518、女525、計1,043
有畜数
牛52、豚127、成鶏7千羽
職業は農がおおくて、全体の9わり。人口1,043人を戸数183戸でわると、1世帯平均5.7人。おもったほどおおくないか。うしやぶたのほか、にわとりが7千羽もおった。わがやにもにわとりがおっただけど、鶏卵は碧海郡の特産品で、東京に出荷されとった。
農作物作付反別
田1,857反歩、畑185反歩、桑園132反歩、果樹31反歩、計2,205反歩
生産物別数量
米11,750俵、小麦3,270俵、大麦590俵、繭2,150貫、鶏卵9,500貫、梨22,000貫、製縄42,500貫
ふるいでもまゆやなしをつくっとった。ほか、製縄(せいじょう)ってのがめずらしい。ほういやあ、わがやにも「なわない機」があったようなきがする。
団体
保証責任古井信用販売購買利用組合(組合員183人/創立1915年6月24日)
古井農事実行組合(組合員171人)
古井養蚕実行組合(組合員52人)
古井有畜農業経営組合(組合員127人)
産業組合貯金総額32万円、同貸付金総額3万8千円、同販売取扱総額25万円、購買取扱総額6万3千円
皇紀2600年記念為后世参考記岩瀬和市当年50建之
団体がいつつ。このいしぶみをたてた1940年が皇紀2600年。たてたひとは岩瀬和市(いわせわいち)。団体のさいごにある産業組合は農協の前身。岩瀬和市がこれをつくって、さらに、これを中心としてあんじょうし農協をつくった。また、岩瀬和市は更生病院もつくっており、ふるいの偉人、あんじょうの偉人だ。
矢田皆吉
◆◆◆◆◆◆
ひだりしたに「岡崎市矢田皆吉」ってかいてあるのは、このいしぶみの制作、設置をうけおった業者か。
◇ ◇
〔2020年5月21日発見〕
(※ うらめんの部分ごとの写真は翌日さつえい)
(さんこう)
- 早川竜介 - 中島発展のいしづえをきずいたひと - あきひこゆめてつどう|2020/05/06
- 中島の悠紀斎田おたうえまつり - 2018年6月みっか - あきひこのいいたいほうだい|2018/10/10
- 悠紀斎田と西尾鉄道 - あきひこゆめてつどう|2016/09/22
- 1900年、全国で耕地整理法が施行され、中島村(なかじまむら)ではいちはやくこれを実施。1911年、西尾と岡崎をむすぶ西尾鉄道が開通し、中島村にもえきができる。1915年、大正天皇即位にともなう大嘗祭(だいじょうさい)につかう新米を生産する悠紀斎田(ゆきさいでん)にえらばれた中島村のたんぼで、おたうえ式がおこなわれる。全国からあつまってくるおたうえ式参観者の輸送に西尾鉄道はだいかつやく。
- 以上がきょう2016年9月22日にかくにんできたことがらなだけど、資料のある岡崎市悠紀の里(おかざきしゆきのさと)や西尾鉄道廃線あとに案内してくださった、中島村、いまは岡崎市中島町におすまいのわがフェースブックともだち甲さんには感謝もうしあげたい。