古井町歴史研究会の協力により、古井町内会のあたらしい行事としてふるい歴史めぐりがおこなわれ、名所旧跡をあるいてきた。
〔2021年11月13日、どようび〕
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あさ、三ツ塚公園に集合。公園のなかには、三ツ塚古墳と古井の井戸。古墳は、600年代にできたもん。井戸は、やまとひめのみことがほったもんで、古井のなまえのもとになったもん。
古井神社(ふるいじんじゃ)に移動。祭神(さいじん)は応神天皇、すさのおのみこと、菅原道真。社殿のとくちょうは、千鳥破風(ちどりはふ)と唐破風(からはふ)。むらのなまえを神社のなまえにしとるのはめずらしい。
いぼ地蔵さんに移動。亀山のひとたちが世話をしとるお地蔵さんで、名鉄西尾線の開業にあたった工夫(こうふ)さんが、ここのこいしでいぼをこすったらなおった。いまもなんにんかのひとがこのことを体験しとる。なおったら、こいしを3個かえすこと。
保福寺(ほうふくじ)に移動。参道ひだりに33観音(かんのん)。みぎに16羅漢(らかん)。
本堂まえで和尚さんからおはなしをきく。ここは曹洞宗(そうとうしゅう)のおてらで、あんじょう市内でいちばんふるい木造建築のおてら。本堂すぐまえにある摩尼車(まにぐるま)をまわすと、お経をいっぱいよんだのとおんなじ効果があって、ご利益(ごりやく)があるとのこと。
またきたにすすんで、県道をひがしにわたる。
わたったとこで、石川小夜子さんのかいたえをしめして、「冠水した通学路」の説明。むかしはおおあめになるとたんぼがうみになって、この県道もみずにつかった。南部小学校への通学も、べつのみちにまわっていったり、あきらめてやすんだりした。
たんぼのほうにすすんで、勢井前川(せいまいがわ)にそってあるいていく。勢井前川も支流の天草川も、名鉄西尾線のひがしからながれてくる。
塚下橋(つかしたばし)をわたって、西鹿乗川(にしかのりがわ)にかかる神ノ木橋(かみのきばし)へ移動。
神ノ木橋の下流で、勢井前川が西鹿乗川に合流。西鹿乗川流域は弥生時代の遺跡の宝庫で、このはしの周辺にも神ノ木遺跡があった。また、このはしの上流には「いり」があって、用水がひかれるまえはいりでかわをせきとめて、たんぼにみずをひいとった。このあたりのたんぼは、1997年から10年がかりの圃場整備事業(ほじょうせいびじぎょう)で1枚1ヘクタール以上のおおきなたんぼにかわった。また、用水はパイプラインにかわって、排水路も整備されてむかしみたいにたんぼがうみになることもなくなった。
野辺橋(のべばし)に移動。ここで勢井前川が西鹿乗川に合流。たんぼの排水もここで合流。3本の水路がならんでながれていく。
たんぼからまちのほうにあがっていく。このあたりで、くたびれちゃっておとうさんにだっこされていくこも。
さかをあがって、願力寺(がんりきじ)にとうちゃく。ここは浄土真宗(じょうどしんしゅう)のおてら。
願力寺おくりのわきをおくにぬけて、塚越古墳(つかごしこふん)。300年代の古墳で、古井桜井古墳群のなかで二子古墳(ふたごこふん)とならぶふるさ。いや、ほれにしても、古墳のたかいこと。てっぺんからずーっとたんぼのほうがみわたせる。
ふたたび願力寺。おくりにあがって書画の見学。代々の住職や一族、関係者らがのこした書画がたくさんある。
おくりから本堂にすすんで、古井町歴史研究会のものしり博士から、いまみてきた書画の説明をきく。
みなみにあるいて、東川地蔵(ひがしがわじぞう)に移動。鍋屋町(なべやちょう)、東川、中組のひとたちが世話をしとる、こどものしあわせをいのるお地蔵さん。また、道路のわきを明治用水がながれとるのをかくにん。
クルマがとおれんせばいみちをとおって、ゴールの古井町公民館へ。
ゴールではおたのしみクイズ。参加者にはクイズの景品と、こどもにはもれなくおかしのおみやげ。