2022年11月12日どようび、ふるい町内会主催でふるい歴史めぐりがあって、案内人をつとめてきた。ふるいの南部と一部桜井の地区をふくめて10か所の名所旧跡をまわってきた。
1.古井の井戸/2.三ツ塚古墳 3.愛染古墳 4.薬師堂 5.稲垣国三郎の銅像 6.本神遺跡 7.堀内貝塚 8.碧海山古墳 9.二子古墳 10.西鹿乗川土地改良記念碑 |
◇ ◇
1.古井の井戸/2.三ツ塚古墳
集合は三ツ塚公園(みつづかこうえん)。ここにふるいのいどと三ツ塚古墳(みつづかこふん)がある。町内会長のあいさつがおわって、3班がじゅんばんに見学をはじめる。
ふるいのいどは、やまとひめのみことゆかりのいど。あまてらすおおみかみをまつる地をさがすたびのなかで、この地にたちよってこのいどのみずをのんでいった。このことがふるいの地名のおこりになった。
三ツ塚古墳は古墳時代后期、600年代の古墳。みっつあった円墳のうちこの1号墳だけがのこっとる。
住宅街をぬけてつぎの名所旧跡に移動。
3.愛染古墳
みちのきたがわに愛染古墳(あいぜんこふん)。
古墳のうえに愛染明王(あいぜんみょうおう)をまつる愛染堂(あいぜんどう)。古墳は古墳時代前中期、400年ごろのおおがた円墳。
4.薬師堂
みちのみなみがわに薬師堂。愛染堂とあわせて中本神(なかほんじ)のひとたちがおせわしとる。
お堂のひだりに岩瀬和市(いわせわいち)の記念碑。産業くみあいをおこし更生病院を開設したふるいの偉人。
新幹線をみなみにくぐってつぎの名所旧跡に移動
5.稲垣国三郎の銅像
憶念寺(おくねんじ)にとうちゃく。もと天台宗(てんだいしゅう)桜井寺。鎌倉時代に浄土真宗に改宗。
本堂ひだりに稲垣国三郎(いながきくにさぶろう)の銅像。
ふるい出身の教育者で、沖縄に赴任。『しろいけむりくろいけむり』の文章をあらわす。しろいけむりはみおくりにたいたたきびのけむり。くろいけむりはむすめがのる汽船がはくけむり。おやこのせつないきもちがつたわってくる。また、久松五勇士(ひさまつごゆうし)のはなしを全国にしらしめ、戦前はともに全国の教科書にも採用された。
みなみにあるいてつぎの名所旧跡に移動。
6.本神遺跡
みちにそって本神遺跡(ほんじいせき)。碧海台地(へっかいだいち)の先端にあって、溝状遺構から弥生時代后期の土器が大量に出土。
碧海台地からみなみにおりて堀内公園を横断。
7.堀内貝塚
ふたたび碧海台地にあがって堀内貝塚(ほりうちかいづか)。縄文時代晩期、紀元前1000年ごろの貝塚。貝塚のとなりに土壙墓(どこうぼ)13基と土器棺墓(どきかんぼ)19基。ほかに鎌倉時代のたてもんあとも。
ひがしにあるいてつぎの名所旧跡に移動
8.碧海山古墳
碧海台地にあがったとこに碧海山古墳(へっかいざんこふん)。古墳時代前半期、300年ごろの円墳。ここをおとずれたやまとひめのみことがこの古墳のてっぺんにのぼって「あー、あおいうみがみえる」っていったことから碧海郡のなまえがおこった。古井桜井地区には古墳時代前半期の古墳がおおくある。
ひがしにあるいてつぎの名所旧跡に移動。
9.二子古墳
碧海台地のひがしのはしに二子古墳(ふたごこふん)。古墳時代前半期、300年ごろの前方后方墳。
愛知県内最大規模の古墳としてなだかく、くに指定史跡になっとる。
沖積平野におりてたんぼんなかをきたにあるいて新幹線をくぐる。
みぎにさくらなみき。
さくらなみきのみぎにたんぼの排水路と西鹿乗川(にしかのりがわ)。
10.西鹿乗川土地改良記念碑
西鹿乗川土地改良記念碑にとうちゃく。
2003年にあんじょう土地改良区が設立50周年をむかえて愛称を水土里ネット愛知(みどりねっとあいち)とした。ふるいちょうにおいてもなんかいかにわたる圃場整備(ほじょうせいび)を実施。
にしにあるいて碧海台地にあがってゴールのふるいちょう公民館にとうちゃく。町内会長から歴史クイズ。景品をおわたし。ふるいれきしめぐりをおえる。
案内人 | 1班 | 杉浦正之、加藤亘 |
2班 | 岩瀬昭彦、細井嘉乃 | |
3班 | 石原則行、上地恵英 | |
資料提示 | 杉浦時男、石川小夜子、天野暢保、清水清治、植村真一 |