川向いきバスと大樹寺のたび

2023.2.28 (46) 川向バス停 - 回送バス(川向橋) 1990-1480 2023.2.28 (70) 大樹寺 - 山門 2400-1765

まえまえからいっかいのってみたいなっておもっとった川向(かわむき)いきバスにのってきた。東岡崎始発で1日2本しかないバスだ。いったさきで天空の神社こと御桑神社(おくわじんじゃ)をみて、かえりに奥殿陣屋(おくとのじんや)や大樹寺(だいじゅうじ)にたちよってきた。

◇            ◇

2023.2.28 (6) 東岡崎 - 川向いきバス 1980-1500

東岡崎は4番バスのりばにはいってきた川向(かわむき)いきバスにのりこむ。

2023.2.28 (7) 川向いきバス - 東岡崎しゅっぱつ 2000-1500

8時40分、しゅっぱつ。乗客は5人。

2023.2.28 (8) 川向いきバス - 東岡崎えきまえどおり 1600-1200

えきまえどおりをにしにいく。

明大寺本町(みょうだいじほんまち)交差点を右折。電車どおりをきたにいく。

2023.2.28 (9) 川向いきバス - 殿橋をわたる 1530-1200

菅生川(すごうがわ)にかかる殿橋(とのばし)をわたる。

2023.2.28 (10) 川向いきバス - 殿橋(岡崎城) 1560-1200

はしのうえ、ひだり45度に松平の本拠岡崎城をみる。

はしをわたってとおりのなまえが本町どおりにかわってすぐに殿橋(とのばし)バス停に停車。ひとりのってきて、乗客は6人に。

2023.2.28 (11) 川向いきバス - 康生町バス停 2000-1500

岡崎のめぬきどおり康生どおりをよこぎって、康生町(こうせいちょう)バス停に停車。いっきに4人おりて、乗客はふたりに。

2023.2.28 (12) 川向いきバス - 信濃門いしぶみ 1600-1200

能見通1丁目南(のみどおりいっちょうめみなみ)交差点をすぎてみちのひだりわきに信濃いしぶみ。ここが岡崎城信濃門があったとこで、こっからとおりのなまえも足助街道にかわる。足助から飯田につながる街道だ。

2023.2.28 (13) 川向いきバス - 神明社前バス停 2000-1500

神明社前(しんめいしゃまえ)バス停を通過。

2023.2.28 (14) 川向いきバス - 伊賀橋をわたる 1580-1190

伊賀橋(いがばし)をわたる。はしのきたづめからちょこっとにしにいったとこに松平のうじがみ伊賀八幡宮がある。

2023.2.28 (15) 川向いきバス - 伊賀町交差点 1600-1200

伊賀町交差点をすぎて伊賀町(いがちょう)バス停に停車。ひとりおりて、乗客はひとりに。いや、まんだ岡崎市内線バスとの重複区間なのにこんなに乗客がすくないのかっておもうけど、まあ、あさの時間帯の郊外方面へのバスだでこんなもんかともおもう。

2023.2.28 (16) 川向いきバス - 井田バス停 1600-1200

井田(いだ)バス停を通過。

2023.2.28 (17) 川向いきバス - 鴨田町所屋敷交差点 1600-1200

鴨田町所屋敷(かもだちょうところやしき)交差点で西三河南部環状道路をよこぎる。

2023.2.28 (18) 川向いきバス - 大樹寺(だいじゅうじ)バス停 2000-1500

大樹寺(だいじゅうじ)バス停を通過。こっからひだりにはいってったとこに松平の菩提寺大樹寺(だいじゅうじ)がある。

2023.2.28 (19) 川向いきバス - 百々住宅前岩津百々間(東岡崎いきバス) 2000-1500

東岡崎いきバスとすれちがって岩津百々(いわづどうど)バス停に停車。ひとりのってきて、乗客はふたりに。いや、こんなとこからのってくるとはおもわんかった。

2023.2.28 (20) 川向いきバス - 青木橋をわたる 1600-1200

青木橋をわたって青木橋(あおきばし)バス停を通過。

2023.2.28 (21) 川向いきバス - 青木橋東蔵前間(JR岡崎駅いきバス) 2000-1500

JR岡崎駅いきバスとすれちがって東蔵前(ひがしくらまえ)バス停を通過。

2023.2.28 (22) 川向いきバス - 岩津バス停 2000-1500

岩津(いわづ)バス停を通過。

2023.2.28 (23) 川向いきバス - 岩津天神口バス停 1600-1200

岩津天神口(いわづてんじんぐち)バス停に停車。岩津百々でのったひとがおりて、また乗客はひとりに。

ふたまたをみぎにはいって、足助街道からはなれる。岩津団地(いわづだんち)バス停を通過。ななし信号交差点を左折。市営岩津住宅(しえいいわづじゅうたく)バス停を通過。足助街道をよこぎって、おごそみなみ交差点を右折。国道248号線をきたにいく。

2023.2.28 (24) 川向いきバス - おごそバス停 1600-1180

すぐにおごそバス停を通過。

すぐに足助街道と合流。いわづおごそ交差点でまた足助街道からはなれる。この交差点を足助街道右折、わが川向いきバスは直進。

2023.2.28 (25) 川向いきバス - 仁木(にっき)交差点 1540-1200

仁木(にっき)交差点を右折してすぐに三菱自動車EV技術センターバス停を通過。

2023.2.28 (26) 川向いきバス - 岩脇バス停 1540-1200

岩脇(いわわき)バス停を通過して、みぎからきた足助街道と合流。

2023.2.28 (27) 川向いきバス - 北斗台口交差点右折 2000-1500

北斗台口交差点を右折。足助街道からはなれる。

すぐに北斗台口(ほくとだいぐち)バス停を通過。

2023.2.28 (28) 川向いきバス - 3号公園前バス停 1580-1200

北斗台団地にはいっていって、3号公園前バス停を通過。

2023.2.28 (29) 川向いきバス - 北斗台会館前バス停 1600-1200

北斗台会館前バス停も通過。わざわざよりみちして北斗台団地にはいってきただけど、ほのかいがなかった。

もどっていって北斗台口交差点を右折。また足助街道をきたにいく。

2023.2.28 (30) 川向いきバス - 北斗台口バス停(きたいき) 1600-1200

すぐに北斗台口バス停を通過。2回めの北斗台口バス停を通過。

2023.2.28 (31) 川向いきバス - 細川バス停 2000-1500

細川(ほそかわ)バス停に停車。ひとりのってきて、乗客はふたりに。いや、ここでのってきたか。

2023.2.28 (32) 川向いきバス - 門立バス停 2000-1500

巴川(ともえがわ)にむかってくだっていって、門立(もだち)バス停を通過。岡崎電気軌道の終着駅門立駅のあったとこだ。このさき足助までの鉄道布設免許をもっとったけど、ついに実現せんかった。

2023.2.28 (33) 川向いきバス - 細川町上屋敷交差点 1600-1200
2023.2.28 (34) 川向いきバス - 門立桑原間(JR岡崎駅いきバス) 2000-1500

細川町上屋敷(ほそかわちょうかみやしき)交差点をとおってJR岡崎駅いきバスとすれちがい。まんだ岡崎市内線バスとの重複区間だ。

2023.2.28 (35) 川向いきバス - 門立桑原間(巴川) 1200-900

ひだりに巴川をそっていく。たけやぶにさえぎられてかわもはみえん。

2023.2.28 (36) 川向いきバス - 桑原町門立交差点右折 1600-1200

桑原町門立(くわばらちょうもだち)交差点を右折して、足助街道からはなれる。

すぐに桑原(くわばら)バス停を通過。ここまでが岡崎市内線バスとの重複区間になる。

2023.2.28 (37) 川向いきバス - 奥殿陣屋交差点左折 1560-1180

奥殿陣屋(おくとのじんや)交差点を左折。こっから川向いきバス単独区間になる。

2023.2.28 (38) 川向いきバス - 奥殿バス停 1960-1500

奥殿(おくとの)バス停を通過。大給の里道(おぎゅうのさとみち)ってなまえのついたみちをいく。大給ってまあちょっときたになるだけど、なんで大給でもないとこをとおるこのみちが大給の里道なのかふしぎだ。

2023.2.28 (39) 川向いきバス - 下宮石バス停 1600-1200

下宮石(しもみやいし)バス停に停車。細川でのったひとがおりて、またまた乗客はひとりに。いや、でも川向いきバス単独区間でも乗車があることがかくにんできた。

ひだりに郡界川(ぐんかいがわ)がそってきて、上流にむかっていく。郡界川のこっちが額田郡(ぬかたぐん)で、むこうが加茂郡(かもぐん)。

2023.2.28 (40) 川向いきバス - 桂野バス停 1600-1200

桂野(かつらの)バス停を通過。

2023.2.28 (41) 川向いきバス - 中宮石バス停 1580-1200

中宮石(なかみやいし)バス停を通過。

宮石公民館前バス停を通過。

2023.2.28 (42) 川向いきバス - 宮石郵便局前バス停 2000-1500

宮石郵便局前バス停を通過。

2023.2.28 (43) 川向いきバス - 上宮石バス停 1480-1180

上宮石(かみみやいし)バス停を通過。だいぶやまんなかにはいってきた。

2023.2.28 (44) 川向いきバス - 伊勢木バス停 1600-1200

伊勢木(いせぎ)バス停を通過。

2023.2.28 (45) 川向いきバス - 川向バス停 1880-1450

大給の里道が郡界川につきあたるかたちで川向バス停にとうちゃく。9時30分の定刻どおり。

東岡崎 8:40 → (名鉄バス川向線17H系統=川向いきバス) → 9:30 川向バス停〕

2023.2.28 (46) 川向バス停 - 回送バス(川向橋) 1990-1480

のってきたバスが郡界川にかかる川向橋(かわむきばし)をわたっていくのをみおくり。ここが終点のはずなのにどこにいっちゃうのか。かわむこうのほうがにぎやかだ。

2023.2.28 (50) 川向バス停 - 御鍬神社 1840-1480

バス停のみぎうえに天空の神社こと御鍬神社(おくわじんじゃ)。

2023.2.28 (47) 御鍬神社 - いちのとりい 2000-1500

いちのとりいをくぐってのぼっていく。いままでみあげたり対岸からながめたりするだけだったこの御鍬神社にのぼってみることにした。

2023.2.28 (48) 御鍬神社 - にのとりい 1880-1500

てっぺんにのぼって、にのとりいのおくに3連の社殿。どれも神明づくりひらいり銅板ぶき、水平ちぎかつおぎつきの社殿だ。

したにおりて、川向橋をわたっていってみる。

さっきみおくったバスが転回場におるのを発見。どこにいっちゃったわけでもなかった。ここで転回してかえりのバスになるだ。

2023.2.28 (51) 加茂川町本郷 - 川床商店 2000-1500

とおりをすすんで、みぎに川床商店。むかしながらのざっかやだ。

ひだり、斜面のうえに法興寺(ほうこうじ)。まえはこの境内から御鍬神社をみた。

さて、川向バス停にもどってかえりのバス。しゅっぱつ時刻は9時50分。かえりのバスも1日2本しかなくて、こいつをにがすとつぎは14時10分になっちゃって、ほれはつらい。転回場からでてきた東岡崎いきバスにのる。乗客はおれひとり。あさの時間帯の都心方面へのバスだでなんにんかのるのかっておもっとっただけど、おれだけだった。

2023.2.28 (52) 東岡崎いきバス - 宮石郵便局前バス停 1600-1200

宮石郵便局前バス停を通過。

2023.2.28 (53) 東岡崎いきバス - 宮石公民館前バス停 1600-1200

宮石公民館前バス停を通過。

下宮石バス停に停車。ひとりのってきて、乗客はふたりに。いや、川向いきバス単独区間で乗車があった。

2023.2.28 (54) 奥殿バス停 - 東岡崎いきバス 2000-1500

9時55分、奥殿バス停にとうちゃく。バスをおりる。奥殿陣屋にたちよってみることにした。岡崎市内線バスの終点が奥殿陣屋バス停で、ほこまでいきゃあなんぼんかバスがある。

〔川向バス停 9:50 → (名鉄バス川向線17H系統=東岡崎いきバス) → 9:55 奥殿バス停〕

2023.2.28 (55) 奥殿陣屋 2000-1500

みなみにあるいて奥殿陣屋にとうちゃく。陣屋のたてもんを見物。

2023.2.28 (56) 奥殿陣屋資料展示室 - 歴代藩主の業績 2000-1500

資料展示室にはいって、おおっ! 大給と奥殿のつながりがわかった。18松平のひとつ大給松平(おぎゅうまつだいら)の分家のひとつが奥殿藩になるだ。家康の関東移封(いほう)にしたがってもとの地をさった大給松平だけど、5代真乗(さねのり)の二男真次(さねつぐ)がもとの地にちかいここ奥殿に知行地をえて、奥殿藩がはじまっただ。いや、これまでなんかいもきとる奥殿陣屋だけど、大給松平からつづくもんだったとはきょうのきょうはじめてしった。さっきバスでとおった大給の里道も、ここ奥殿が大給松平からつづく歴史があることをしめすためになづけたもんであるにちがいない。

奥殿陣屋バス停10時17分のJR岡崎駅いきバスにのる。乗客はおれひとり。

細川バス停でひとりのってきて、乗客はふたりに。岩脇バス停でまたひとりのってきて、乗客は3人に。

2023.2.28 (57) JR岡崎駅いきバス - 三菱自動車EV技術センターバス停 1590-1190

三菱自動車EV技術センターバス停ではなんと3人ものってきて、乗客は6人に。

2023.2.28 (58) JR岡崎駅いきバス - 市営岩津住宅バス停 1600-1200

市営岩津住宅バス停でひとりのってきて、乗客は7人に。ここで調整停車。

岩津団地バス停でひとりのってきて、乗客は8人に。

2023.2.28 (59) JR岡崎駅いきバス - 岩津天神口岩津間(足助いきバス) 2000-1500

足助いきバスとすれちがって岩津バス停に停車。ひとりおりて、乗客は7人に。

東蔵前バス停でひとりのってきて、乗客は8人に。青木橋バス停でひとりのってきて、乗客は9人に。岩津百々バス停でひとりおりて、ひとりのってくる。百々住宅バス停でひとりのってきて、乗客は10人に。午前中の都心方面へのバスらしく、ちょこっとづつ乗客がふえていく。

2023.2.28 (60) 大樹寺バス停 - JR岡崎駅いきバス 1980-1490

10時37分の定刻から3分おくれで大樹寺(だいじゅうじ)バス停にとうちゃく。ここでバスをおりる。さいしょっからの予定じゃなかったけど、松平の菩提寺大樹寺(だいじゅうじ)をみにいくことにする。

〔奥殿陣屋バス停 10:17 → (名鉄バス岡崎市内線6系統=JR岡崎駅いきバス) → 10:37 大樹寺バス停〕

2023.2.28 (82) 大樹寺バス停 1980-1500

とりあえずひとやすみしたくて足助街道をみなみにあるいて喫茶店をさがす。

みつけれんままに鴨田町所屋敷交差点を右折。西三河南部環状道路をにしにさかをくだっていって、鴨田町深田交差点の東南かどにみつけたファミリーマート岡崎鴨田東店でひとやすみ。ついに喫茶店はみつけれんくてコンビニでひとやすみすることにした。

2023.2.28 (61) 鴨田町深田交差点からきたえ 1980-1480

さて、鴨田町深田交差点からきたに生活道路にはいっていく。このさきに大樹寺があるはずだ。

2023.2.28 (62) 鴨田町猿堂 - 常夜灯 1600-1190

さかをのぼっていくとちゅう、左右に常夜灯。

すすんで、ひだりに慈光寺。

2023.2.28 (64) 鴨田町郷前 - 真如寺 2000-1500

すすんで、ひだりに真如寺(しんにょじ)。山門てまえに薬師如来座像の説明がきがあるだけど、ほれがおもしろい。寺伝によるとあんじょうの薬師堂からきたもんだってかいてある。さらに、真如寺が桑子にあったときには本尊だって、真如寺が大樹寺に吸収されて客仏になっただらあってかいてある。ほいで、像のなかに梵字の音をかりてこんな文章がかいてあるっていう。
「da yi jhi yu jhi|ma tu jhi|cam ci u|ku ba(va) go mu ta|cin ni yo jhi|pon jhom」
「ダイジユジ|マツジ|サンシウ|クワゴムラ|シンニヨジ|ポンジョン」
大樹寺|末寺|三州|桑子村|真如寺|本尊」

みぎに殿神八幡社。やしろはあるだけど、はりがみに「鴨田天満宮に合祀された」ってかいてある。

2023.2.28 (65) 鴨田町郷前 - 鴨田天満宮門前道路

みちのつきあたりにとりいがみえてくる。

2023.2.28 (66) 鴨田天満宮 - いちのとりい 2000-1500

つきあたりは鴨田天満宮のいちのとりいだった。大樹寺はこのちょっとにしにあることをかくにん。

2023.2.28 (67) 鴨田天満宮 - にのとりい 1950-1500

いちのとりいからおくにあるいて生活道路をよこぎったとこに、銅板ぶきやねしゅぬりばしらのにのとりい。

2023.2.28 (68) 鴨田天満宮 - 本社殿 1980-1480

すすんで本社殿。

鴨田天満宮いちのとりいからにしに大樹寺山門に移動。こっからみなみに総門のなかに岡崎城がみえるっていうだけど、ほんとかどうかたしかめてみる。

2023.2.28 (69) 大樹寺 - 総門(岡崎城) 2000-1500

あーっ! みえたーっ! ほんとに総門のなかに岡崎城がみえる。大樹寺小学校の校庭をへだてて、いまは大樹寺小学校のみなみもんになっとる大樹寺総門のなかに岡崎城がみえる。いままでなんかいもきとる大樹寺だけど、はじめてみるこの光景のすばらしいこと。いや、ほれにしても、大樹寺はあんじょう松平の時代に菩提寺としてできたもんで、当時は岡崎城のおの字もなかったはずなのになんでこんな位置関係にあるのかふしぎなことだ。

2023.2.28 (70) 大樹寺 - 山門 2400-1765

ふりかえって山門。いや、おどろくべき巨大な山門だ。徳川3代家光がたてたもんで、2階へは、1階左右にある階段室からあがっていくかたちになっとる。圧倒される威圧感のなか、2階のきしたのしゅがきの社額にはしたしみもかんじる。

2023.2.28 (72) 大樹寺売店 - 関東煮 1200-900 2023.2.28 (73) 大樹寺売店 - ごへいもち 1200-900

山門をくぐって境内にはいったとこで売店にたちより。かんとに3本とごへいもちのひるめし。かんとにって関東煮のことだ。ほういやあ、こどものころおでんってことばはなくてかんとにっていっとった。大樹寺はこんな平日でもおおぜいの観光客でにぎわっとって、おれがひるめしをくっとるあいだも、なんにんかがごへいもちをかいにくる。みせのおんな主人ともはなしをするなか、「大樹寺にも松潤がきたんですよ~」ってうれしそうにおしえてくれる。いや、岡崎はどうする家康でおおもりあがりだ。ほいで、松潤がみれたかきくと、「おおぜいのとりまきにかこまれてみれんかったけどオーラがつたわってきただけで大満足です」とのこたえ。

2023.2.28 (76) 大樹寺 - 沿革 2400-1820

さて、本堂てまえにあった由緒がきで大樹寺の歴史のべんきょう。
1475年、松平4代親忠が勢誉愚底上人(せいよぐていしょうにん)を開基(かいき)として建立。
松平7代清康の建立した多宝塔はくにの重要文化財に指定されとる。
今川義元桶狭間のたたかいにやぶれたことで、大高城から大樹寺ににげかえった松平9代家康は先祖のはかのまえで自害せえってしただけど、大樹寺住職登誉天室上人(とうよてんしつしょうにん)がこれをとどめ「厭離穢土欣求浄土」のおしえをといた。このあと家康をおう野武士の一隊が大樹寺をかこんだだけど、「厭離穢土欣求浄土」のはたをたてて、大力無双の祖洞和尚(そどうおしょう)が門のかんぬきをひきぬいて奮戦して、敵を退散させた。家康はこのかんぬきを「開運のかんぬき」としてとうとんで、いまもこの大樹寺に安置されとる。
松平8代のはかはにしがわ墓地のきたがわにある。
本堂と大方丈(おおほうじょう)は1855年に焼失。1857年、13代将軍家定のときに再建。大方丈の障壁画は、土佐派の画家冷泉為恭(れいぜいためちか)がえがいた。
山門と鐘楼は徳川3代将軍家光が建立。山門楼上の「大樹寺」の社額は后奈良天皇の宸筆(しんぴつ)。
岡崎城天守閣と大樹寺の総門、山門、本堂が南北一直線上にある。

うん、どこにもあんじょうとはかいてないけど、あんじょう松平の初代城主になった松平4代親忠が菩提寺として大樹寺をつくっただ。松平が本拠をあんじょうから岡崎にうつすのは松平7代清康のとき。

2023.2.28 (77) 大樹寺 - 多宝塔 2000-1500

本堂にあがるのをあとにして、にしがわ墓地のみなみがわに1535年に清康がたてた多宝塔を発見。かやぶきで、したが角づつ、うえがまるづつのしぶい二重の塔だ。

2023.2.28 (78) 大樹寺 - 松平8代のはか 2000-1500

墓地をいちばんきたがわまであるいて松平8代のはかを発見。みぎから氏親(うじちか)以下松平8代のはかがあって、さいごに家康のはかがある。

2023.2.28 (74) 大樹寺 - 本堂 2000-1500

いよいよ本堂にあがる。一角がみやげもんうりばになっとって、うりこのおねえさんに、由緒がきにかいてあったかんぬきはどこに展示してあるのかきくと、よくぞきいてくれたってかんじで、拝観料をはらったさきの大方丈にあるっておしえてくれる。おまけに、どうする家康で大樹寺のたたかいのばめんがあったときには岡崎市民はおおいにもりあがったっておしえてくれる。

2023.2.28 (80) 大樹寺(だいじゅうじ) - 大方丈 1970-1500

拝観料をはらって本堂からおくにはいって大方丈を見学。たの字にむっつのまがあって、おくのみっつのまのうちまんなかのまが将軍がやすむ上段のま。にしのまが将軍に接見するためのひかえのまである下段のま。てまえのみっつのまが大名がはいるまで、それぞれの大名のかくづけのたかいひくいによって、にしから順にあるつるのま、ぼたんのま、てっせんのまのいずれかにはいる。

大方丈のさいごにおくのひがしにあるかんぬきのまをみたあと、わたりろうかをとおって本堂ひがしの位牌堂に移動。松平8代のうちおもな人物の生涯についてべんきょう。

4代親忠(ちかただ)
初代あんじょう城主。1475年、大樹寺を創建。1501年、63才でなくなる。
7代清康(きよやす)
13才で家督相続。あんじょうから岡崎に移転。1535年、森山くずれによりなくなる。
8代広忠(ひろただ)
10才でちち清康と死別。一時岡崎をはなれざるをえんかっただけど、伊勢氏、今川氏の援助をえて1537年、岡崎城にもどる。1549年、24才のときに暗殺されて、松平氏の所領と家臣団は今川指揮下に編入されることになる。

いや、徳川初代将軍家康は松平9代にあたるだけど、ちち広忠の代には今川の家来になっとっただ。ほれがよくぞもりかえして徳川初代将軍にまでのぼりつめたもんだ。

大樹寺の境内をでて大樹寺小学校のみなみがわにまわる。

2023.2.28 (81) 大樹寺 - 総門 1990-1500

総門からきたに山門と本堂をみとおして、こっちも一直線上にあることをかくにん。

大樹寺バスから東岡崎にもどって、きょうのたびをおえる。

大樹寺バス停 13:37 → (名鉄バス岡崎市内線4系統*1=JR岡崎駅いきバス) → 13:53 東岡崎

〔2023年2月28日、かようび、平日〕