国府宮と稲沢

国府宮(こうのみや)と稲沢(いなざわ)ってなんだ。

稲沢市の地図(家造.net)
(稲沢市の地図 - 家造.net)

市長選にでるひとは

ちかぢか市長選があるらしい。らいげつ2016年12月よっかだ。出馬するっていうひとが「名鉄の鉄道高架化などを実現し、市民がゆめをかたれるまちをつくりたい」っていっとる。名鉄っていうと国府宮だ。市のなまえは稲沢だけど、名鉄のえきは国府宮をなのっとる。このえきのすぐひがしきたに「はだかまつり」で有名な国府宮こと尾張大国霊神社(おわりおおくにたまじんじゃ)がある。

稲沢市長選 - 2016.12.4
稲沢市長選 - 2016.12.4

まえの市長は

まえの市長が3期めの任期なかばにしてなくなっただ。3選をはたしたときに、「名鉄国府宮駅周辺100ヘクタールを整備し、1万人規模の人口増をめざす」っていっとる。やっぱり国府宮のほうだ。

訃報:大野紀明さん71才=愛知県稲沢市
  • 愛知県稲沢市長の大野紀明(おおの・としあき)さんが2016年10月20日、転移性脳腫瘍のため稲沢市の病院で死去した。71才。通夜は2016年10月22日午后6時、葬儀は23日正午、稲沢市下津二本杉町66の広幢寺(こうどうじ)。自宅は稲沢市下津片町82。喪主は長男紀之(のりゆき)さん。
  • 大野さんは稲沢市の財政課長や市長公室長などを経て2005年3月に助役に就任し、2006年11月に市長に初当選した。2014年12月の市長選で3選を果たし「3期目の課題は多いが、市の発展に全力を尽くしていきたい」と抱負を語った。名鉄国府宮駅周辺約100ヘクタールを整備し、1万人規模の人口増を目指すと述べていた
  • 今年2016年9月中旬から体調を崩して複数回入院していた。
  • 死去が選管に通知されてから50日以内に市長選が行われる。
    訃報:大野紀明さん71才=愛知県稲沢市長 - 毎日新聞(河部修志さん)|2016年10月20日23時23分

国府宮は拡大してきた稲沢市の歴史のなかのどこに

いちばんさいきんじゃあ祖父江町(そぶえちょう)なんかを合併しとる稲沢市だけど、さかのぼってどんなふうに合併してきとるのか。国府宮ってのもでてくるのか。しらべてみた。

稲沢市の形成過程
  1. 稲葉村+小沢村=稲葉宿
    江戸時代は、稲葉村と小沢村の2村で脇街道美濃路の稲葉宿を構成していた。
  2. 稲葉村+小沢村=稲沢村⇒稲沢町(初代)
    1875年、稲葉村と小沢村が合併して稲沢村となり、明治の大合併で町制が施行されて稲沢町(初代)となった。
  3. 稲沢町(初代)+一治村、国府宮山形村、下津村ほか=稲沢町(2代)
    1906年5月10日、中島郡稲沢町・一治村・国府宮村・山形村・下津村・中島村の一部・稲保村の一部・大江村の一部が合併し、新たに稲沢町(2代)が成立。
  4. 稲沢町(2代)+大里村、千代田村、明治村稲沢町(3代)
    1955年4月15日、中島郡稲沢町・大里村、千代田村、明治村が合併し、再び新たな稲沢町(3代)が成立。
  5. 稲沢町(3代)⇒稲沢市(初代)
    1958年11月1日、県内で22番目の都市として市制を施行し、稲沢市(初代)となった。
  6. 稲沢市(初代)+平和町祖父江町稲沢市(2代)
    2005年4月1日、中島郡平和町祖父江町編入稲沢市(2代)が成立。

うーん、そもそも稲沢ってのが合成地名だったとは。稲葉村と小沢村が合併して稲沢村になっただ。ほのまま稲沢町に移行して、ほのあとのさいしょの拡大のときに吸収された、みっつのむらのなかのひとつが国府宮村だ。さらにほのあとの町時代から市時代にかけても拡大しとるで、国府宮ってのは稲沢のなかの一部分でしかない。まっと「稲沢たい国府宮」っていうような拮抗(きっこう)した関係かっておもったけど、ほじゃなかった。

稲沢のもとである稲葉宿は国府宮のえきのにしにあった

国府宮のえきも、むかし稲沢に吸収されたちいさな国府宮村の区域内にえきをつくったでこのなまえにしたのか。ほんとなら優勢であるはずの稲沢をなのるべきだったようなきもする。稲沢の「もと」である稲葉宿をしらべたら、国府宮のえきからにしに1キロいったとこにあるってかいてある。東海道線稲沢駅国府宮駅よりひがしにあるで、てっきりひがしのほうにあるのかっておもったけど、ほじゃなかった。

国府宮駅稲沢駅の比較

稲沢の「もと」が国府宮駅のにしにあることがわかったとこで、さいごに国府宮駅よりまたひがしのほうにある稲沢駅との比較をしとく。


(さんこう)