蒲郡(がまごおり)が、ふたつの地名を合成した地名だってことは、なんねんかまえにちゅうにちの記事でみてしっとった。ただ、ひとつになるまえのふたつの地名がなんだったかわすれちゃっとって、また、ほれがいまの蒲郡市のうちのどのへんなのかをしりたくて、むかしの客車と蒸気機関車をみてきたついでに、蒲郡市博物館でたしかめてきた。
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さいしょに2階の展示室で蒲郡の年表をみてみる。
あった。「1875年、西ノ郡村(にしのこおりむら)と蒲形村(かまがたむら)と合併し蒲郡村(がまごおりむら)となる」ってかいてある。西ノ郡の「郡(こおり)」と蒲形の「蒲(かま)」をあわせて蒲郡になっただ。もとはそれぞれにごってなかったのに、あわさったら「がまごおり」ってにごった。ほいで、合併した1875年ってのは明治になってからのことだ。いや、蒲郡の歴史ってぞんがいにあたらしいのか。東海道線が開通して、蒲郡のえきができたのが、蒲郡村になってからわずか13年あとの1888年だ。
ところで蒲郡村ってどのへんなだ。1階の事務室できいて、資料をみせてもらう。
1890年の地図で、開通したての東海道線のちょっときたに蒲郡村がある。東西のとおりに宅地が密集しとる。中心よりちょっとにしの、とおりがクランクしとるとこからみなみにみちがのびとるだけど、ほのみちが東海道線と交差するとこの東北がわにわずかに宅地がみえるだけど、ひょっとしたらここができたてほやほやの蒲郡のえきのとこだったのかもしれん。かかりいんのひとのはなしで、蒲郡のえきはさいしょ、いまのとこよりにしにあったっていうことだった。
〔宅地が密集しとるとこが旧西ノ郡村で、ほのまわりが旧蒲形村〕
ほいで、いまの蒲郡市のうちのどのへんになるのかきくと、住宅地図をだしてしめしてくれる。1890年の地図のクランクのとこが、いまの中央本町交差点になるだげな。交差点の東北かどに小池商事っていうみせがある。ほー、ほんとのまちなかだ。いまも、往時のおもかげがあるのかないのか、にぎわっとるのかさびれとるのか。また、おとずれてたしかめてみるよ。
(さんこう)
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