あめんなか東岡崎まで電車さんぽ - 2021年4月17日

いき

2021.4.17 (3) みなみあんじょう - しんあんじょういきふつう 1980-1460

2021年4月17日、どようび、あめ。みなみあんじょうは、はんたい線に吉良吉田いき急行のあっかい電車がまっとるとこで、15時27分のしんあんじょういきふつうにのる。電車は、鉄仮面のあっかい電車。

15時32分、しんあんじょうにとうちゃく。

2021.4.17 (4) しんあんじょう - 東岡崎いきふつう 2000-1480

名古屋本線にのりかえ。しんあんじょう15時35分の東岡崎いきふつうにのる。電車は、かんつうがたのあっかい電車。

2021.4.17 (5) 東岡崎 - 東岡崎いきふつう 2000-1480

15時45分、東岡崎はまちあい線にとうちゃく。電車は、おんなの車掌さんからおとこの車掌さんに交代して、伊奈いきふつうになまえをかえて運行を継続する。

2021.4.17 (6) 東岡崎 - 豊橋いき快速特急 2000-1500

主線に豊橋いき快速特急のこおろぎ特急がはいってくるのをみて、かいさつをでる。

かえり

2021.4.17 (7) 東岡崎 - 岐阜いき特急 2000-1500

岡ビル1階のロッテリアでひとやすみして、かえりの電車。東岡崎16時36分の岐阜いき特急にのる。電車はこおろぎ特急。

15時42分、しんあんじょうは4番のりばにとうちゃく。

2021.4.17 (8) しんあんじょう - 佐屋いき急行 1600-1200

2番のりばに移動。3番のりばにはいってきた佐屋いき急行のあっかい電車をみて、あっ! これ、いきにみなみあんじょうでみた、吉良吉田いき急行のあっかい電車じゃんか。吉良吉田までいってもどってきただ。
車両番号にまちがいない。2021.4.17 (2-2) みなみあんじょう - 吉良吉田いき急行 940-420

2021.4.17 (10) しんあんじょう - 吉良吉田いき急行 1560-1190

ちょっとして、2番のりばにしんあんじょう16時52分の吉良吉田いき急行がはいってきて、のる。電車は、きんぎょばちのあっかい電車。

2021.4.17 (11) みなみあんじょう - 吉良吉田いき急行 1990-1500

16時56分、みなみあんじょうにとうちゃく。電車さんぽをおえる。あめにしっぽりぬれたあっかい電車もわるくないな。


(さんこう)

  • 乗車記録 - 2021年4月17日、どようび
    • いき
    • かえり
      • 東岡崎 16:52 名古屋本線=岐阜いき特急 → 16:42 しんあんじょう
      • しんあんじょう 16:52 西尾線=吉良吉田いき急行 → 16:56 みなみあんじょう

七州城のたび - 2021年3月18日

2021.3.18 (29) 七州城 - すみやぐら(いしだん) 2000-1500

2021年3月18日、七州城(ひちしゅうじょう)をみてきた。いきかえりの道中もふくめて、ほのときのようすを以下に紹介する。
〔電車で上挙母まで〕〔七州城をあるく〕[地図]〔豊田市からかえりの電車〕[乗車記録]

◇            ◇

電車で上挙母まで

2021.3.18 (1) ふるい - しんあんじょういきふつう 2000-1500

さいしょは西尾線。ふるい8時17分のしんあんじょういきふつうにのる。電車は2両編成かんつうがたのあっかい電車。いや、あさひをよこにあびて、あっかいにもほどがある。

2021.3.18 (2) しんあんじょういきふつう - みなみあんじょう 1600-1200

あんじょう平野をきたにすすんで、みなみあんじょうに停車。

2021.3.18 (3) しんあんじょういきふつう - みなみあんじょう(吉良吉田いき急行) 1560-1200

はんたいから吉良吉田いき急行のあっかい電車がくるのをまって、しゅっぱつ。西尾線は単線だ。

2021.3.18 (4) しんあんじょう - しんあんじょういきふつう 2000-1500

8時26分、しんあんじょうは2番のりばにとうちゃく。

2021.3.18 (5) しんあんじょう - 須ケ口いき特急 2000-1500

階段をのぼりおりして、名古屋本線4番のりばに移動。しんあんじょう8時28分の須ケ口いき特急にとびのり。いや、2分でのりかえってきびしいわ。これがのりかえ検索にも表示される標準のりかえなだけど、西尾線のおくれでのれんこともたびたびある。電車はこおろぎ特急で、うしろから4両めの4号車にたっていく。

にしにすすんで、8時31分、知立は5番のりばにとうちゃく。

2021.3.18 (6) 知立(2番のりば) - 猿投いきふつう 1960-1480

階段をのぼりおりして、三河線2番のりばに移動。知立8時35分の猿投いきふつうにのる。電車は6005編成4両6000系かんつうがたのあっかい電車。

2021.3.18 (7) 猿投いきふつう - 三河知立 1590-1190

きたにすすんで、三河知立に停車。

2021.3.18 (8) 猿投いきふつう - 三河知立(知立いきふつう=6001編成4両かんつうがた) 1600-1200

はんたいから知立いきふつうのあっかい電車がくるのをまって、しゅっぱつ。三河線も単線だ。

2021.3.18 (9) 猿投いきふつう - ゼロキロポスト 1590-1180

ちょこっといったとこで、線路のひだりわきにゼロキロポストをかくにん。三河線の前身、三河鉄道は、ここを起点にみなみへきたへ線路をのばしていった。

2021.3.18 (10) 猿投いきふつう - 三河八橋 1600-1190

三河八橋に停車。まんださいきんに高架になったばっかりの、ぴっかぴかのえきだ。

2021.3.18 (11) 猿投いきふつう - 若林(知立いきふつう) 1540-1180
2021.3.18 (12) 猿投いきふつう - 若林 1600-1200

若林は、しましきホームひだりに知立いきふつうのあっかい電車がとまっとるとこで、みぎがわ通行で停車。ひだりがわ通行が原則の鉄道世界にあって、みぎがわ通行は異例のことだ。

2021.3.18 (13) 猿投いきふつう - 竹村 1930-1470

竹村も、しましきホームをみぎがわ通行で停車。

2021.3.18 (14) 猿投いきふつう - 土橋(知立いきふつう) 1600-1190

土橋(つちはし)は上下相対式のえきで、みぎがわはんたい線に知立いきふつうのあっかい電車がとまっとるのをみて、ひだりがわ通行で主線のほうに停車。

2021.3.18 (15) 猿投いきふつう - 上挙母 1600-1200

挙母(うわごろも)は、しましきホームをひだりがわ通行で停車。8時56分。

2021.3.18 (17) 上挙母 - 猿投いきふつう 1990-1490
2021.3.18 (18) 上挙母(うわごろも) - 構内ふみきり 2000-1500

のってきた電車がでていくのをまって、構内ふみきりをひだりにわたってかいさつをでる。

七州城をあるく

挙母のえきまえに「朝日丘(あさひがおか)地域歴史のかおるさんぽみち」っていうでっかい地図かんばん。豊田に朝日丘なんていう地域があることははじめてしっただけど、おすすめのさんぽ経路もいくつかかいてあるわかりやすい地図だ。この地図で七州城のばしょをかくにん。こっから西北方向にある。豊田市のえきからだと西南方向になるだけど、どっちのえきからもおんなじようなきょりにある。

2021.3.18 (20) 上挙母 - 金谷城址のいしぶみ 2000-1500

さびれたえきまえをぬけて住宅街にはいっていって、金谷城址(かなやじょうし)にとうちゃく。豊田市にさいしょにできたしろがこのしろだ。ほっから、いまの豊田市のえきのほうに移転してできたのが桜城。さらに2回めの移転でできたのが七州城っていう歴史がある。

2021.3.18 (21) 上挙母 - 勝手神社(拝殿) 1940-1480

となりの勝手神社(かってじんじゃ)におまいり。四方ふきはなちの拝殿がとくちょうてきだ。

またきたにすすんでいくと、ふるい住宅街からあたらしい住宅街にかわって、さかをおりたつきあたりに愛知県豊田加茂建設事務所。みぎはすぐ三河線で、はんたいのひだりにいく。

2021.3.18 (22) 七州城 - じょうかまち 2000-1450

さかをあがって、またふるい住宅街にはいったとこで、点滅信号機のついた十字路。ここでまじわる南北道路をみてみるとなんだかふぜいがあって、これをきたにすすんでいくことにする。

すすんで、ひだりに「中山神社」っていうたてふだ。たてたぬしは七州城城下町づくり協議会。いや、七州城にじょうかまちなんかあったのか。しかも、まんだ七州城までとおいこんなとこに。すごい発見をした。

2021.3.18 (23) 七州城 - じょうかまち(挙母藩米蔵門) 2000-1500
2021.3.18 (24) 七州城 - じょうかまち挙母藩米蔵門 1990-1480

すすんで、ひだりに、まっくろのいたばりのたてもん。説明がきに、1871年挙母城(ころもじょう)撤去で売却された挙母米蔵門がここ鈴村家に移築されてきたもんだってかいてある。挙母城は七州城の別名。

むかいの住宅の玄関に「樹木区長」のふだ。樹木(じゅもく)って、かわった地名があるもんだ。

十字路を左折。化粧舗装のほっそいみちをにしにいく。すすんで、十字路のひだりにあった豊田屋っていうみせでおちゃをかって、みちをきく。七州城はこのままにしにいきゃあよかった。

2021.3.18 (26) 樹木町1丁目交差点 - 薬師観音 1200-1600 2021.3.18 (25) 樹木町1丁目交差点 - 千手観音 1160-1600

すすんで、南北のクルマどおりと交差する、樹木町1丁目(じゅもくちょういっちょうめ)交差点てまえひだりに観音さん。みぎが千手観音。まんなかが薬師観音。ひだりが土居津島社。説明がきに、みぎふたつをあわせて土居の観音っていうってかいてある。

樹木町1丁目交差点をわたったみぎかどに黒川米穀をみて、ほのままにしにすすむ。

愛知環状鉄道をくぐると、すぐみぎむこうに豊田市美術館のたてもんがみえてくる。

みぎうしろからあがってきた幹線道路と合流。まあちょっとにしにあるいたとこで、幹線道路をきたにわたる。

2021.3.18 (27) 七州城 - すみやぐら 2000-1500

ほのままきたむきに豊田市美術館にはいっていくみちをすすむと、正面に七州城のすみやぐら。

2021.3.18 (28) 七州城 - すみやぐら 1500-2000

うつくしいしらかべのすみやぐらだ。説明がきに、「桜城の建設が矢作川(やはぎがわ)の氾濫(はんらん)で断念されたあと、1785年に完成。内藤氏2万石のやかたとして2代学文(さとふみ)以来86年つづいたけど、1871年にとりこわし。1978年復元」ってかいてある。なるほど、江戸時代も后期にあったしろなだ。

2021.3.18 (29) 七州城 - すみやぐら(いしだん) 2000-1500

いしがきてまえの、みぎにまわりこんでいくいしだんをあがっていく。

2021.3.18 (31) 七州城 - いと作品(中崎透さん) 1590-1190

うらがわからすみやぐらにはいると、ちょうど、ここも、とよたまちなか芸術祭の会場のひとつになっとって、中崎透さんっていうひとのいとの作品が展示中。まどのあかりと、なないろのいと。おもしろい光景だ。でも、いとをひっかけちゃいそう。

この展示のため、てっぺんにはあがれず。三河信濃尾張、美濃、伊勢、伊賀、近江のななつのくにがみえるたかだいにあることから七州城のなまえがついとるってことで、じっさいにてっぺんにあがってほれをたしかめたかっただけど、またの機会だ。

七州城のうらに、又日亭(ゆうじつてい)っていうたてもん。

2021.3.18 (33) 豊田市美術館 - すわるおんな 1480-1980

七州城すみやぐらからひがしにつづいて豊田市美術館のたてもんがあるだけど、ほのうらがわにまわっていったとこでへんな銅像。ヘンリームーアの「すわるおんな」っていう作品だげな。くびのほっそいこと。ほかにも、いろんな作家のいろんな作品が点在しとる。

2021.3.18 (34) 豊田市美術館からまちをみおろす 1980-1480

たかだいの東北かどから、豊田市のえきのほうのまちをみおろす。

2021.3.18 (35) 豊田市美術館からまちにおりていく(岡崎いきふつう) 1980-1480

愛知環状鉄道の電車がくるのをみながら、まちにおりていく。

2021.3.18 (36) 豊田市美術館からまちにおりていく(高蔵寺いきふつう) 1980-1480

おりていくとちゅうで、また、うしろから愛知環状鉄道の電車がやってくる。

2021.3.18 (37) ストリートコーヒーアンドブックス - のんちゃん 1970-1470

豊田市のえきまでいって、ストリートコーヒーアンドブックスでひとやすみ。のんちゃんがとびっきりのえがおでいれてくれたグアテマラをのむ。

2021.3.18 (19-1) 上挙母 - 「朝日丘地域歴史のかおるさんぽみち」 590-700

豊田市からかえりの電車

2021.3.18 (40) 豊田市 - 知立いきふつう 1970-1500

えきしたにみつけたふくいやっていうみせでひるごはんをたべて、かえりの電車。豊田市13時ちょうどの知立いきふつうにのる。電車は、かんつうがたのあっかい電車。

「The next stop is Tiryuu,our final destination」っていう英語の自動案内放送をきいて、知立にとうちゃく。13時25分。いや、ほれにしても、「われらがついの目的地」とはまたおおぎょうな表現をするもんだ。そもそも英語放送なんかいらんし。

いったんかいさつをでて、ミスタードーナッツでひとやすみ。

2021.3.18 (47) 知立 - 吉良吉田いき急行 1960-1480

かいさつをはいりなおして、知立14時47分の吉良吉田(きらよしだ)いき急行にのる。電車は、きんぎょばちのあっかい電車。

2021.3.18 (48) しんあんじょう - 吉良吉田いき急行 2000-1500

14時52分、しんあんじょうにとうちゃく。

2021.3.18 (49) しんあんじょう - 西尾いきふつう 1900-1500

しんあんじょう15時7分の西尾いきふつうにのりかえ。電車は、鉄仮面のあっかい電車。あっかい電車も、かんつうがた、きんぎょばち、鉄仮面って3種類ある。

2021.3.18 (50) ふるい - 西尾いきふつう 2000-1500

15時15分、ふるいにとうちゃく。きょうのたびをおえる。


(さんこう)

二川宿のたび - 2021年4月15日

2021.4.15 (31-1) 駒屋 - 中土蔵(ふたこまや) 1420-1550

2021年4月15日、また、いってみにゃっておもっとった二川宿(ふたがわじゅく)にいってきた。吉田城でSKE48熊崎晴香さんをモデルにつかった二川宿ポスターをみた1週間あとのこと。
〔電車で現地まで〕〔二川宿をあるく〕[乗車記録]

◇            ◇

電車で現地まで

2021.4.15 (1) ふるい - しんあんじょういきふつう 1980-1500

さいしょは名鉄。ふるいから西尾線きたいきのあっかい電車にのる。まんだあさの通勤時間帯のうちで、乗客はたちきゃく7わりのこみよう。

2021.4.15 (2) しんあんじょう(豊橋いき特急) 1400-1050

しんあんじょうにつくてまえ、2分でのりかえの名古屋本線ひがしいきこおろぎ特急がでてっちゃうのをみる。

2021.4.15 (3) しんあんじょう - 1、2番のりば 1580-1190

2番のりばにとうちゃく。橋上コンコースにあがって、ホームを移動。

2021.4.15 (4) しんあんじょう - 豊橋いき特急 1550-1180
2021.4.15 (5) 豊橋いき特急 - しんあんじょう 1590-1160

5番のりばから名古屋本線ひがしいきこおろぎ特急にのる。座席は、あいとった先頭1号車1Aにすわっていく。ひだりまどがわはしらまえ。パノラマスーパーじゃないで、前面展望はない。1Aのまえに0Aってのがあるのもおもしろい。0Bはなくて、0Cと0Dにあたる部分はスーツケースおきば。このこおろぎ特急は、2005年のセントレア開港にあわせて登場したやつだ。

2021.4.15 (6) 豊橋いき特急 - 菅生川をわたる 1590-1180

菅生川をわたって東岡崎に停車。

分水界をこえて西三河の区域から西三河の区域にはいる。

国府(こう)に停車。

2021.4.15 (7) 豊橋いき特急 - とよがわをわたる 1600-1200

車内清算、まわってこやへんじゃんかっておもっとったら、とよがわをわたるとこで車掌さんがまわってきて、特別車料金をしはらい。いよいよ豊橋のまちにはいっていく。

2021.4.15 (8) 豊橋いき特急 - 豊橋 1270-930
2021.4.15 (9) 豊橋 - 豊橋いき特急 1670-1350

豊橋は3番のりばにとうちゃく。ホームにあるのりかえ改札機にマナカをかざして、橋上コンコースにあがる。豊橋名鉄JR東海共同使用駅だで、これをやっとかにゃいかん。これからJR東海の電車にのりかえだ。

2021.4.15 (10) 豊橋 - 浜松いきふつうと回送特急 2000-1500

橋上コンコースから6番のりばにおりて、東海道線ひがしいき電車のとびらがあくのをまつ。電車は4両たす2両の6両編成で、ステンレス車体だいだいいろの線がはいった313系。このえきが始発になる。となり7番のりばにとまっとる回送特急はワイドビュー伊那路につかうやつで、これもステンレス車体だいだいいろの線がはいった373系。まどの部分のはばだけくろい塗装になっとるのが、313系とのちがい。

2021.4.15 (11) 豊橋 - 浜松いきふつう(6番のりば) 1990-1500

さて、とびらがあいてのりこんだとこで、事件発生。前面展望をたのしんでいかあっておもって運転室うしろにたっとっただけど、運転士さんがあからさまにいやなかおをする。ほれも、2回も。なにを運転のじゃまになることをしたわけでもない。名鉄ならありえんことだ。こころもからだも不愉快なきぶんにおおわれる。

2021.4.15 (12) 浜松いきふつう - 豊橋(回送特急) 1790-1330
2021.4.15 (13) 浜松いきふつう - 豊橋しゅっぱつ 1560-1160

さきに7番のりばから回送電車がでてったあとに、しゅっぱつ。名古屋方面からの電車をまっとったおかげで、5分おくれのしゅっぱつ。

2021.4.15 (14) 浜松いきふつう - 豊橋二川間(回送特急) 1560-1180

左右いれかわってひだりの側線に留置された回送特急のわきをとおっていく。

2021.4.15 (15) 浜松いきふつう - 豊橋二川間(豊橋鉄道) 1600-1200

豊橋鉄道の、さびさびのガーダー橋をくぐる。豊橋鉄道はこっからむきをかえて、渥美半島のほうにいく。

2021.4.15 (16) 浜松いきふつう - 豊橋二川間(ふみきりまち自転車) 1600-1200

ひだり、ふみきりまちの自転車。

2021.4.15 (17) 浜松いきふつう - 豊橋二川間(みぎ東海道新幹線) 1590-1180

高架をおりてくる東海道新幹線がみぎにそってくる。

2021.4.15 (18) 浜松いきふつう - 豊橋二川間(豊橋いきふつう) 1780-1330

ひだり曲線をいくとこで、はんたい電車とすれちがい。こっちもむこうも313系

2021.4.15 (19) 浜松いきふつう - 二川(てまえ) 1990-1480

さて、二川だ。たちのたかい橋上駅舎。上下の主線のそれぞれうみがわに、なか線またはまちあい線があるのがおもしろい。

2021.4.15 (20) 浜松いきふつう - 二川(貨物列車) 1790-1340

貨物列車とすれちがいながら、ホームに停車。いかにもな東海道線のふうけいだ。

2021.4.15 (22) 二川 - 浜松いきふつう 1990-1480

のってきた電車をみおくり。豊橋からここ二川までたったひとえきなのに6.9キロのきょり。

二川宿をあるく

二川のえきまえによこたわるみちをみぎにいく。これが東海道だ。東海道線のきたに平行する東海道をひがしにいく。ちょこっといって、みぎにふぜいのあるまちや。連子格子(れんじごうし)に帆前掛(ほまえかけ)ってかいた、こんいろのぬのがかかっとる。帆前掛ってのがみせのなまえか。ほれにしちゃあなんのみせをやっとるちゅうかんじもない。

2021.4.15 (23) 二川宿 - にしのはし 1970-1500

帆前掛からちょこっといったとこで、ほれまであった中央線もなくなっていっきにみちがせばくなる。いよいよ二川宿だ。ただ、こんなせばいみちでも、クルマはひっきりなしにいきかう。

ひだりに、かわしんこと豊川信用金庫二川支店。ちなみに、とよしんをなのるのは豊橋信用金庫

すすんで、信号交差点のみぎむこうかどに大岩町郷蔵あとのいしぶみ。ほのうしろに公衆便所。さらにほのうしろに二川交番。えきのとこにあった説明がきかんばんみてわかったことだけど、二川宿はひがしの二川とにしの大岩でなりたっとる。ここがほの大岩になるだ。こうやって公衆便所があるのも、たびびとにはたすかる。

2021.4.15 (24) 二川宿 - 大岩神明宮 1980-1480

この信号交差点を左折してきたにいったつきあたりに大岩神明宮。銅板ぶきの二重やねに水平ちぎとかつおぎのついた、堂々たる社殿だ。おまいり。

境内をでたとこで、保母さん引率の保育園児らとすれちがい。元気にあいさつしてくれるのがうれしい。

また東海道にもどって、ひがしにすすむ。いや、ほんとにクルマのとおりがおおい。ところで、いえいえの玄関にきわくの花壇があるのにきづく。まちやであるとないとにかかわらず、みせやであるとないとにかかわらず、きわくに大岩中まちづくり会ってかいた花壇がおいてあるだ。

2021.4.15 (25) 二川宿 - かわいや 2000-1500

ひだりに和洋菓子のかわいや。みぎにまちや。

「ひだり二川郵便局」っていう案内看板のでとる十字路を直進。すぐみぎにヤクルト二川宿センター。

ところでまた、きわくの花壇のほかに、常夜灯模型やこんいろののれんもいえいえにあるのにきづく。大岩町東まちづくり会ってかいた常夜灯模型がところどころにあって、二川宿ってかいたこんいろののれんがいえいえの玄関にかかっとるだ。まちやであるとないとにかかわらず、みせやであるとないとにかかわらず。ただ、みちの左右ところどころにまちやがあるってだけじゃなくて、こうやって統一的に連続してきわくの花壇やこんいろののれんがあることで、しっかり「しゅくばまちをあるいとる感」がある。

2021.4.15 (26) 二川宿 - 西問屋場あと 2000-1500

すすんで、ひだり、まちやのまえに西問屋場あとのいしぶみ問屋場ってのは人足やうまを用意しといて、大名行列なんかのにもつをつぎのしゅくばまちまではこぶしごとをやっとったとこだ。ここ二川宿じゃあ二川と大岩の2かしょの問屋場が交代で問屋場をやっとったみたいで、この西問屋場は大岩のがわの問屋場にちがいない。

また、ひだりに豊橋商工信用組合二川支店。

みぎに新幹線のいくおとがきこえる。東海道からみなみにちょこっとはなれて、東海道線東海道新幹線がならんではしっとるだ。

すすんで、みぎに御菓子司中原屋。

2021.4.15 (27) 二川宿 - 西駒屋 1970-1480

すすんで、ひだりにはたごや壺屋と、くに登録有形文化財西駒屋。はたごや壺屋はきふだにほうかいてあるだけで、現役のはたごじゃないみたいだ。このあたり、のきなみはたごやのきふだかかっとるだけど、しゅくばまち当時の屋号がかいてあるだ。このきふだもまた、「しゅくばまちをあるいとる感」をかんじさせてくれる。

みぎに二川宿本陣資料館。ところで、こぬかあめがふってきた。いったんこの資料館にはいったけど再入館することにして、こぬかあめもやんで、また、ひがしにあるく。とにかく、いっかいひとやすみしたかった。

ひだりに、木造かわらぶき2階だての越知歯科医院。まちやのつくりとはちがうけど、ふるいたてもんだ。現役の医院じゃないかもしれん。

ひだりに脇本陣。いまはふつうの住宅。

ひだりに紅林ビル株式会社の表札。むかしあったなんらかの事業所の門だけがのこっとって、ほの門にこの表札がでとる。しきちのおくにちいさめの集合住宅がいくつか。

ひだり、二川宿まちなか公園っていう小公園。

2021.4.15 (28) 二川宿 - 駒屋 1890-1480

すすんで、みちがひだりにへこんだとこで駒屋。「二川宿商家駒屋」っておおきくかいたこんいろのぬのもでとって、なかにはいってみる。

なかはおもいのほかひろびろしとる。ひろびろしたしきちのなか、東海道に面したまちやづくりのおもやのおくに、たてもんがいくつかたっとる。移築してここにあつめてあるもんか。

蔵ギャラリーってのがあって、はいってみる。いや、はなやかなこと。豊橋のひとが京都祇園の芸者田ね文(たねふみ)さんのおっかけをしとって、ほの写真がかべにずらーってならんどる。ほかに書もあって、説明してくれる。伝統にとらわれん書体で、ひとをあかるいきもちにさせる書だっていう。なるほどほんなかんじもする。

2021.4.15 (29) 駒屋 - 南土蔵(かんざし) 1600-1200

また、たわむれにかいたっていうかんざしのえもおもしろい。かんざし(簪)っていう漢字の部分部分で、芸者さんのかおがかいてある。竹かんむりでまゆげ、无(む)ふたつでめ、日でくちをかいてある。

2021.4.15 (30) 駒屋 - 中土蔵(ふたこまや) 1890-1460

蔵ギャラリーのおくの、ふたこまやっていうみやげもんやさんにはいる。まずめにはいったのが帆前掛(ほまえかけ)。むかしやおやさんとかがかけとった、あのまえかけだ。ほれが帆前掛っていうなまえだった。えきからあるいてきてさいしょにみた帆前掛は、みせのなまえじゃなかった。ほこのうちのひとがきにいって、かざりに連子格子にかけとっただ。みせばんのおねえさんが、この帆前掛が豊橋の特産だっておしえてくれる。いやー、しらんかったわー。さらにおねえさんがふでやさしこ、うずらたまごっていう、いろいろある豊橋の特産の説明をしてくれる。ふでとうずらたまごはしっとったけど、さしこも豊橋の特産だっただ。こんなにいいもんがいっぱいあるのに、豊橋のひとは宣伝がへたですよねって、おねえさんがなげく。さしこは、あの、てづつはなびのひとたちがきとる衣装の生地だ。こうやってあらためてみてみると、けっこうかっこいい。おねえさんは瀬戸の出身だったけど、豊橋のひとはうずらたまごをようけたべるのかきくと、やっぱりほのとおりだ。

なにで二川宿のことをしったのかってきかれて、SKE48のポスターみてきただってこたえると、ここにもポスターありますよっていってわらってくれる。

このたてもんのことをきくと、駒屋の時代からあったもんだっていう。もともとあった土蔵に必要な補修をほどこして、ふたこまやとしてつかっとるっていう。ほかのたてもんもぜんぶほだっていう。いや、移築してここにあつめてあるもんじゃなかった。もともとこんなひろびろとした配置だっただ。さいしょにはいった蔵ギャラリーが南土蔵で、このふたこまやが中土蔵、このさらにおくの蔵カフェこまやとしてつかっとるたてもんが北土蔵だった。さらに、東海道に面するおもやと南土蔵のあいだに、はなれざしきがある。はなれざしきはおもやよりいちだんたかくつくってあるだけど、みせの主人がはなれざしきにいながらにしておもやでやっとるみせのようすがわかるように、ほういう設計にしただっていう。

記念にふたこまやのまえで写真をとりたいなっておねえさんにいうと、じゃあ帆前掛をつけてとるといいですよってことで、にわかやおやさんになって写真をとってもらう。

二川宿 - さしこのご朱印帳ぶくろ 1190-1160

ふたこまやにはいりなおして、じぶんへのみやげにさしこのご朱印帳ぶくろをかう。ほんとにこのおねえさんにであえて、よかった。

さて、蔵カフェこまやでコーヒーのんで、ひとやすみ。やっとひとやすみだ。代金は、二川宿本陣資料館のわりびき券をつかって100円びき。

2021.4.15 (32) 二川宿 - 駒屋くらどおり 1500-2000

いったん、ふたこまやと蔵カフェこまやとのあいだからひだりにでれるようになっとる門をでて、いしだたみのこみちと土蔵のふうけいをたのしむ。

2021.4.15 (33) 駒屋 - はなれざしき(廊下) 1490-1980

駒屋のしきちにもどって、はなれざしきを見学。廊下のガラスはゆらゆらガラス。

2021.4.15 (34) 駒屋 - おもや 1980-1470

はなれざしきいちばんみなみのへやにすわって、おもやをみてみる。なるほど、みおろすかたちになっとって、ようすがようわかる。

おもやが1814年の建築であること、駒屋は米穀商と質屋をやっとったことをかくにん。

また、ひがしにあるいて、新橋川っていうちいさなかわにかかる新橋(しんばし)をわたる。

ひだりに二川八幡神社。みぎに旬菜和食江戸屋長左エ門。二川宿本陣資料館でもらった地図をみて、ここでひるごはんにせえっておもっとっただけど、ざんねんながらコロナさわぎのため、ひる営業は休止中。

2021.4.15 (35) 二川宿 - 川口屋 1980-1480

また、ひがしにあるいて、ひだりT字のてまえ、ひだりに川口屋。ひだりT字をすぎたみぎに西川米穀店。川口屋の東南かどに一里塚あとのいしぶみ日本橋から72里ってかいてある。ここが二川宿のひがしのはしだ。

さて、このひだりT字で左折して、東海道をはなれる。きたにすすんで、みぎ、JA豊橋産直プラザ二川のしきちないにあったヤマサちくわ二川店で、うちへのみやげにちくわとはんぺいをかう。豊橋っていやあ、ヤマサのちくわだ。

2021.4.15 (36) サンセット - やきにくランチ 1400-1050

さらにきたにすすんで、信号交差点を左折。東西のおおどおりをにしにいったひだりがわ、サンセットっていう喫茶店にはいって、やきにくランチ。ここも二川宿本陣資料館でもらった地図にあったみせだ。

2021.4.15 (37) 二川宿 - 本陣 1880-1480

東海道にもどって、あとまわしになっとった二川宿本陣資料館を見学。本陣のたてもんが東海道にきたに面してあって、資料館のたてもんはほのみなみがわにある。

2021.4.15 (38) 二川宿 - はたご 2000-1500

本陣のひがしに隣接してはたごも再現してあって、はいってみると、女中のもってきてくれたゆおけをまえに、たびびとがわらじをぬいどるとこ。ながたびでよごれてくたびれたあしを、このゆですすぐだ。すてきなおもてなしだ。

2021.4.15 (39) 二川宿 - 本陣(上段のま) 2000-1500

本陣の、おくのおくのおくまですすんで、やっと上段のまにたどりつく。どんなみぶんのたかいひとが、ここにとまったのか。

まちあるきをおえて、とちゅう御菓子司中原屋によって、うちへのみやげにふく福っていうひとくちようかんをかって、えきにもどる。


(さんこう)