2021年3月よっか、ぶらころもしてきた。ころもは豊田のむかしのなまえ。漢字で挙母(ころも)ってかく。
- 〔電車道中〕
- ふるいから現地まで
- 〔ぶらころも〕
- 豊田市駅、飛躍のめがみ、挙母支院、もとやねがみさま、三美神、桜城址、挙母神社、秋葉山常夜灯、白瀬中尉のいしぶみ、発見館、児ノ口公園の弁財天、馬頭観音、若宮八幡社、浄久寺、喜多神社
(地図)
◇ ◇
さいしょは西尾線。こさめんなか、ふるいからしんあんじょういきふつうのあっかい電車にのる。
しんあんじょうで名古屋本線にのりかえ。須ケ口いき特急のこおろぎ特急にのる。2分でのりかえっていうはやわざだけど、橋上駅にきりかわってうしろよりにも階段ができたことで、8両編成の須ケ口いき特急でもうしろよりの車両にのれるようになった。
知立で三河線にのりかえ。猿投いきふつうのあっかい電車にのる。
若林ではんたい電車のあっかい電車と、みぎがわ通行でいきちがい。
土橋ではんたい電車のあっかい電車といきちがい。
豊田市にとうちゃく。8時59分。さぶいな。
さあ、ぶらころもだ。ほのさいしょがこの豊田市駅なだけど、えきまえロータリーに面してある、この半円形のきれいな公衆喫煙所がうれしいな。もちろんここでいっぷく。
えきまえロータリーのなかに飛躍のめがみ像。はだかのめがみさまが人魚みたいな姿勢でたまのりして、みぎてに、さきっぽにおおきなしろいたまのついたたいまつをかかげて、ひだりてにたてごとをかかえとる。きれいでちからづよいめがみさまだ。
ひがしにのびるえきまえどおり。電柱もないうつくしいとおりのりょうがわに、ビル群がたちならぶ。ずーっとさきの、矢作川にかかる豊田大橋や、ほのむこうの豊田スタジアムまでみとおせるすてきな光景だ。
みぎ、コモスクエアのうらがわにはいっていって、真宗大谷派三河別院挙母支院。きた門からみなみ門にぬけていけるようになっとるのがおもしろい。
ところで、きた門のやねのうえに布袋さん。福禄寿もおる。
はんたいがわには弁天さんもおる。ぶらころもきぶんであるいとってこそきづく七福神だ。かねつきどうや山門のおにがわらは、古橋浅治郎っていうなのあるひとの作だっていう。ほー。
すすんで、桜町1丁目交差点から桜町ほんどおり商店街をみる。電柱もなく、歩道と車道の段差もない、うつくしいとおりだ。豊田市は、まちなかのおおくのとおりから電柱をなくした。すばらしいことだ。
みぎに、これまた電柱のないおおどおりをすすんで、ホンダ薬局の駐車場の一角に津島神社。これが、もとやねがみさまだっていう。やねがみさまは、愛知県内じゃあ、美濃路は新川をあるいとるとこでみかけたことがあるだけど、西三河の区域でも豊田にあっただ。
つづいて、豊田信用金庫本店に三美神。りょうてをそらにむかってひろげた、みはしらのはだかのめがみさま。
おおどおりをむこうにわたって、公園のなかに巨大ないしがき。まったいらな公園のなかに、うえに天守閣とかやぐらとかがのっとるわけでもない、ただいしがきだけの構造物があるだ。異様にたちがたかくて、うえになんにものってなくても、これだけで作品として完結しとる。うえにのぼっていく階段もみあたらん。わきの説明がきに桜城址ってかいてある。未完のしろで、矢作川のたびかさなる大洪水のため、七州城に移城したとのこと。
むこうにすすんで、国道をわたる。国道もまた、電柱もなく、歩道と車道の段差もなく、まちなみによう調和しとる。
挙母神社にとうちゃく。由緒がきをよんでみる。義経があに頼朝にたおされて、この地にかくれすんだ家臣鈴木重善が、吉野から子守社を勧請(かんじょう)したことからおこったらしい。ずーっと子守大明神っていわれてきたもんが、明治にはいった1871年に挙母神社ってなまえをかえとる。
とりいをくぐって参道のみぎにおうまさんの銅像。かっこいいな。
参道は舗装もないただの地面で、この地面のりょうがわになんぼんかの大木がそびえる。しぜんなかんじの境内にきもちがやわらぐ。みぎがわいちばんおくに、ひときわおおきなくすのき。
拝殿(はいでん)と神輿殿(みこしでん)をすぎて、神殿におまいり。銅板ぶきの唐破風(からはふ)に鎌倉をかんじる。
神殿ひだりてまえの子守稲荷社におまいり。規則的に連続するまっかな千本とりいがうれしい。
となりの授与所(じゅよしょ)に貝守のおまもり。なんでかいなのかうりこのみこさんにきいてみると、開運のかいだっていうこたえ。きにいってかいもとめたとたん、そらがはれわたっておひさんがさしてくる。ほんとに運がひらけた。いまままでずーっとこさめがぱらついとっただ。
えきのほうにおりかえして、また国道をわたって桜町ほんどおり商店街にはいっていく。
とちゅうでみぎにまがって、T字につきあたったとこに秋葉山常夜灯。高層マンションのみぎてまえにひっそりある。このマンションのまえのみちは電柱がのこっとる。
高層マンションのひだりてまえに白瀬中尉終焉の地のいしぶみ。にほんじんではじめて南極探検をした白瀬矗(しらせのぶ)って、こんなとこでなくなっとっただ。
えきまえどおりをよこぎって、豊田市近代の産業とくらしの発見館にとうちゃく。ここにあるべき恵比寿さんと大黒さんがおらん。門のやねのしたをみてみても、本館ののきさきをみてみても、おらん。いや、じつは、この発見館が発行した「ふゆのぶらころも運気アップ編」の地図をたよりにあるいてきとるだけど、ほの地図にここ発見館にあるってかいてある恵比寿さんと大黒さんがみあたらんだ。なかにはいって館員のおねえさんにきいてみると、なかの展示室にあるっていう。
あった。第1展示室おくの金庫についとる、登録商標の銘板に恵比寿さんと大黒さんはおった。第1展示室は、この2021年1月にみにきた挙母駅開業100年展の会場。金庫は加茂蚕糸(かもさんし)の大金庫で、ほのひだりとびらのうえのほうに石垣発明の登録商標の銘板がはりつけてある。
かえりがけに、まあはい「はるのぶらころも」がはじまっとることをかくにん。まちなかのさくら前線がたのしめるらしい。
国道にでて、ちょこっときたにいったとこから、ひだり30度に児ノ口公園(ちごのくちこうえん)にはいっていくと、まちのふうけいからしぜんのふうけいにいっきにきりかわる。人工物を極力なくして、おがわやいけをいかしてある。
公園をおくにすすんだとこにいくつかの神社と古墳。まんなかに児ノ口神社。みぎおくに津島神社と秋葉神社。ひだりてまえに弁財天。みぎてまえに児子口古墳。
児ノ口神社におまいりのあと、弁財天におまいり。弁天さんは美人っていうけど、すがたはみあたらん。
児子口古墳は、墳丘をかこうたまいしぐみのまんなかに衣之君落別王命陵のいしぶみがたっとって、たまいしぐみにうめこんである石板にこんなふうにかいてある。
「いまから1960余年まえ、11代垂仁天皇の皇子、衣君落別王命が衣の里をひらいて統治した。碧海西辺や知多東部を巡回中にこの地でなくなって、衣君落別王命を祭神とする社殿がつくられた」。
おー、衣君(ころものきみ)がひらいた土地だで挙母っていうのか。衣君は垂仁天皇の皇子だけど、西三河にはほかにも、いさきいりひこのみことか大友皇子とか、天皇の皇子がかつやくするものがたりがある。
ほのままうらにぬけて住宅街にはいったとこに、竹生町(たきょうちょう)だしぐら。いや、でっかいこと。
さらに住宅街をぬけて、竹生町のとおりにでたとこで、いったんぶらころもを中断。
えきにちかいとこにみつけた嵯峨野ってみせでひるごはん。たのんだのはとんかつ定食。ころももかりっとしてうまいし、副菜ももりだくさん。ごちそうさまでした。ひるごはんをたべにくるつとめ人もなんにんかおった。
「竹生町のとおりにでたとこ」までもどって、ぶらころもを再開。この竹生町のとおりも、電柱もなく、歩道と車道の段差もない、うつくしいとおりだ。
きたにちょこっとあるいて、ひだり、バケツプリンのかんばんのてまえに、徳住寺いりぐちの門柱。みぎにゆみなったほっそい参道のおくにみえるのがおてらだ。
徳住寺山門ひだりわきの馬頭観音におまいり。あしのじょうぶであることをいのる。境内、本堂のみぎにある、せのたかい石像はまごころ観音。
しばらくにしにあるいて、三河線の高架をくぐったとこに遊水歩道。高架ぞいに遊水歩道がつくってある。これはすごい。こういうとこにありがちなうらびれ感をみごとにけしとる。えきにあるいていくのがたのしくなる。
遊水歩道をひだり、えきのほうにすすんで、みぎに若宮八幡社。あっかいきのとりいをくぐって、銅板ぶきつまいりふきぬけの神楽殿。ほのおくに神殿。
神殿はいちばんてまえの門からおまいり。こけむすかわら。くさむすかわら。なんびゃくねん、なんぜんねんのあめかぜにたえてきたのか。のきしたにはだか電灯。門のおく、かわらぶきひらいりのおおい殿のしたに、かやぶきひらいりのちいさな本殿。
おまいりをおえたとこで、みぎうえをあっかい電車がいく。神楽殿のひだりわきに巨大なくすのき。
また、竹生町のとおりで、えきまえどおりにちかいとこに浄久寺。とおりに面する山門のみぎてまえに「信貴山御分霊毘沙門天奉安所」のいしぶみがたっとって、ほのうらめんに「挙母町浄久寺」の文字。とおりのむかいにさかの葬祭センターと風俗ビル。風俗ビルにはいっとるのは、club XaNaLy とスナックバイオレットとフィリピンパブマニラドラゴン。
境内にはいって、本堂のみぎに毘沙門堂。
えきまえどおりをえきのほうにすすんで、みぎ、再開発ビル、キタラのてまえにある喜多神社(きたじんじゃ)におまいり。ビル群のたにまにあるちいさな神社だ。
喜多神社のせなかあわせに喜多町(きたまち)だしぐら。
(さんこう)
- 乗車記録 - 2021年3月よっか、もくようび、平日
- こけむすかわら。|iwase.akihiko|インスタグラム|2021年3月7日
- 児子口古墳の説明がき石板 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2021/03/07
- 挙母神社の由緒がき - おぼえがき(ゆめてつどう)|2021/03/04
- おてらの山門のやねに七福神。|いわせあきひこ|フェースブック|2021年3月4日20:09
- 千本とりいのきれいなこと。|いわせあきひこ|フェースブック|2021年3月4日13:07
- 挙母神社でおうまさんの銅像を発見。|iwase.akihiko|インスタグラム|2021年3月4日
- ころももかりっと♪ 挙母でとんかつ♪|いわせあきひこ|フェースブック|2021年3月4日12:51
- 七州城 - Wikipedia
- 七州城(しちしゅうじょう)は1782年、現在の愛知県豊田市小坂本町(こざかほんまち)付近にあった日本の城である。挙母藩の藩庁が置かれた。通称は七州城で正式には地名の通り挙母城(ころもじょう)という。
- 挙母には、鎌倉時代の1309年に中条景長によって金谷城が築かれたが、戦国時代に今川氏、后に織田氏に攻略され、江戸時代初期である1604年に三宅康貞が1万石で入封(にゅうほう)した。康貞は城の破損が著しいことから、金谷城から1キロメートルほど北に陣屋を構え、桜の木を植えたことから俗に桜城といった。1749年、内藤氏が城の改修を計画し着手したが、矢作川の氾濫により何度も被害を受けたため、桜城から高さ65メートルほどの丘である童子山に移し、「三河国」「尾張国」「美濃国」「信濃国」「伊賀国」「伊勢国」「近江国」の7つの国が見える高台にあることから、「七州城」といった。
- 白瀬矗 - Wikipedia
- 挙母神社の山車【ころもじんじゃのだし】|文化財ナビ愛知
- 挙母まつりは挙母神社の祭礼で10月第3土・日に行われる。この祭礼に最初に山車が登場したのは1664年という。現在では本町・東町・南町・神明町・中町・喜多町・西町・竹生町から合わせて8両の山車が曳きだされる。その構造は2層でハマ(木輪)と呼ぶ車輪は外輪、唐破風の屋根を6本の柱で支え周囲には高欄があり、その后部は御簾で覆い前部は吹きぬきである。正面高欄下にも唐破風が付属し簾幕と呼ばれる御簾に白い注連縄を掛け、下部には舞台と呼ばれる前台、后部に二本の梶棒がある。水引幕と大幕で高欄下の三方を覆って飾る、これらの多くは江戸時代后期から大正にかけて製作されたものである。前日の試楽には樹木地区と下町地区の2ヶ所に分かれて町内曳き、翌日が本楽で神社へ勢ぞろいした后、夕方に勇壮な掛け声と囃子の高鳴る中、紙ふぶきが舞い、次々と町中へ曳き出されていく。