井の頭線は まっと きたまで のばす 予定だった

東京の にし、渋谷、新宿、池袋の みっつの 都心から 郊外に むかって、いくつかの 線が でとる。渋谷からは 東横線と 田園都市線が、新宿からは 小田原線と 京王線と 中央線と 西武 新宿線が、池袋からは 西武 池袋線と 東武 東上線が、それぞれ 干渉する こと なく 放射状に のびて いく。

ほんな なかで 京王 井の頭線 (いのかしらせん)は 異質だ。起点は 東横線、田園都市線と おんなじ 渋谷だけど、ほっから すなおに 放射状に のびて いかずに、新宿を 起点に のびる 小田原線と 京王線を ななめに よこぎりながら 郊外に むかって、さいごは おなじく 新宿を 起点に のびる 中央線の 吉祥寺 (きちじょうじ)で 終点と なる。放射線とも いえず、環状線とも いえず、まあ へそまがりな 路線だ。京王の まあ ひとつの 路線 京王線も 1372ミリって いう レール はばが 異質なだけど、こちら 井の頭線は レール はばこそ 1067ミリで ほかの おおくの 線と いっしょだけど、ルートが 異質だ。

ところで、この 井の頭線も、いまの 終点 吉祥寺から まっと きた、中央線を よこぎって 西武の 新宿線池袋線まで のばす 計画が あったって いう。

計画 1
吉祥寺より てまえの 久我山 (くがやま)って とこで にしに 分岐して 中央線の 三鷹 (みたか)に いたり、ほのまま 中央線を こえて 西武 新宿線の 田無 (たなし)に いたる 線を 布設する。
むかし あった 京王 井の頭線の 北進 計画 (にっけい)
△ むかし あった 京王 井の頭線の 北進 計画 (にっけい)
計画 2
吉祥寺から ほのまま 中央線を こえて 西武 新宿線の 田無に いたり、さらに ほのまま 西武 新宿線を こえて 西武 池袋線の 東久留米 (ひがしくるめ)に いたる 線を 布設する。

ところが、おんなじ 時期に 西武も、中央線の 武蔵境 (むさしざかい)から でて 是政 (これまさ)で いきどまりに なる 西武 多摩川線を、自社線の 西武 新宿線と つなげる 計画を もっとった。西武 新宿線と つなげる 地点は、さいしょは 東伏見 (ひがしふしみ)で 計画し、あとで ひとつ 新宿 よりの 武蔵関 (むさしせき)に かえとる。

京王 井の頭線の 延伸 計画、西武 多摩川線の 延伸 計画とも、目的は 武蔵野市 (むさしのし)に できる 予定の にほんいちの 野球場 東京スタディアムへの アクセスだったらしいだけど、この 野球場が 1年で とんざすると ともに、ふたつの 鉄道 延伸 計画も たちきえに なったらしい。ちなみに、この 野球場が つかわれた みじかい あいだ、中央線 三鷹から 分岐する 貨物線を つかって、国鉄が 臨時 輸送を したとの こと。

いま ほかの 線との のりいれも なく、わずか 12.7キロの かんを 唯我 独尊 状態で はしる 井の頭線にも、ほかの 線とも からむ こんな 延伸 計画が あっただ。

京王 井の頭線の 歴史 (にっけい)
△ 京王 井の頭線の 歴史 (にっけい)

(さんこう)