西尾線は安城のひとが誘致した??

西尾線(にしおせん)ってのは、西尾のひとが名古屋にいくのに便利なように!ってことで、名古屋本線に接続するかたちでつくったもんだっておもっとった。開業は名鉄の前身のひとつである愛知電鉄のこがいしゃ、碧海電鉄(へっかいでんてつ)によるものなだけど、じっさい、まえの「碧海電鉄の建設 - 名鉄100年史」っていうブログ記事でも、ほんなことをほのめかしもした。

ところで、ながらくウィキペディアに項目のなかった「碧海電鉄」がさいきんになってやっと登場し、さっそくたしかめてみたところ、なんと西尾線を誘致したのはわが安城(あんじょう)のひとだったってかいてある。

(ウィキペディア「碧海電気鉄道」の記述からばっすい)

  • 愛知電鉄が神宮前(じんぐうまえ) - 吉田(よしだ)(※ いまの豊橋)間をむすぶ高速鉄道路線である豊橋線(※ いまの名古屋本線)の布設計画を推進しとった1922年当時、豊橋線の経路となった碧海郡安城町のじもと有力者によって、安城町より米津(よねづ)を経由して幡豆郡(はずぐん)西尾町にいたる電気鉄道路線の布設計画がもちあがった。
  • じもと有力者と愛知電鉄との折衝のすえ、愛知電鉄はあたらしい路線の運営事業者設立にさいして資本金の50 %を出資すること、起点駅を豊橋線の宇頭駅(うとうえき)(※ 碧海郡矢作町(やはぎちょう)にある)とすることなどについて合意し、19235月に矢作町より米津にいたる鉄道路線の布設が免許された。(※ 起点はあとで今村(※ いまの新安城)に変更になったうえで布設工事施工)

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う~ん、この記述だけで断定するのは危険だけど、ほんとのはなしかもしれんね。西尾のひとが誘致しただったら、「西尾線」のなまえは西尾から岡崎にでる線でつかわれちゃっとったでつかえんかったにせよ、たとえば「幡豆電鉄」とかにしとっただらあでね。ほいから、矢作川(やはぎがわ)をわたって西尾に到達するまえに先行開業しとるってことも、「安城のひと誘致説」にしんぴょう性をあたえる。

碧海電気鉄道 - 路線図 - ウィキペディア
碧海電気鉄道 - 路線図 - ウィキペディア

(さんこう)