まえまえからきになっとった西枇杷島(にしびわじま)にいってきた。これまでのブログ記事にかいたとおり、地下鉄で伏見(ふしみ)から上小田井(かみおたい)、名鉄で上小田井から東枇杷島を経由して西枇杷島っていう経路でたどりついただけど、こんかいは目的地の西枇杷島について、ほのとくべつにせばいホームやほこをいきかう電車、年季のはいった駅設備、えきのまわりをまわってみたようすなんかを紹介する。
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東枇杷島からのった佐屋いきふつうを西枇杷島でおりる。なんちゅうせばいホームだ。
じぶんのたっとるさがりホームを名鉄岐阜いき特急がとおりすぎていく。ホームからおちんように、ようきをつけとらにゃいかん。
あがりホームをこんどは吉良吉田(きらよしだ)いき準急がとおりすぎていく。
またさがりホームを名鉄一宮いき急行がとおりすぎていく。
あがりホームを豊川稲荷いき急行がとおりすぎていく。
ひっきりなしに電車がとおりすぎていくだけど、どの電車もゆっくりとおりすぎていく。名古屋本線のくねくね区間まっただなかのここ西枇杷島では、電車は速度があげれんだ。
ホームからの電車見物をおえ、構内ふみきりをわたってかいさつにむかう。
あ、駅員さんがおるじゃんか!っておもったけどまどぐちはなく、このひとは構内ふみきりのあげさげがしごとの鉄道員さんのようだ。「このえきの副本線を電車がとおるのをみたことがないだけど、つかうことがあるのか」ってきいたら、「ひるまはつかわんけどあさゆうには副本線にはいる電車もある」ってこたえてくれた。
かいさつのすぐむこうにまちあいしつがある。むかしながらのものだ。
そとから駅舎をみてみる。かいさつからまちあいしつから駅舎まで、なんと年季のはいったもんだ。開業時以来のもんじゃないか。近代的な電車がいきかう名古屋本線。ほの中枢である名鉄名古屋からわずか3.6キロっていうちかいとこにあるのに、このえきはまんだ大正のままだ。
駅舎のなか、自動券売機のうえの料金表。名鉄名古屋まで190円。また、わがもよりえき碧海古井までは660円。これは名鉄名古屋から碧海古井までの料金とおんなじだ。
時刻表。1時間に2本しかない。
えきのひがしのふみきり。よこには「ローカル駅」なんていうみせもある。いまはひらいとらんらしく、このえきがにぎわった時代のなごりか。このふみきりをわたって、えきのきたがわにいってみる。
△ 西枇杷島
(うえひだり=ふみきり)(うえひだり=「ローカル駅」)(した=132929 岐阜いき特急)
なんにんかが縦列にまつあがりホームに豊明いきふつうがはいってくる。いや、じつにせばいホームだ。
△ 西枇杷島 - あがりホームにやってくる豊明いきふつう
(うえ=132853)(なか=132922)(した=132947)
西枇杷島のえきから、いっぷくできるとこをさがしてずんずんときたにあるいていく。西枇杷島警察署のとこまでいってもなんにもない。にしにまがってアオキスーパーをぬけると東海道線の枇杷島駅がある。こせんきょうをわたるときにまどからみなみをみると、名古屋都心はすぐほこだ。
東海道線枇杷島駅のこせんきょうをにしにぬけ、また西枇杷島のえきにもどるべく、見当をつけてみなみにあるいていく。事業所のある一帯がちょっとあって、ほのあと左右は住宅街にかわる。めぢからマークの防犯プレートを発見。地域をあげてどろぼう対策につとめとることがわかる。また、清須市(きよすし)広報板に現在地は芳野1丁目とある。西枇杷島は新川町、清洲町と合併して、いまは清須市になっとるだ。なんで「清州」から「清須」にかえたのかふしぎだ。
(ひだり=めぢからマークの防犯プレート)(みぎ=清須市広報板 - 芳野1丁目)
ついに名古屋本線にあたる。西枇杷島を通過した名鉄岐阜いき急行がとおっていく。
線路にそってひがしにあるき、西枇杷島にもどる。
えきのすぐにしのふみきりで駅舎のあるみなみがわにわたったすぐあとに、豊橋いき急行がやってくる。東海道線と東海道新幹線のガードしたからあかい電車がでてくるようすがおもしろい。
駅舎にちかづいたとこでこんな案内看板を発見。
美濃路散策コース
西枇杷島町は1889年、下小田井村と小場塚新田村が合併して町となりました。
江戸時代のまくあけと同時に、美濃路ぞいに「下小田井の市」がひらかれ、江戸の神田、大阪の天満とならびにほん三大いちばのひとつとして、1955年にいちばが名古屋市に移転するまでの330年あまりをいちばまちとして発展しました。
1911年の名鉄押切(おしきり)-岩倉間、1914年の名鉄津島線の開通は、いちばの集荷圏と集荷量を飛躍的にのばし、西枇杷島町発展のおおきな原動力になりました。
美濃路ぞいのいつつのまちにだしがつくられ、天王まつりにあわせて曳航(えいこう)されました。現在はまいとし6月の第一の土日のふつかかん、「尾張・西枇杷島まつり」として美濃路を曳航されます。
問屋記念館におこしいただけば、いちば・とんや・美濃路・だしのことがわかるパンフレット・冊子などが用意されております。
〔西枇杷島 - 美濃路散策コース説明がき〕〔西枇杷島 - 美濃路散策コース地図〕
いや、この西枇杷島ににほん三大いちばとして、ながくさかえた時代があっただ。ほいで、名鉄の開通でさらに発展したのか。6月開催の尾張・枇杷島まつりにもいっかいいってみたいね。
きがつくと電車の発車時間。こいつをのがすと30分またにゃいかん。あわててかいさつにむかうも、まあはい構内ふみきりの遮断機はおりたとこ。さいしょの鉄道員さんも、もうしわけなさそうに「ここで30分まつなら、あるいて10分ほどでいける東枇杷島までいってはどうですか。ほっからなら犬山線の電車もあって、本数がおおいで」っていってくれる。と、「あ、あけれます!」と。どういうかげんか構内ふみきりをあけれるタイミングがあったみたいで、むこうがわのあがりホームにいかせてもらえた。苦心して乗客の便宜をはかってくれる鉄道員さんがうれしかったよ。
すぐにやってきた豊明いきふつうにのって、いえじについた。
(さんこう)