2022年1月13日、清洲線のあとを、起点の須ケ口(すかぐち)から終点の清洲町(きよすちょう)までたどっていった。丸ノ内までは転換して名古屋本線にくみいれられとる現役区間で、ほっからむこうは廃線区間になる。
〔現役区間〕〔廃線区間〕 [丸ノ内のえきのへんの地図][清洲線路線図(清洲町、試験場前)][清洲線路線図(全体)] [乗車記録] |
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現役区間
須ケ口は2番のりばにはいってきた、岐阜いきふつうの鉄仮面にのりこむ。
8時59分、しゅっぱつ。分岐をみぎ、名古屋本線のほうにはいっていく。いや、分岐ってってもひだり、津島線のほうにははいっていけるようになっとらんくて、ただ、津島線のはんたい線をみぎななめによこぎっていく。じっさいに分岐したのはえきにはいってくるまえだ。えきてまえの分岐でみぎにはいって、2番のりばにはいってきた。2番のりばからは名古屋本線のほうにしかはいっていけんだ。
みぎにゆみなって進行方向がきたむきになる。津島線は須ケ口からひだりにゆみなってにしにいくだけど、清洲線はきたにいく。
丸ノ内のえきがみえてくる。
ひだりにゆみなりかけるとこで、丸ノ内にとうちゃく。9時ちょうど。須ケ口からたった0.8キロ、1分だ。
名古屋本線はこっからひだりにゆみなっていくだけど、清洲線の廃線あとはこっからゆるやかにみぎにゆみなっていく。廃線あとの道路が、電車んなかからもはっきりわかる。
のってきた電車をみおくり。
はんたいのりばに、須ケ口いきふつうのきんぎょばちがはいってくるのを見物。ひなびたえきにあっかい電車。いいふぜいだ。
廃線区間
さて、丸ノ内は、岐阜よりにあるかいさつをでて、ひだりにいく。いや、廃線あとはかいさつをでたとこのふみきりをみぎにわたってからきたにいかにゃいかんだけど、はんたいのひだりにいく。じつは線路のひだりに美濃路が平行しとって、ほの美濃路のへんをみてみたい。
住宅街のなかをふみきりからにしにすすんで、ひだりにツジ調剤薬局。みぎに三輪医院。
すすんで、ひだりに清洲丸之内郵便局。まるのうちの「の」に漢字をあてとる。みぎにまちや。なんのみせだかようわからんけど、山市って屋号がかいてある。ここが、美濃路がひだりクランクするとこになるだけど、らしいふんいきがある。つきあたりT字のひだりにファミリーマート清洲丸の内店。ここは、まるのうちの「の」にひらがなをあてとる。えきのなまえはかたかなをあてとった。どいつかに統一したほうがいいな。理想はぜんぶひらがながきにすることだ。ここまでみて、ひがしにひきかえす。
丸ノ内のえきのとこまでもどったとこで、ふみきりまち。ひだりに岐阜いき特急のこおろぎ特急がいく。
また、ひだりから豊川稲荷いき急行のぎんいろ電車がやってくる。うしろはあっかい電車。
ふみきりのひがしにわたったとこで、みぎに岐阜いき特急のパノラマスーパーがいく。
ちょこっといったとこで、みちがゆるーくみぎにゆみなっていく。ぎゃくに、ひだりにならんどった名古屋本線はひだりにゆるーくゆみなっていって、はなればなれになる。ちなみに、名古屋本線の丸ノ内からさき、国府宮までのかんが開通したのは、清洲線の開通から14年あとの1928年のこと。
なんのへんてつもない住宅街のなかをいく。
また、ゆるーくみぎにゆみなっていく。
変則交差点で、ひだりうしろからくるクルマどおりと合流。このへんが試験場前(しけんじょうまえ)のえきがあったとこだけど、みぎわきの木造のこやがえきのあとか。あるいは、こやのみなみのあきちがえきのあとか。ようわからん。
変則交差点からきたにあるいていく。こっからはクルマどおりが廃線あとだ。左右は住宅街。
さて、またよりみち。変則交差点すぐきたの十字路を左折。にしにいく。
美濃路もよこぎってにしにいって、五条川にかかる舟杁橋(ふないりばし)にとうちゃく。丸ノ内のとこでも、美濃路のにしに五条川が平行しとっただけど、ほっからきたのほうにきて、美濃路、五条川ともどもみぎななめに名古屋本線をよこぎって、清洲線に平行してきとるだ。はしのすぐしも、名古屋本線の鉄橋を、豊橋いき快速特急のパノラマスーパーがひだりにいく。
はしのすぐかみにかもがあそぶ。
変則交差点すぐきたの十字路にもどって、清洲線あとのクルマどおりをきたにあるいていく。なんのへんてつもないクルマどおりをきたにあるいていく。
ひだりにキヨス接骨院のあるとこで、きよすあしがるバスとすれちがい。ここにも清須市のコミュニティーバスがはしっとるだ。まえに朝日遺跡にいったときにのってみたけど、路線もわかりにくいしあんまりいい公共交通じゃなかった。
バスとすれちがったとこからすぐにアルコ清洲西バス停。
おおきな信号交差点のへんから、あたりはまちっぽいかんじになる。この信号交差点の西南かどに野田塾清須校。にしのほうに五条川にかかる長者橋もみえる。
この信号交差点をこえて、ひだり、ミニストップ清須西内堀店でひとやすみ。いや、ほれにしても、きよすの「す」を「洲」ってかいたり、「須」ってかいたり、「ス」ってかいたり、「す」ってかいたり、ほんとに大混乱だ。ほれもこれも、清洲町、新川町、西枇杷島町のみっつが合併して市になったときに、きよすの「す」を「須」にしちゃったでだ。おろかなことをしたもんだ。
ミニストップ清須西内堀店をでて、むかいに清洲桜醸造社員駐車場。ほの一角に「おにころし」のあっかいかんばん。やすさがうりのおにころしだけど、このへんが本拠地なだ。ほのきたに清洲東小学校。きゃーきゃーこどもらのこえがきこえてくる。いいな。
きたにすすんで、ひだりに清須市清洲児童センターウイングのベージュのたてもん。ほのへんからクルマどおりはみぎにゆみなっていくだけど、ウイングをすぎるとこからひだりにわかれていく生活道路がある。みぎにゆみならんで、直進すると生活道路にはいっていくってかたちだ。
生活道路のほうにはいって、ウイングのしきちのむこうに愛知模型コンサルタントのうぐいすいろのたてもん。このへんが清洲線の終点清洲町(きよすちょう)のえきがあったとこだけど、ウイングのとこか、あるいは愛知模型コンサルタントのとこか、ようわからん。
生活道路をきたにすすんで、十字路をこえてT字につきあたり。ほのさきは東海道新幹線と東海道線のどてに、みぎななめにさえぎられとる。ここまでみて、廃線あとのかくにんをおえる。
五条川をにしにわたって、さらに美濃路清洲宿をにしにこえていって、清洲町やくばあとをかくにん。のこっとったはずの清須市清洲庁舎もまあとりこわされとった。
清洲町やくばあとの東南にまつ寿司ってみせをみつけて、ひるごはん。清須からあげまぶしシールラリーの最中ってことをきいて、対象商品のいくさまぶしを注文。ごちそうさまでした。
かえりの電車にのるべく、みなみに名古屋本線新清洲のえきにむかう。
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(さんこう)
- 乗車記録 - 2022年1月13日、もくようび、平日
- ふるいから須ケ口まで - 2022年1月13日 - あきひこゆめてつどう|2022/01/23
- 強烈にさぶいひだった2022年1月13日、ふるいから須ケ口(すかぐち)まで電車にのっていった。須ケ口からは清洲線をたどって終点清洲町までいっただけど、まずはふるいから須ケ口までの電車道中のようすを紹介する。
- のってきた電車が佐屋いきふつうにかくさげになって、ひだりに津島線のほうにはいっていくのをみおくり。
- いまはここ須ケ口で、名古屋本線からひだりに津島線が分岐するかたちだけど、むかしはここ須ケ口で、津島線からみぎに清洲線が分岐するかたちだった。むかしの津島線のうちの枇杷島分岐点から須ケ口までのあいだと、むかしの清洲線のうちの須ケ口から丸ノ内までのあいだが、転換していまは名古屋本線にくみいれられとる。
- のりばで、丸ノ内にとまるふつうをまつ。
- 押切線と枇杷島線の廃線あとをあるく - 2022年1月なのか - あきひこゆめてつどう|2022/01/16
- いま、名鉄の東部方面にいく電車も西部方面にいく電車も、名鉄名古屋のえきからでとる。ところで、むかしはほじゃなかった。東部方面にいく電車は神宮前(じんぐうまえ)が起点で、西部方面にいく電車は柳橋(やなぎばし)が起点だった。ほいで、神宮前はいまも名古屋本線上にあるだけど、柳橋は名古屋本線からはずれたとこにあった。名鉄名古屋のえきから東南にあるいていったとこにあった。柳橋から押切線(おしきりせん)できたにすすんで押切町(おしきりちょう)までいって、ほっから枇杷島線(びわじません)でにしにすすんで枇杷島までいって、さらに庄内川鉄橋をわたった枇杷島橋で犬山線と名古屋本線につながるってかたちだった。枇杷島橋のえきはいまの枇杷島分岐点のとこにあった。まあ、この、柳橋から押切町をとおって枇杷島までいく、押切線と枇杷島線の経路は、名古屋本線の旧線でもある。押切線が路面電車で、枇杷島線とほれにつづく庄内川鉄橋が郊外電車だった。ともに名古屋電鉄が建設したもんで、これが名鉄のはじまりになる。
- 2022年1月なのか、ほの押切線(おしきりせん)と枇杷島線(びわじません)の廃線あとをあるいてきた。
- 廃止鉄道ノート東海nako
- 名古屋電気鉄道 - Wikipedia
- 名古屋電気鉄道株式会社は、かつて愛知県の名古屋市を中心に鉄道事業を展開しとった企業。愛知県を基盤とする大手私鉄の名古屋鉄道株式会社や、名古屋市営地下鉄などを運営する名古屋市交通局の前身企業である。通称は「名電」や「名古屋電鉄」。
- 名古屋電気鉄道は1894年に設立され、1898年に日本国内2番目の電気鉄道(路面電車)を名古屋市内に開通させた。以降、名古屋市内のみならず市の郊外へも路線を拡大し、愛知県西部に路線網を築き上げた。大正時代になって市内線(路面電車線)市営化の機運が高まり、市内線の市営化が実行されることになったため、名古屋電気鉄道は1921年に郊外路線を名古屋鉄道(初代/后の名岐鉄道、名古屋鉄道の前身)へ譲渡、翌1922年に市内線を名古屋市電気局(名古屋市交通局の前身)へ譲渡し、解散した。
- 名古屋電気鉄道が布設した郊外路線は一部区間が名古屋鉄道の路線として現在も運行が継続されとるが、名古屋市電となった市内線は1974年に全線が廃止されとる。
- なお、名古屋鉄道の創業記念日は、この会社の設立年月日としとる。
- 清須市 - Wikipedia
- 新清洲から東岡崎まで - 2022年1月13日 - あきひこゆめてつどう|2022/01/31 〔ついか〕
- 岡崎公園前のエレベーターをみてふるいにかえる - 2022年1月13日 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2022/02/10 〔ついか〕