2019年5月27日、起線(おこしせん)で起宿(おこしじゅく)をたずねた。起線はもともと、起のまちと一宮をむすぶ路面電車の路線だったもんをバス路線に転換したもんで、起宿(おこしじゅく)は美濃路のしゅくばまちになる。以下に、名鉄一宮駅(めいてついちのみやえき)から起バス停まで名鉄バスでいったようすと、起バス停を起点に、起宿をふくむ起のまちのまちあるきをしたようすを紹介する。
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起線
しんあんじょうから岐阜いき特急にのって、10時23分、一宮にとうちゃく。
名鉄バスは起線バスにのりかえるだけど、バスターミナルのなかでもえきのかいさつからいちばんちかいのりばからのしゅっぱつだ。運行本数は1時間に4本もある。いまどきめずらしい頻発運行におどろく。あさゆうはさらにおおくて、1時間に5、6本。
名鉄一宮駅10時31分の起いきバスにのりこんで、しゅっぱつ。えきからでてすぐに右折してきたにむきをかえる。
すぐにT字にあたって、左折。こっからがバスどおりで、終点の起バス停まで一直線ににしにすすむ。バスどおりは、むかしは路面電車のはしる電車どおりだった。
八幡(はちまん)2丁目交差点を直進。
八幡3丁目交差点を直進。
さいしょのバス停、一宮スイミングスクール前バス停は通過。
ちょっと郊外っぽいふうけいにかわって、八幡5丁目交差点を直進。
神山3丁目(かみやまさんちょうめ)バス停も通過。みぎにバロー。
繊維センター前バス停に停車。ふたりおりて、ひとりのってくる。
馬引(まびき)バス停に停車。ひとりのってくる。ここは路面電車当時のえきだったとこなだけど、バス停の位置がおくまったとこにあるのはほのせいか。
馬引西(まびきにし)バス停を通過。
東海北陸自動車道をくぐる。かえりのバスできがついただけど、高速道路のはしげたのにしがわの面にだけ「おりもんのまち尾西」ってかいてある。このへんからが旧尾西市(びさいし)の区域になるにちがいない。尾西市の中心が起のまちだ。
はんたいバスとすれちがい。
篭屋(かごや)バス停を通過。
三条橋をわたる。
三条橋でわたるのは野府川(のぶがわ)。こっからちょこっとかわしもで日光川(にっこうがわ)に合流するかわだ。
尾張三条(おわりさんじょう)バス停に停車。ひとりおりる。
ひだりに十六銀行があったりして、左右がちょっとにぎやかになってくる。起のまちにはいってきたか。
三条・賀(さんじょう・が)交差点を直進。
尾西公園前(びさいこうえんまえ)バス停を通過。みぎがわに公園。ひだりにレインボー一宮三条っていうマンション。
おおきな交差点を直進。
中通り(なかどおり)バス停に停車。ひとりおりて、ひとりのってくる。のっとる乗客はせいぜい10人未満だけど、ひんぱんにのりおりがあって、このバス路線が生活に密着したもんだってことがわかる。
はんたいバスとすれちがい。「みぎ一宮市尾西庁舎」っていうかんばんがある。むかしの尾西市役所だ。
尾西庁舎南交差点のすぐむこうで尾西庁舎(びさいちょうしゃ)バス停に停車。ふたりおりる。バス停でまっとるようにみえたふたりはのってこんかった。運転士さんなかせのまぎらわしさだ。ところで、バス停となりの商店街街路灯のかんばんに「JA愛知西尾西支店」ってかいてある。JA愛知西の尾西支店(びさいしてん)なだけど、三河にくらす筆者にはJA愛知の西尾西支店ってよめちゃって、これもまぎらわしい。みぎに三菱UFJ銀行。
尾張中島(おわりなかしま)バス停を通過。ここも路面電車当時のえきだったとこで、バス停の位置がおくまったとこにある。みぎに尾西信用金庫。
尾張中島バス停までバスは往復運行だけど、ほのさきは循環運行になる。終点、起バス停からきたまわりにまわって尾張中島バス停にもどってくるだ。
尾張中島交差点を直進。ひだりにOK銀行。
起工高・三岸美術館前(おこしこうこう・みぎしびじゅつかんまえ)バス停に停車。ふたりおりる。起工業高校はひだり。三岸節子記念美術館はみぎ。
新栄町(しんさかえまち)バス停を通過。このへんから商店街街路灯のかんばんがみどりいろのかんばんにかわる。起商店街になっただ。
バスどおりがちょこっとくだり勾配になる。左右のみせはちょこっとふるめかしいみせがおおいか。
定刻の10時47分より2分おくれで起(おこし)バス停にとうちゃく。下車。左右のみせはやっぱりふるめかしいみせがおおい。
ここまでのってきたバスが、さらににしに木曽川の堤防道路のほうにむかっていくのをみとどけて、バス停時刻表をかくにん。名鉄一宮駅いきで、終バスは22時31分っていうおそい時間まである。名鉄一宮駅までいかんで、循環区間さいごの郷北(ごうほく)バス停どまりのバスだと、終バスはさらにおそい24時4分っていう時間だ。一宮から起にバスでかえってくるのに、こんな深夜にかえってこれるってのはすごい。
起宿
さあ、まちあるきだ。とりあえず喫茶店でいっぷくしたい。起バス停のとこからみなみによこみちをはいっていく。あったっておもった喫茶店はやすみ。はんたいからあるいてきたご婦人にきくと、わたしもこれから喫茶店にいくとこだでついておいなっていってくれる。
もどってバスどおりをよこぎって、きたによこみちをはいったすぐのとこにほのみせはあって、はいる。いや、外見はふつうの住宅でぜんぜん喫茶店っぽくない。しるひとぞしるってかんじのみせで、なかはごきんじょさんでいっぱいだ。なりゆきでご婦人と同席。まずはモーニングセットのすごさにおどろき。コーヒーのほか、トースト2枚、あんみつ、おかしにめだまやき。たべながら、のみながら、ご婦人とおはなし。バスどおりを路面電車がはしっとった時代のこともしってみえた。筆者がうまれたときにはまあはい廃線になっとった路面電車で、ご婦人のほうがおねえさんなだ。三条からここ起にとついできたとのこと。三条ってとちゅうでとおってきたバス停だ。実家はしだしやさんで、ガチャマン景気にわく起のまちにいっぱい注文があって、おおいそがしだったっていう。ガチャマンってのは、「織機でがちゃんってやると、なんまんえんものおかねがもうかる」っていう意味だ。となりの一宮はけおりもんで有名だけど、起もおりもんがさかんだっただ。女工さんもまちぢゅうにあふれとったっていう。いまはやってないけど、たなばたもにぎやかだっただげな。わがあんじょうも以前は繊維のまちで、女工さんがいっぱいだって、たなばたまつりはにほん3大たなばたとして、いまもつづく。ご婦人は尾西民俗資料館のとなりにおすまいとのこと。徳行寺の駐車場がとなりにあるとも。自宅から喫茶店にあるいていくとちゅうでたびびとをひろったってわけだ。民俗資料館は改修中でこの2019年6月ようかに新装開業するで、ぜひ、また、みにおいでんって。ほれから起のまちには映画館がみっつもあったって。バスどおりにふたつと、郵便局からきたにはいった銀座にひとつ。いまもたてもんはのこっとるげな。ご婦人はおどりの流派である西川流の免許もおもちとのこと。おひろめになんびゃくまんもかかっただげなけど、しだしやをいとなむご両親はよろこんでおかねをだしてくれただげな。ほういう気風があるだ。起にとついできて、実家とちがってしだしやをやっとるわけでもなく、やることがなくてさびしかったとのこと。おたがいのこどものこと、まごのこととかのせけんばなしもする。ご主人は、きょねん夫婦旅行のたびさきカナダでなくなられたとのこと。事故とかじゃなくて、バスんなかでねむるようになくなられたらしい。ご婦人によると、覚悟してみえたじゃないかって。いまは末端部だけ循環運行になっとるバスだけど、むかしは起で転回してきたみちを一宮にもどっていったっていう。ほそいみちで転回しとっただ。
いや、いっぱいはなしができてうれしかった。お代もふたりぶんはらっていただいた。国立(くにたて)さん、ありがとうございました。
喫茶店をでて、まずは美濃路をあるくことにする。またバスどおりをよこぎって、みなみによこみちをすすむ。これが美濃路かっておもとっただけどちがうかって、まあ1本にしのみちにでてみたら、ほれが美濃路だった。
美濃路に面して尾西歴史民俗資料館。ここが起宿のわき本陣があったとこで、いまたっとる木造のたてもんは、わき本陣が濃尾地震で倒壊したあとに住宅としてたてられたたてもんで、いまは資料館の別館になっとる。コンクリートづくりの本館は改装工事まっさいちゅう。
民家の外壁に「尾西市本町」のホーローかんばん。本町ってのはまちの中心にあたえられる町名だ。この起宿が近代にはいっても起のまちの中心だっただ。
ふるい木造たてもんもいくつかある美濃路をみなみにあるいて、ふたまたのとこまでとうたつ。「ひだり稲沢、みぎ津島」。津島のほうからきたコミュニティーバスがV字に転回して稲沢のほうへいく。稲沢のほうへいくのが美濃路だ。このさき萩原宿(はぎわらじゅく)、稲葉宿(いなばじゅく)につながる。起宿はこのへんまでかっておもって、筆者は美濃路をきたにひきかえす。
バスどおりにあたるとこまでもどってきた。起バス停からにしにきたとこだ。
バスどおりは、にしにまあちょっといって木曽川の堤防道路にあたる。みなみからきた美濃路はここでバスどおりをちょこっとつかってひだりクランクして、きたにつづく。
バスどおりから美濃路をきたにはいって、みぎに土蔵。
また、きたにすすんでいく。
みぎに宮河戸(みやごうど)あとのいしぶみ。美濃路はこっから木曽川をわたって美濃のくににつながるだけど、はしはなくてわたしぶねでわたるだっただ。ほのとせんば(渡船場)がこの宮河戸だった。この起宿にとせんばはかみ、なか、しものみっつあって、この宮河戸が「なかのわたし」になる。ただ、この「なかのわたし」がつかわれたのは、「かみのわたし」だけじゃ往来客をさばききれんときだけだったとのこと。
宮河戸あとのせつめいがきのとなりに、起六斎ばやし(おこしろくさいばやし)の説明がきもある。濃尾地震のあとからはじまったもんで、起のかわまつりのおはやしとしてうけつがれとるとのこと。
ひがしに、みちのたかさからいちだんしたにおりたとこにある、大明神社(だいみょうじんじゃ)におまいり。つまいりの拝殿が新鮮だ。祭神(さいじん)はあめのこやねのみこと。
境内をでるとこで起のおおいちょうをみる。
また美濃路をきたにあるいて、大垣一宮線の道路がうえをよこぎるとこまでいく。ここまで「かみのわたし」はみあたらん。
美濃路のすぐにしに平行する木曽川の堤防道路にあがって、きたにちょこっといって濃尾大橋(のうびおおはし)。いや、木曽川のひろいこと。はしのむこうはかすんでようわからん。大垣一宮線の道路がこのはしで対岸の美濃のくにつながる。
かわらにおりて、かわかみをみる。江戸時代、このかわにはしがかけれんかったのもふしぎはない。わたしぶねでこのひろいかわをわたっただ。
はらがへったこともあって、美濃路をみなみにひきかえすことにする。
堤防道路を北進して、濃尾大橋のひがしづめで右折して、大垣一宮線の道路をひがしにはいっていく名鉄バスをかくにん。
美濃路をみなみにあるいていくとこで、ちょうどにわさきにでてきとったおじさんに「わたし」のことをきいてみる。「かみのわたし」は大垣一宮線の道路をくぐって、まっときたにいったとこにあるだった。これはまたの機会にいくことにする。「しものわたし」は船橋河戸(ふなばしごうど)っていって、バスどおりまでもどってみぎにまがったすぐのとこにあるっていう。「船橋」っていうぐらいで、ふねをならべてつなぎとめてほのうえにいたをわたしてはしにしただげな。ほー、義経の八艘とびか。いや、いたがわたしてある。
ほいから、本陣のばしょについてもきいてみる。わき本陣は尾西歴史民俗資料館のとこにあるけど、本陣はどこにあるのか。わき本陣のむかいがわだった。じもとのひとのはなしがきけるのはうれしい。
さて、バスどおりにあたってみぎにまがったとこで船橋河戸もみあたらんままに、堤防道路のしたに起第二陸閘(おこしだいにりっこう)を発見。「閘(こう)」ってのはみずをせきとめるっていう意味だ。「陸」がついとるのは、ふだんはみずにつかってないでだ。
陸閘をくぐってかわらのほうからみると、観音びらきの水門がみえる。これが「閘」だ。みずかさがおおきくなったときにしめる。ちなみに、あとで尾西歴史民俗資料館にといあわせてわかったことだけど、じもとのひとたちは、この陸閘をくぐって木曽川の水泳場にいったり、消防につかうみずをくみにいったりしとったっていう。あと、第一陸閘が「かみのわたし」のとこにあることもわかった。「なかのわたし」のとこには陸閘はない。
半分あきらめかけてバスどおりにもどったとこで、あった。船橋河戸(ふなばしごうど)のあとだ。バスどおりが堤防どおりにむかってのぼっていくとちゅうのきたがわにあった。説明がきをよんでみる。「なかのわたし」が「増発用」のわたしだったことはさっきみたとおりだけど、この「しものわたし」船橋河戸は「臨時」のわたしだった。270艘ものふねをならべてはしにしたっていうで、ほやほだよな。ほんなにひんぱんにかけれるもんじゃない。にほん最大の船橋だったっていうこの船橋河戸は、将軍とか朝鮮通信使とかのとくべつな通行があるときだけかけられたっていう。さいごにかけられたのは1764年の朝鮮通信使のときだげな。
バスどおりから堤防道路につきあたって名鉄バスが右折していく。ひるま15分間隔の運行だでなんかいもバスをみるだ。
バスどおりをひがしにすすんで、起バス停のてまえひだりがわに扇屋。いまは呉服やさんだけど、むかしは映画館だった。これがむかし起にみっつあったっていう映画館のひとつだ。
食堂をみつけれんままにひがしにあるいて、みぎがわに喫茶店を発見。店主のおばあさんにひるごはんがたべれるかきいてみたら、パンならたべれるとのこと。きのなさそうなかおをしたら、ひじきもあるでたべていきなんってさそわれる。ひじきをおかずにパンをたべるのもなんだけど、ここは好意でとくべつにひじきをだしてくれるもんだって解して、なかにはいる。
おばあさんのむすめさんが西尾にとついどるってことがわかったこともあって、はなしがはずむ。尾西から西尾にとついだだ。電車にのって西尾までいったときのようすや、しんあんじょうに快速特急がとまらんくておどろいたこと、西尾で抹茶をよばれたことなんかをはなしてくれる。ほれから、路面電車からバスに転換したときのこともおしえてくれる。バス転換にあたっては、運行本数をふやすことが条件だっただげな。ほいで、いまのひるま15分間隔、あさゆう10分間隔の運行になったとのこと。いま現在のはなしだけど、こいだけのひんぱつ運行でも、あさ乗客がのりきれんことがあって、ほのために1便にバス2台をあてることもあるだげな。さらに、起からしもに中野のわたしってのがあって、わたしぶねで木曽川の対岸にわたれるってこともおしえてくれる。これはいかにゃ。みせをでるときに、またおいでんっていってくれる。また、くるよ。
バスどおりをほんのちょこっともどって、むかし映画館だったたてもんをかくにん。tomida っていうかんばんがでとるだけでなんのみせだかわからんだけど、これがむかし起にみっつあったっていう映画館のうちのふたつめの映画館だ。これがほれだっていうのは、いまの喫茶店のおばあさんがおしえてくれた。
また、バスどおりをひがしにすすんで、おばあさんの喫茶店をすぎたとこの起・東茜屋(おこし・ひがしあかねや)交差点を左折。のこるひとつの映画館があるっていう銀座にはいっていく。交差点の西北かどには郵便局。
銀座どおりをきたにすすんでいく。
のこるひとつの映画館はみつけれんまま、みぎに起織物っていう会社の工場を発見。ガチャマン景気のむかしをしのぶ。この工場のすぐきたの大垣一宮線の道路に濃尾大橋口(のうびおおはしぐち)バス停があって、ちょうどやってきた名鉄一宮駅いきバスにとびのって、起のまちをあとにする。
関係地図 〔かくだい〕
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(さんこう)
- 乗車記録 - 2019年5月27日、げつようび、平日
- 起宿の船橋河戸あと - おぼえがき(ゆめてつどう)|2019/05/31
- 起宿の大明神社 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2019/05/31
- つまいりの拝殿が新鮮だ。由緒がきはつぎのとおりで、祭神(さいじん)はあめのこやねのみことだった。
- 起六斎ばやし - おぼえがき(ゆめてつどう)|2019/05/31
- 1892年っていうとまんだあたらしい時代にはじまったまつりなだ。ほいで、1983年にこどもたち中心のまつりとして復活した。例年8月じゅうよっかに行列が起のまちをねりあるくっていう。にぎやかだらあな。
- 起宿の宮河戸あと - おぼえがき(ゆめてつどう)|2019/05/31
- 起宿わき本陣あと - おぼえがき(ゆめてつどう)|2019/05/31
- いま、わき本陣あとにたつのは大正時代にたてられた旧林家住宅。
- バス停時刻表 - 起バス停 - 名鉄一宮駅いき - おぼえがき(ゆめてつどう)|2019/05/31
- 尾張のモーニング…|いわせあきひこ|フェースブック|2019年5月30日15:28
- 尾張のモーニング、どいだけーっ!っていうぐらい豪華だわ。起(おこし)は珈琲庵倭(やまと)で。
- ん?…|いわせあきひこ|フェースブック|2019年5月29日23:31
- 稲葉宿 - あきひこゆめてつどう|2019/02/27
- 廃止から10年・岐阜の電車(2015年春季特別展) - 名鉄のオススメ|名古屋鉄道
- 名鉄起線 - Wikipedia
- 起線(おこしせん)とは、愛知県一宮市の新一宮駅(廃止直前は八幡町駅(はちまんちょうえき))から愛知県中島郡起町(現・一宮市)の起駅までを結んでいた名鉄の軌道線(路面電車)である。
- 1953年6月の運行休止后に廃止された。複線化等の輸送力増強が敷地等の問題でできず、しかも尾西線の架線電圧の昇圧のため1952年に新一宮駅(現・名鉄一宮駅)への乗り入れを中止するなどして沿線人口の増加に対する施策がなかった一方、バスによる代替輸送で新一宮駅乗り入れを行ったところ、輸送力の増強が低コストで行えたため、休止期間を経て正式に廃止となり、バス輸送に転換された。バス化による廃線事例は乗客数の減少によることが多く、当路線のように乗客が多過ぎてバス化された事例は珍しい。
- 起駅 - Wikipedia
- 減速進行 > 起線
- (※ 優秀な廃線路線図がのっとる)
- 起からかえる - 2019年5月27日 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2019/06/01 〔ついか〕
- 2019年5月27日、起(おこし)のたびをおえて、濃尾大橋口(のうびおおはしぐち)バス停13時42分の名鉄一宮駅いきバスにのる。
- 三岸節子記念美術館にいってきた - 2019年6月18日 - あきひこゆめてつどう|2019/07/18 〔ついか〕
- 2019年6月18日、起(おこし)にある三岸節子記念美術館にいってきた。起にいくのは、はじめていった2019年5月27日につづいて、こんかいが2回めになる。いきかえりのようすと現地のようすをあわせて、以下に紹介する。ちなみに、3回めにいった2019年7月とおかのことは、順番を前后してさきにブログ記事にしてある。
- 尾西歴史民俗資料館にいってきた - 2019年7月とおか - あきひこゆめてつどう|2019/07/11 〔ついか〕
- きのう2019年7月とおか、起(おこし)にある尾西歴史民俗資料館へいってきた。起にいくのはこいで3回めになる。