きょう2020年3月にじゅうよっか、幡頭神社(はずじんじゃ)をみてきた。幡豆郡(はずぐん)にあるだけど、「ず」がべつの漢字になる。ばしょは吉良吉田駅(きらよしだえき)と三河鳥羽駅(みかわとばえき)の中間。このかんで、みなみに三河湾につきでた半島のさきっぽのやまのうえにある。まあ、吉良温泉(きらおんせん)のなかだ。海岸べりの道路を、吉良宮崎郵便局のひだりから階段でうえにあがっていったとこになる。ただし、えきからはとおくてクルマでいってきた。うらがわからまわりこむかたちでのぼって、現地にとうちゃく。
拝殿におまいり。額の文字をみると「正一位幡豆神社」ってかいてある。正一位(しょういちい)ってのはいちばんえらいってことだ。神社名の漢字表記は「頭」じゃなくて「豆」がつかってある。あんまりこだわることはないのか。たてもんはかわらぶきで、ひらいり。
みぎからうらにまわって本殿をみる。おおい殿とかはなくてむきだしだ。ただし、拝殿からわたり廊下でつながっとって、正面からみることはできん。いや、わたり廊下がなかったとしても、拝殿にちかづきすぎとってぜんぶがみえんかもしれん。たてもんは三間社流造(さんげんしゃながれづくり)で、ひわだぶき、ひらいり。三間社ってのは、はば3間のおやしろって意味で、流造ってのは、てまえのやねだけがびよーんってこっちにのびてきとるつくりのことだ。まえからみとるぶんにはりっぱだけどよこからみるといちじるしく不均衡だ。この幡頭神社本殿が重要文化財になっとる。
みぎにこぶんの神明社本殿。三間社流見世棚造(さんげんしゃながれづくり)で、ひわだぶき、ひらいり。流造のなかまだ。
こんどは、ひだりからうらにまわって本殿をみる。
ひだりにもこぶんの熊野社本殿。一間社入母屋造(いっけんしゃいりもやづくり)で、ひわだぶき、つまいり。どういうわけか、これだけつまいりだ。
境内西南すみに皇太神宮遥拝所(こうたいじんぐうようはいじょ)。皇太神宮ってのは伊勢神宮のこと。うみのかなた伊勢神宮にむかっておまいりするとこだ。
さいごに由緒がきをよんでみる。
「702年創建。幡豆郡内(はずぐんない)では、久麻久神社(くまくじんじゃ)」とともにふるい由緒をもつ神社。祭神(さいじん)は建稲種命(たけいなだねのみこと)。やまとたけるのみことの旛頭(はたがしら)だっただけど、東征の帰路、駿河湾で遭難。蛭子岬(えびすみさき)に漂着した遺骸(いがい)をこの地にほうむった。以来、この地を旛頭といい、幡豆とかく」。
ほー。久麻久神社は、幡豆郡のきたのはし、八ツ面山(やつおもてやま)のうえにある神社。みなみのはしにある幡頭神社とついになる。おもしろいな。ほいから、祭神の建稲種命がやまとたかるのみことのはたがしらだったことから、ほのはたがしらの文字が変形して幡豆のなまえの由来になったってのもおもしろい。
ところで、三河鳥羽駅からひとえきひがしの西幡豆駅(にしはずえき)のちかくにも幡頭神社があって、いったことがあるだけど、ほっちにも建稲種命の遺骸が漂着したっていう、「欠の亀岩(かけのかめいわ)」っていうなまえのいしがある。どっちが本家でどっちが元祖なのか。
境内から一段おりたとこからのびる参道をみなみのはしまであるいて、ほこにたっとるとりいのとこから三河湾のうみをみる。
クルマで海岸べりの道路までおりて、吉良宮崎郵便局のひだりから幡頭神社にあがっていく階段があるのをかくにん。建稲種命の遺骸がながれついたっていう蛭子岬と蛭子社もかくにん。となりの恵比寿海水浴場のすなはまにおりて、しばしかもとあそんでいえじにつく。
(さんこう)
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たのんだのはとんかつ定食で、たれはみそだれ、みそしるはあかだしにした。ソースだれと、しろだし、あわせだしはえらばず。
#道の駅にしお岡ノ山
#いっぷく亭
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- ほっからすぐひがしに幡頭神社(はずじんじゃ)。「はず」の「ず」はまちのなまえでつかっとる「豆」じゃなくて「頭」だ。まあ、地名の漢字表記ってのは基本的にあてじなわけで、漢字をつかうようになるまえから「はず」は「はず」だったはずだ。地名の漢字表記なんか、はよやめたほうがいい。ちなみに、ここは旧幡豆町で、にしどなりが旧吉良町になるだけど、じつは旧吉良町にも漢字表記までおんなじ神社がある。1週間まえに岩瀬文庫で開催の西尾市文化財講座で「幡頭神社の建築と歴史」っていうはなしをきいてきただけど、ほれは旧吉良町のほうの幡頭神社だった。こんかい、1週間まえにはなしにきいた神社をじっさいにみれるじゃないかって期待してきただけに、かたすかしになった。
- ところで、拝殿てまえのいどんなか、しめなわをはったしたにおおきないしがある。「欠の亀岩(かけのかめいわ)」っていうなまえのいしだ。説明がきをよんでみる。
「古代、景行天皇の命(めい)をうけて、やまとたけるのみことがひがしのくにぐにを征伐。ほのときかつやくしたたけいなだねのみこと(建稲種命)はかえりみち、駿河のくにで遭難してなくなる。遺骸が、ここ西幡豆の欠(かけ)っていうとこのおおきないしにながれついた。ほのおおきないしが欠の亀岩で、ひとびとがたけいなだねのみことの遺骸をていねいにまつったのが幡頭神社だ」。
いや~、すごい。たけいなだねのみことって、しらべると西暦100年ごろにかつやくしたひとだ。ほんな1900年もまえの歴史がこの幡豆の地にきざまれとるだ。
- 幡頭神社 - Wikipedia